2011年12月30日金曜日

ビビアン・リーを探して(NHK)



 今年のブログは上田ご夫妻にお目にかかったのが、最終ページになるはずだった。
しかし、録画しておいた「永遠のヒロインその愛と素顔”ビビアン・リーを探して”」(NHK)を見て、書かずにはいられなかった。
 
 この番組は曾孫のソフィーが、ビビアン・リーの身内の子孫や共演者に会い、実像に迫るというものである。
 ビビアン・リーといえば「風とともに去りぬ」であまりにも有名だが、この番組を見て、彼女の実人生そのものが、スカーレットのように情熱的で波乱に満ちたものであり、最後は躁鬱病にかかってしまう悲劇的なものだった。(1967年没、53才)
 彼女は三度結婚しているが、三度の結婚について彼女はこう語っている。
 最初の夫、リーからは「生き方」を、2番目の夫、オリビエからは「人を愛すること」を、そして3番目の夫、ジャックからは「孤独と向き会う」ことを・・・。
 3番目の夫との寝室には枕元にオリビエの写真が飾られ、それをジャックは黙認していたという。
 そのジャックの回想が、カセットに録音されていた。そのカセットがなんと、小生が勤務していたTDKブランドだった。録音年が1987年となっている。当時、小生はカセットテープの商品企画をしていた。TDKカセットは世界のトップブランドでイギリスではシェア60%に達していた。これはイギリスに派遣されていた川崎さん、ジョンさんなど現地社員による努力の結果だった。ビビアン・リーと共に、当時海外で活躍されていた方々の顔が目に浮かび、目頭が熱くなった。(写真は小生、手作りのDVDと番組の一部)
 

2011年12月27日火曜日

感謝!上田ご夫妻(カナダより来日)



 昨日(26日)東京・六本木、グランドハイヤットホテルヘ行った。
カナダから来日し、このホテルに滞在されている上田和男ご夫妻のお招きだった。同ホテルのレストラン「旬房」に12時におうかがいした。西宮聡彦さんも一緒だった。
 上田さんからはたびたび自筆の本をいただいていた。そのお返しということで、小生が今年出版した「感謝」をお送りした。奥様がこの本を読んで下さった。また、西宮さんは、彼がアメリカにいた時、上田さん宅でピアノを弾いた。それが、奥様の記憶に残っていた。つまり、小生と西宮さんの招待は奥様の希望でもあったようだ。
 上田さんは1969年生まれ、住友金属、TDK、ジョンソンの役員等を歴任された後、現在はカナダで住宅会社を経営されている。年金生活者の小生(1942年生)にとっては雲の上の存在である。
 お会いして、上田さんも奥様も若々しいのでビックリした。奥様は読書家で現在は宮本輝を愛読されているという。見識も会社経営者のご主人にひけをとらないようにお見受けした。こんな素敵なご夫妻にご招待いただき、自分の運の良さに、天にも昇る一時だった。感謝!上田ご夫妻である。
 ところで、この日、昼に六本木におうかがいするために、8時からのスーパーのバイトを前倒しして6時30分からはじめた。真っ暗だった。上田ご夫妻、西宮さんとお別れして4時に松戸駅で元日本記録メディア工業会常務理事・木村恭平さんにお会いした。秘蔵のSPレコードを譲り受けるためだった。
 今回のブログが今年最後になると思う。
 音楽&オーディオ仲間、ゴルフ&グランドゴルフ仲間、会社OB会、老人会等、忘年会の回数は8回となった。

2011年12月24日土曜日

21世紀はSACDの時代


 SACD(Super Audio CD)の音をはじめて聴かせていただいたのは、野田市の高橋さんのお宅だった。その後、12月3日、竜ヶ崎市の音楽同好会ゲヴァント・ハウスで元・レコード芸術編集長、野沢龍介さんが「21世紀のクラシック音楽事情」と題して、SACD(ハイブリット)のデモンストレーションを行い、その音の違いに参加者は耳を耳張った。
 12月10日、日本コロムビアからSACDの試聴盤が拙宅にドーンと送られてきた。
 小生が10年前にCD商品化を企画した「TDKオリジナルコンサート」の1部がSACD化され、12月21日発売されるということで、挨拶変わりに送って下さったのだ。
 これを聴いて驚いた。
 なんと2トラ38のマスターテープの音がするのである。といってもオーディオに興味のない方はわからないと思う。2トラ38とは、当時放送局が音楽を収録する時に使用したアナログの録音方式である。実に音が柔らかい。
 これをCDにすると音の波形が階段状にギザギザになり、どうしても音が固くなってしまう。
 CDが開発された時は、CDは人間の可聴範囲を完全にカバーしていると宣伝された。
 一般的にはそうといえるかもしれないが厳密にいうと違う。
 SACDはCDと比較すると記録容量が7倍、周波数帯域は5倍と格段に高性能なのだ。
 これによって音の波形は限りなくアナログに近くなる。
 音を聴くと、CDでは団子状態に聴こえた音もほぐれて聴こえる。本当にコンサートホールで聴いているようにナマナマしい。
 同じ演奏なのにSACDの方がゆっくり、丁寧に演奏しているように聴こえるから不思議である。
 野沢さんがおっしゃるように、また高橋さんが惚れ込まれたように、これからはSACDの時代だということを実感した。
 なお、SACDプレーヤでないと聴けないが、2万円くらいでDVDコンパチのプレーヤが発売されており、これでも十分に楽しむことができる。
(写真、上段左1977ベーム・ウィーンフィル、右1974ディスカウ、下段1973ザンデルリンク・ドレスデンシュターツカペレ。いずれも来日公演ライヴ収録)

2011年12月20日火曜日

オペラはブルーレイ時代


 ブルーレイのオペラをはじめて視聴した。
 音も絵も素晴らしい。
まず、プッチーニの「ラ・ボエーム」である。
貧しいお針子ミミと売れない詩人ロドルフォの悲恋物語である。
オペラ歌手というと、容姿はどうでも良い、というのは昔の話。今回試聴したDVDの主人公はどれも美形なので、視覚的に違和感がない。
 映像がクリアなので、ミミの襟元にあるカメオのブローチも鮮明に判別できる。こういったところは舞台の最前列でもみることはできない。ミミが病にかかり、息も絶え絶えの第3幕ではこのブローチも無くなっている。
 こんなところまで、細かく気を使って演出しているということがブルーレイだとわかる。
第3幕は、雪のパリ郊外の場面だが、実にリアルであり思わず身震いしてしまう。(2009,12、英国ロイヤルオペラで収録)
 ヴェルディの「椿姫」。
 主人公のヴィオレッタはパリの高級娼婦。娼婦といっても19世紀半ばの娼婦は教養豊かだったという。今までのヴィオレッタというと、可愛そうな歌姫といったイメージだったが、今回視聴したヴィオレッタは違う。ビビアン・リー演じるスカーレットのような感情豊かな女性である。これをフレミングが見事に演じ、愛憎深いドラマとなった。(2009,6、英国ロイヤルオペラで収録)
 今回視聴した2作品が映像・音質だけではなく、作品としても高度に仕上がっていたのは幸運だった。
 これから新しく収録されるオペラはブルーレイになるということを実感した。

2011年12月10日土曜日

大相撲・初場所千秋楽、マス席ゲット


 定年後続いている飲み友達4人組。今回は小生が幹事。
10月ごろだったろうか、「大相撲観戦なんかどう?」と声をかけたら「いいね」と乗ってきた。4人なので、マス席に丁度良い。ところが要求が厳しい。マス席はマス席でも千秋楽が良いときた。
 そうこうしている内に関東出身(茨城県・牛久市)の”稀勢の里”が大関に昇進した。
 これは切符を取るのが大変ではないかと思った。インターネットで調べてみると予想しないことが書いてある。
 (国技館の場合)チケットの発売は12月10日の午前9時からだが、10日買う場合は、整理券が必要だという。その整理券は9日の午前7時から配布するという。
 牛久始発5時34分に乗れば、両国に7時前に着くが、これでは長蛇の列だろう。ということで、取手まで車で行き、取手始発4時35分の電車に乗る。
 両国着5時35分。暗闇、しかも雨の中、傘をさした列が国技館から両国駅前まで続いていた。小生、前日、家内に厚手の下着を出させ、ホカロンをバックに詰め込み、携帯椅子とレーンウェアと傘を持ち、万全の体制。暗闇の中一時間半、待った。結果整理券(「タマリ・マス席」)の番号は101番。整理券は「タマリ・マス席」と「イス席」があり、ほぼ同数のようなので、小生の前に200人くらいいたことになる。
 10日、101番の小生がチケットを購入する番になった時、初日と14日、千秋楽の「タマリ席」は完売。「マス・A席」を買うことができた。購入価格一人当たり¥11,300なり。

2011年12月7日水曜日

81才、パソコンに挑戦



 町内(刈谷町)で自分史「碑」を主宰されている、鈴木敏正さん(81才)がパソコンをやりたいので、教えて欲しいという。そういえば、鈴木さんの原稿は文字がかすれていた。今まではワードプロを使っていたのだが、寿命らしい。
 はたして69才の小生が81才の鈴木さんにパソコンを教えることになった。
 6日(火)午前、パソコンを立ち上げ、プリンターに接続。ホッとする。午後ワードの操作を行う。パソコンのキーボードの操作はローマ字で設定されていたが、鈴木さんの少年時代はアルファベットは敵性語といわれており、馴染みがないという。ということで、ひらがな設定にした。いずれにしろ、80才過ぎてからの事始めは大変である。それに挑戦する鈴木さんに敬意を表したい。「習うより慣れ」「教えることは教わること」こんなことを再認識した。
(写真は刈谷町内と鈴木さんが購入したパソコン)
 3日(土)隣町・竜ヶ崎市の音楽同好会「ゲヴァント・ハウス」の例会が行われた。小生が現役時代お世話になった野沢龍介さん(元・レコード芸術編集長)を講師に迎えた。テーマは「21世紀クラシックレコード事情」。ハイブリットCDになってどう音が変わったか、サンプルCDを再生しながら解説。雨の中、関東・東北からかけつけた40名の参加者は野沢さんの講演とサンプルCDの音に酔った。主催した小生も興奮状態。同好の集いは本当に楽しい。
 そういえば11月30日(土)はオーディオ評論家・藤岡誠先生が主宰する千代田会の忘年会があった。(浅草橋・TDK柳橋倶楽部・ふぐ料理)これも楽しかった。

2011年11月30日水曜日

バルカン半島千キロ(自転車)



 タイトルを見ると、テレビの冒険旅行のようだが、小生の友人、髙山 了さんの計画である。彼は小生より6歳年下だが、60才の定年を機に、10年かけて自転車で奈良からローマ(2万キロ)に行くビジョンを作った。
 定年後、小生は3冊の自分史を出版した。リタイア後の生活に充実感を覚えている小生だが、髙山さんのビジョンは小生の生き方より、遥かに夢に満ちている。
 髙山さんから今年踏破したバルカン半島千キロの写真展を阿見町(牛久市の隣町)図書館で開くので来ないかというお誘いをいただいた。(11月29日~12月4日)
 昨日、早速でかけてみた。小生宅から会場までは約9キロ、車で行く予定だったが、写真展のテーマにあやかって自転車で行くことにした。
 写真展をみた。ボスニアの激戦地、世界遺産、はちきれそうなバルカン美人・・・、ツーリングに参加したメンバーの平均年齢67才とある。
 「僕だって行ってみたい!」待てよである。会場への9キロの道のりに80分費やした。時速7キロである。体が追い付かない、先立つものもこころ細い・・・。
 髙山さんの土産話で行ったつもりになろう・・・。帰りのペダルを踏みながらそう思った。それにしても、自転車はいい、車では見えないものが見えるし、今晩のビールは美味しそうだ。

2011年11月28日月曜日

隠れ酒


 23日、我孫子市の料亭・鈴木屋で「かすが会」の例会があった。
同会は日本酒を愛でる会である。同会の副会長でオーガニックアドバイザーの加藤洋一さんの誘いだった。
 大広間の舞台に20種の銘酒が並んでいる。(写真)これらの銘酒を味わいながら料亭の料理を馳走になるという趣向である。会費¥5,000。
 ところで、お酒で旨いと思った記憶をたどってみた。
 ①子供の頃、家人に隠れて飲んだ濁酒
 ②やはり子供の頃、奥座敷に祖父がしまっていた洋酒を失敬
 ③(最近)日中、家内の留守にチビリとやる。
共通しているのは、いずれも盗み酒で、つまみなしの”素”、チビリ(顔に出ない程度)
 間もなく小生も70才。がぶ飲みをする年齢でもない。「かすが会」に通って好みの酒を見つけ、ブランデーのようにチビリ、チビリ味わいたい。
 ところで、ハイビジョン、ブルーレイとテレビの画質・音質が劇的に向上。宮崎あおい主演の「蝶々さん」は良かったな。家内は「南極物語」にはまっている。
 昨日、地元牛久出身の”稀勢の里”大関昇進確定。今朝のグランドゴルフはこの話でもちきりだった。大阪での維新の会の勝利というニュースもあった。

2011年11月21日月曜日

老い支度?(ゴルフ会員退会・他)


 記録しておきたい最新動向。
 
①「霞台カントリークラブ」メンバーの退会→10月、「霞台ゴルフカントリークラブ」メンバーの退会手続きをした。1985年に入会したので、26年間お世話になったことになる。この間、1991年にはホールインワンを達成するなど、楽しい思い出ばかりだ。退会の理由は実にケチ臭い話だが、年会費2万円を払ってまでゴルフをする熱意がなくなったことである。しかし、「霞台カントリーゴルフクラブ」は素晴らしいコースである。これからはビジターとして同コースに挑戦したい。
 ゴルフに変わって、5年前からはじめたグランドゴルフの回数が増えつつある。
②「痛風」「頻尿」→健康は至って丈夫である。病気といえば年1~2回、痛風に見舞われるくらい。それとて痛み止めの薬を飲むと一晩で治ってしまう。ただ、心配なのは「頻尿」。一晩に4~5回小用で起きる。大事をとって、10月~11月、病院(内科と泌尿器科)に行ってみた。結果はお笑いである。「結構睡眠時間が長いですね。それですと、小用の回数も多くなりますよ。」とのこと。前立腺の心配等も皆無とのことだった。久しぶりに病院に行って驚いた。お医者さん(泌尿器科)は小生の顔など視ず、パソコンで、検査データばかりみている。診察判断も驚くほど速い。内科の先生の話によると、泌尿器科の人気は高く、当該科の先生は忙しいのだという。
(写真は11月1日、秋田県「象潟シーサイドホテル」で観た日本海の夕日)

2011年11月15日火曜日

黄金の日々(カセット文化)を語る



 1980年代「カセット文化」という若者文化があつた。
 現在の若者文化は「ケイタイ文化・スマホ文化」だが、当時は「カセット文化」だった。ウォークマン、ラジカセ、カーステ、コンポでカセットテープを聴くのが流行だった。最盛期のカセットの需要は国内だけで5億巻に達した。
 この文化を演出し、恩恵に預かったメンバーが14日(月)、有楽町の外国人記者クラブレストランに集合した。TDK・OB2名、日立マクセル・OB2名、富士写真・OB、SONY&工業会現役、それぞれ1名。計7名。年齢は50代後半から70代半ば。黄金の日々の武勇伝から始まって、孫の話まで話はつきない。来年、また元気で会おう。
 11日(金)も東京へでかけたのだった。夜、秋田出身の業界紙記者と会うのが目的。早目に家をでて日比谷図書館によった。2009年から閉館していたが、11月4日、新装開館したのである。玄関を入るとコンシェルジェというバッジをつけた女性が出迎えてくれた。フフーンと思った。以前の日比谷図書館は、公園にたむろするホームレスと思しき人物も入館していた。黒いドレスの女性が迎えたら、彼らはたじろいでしまう。コシェルジェはフランス語だが「総合案内」という意味の他「門番」という意味もある。
 ところで、日比谷図書館、以前は47道府県の地方紙が閲覧できたが、新装になってから閲覧できない。雑誌の種類も減っており、残念!(写真は外国人記者クラブで会見した著名人の一部と日比谷図書館の雑誌閲覧コーナー)

2011年11月6日日曜日

東京文化会館50周年・記念ガラ



 上野駅・公園口の目の前にある音楽の殿堂「東京文化会館」が50周年を迎えた。
11月5日(土)14時から、記念ガラコンサートが行われた。震災の影響で都心のコンサートも空席が多いと聞くが、このコンサートは早くからソールドアウト。超満員。
 入場口で家内にチケットを渡す。「お父さん、このチケット¥12,000もしたの」と来た。彼女にとってはコンサートの内容よりも金額の方が気になるようだ。(年金生活をしきる相棒はそれくらいの方が頼もしい・・・)
 前半は往年の日本のアイドルスターが出演。ヴァイオリンの前橋汀子、チェロの堤剛、ピアノの中村紘子。バックは外山雄三指揮の東フィル。それぞれに味のある演奏を披露して声援と拍手を浴びる。
 後半は、世界で活躍する、アーチスト達。冒頭、元英国ロイヤルバレエ団に所属し、大英帝国勲章受章の吉田都。見事な踊りで観客を夢の世界へ。次いで世界のオペラ劇場で活躍するソプラノのデヴィーア、テノールのポルタリーノ、バリトンの堀内康雄が饗宴。指揮はびわ湖ホール芸術監督の沼尻竜典に変わり、東フィルからえも言われぬドラマを引き出した。
 終演は17時。
休憩20分を挟んで、3時間。入れ替わり立ち代わりの名演奏家のパフォーマンス。聴いている方はクタクタ。凄いコンサートだった。

秋田行き。同窓会・鳥海山



 10月31日、9時30分、東京八重洲口発、深夜バス乗車。翌、5時45分秋田・横手駅着。7:15横手駅発、路線バスで由利本荘市の実家に向かう。途中、浅舞町の旧道を通る。街並みに往時の佇まい残る。
 実家で昼食。93歳の母、兄夫婦健在。なにより。やはりご飯が美味しい。
 15時、同級生の佐藤新市君、車で迎えにくる。会場の象潟シーサイドホテルに向かう。18時、石沢中学校第十期卒業生同期会開催。参加者24名(男性15名、女性9名)卒業生の内、大学まで進学したのは女性2人。男性は0とのこと。われわれのクラスは女性陣の方が優秀だったようだ。宴会も女性陣主導。
 2日、ホテルのバスで鳥海山(2,236)へ。まず、鳥海の伏流水が流れる元滝へ。次いで中腹、鉾立(1150)まで登る。天気晴朗。日本海の青と空の青が溶け込む。日本海に浮かぶ船が空中に浮かんでいるように見える。象潟シーサイドホテルに帰館して昼食。ビールが出た。ここまでで会費は〆て¥15,000。幹事の皆さまご苦労様でした。
 13時前、大場恵二君の愛車で再び鳥海山へ。関東から参加した小生、尾崎昭彦君、小松寿雄君の3名乗車。恵二君がどうしても案内したかった獅子ケ原湿原。奇形のブナ林、伏流水が育てた鳥海マリモが美しい。象潟市街からわずか13キロのところに、こんな秘境があるなんて。鳥海は凄い。PRすると荒らされるから内緒にしておこう。
 16時秋田市着。ホテルで温泉に入った後、恵二君の案内で駅前の大衆居酒屋「からす森」へ。酒もうまいが、オカズの新鮮で旨い事。9時10分、深夜バスに乗って東京へ。(写真は元滝と、奇形ブナ「あがりこ大王」をバックに左から、小松、尾崎、小生)
 

2011年10月31日月曜日

東京行き(東工大、六本木)、ブルーレイ化②



 28日(金)昼飯はJR渋谷駅ホームにある「どん兵衛」で済ます。¥200。駅中店といってもピンキリ、色々。その後、新宿ディスク・ユニオン店を除く。中高年のオヤジ達が中古CD、LPを漁る姿は異常である。
 3時過ぎ、大岡山の東京工業大学へ。百年記念館の地下展示室を見る。(9月にも行ったが見落としていた)同大学の加藤与五郎、武井武が発明した磁性材料フェライトの関連資料が展示されていた。小生が勤務していたTDKはこのフェライトを工業化するために、昭和10年、誕生した。
 6時30分、六本木の蕎麦屋「夢路」で千代田会。この会はオーディオ評論家、藤岡誠さんが会長を務めている。「夢路」はこの会の会員である山田さんが開いた店である。よくぞ思い切って独立したものである。
 
 東京へでてきて驚くことは若者の多さである。小生の日常は老人に囲まれている。
 ところで、ブルーレイ化(ビデオレコーダ)に伴い、音楽番組を録画してみたが、音が良く再生できない。これは機器の問題ではなく、放送局側がコピーガードのために行なっている処置のようだ。確かに、これだけ高画質、高音質のものが、ドンドン、コピーされてはたまらない。なお、ブルーレイ化にともなって、jcomが我が家への送信ブースターの出力を上げてくれた。福音として、FMラジオの音がとんでもないほど良くなった。(jcomのケーブルをFMラジオのアンテナとして使用)
(写真は「夢路」の山田さんご夫妻と、東工大の展示パネル)

2011年10月30日日曜日

ブルーレイ化&東京行き①表参道




 25日(火)、まだ地デジ化が済んでいなかった2階パソコンルームのテレビの地デジ化を行う。テレビはパナソニックの32型、ブルーレイ内臓タイプ。¥79,800。同時に居間の録画機もブルーレイ化する。地デジ化によってテレビだけでなく、録画機も従来タイプが使用できないというのは予想外だった。
 28日(金)東京行き。
 10:30 銀座キャノンサービスへ。11日、依頼しておいたインクタンク引き取り。
 11:30 表参道、カワイ・コンサートサロン”パウゼ”へ行く。
       ランチタイムコンサート「リストフェステバル2011in表参道」
       東京藝大・非常勤講師、田代慎之介、有吉亮治、砂原悟が演奏。入場料500 円。120名の客席はほぼ満員。「慰め」「巡礼の年報」どれも素晴らしい。
(写真)現役の頃は気がつかなかったが、表参道通り、古風な原宿駅の美しさに見とれる)

2011年10月24日月曜日

痛風との一週間


 先週、18日(火)、突然、右足の親指の根元が痛くなった。3回目の痛風である。
今までの2回は直ぐに医者に駆け込んだ。痛め止めの内服薬と湿布で次の日には痛みがなくなった。
 今回は薬棚を開けると、前回もらった湿布シートが残っている。これを貼っておけば次の日には治るだろうと、シートを貼って寝た。夜中に焼けるように痛む。翌朝(19日)は右足が痛くて思うように動かない。
 この日は久しぶりにグランドゴルフを予定していた。左足には靴を履き、右足には草履を履き、いつもはグランドゴルフ場へ自転車で行くのだが、車で向かった。
 仲間にどうしたんだ、といわれながら、なんとかプレーした。その後、文化祭の練習があるという家内を隣町の文化会館まで送る。家内に医者に行くようにいわれたが、明日は良くなるだろうと我慢。
 20日(木)は午前がバイト。スーパーの掃除。作業靴は横幅に余裕があるので、なんとか靴を履いて凌ぐ。今日は医者が定休日。
 21日(金)鬼怒川でゴルフコンペ。早朝5時起き。ゴルフシューズは足が痛くて履けないので、作業靴で回る。天気良好。鬼怒川温泉は紅葉の季節とあって満員。
 22日(土)昼、やっとの思いで牛久にたどりつく。病院の診察予定を見ると、土曜日ながら、営業中。医者が一言「良く我慢したね」。右足が赤く、パンパンに膨らんでいたのだ。昼食後、痛め止めの内服薬を飲む。夕方に効き目がでてきた。
 今日、24日(月)、なんとか通常に歩けるようになったが、まだ痛風の余韻が残る。やはり、ムリが祟ったようだ。
(写真は22日早朝の鬼怒川温泉。雨で山に霧がかかった。)

2011年10月20日木曜日

生涯、思ってもみなかった栄誉


 キングインターナショナルから”20世紀最強コンビによる唯一のベートーヴェン交響曲全集”
と銘打って「カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ベートーヴェン交響曲全集」が発売される。
 カラヤンは生涯で、ベートーヴェンチクルスをパリ、ロンドン、ニューヨーク、ウィーン、ベルリン等で8回演奏しているが、今回発売されるのは、1977年東京で行われたもので、カラヤン・ベルリンフィルの最後のチクルスである。
 この全集の話をキングインターの大川健さんからうかがったのは今年の6月ごろだったと思う。その時、「解説書に掲載したいので、畠山さんの立場で原稿を書いて欲しい」というお話をいただいた。こんな貴重な全集に小生の原稿など掲載されるはずはないと、思いつつ原稿を送信した。
 今日届いたサンプルを拝見すると1977年カラヤン・ベルリンフィル来日時の写真アルバム付の実に豪華な全集である。解説書をみると、音楽評論家の東条碩夫、城所孝吉、山崎浩太郎、元・大阪国際フェステバル協会の中山実、元・中央宣興番組プロデューサーの太田昌純とともに小生の原稿も掲載されていた。思ってもいなかった栄誉である。
 実は1977年のこの演奏は「TDKオリジナルコンサート特別番組」としてFM東京から放送された。
 当時のTDKは記録メディアと電子部品を両輪に絶頂期にあった。音響メーカーや航空業界に支えられてFM東京も絶頂期にあった。
 
 この全集は世界の音楽ファンにとって貴重な遺産であるとともに、両社にとっても貴重な記録なのである。この全集をプロデュースした大川健さんに感謝したい。

2011年10月15日土曜日

高校同窓コンペ。来週もコンペ・・・。



 13日、栃木県のピートダイゴルフ場・VIPコースで高校同窓生のコンペが行われた。といっても参加者は4名。地元・宇都宮で材木商を営む佐藤宣男(幹事)、秋田で養豚業を営む阿部秀夫、市原在住で元農林省役人の藤田清、と小生。距離もありトリッキーなコースに全員苦労。優勝は小生だった。
 終わってから、鬼怒川温泉に行き、宴会。この宴会には山形でビル清掃業、飲食業を営む村上廣美も参加。
 宴会での話題の中心はやはり、東日本大震災。
 阿部君の話によると、養豚の餌づくりの会社は太平洋岸に集中していて地震の被害に遭い、1週間、餌が入荷しなかったという。在庫の餌でなんとか、数百頭の豚の命を繋いだという。
 村上君の話。今まではビルの清掃業というと、人に笑われたが、独自開発した高圧洗浄機を所有していたため、除染作業の開始と相まって、超多忙とのこと。
 復興需要は芽生え始めているようだ。来年は景気が持ち直し、コンペの参加者が増えることを期待する。
 21日は会社OBのコンペが鬼怒川カントリーで行われる。帰り道によってみたが、フラットで風格に溢れてい るコースだった。体調を整えて参加したい。
(写真は豪華なピートダイゴルフ場の倶楽部ハウスと、鬼怒川カントリーのコース)

2011年10月12日水曜日

東京お出かけ


 
昨日(11日)東京へ行く。
 
 10:30 キャノン銀座サービスセンター。10日、土浦イオンでインクタンクを購入したが、326番の品種を購入すべきところ、321番を購入してしまった。交換できないか相談。両方のデザインが似ており、シニアでも間違わないようなデザインにするよう要望。
 11:00 歌舞伎座(工事中)近くの喫茶ルーム橘苑。野原博さん、太田昌純さんと会う。支援しているC社のCDについて進捗確認。年をとっても仕事にかかわれることの幸せを実感。
 
 13:30 飯田橋にある野澤龍介さん(元レコード芸術・編集長)の事務所訪問。12月3日、竜ヶ崎市の音楽同好会「ゲヴァント・ハウス」での講演を依頼。テーマは「21世紀のクラシックレコード事情」となる。
 
 15:00 浅草橋・TDK柳橋倶楽部「TDK・OBパソコンクラブ」例会に出席。
講師は辻井敞さん。(元・TDKアメリカ社長)集合写真にその写真を写したカメラマンを入れ込むテクニックを紹介。デジタルの加工技術は凄いと思ったが、デジタル写真は事件などの証拠にはなりえないと感じた。18:00からは親睦会。長野から奈良常明さん(元・ビデオ技術部長)参加。旧交を暖める。

2011年10月4日火曜日

関東の嵐山、烏山でのアユ料理




 3日は私が住む、刈谷団地ベテランズクラブ(老人クラブ)の日帰り旅行だった。
喜ぶべきか、悲しむべきか、私もベテランズクラブのメンバーなのである。
 8時、市のバスに乗車して、クラブ員45名出発。
 目指すは栃木県烏山市にある、那珂川の渓流。ここで、天然アユを食しながら美味しいお酒をいただこうという趣向である。
 前方の座席は先輩達にゆずり、若手の私は一番奥の後部座席に席をとった。
 ところが、この席、わけありの座席だった。
 常磐高速に乗ったところで、隣の席の先輩Hさんが魔法瓶をとり出してコップに液体を注ぎ美味しそうに飲みだす。その内、反対側窓側の座席の先輩Iさんが、「家の水」ですと、コップを差出す。Iさん宅の座敷には水が湧いているという。飲んでみると、キンキンに冷え、焼酎の味がする。これが美味しい。
 先輩達と今話題の朝霞の公務員住宅の話などしている間にバスは那珂インターを降り、国道118号、293号線と走る。山道の後部座席は結構揺れる。
 隣の座席の先輩が急に静かになった。話かけても応答がない。体が前かがみになり、「苦しい」と一言。丁度、バスは道の駅「みわ」に到着。車内は大騒ぎとなり、同乗していた市会議員の杉森さんが携帯で救急車を呼ぶ。アユ料理を楽しみにしていたHさんは残念ながら救急車で病院へ向う。
 「みわ」を出発するとほどなく、天然あゆ料理で有名な「ひのきや」に到着。
関東の嵐山といわれるだけあって、那珂川とバックの山が美しい景観をなしている。
 ただ、残念なことに、簗は台風で流され、アユを捕獲するところをみることはできなかった。しかし、炭火で焼くアユ料理は野趣豊かで、お酒の味も最高!
 これで会費¥2,500。来年も参加したいものだ。幹事役の旅行部の先輩達に感謝!
 
 それにしても、朝酒ができる元気な先輩が沢山いるのには驚いた。
 
 
 

2011年9月30日金曜日

「棚橋村」「NYからきた説法士」

     (左から佐藤則男、湯川れい子、真鍋圭子)
    
 28日(水)はどうしてもブログに書き残しておかなければならない出来事が二つあった。
 
 ●グーグルで「棚橋村の広場」を検索。なんと、頁が開いたではないか。棚橋村の管理人である、棚橋和夫さんは間もなく80歳。昨年心筋梗塞で倒れられ、年初は音信不通だったので、不死身の棚橋さんも、もしやと不安だった。その後も棚橋さんは冠動脈バイパス手術、胆嚢切除、大腸癌手術という大手術を行い、生死の間を彷徨ったという。
 現役時代、小生はレコードメーカー相手の営業、棚橋さんは録音部長だった。42年前の写真を見ながら、棚橋先輩のますますのご活躍を祈っている。
 ●ニューヨーク在住の佐藤則男さんが来日している。2時に有楽町のニュートキョーでお会いして6時まで語りあった。佐藤さんはジャーナリストだが、その情熱的な語り口は昔とちっとも変っていない。35年前、米国に出張した時、佐藤さんにアテンドしていただいた。ホテルに帰ると佐藤さんのマーケティング説法がはじまる。なかなか寝せてもらえない。これにはいささか辟易した。今回、佐藤さんは政治家や文化人と会い、35年前と同じように説法をしている。”日本をなんとか元気にするために”。ところで、話の途中で佐藤さんが電話をしはじめた。佐藤さんは相手と数分話した後、電話を私に差し向けた。受話器の向こうから、”上品な女性の声”が聞こえてきた。その方は今を時めく著名な日本画家だった。テレビでもその作品が紹介され、私もその素晴らしさに感嘆した記憶がある。

2011年9月26日月曜日

「高文会」「出雲大社・常陸教会」

   (出雲大社・常陸教会”仙雲亭”にて。中央、小生と高橋会長)
(東工大・百年記念館”フェライト記念会議室”の前で。左から浜崎宏、廣本潔、渋谷敏則、山来登、佐藤敬治)

 22日、「高文会」の定例会があった。
「高文会」とはTDKの創業者の一人である高尾三郎の文集を編集したメンバーの会である。年2回開催する。若手ということで小生が幹事を仰せつかっている。
 この日は懇親会の前に目黒区・大岡山にある東京工業大学の百年記念館を見学した。
 実はTDKは同大教授、加藤与五郎、武井武両博士が発明した磁性材料フェライトを工業化するために、昭和10年創立した会社である。TDKの旧社名は東京電気化学工業というが、この社名は東京工業大学・電気化学科に由来している。
 24日、笠間市にある出雲大社・常陸教会に行った。
この教会は義弟・高橋正宣が数十億を投資して造ったもので、来年造営20年目となる。今では東の笠間稲荷と並ぶ勢いである。
 当日は同教会が昨年開園した樹木葬霊園お休み処「仙雲亭」のお披露目が行われた。(3月完成したが、翌日東日本大震災の被害に遭い、今月のお披露目となった。)
 霊園頂上に建てられた「仙雲亭」は笠間の杜に囲まれ、そこでいただく抹茶の味は格別だった。
 霊園の売れ行きは順調とのことだったが、ペットと一緒に入りたいというお客様もいらっしゃるとのこと。急遽、別区画でペットの霊園も作ることになったとか・・・。
 造営20年記念を前にして、高橋会長の夢の怪気炎はとどまることなく、ひととき、不況の世情を忘れた

2011年9月22日木曜日

LPレコードと手紙


 先月末、西宮家の熱海の別荘でLPレコードを聴いて、アナログレコードの音の魅力を再認識した。
 CDは取扱いが簡単で、ほどほどに高音質である。
 LPレコードはとり扱いがやっかい、。良い音を引き出そうとすると、プレーヤやカートリッジの選択が大変で、泥沼となる。
 ということで、LPは30年ほど前にプレーヤも処分してしまった。レコードのほとんどは秋田の実家に送った。お蔵入りである。
 西宮家の体験が影響し、LPレコードをまた聴く気になった。電気店で最も低価格のプレーヤを購入。なんと9千円である。うまくいかなくとも後悔しない金額である。再生してみた。結構いける。濃くのあるアナログ独特の音はでないが、ランプの灯をみるような懐かしさがある。溝を針でなぞるのであるから、音は不安定。だが、演奏者の温もりを感じた。
 CD(プレーヤも含め)は道具だが、SP(プレーヤも含め)は楽器だと感じた。
 恩師、髙橋彰三郎先生からお手紙をいただいた。手書きの手紙である。
 文面だけでなく、その筆致からも、先生のお人柄や、歴史が感じることができる。
 それは上質なLPの音を聴くようである。
 教え子である私の手紙はワープロである。
 それは通信手段の域をでない・・・。
 

2011年9月18日日曜日

燦々、人間浴


●15日(木)御茶ノ水で西宮聡彦さんと会う。小生が高校時代に作詞した母校の50周年記念歌の蘇生演奏をお願いする。
●16日(金)地元(牛久)松本英語塾の飲み会に参加。(小生は語学はダメで飲み会だけ参加)現役時代の職種は、柊昌夫さん(商社)、中居福四郎さん(建設)、渡辺いつ子さん(香港で美容院)、中田貴己さん(公務員)と色々。90才を過ぎて日本に永住を決めたドナルド・キーンの思い出が共通の話題。さすが、レベルが高い。
●17日(土)出版社・社長にお招きいただきゴルフ。パートナーはジャズ・ライヴの社長、オーディオ機器メーカーの社長と、現役の経営者たち。恐縮してしまう。3人ともスコアは40代、小生のみ50代。ただし、最終ホール、170ヤードでワンオン、ワンパットでバーディ。この達成感は一生忘れないだろう。パートナー(ジャズ・ライヴ社長)はベンツに乗ってにこやかにゴルフ場を後にした。
●ここ数日、名著に感動し続けている。80才、伊藤テイ子さんの自分史に掲載された身も心も焼き尽くすようなご主人の恋の日誌。92才の西宮正泰さん(西宮聡彦さんの父上)の解説による「万葉集探訪」(文芸社)。和田石雲恵さんの「思い出の詩」。”小鏡に映して夏景色あくことしらずに鏡まわして”病床に臥していた和田さんはこの一ケ月後亡くなる。

2011年9月10日土曜日

80才。伊藤テイ子さんの自分史

 (右上はテイ子さん。「TDKタイムズ」の座談会で。当時編集担当だった小生が撮影・昭和40年頃)
 
 私は18才で秋田にあるTDK・平沢工場(にかほ市)に入社した。工場に伊藤テイ子さんという理知的な顔立ちの保健婦さんがいた。
 
 8日、ゴルフにでかけて帰宅すると、テーブルの上に分厚い茶封筒が乗っている。伊藤テイ子さんの自分史「山吹の花咲くみちから」である。396頁の大作である。伊藤さんは間もなく80才になるという。ご高齢にもかかわらず、よくぞ、自分史をまとめられたと、その熱意に敬意を表したい。
 
 その熱意を引き出したのは46才で早世した夫・八重治への愛情である。大作の半分以上は八重治の日記である。児童総代の秀才だった八重治の日記の表現は鮮やかである。八重治は結核を患っていたので、日記の内容のほとんどが闘病生活の苦悩だが、ふる里の山や草花に対する愛情にも溢れている。「鳥海山、今日はきれいだなあ。ふっくらとふくらんだ山脈は、いかなる處女の肉体でも、あんな輝かしく崇高なる美は発揮しえない」(27才、闘病生活中の日記より)。後年、八重治はふる里の自然や人情を歌いこんだ”にかほ音頭”の作詞もしている。
 著名な作家によって書かれた小説も面白いが、自分史には「真実」がある。できるだけ多くの方々に伊藤テイ子さんの自分史ガ読まれるよう期待する。戦中の出来事は歴史の証言としても価値がある。

2011年9月8日木曜日

終電までのミーティング


 4日は東京伊勢堂会(高校同窓会)で、東京の市ヶ谷へでかけたが、7日も東京へでかけた。銀座・ソニービルの前を通ったら「ひまわり」が咲いていたので写真に収めた。
 11時に歌舞伎町近くの喫茶店で現役の頃お世話になった野原博さん、太田昌純さんと会う。定年後放送音源のCD化を一緒に推進しているメンバーである。
 昼から場所を新宿に移し、現役のレコードメーカーの方々とお会いする。
 来日演奏家の秘蔵音源の情報交換をし、CD化に向けて推進しようということで大いに盛り上がる。4時からの打ち合わせは5時30分から食事会となり、新宿駅前で解散したのは10時30分だった。なんとか、常磐線の終電に乗り、帰宅したのは午前1時。
 70近くなって現役の方々と情報交換できるのはなんとも幸福なこである。
 午前5時30分には起きてゴルフに出発。
 好きなことをやる時は現役の頃のように元気である。

2011年8月29日月曜日

西宮家・熱海別荘でPCオーディオ聴く

     (西宮家の帰り、MOA美術館に寄る”ムア広場”)
     (西宮家・別荘のオーディオシステム)
 27日、友人の西宮聡彦さんの誘いで、熱海にある西宮家の別荘へうかがう。
この日の午前は、シルバーセンターの掃除のバイトで汗を流したので、午前と午後の行動の格差は相当のものである。
 午後1時30分東京発のアクティ乗車。3時過ぎに熱海に到着する。西宮さんと、吉原恵さんの出迎えを受ける。恵さんというと女性のようだが、彼は法律家で、PCオーディオの研究家でもある、そして料理人でもある。(ということがわかってくる・・・)
 駅近くで吉原さんが食材を購入。車は急坂を上って別荘へ。
 別荘へ着くと、私は客人よろしく、ソファにもたれ、窓外の緑を眺めながら、LPレコードでカバリエ(ソプラノ)のアリア集に耳を傾ける。LPレコードを聴くのは20年ぶりかもしれない。やはり、アナログの音は素晴らしい。CDという便利で中途半端にいい音のCDが登場してこの方、ジックリオーディオの音に耳を傾けたことがなかった。
 私が至福のひと時を味わっている時、吉原さんは台所で夕食の準備をし、西宮さんは、風呂や寝室の準備をする。
 西宮家は四十四代続く名門。什器、備品が全てが質の高いものばかり、棚の上には銘酒が並んでいる。その銘酒をいただきながら夕食。旅館の家族風呂を思わせる立派な風呂に入れていただき、就寝。二人は私が寝てから、SPレコードの音をPCに取り込む作業に没頭。明け方までかかったという。
 熱海からの帰り、日本経済新聞の最終面・文化欄を見たら、偶然であるが、黒崎政男(東京女子大教授)の「オーディオ熱ふたたび」というエッセーが掲載されていた。黒崎さんんもCDがでてから、オーディオを聴かなくなったという、PCオーディオの登場で、昔の巨大なオーディオシステムと向い会うようになったという。

2011年8月23日火曜日

ホキ美術館、ビューホテル、成田山

        (成田山新勝寺の三重の塔)
   (写実絵画300点が収納されている「ホキ美術館」)
 息子夫妻が双方の両親を招いて、食事会をしたいというので、21日、成田ビューホテルへでかけた。
 成田に行くのであれば、ついでに行ってみたいところがあった。
 千葉市にある「ホキ美術館」である。
 日本で最初の「写実絵画専門美術館」である。
 この美術館、千葉といっても、東金市の近く。最寄の駅は土気駅である。
 午前、タイヤを交換。午後1時牛久駅出発。
 408号線、409号線を経由して目的地に着いたのは午後3時を過ぎていた。
 思いの他、時間がかかったので、駆け足で展示物をみる。
 
 土気から成田へは東金道路、東関道と高速を使用。タイヤが新品なので、車が道路に吸い付くようで快適。40分くらいで、成田インターに着く。
 成田ビューホテルで3人の孫の顔を見ながら、息子の嫁の父親である北條保夫さんとオヤジ談義。スカイバーで小雨に煙る成田国際空港を展望しながら2次会。
 翌朝、生後6ヶ月の孫の顔を見る。実にかわいいのであるが、写真にとると、どうしても平板になる。マシュマロのような頬の感じなどがでない。ここで、ホキ美術館を思いだした。
結局、人間が生でみる景色を写真で表現することはできない。そこで登場したのが写実絵画ではないかと思った。事実展示されていた風景や人物画は生でみるようにナマナマしかった。
 翌朝、息子家族、北條ご夫妻と別れ、家内と成田山新勝寺に行く。幸い護摩祈願の時間と遭遇。真言密教の修法を体験した。大本堂全体に響き渡る冒頭の巨大な太鼓の響きによって、魂は現実の世界から幽玄な世界と導かれる。実に貴重な体験だった。

2011年8月15日月曜日

コンサートの梯子(川崎、青葉台)


 14日。8時から高校野球観戦。秋田・能代商対香川・英明高校。一回の表裏を見て、英明の投手力、打力が勝っており、同じ負けるにしても恥ずかしくない負け方をと思って観ていたら、能代商が2対0で勝ってしまった。
 10時30分、自宅出発。なにしろ、今日は15時から川崎で東京交響楽団の演奏会。19時から田園都市線・青葉台で辻本智美のピアノリサイタルである。
 川崎駅から会場の「サンピアン川崎」まで歩く。川崎市役所、競輪場の次が会場だった。歩くのは実によい。町の風情が良くわかる。東京交響楽団のアンサンブルは実に素晴らしい。しかし、会場は最悪。空調音の騒音が高く、折角のピアニッシモが騒音に埋もれてしまう。もともとこのコンサート、川崎市自慢の音楽ホールでやる予定だったのが、東日本大震災でホールの天井が落ちて、会場が変更になった。予想もしないところで、震災の余波を実感した。
 その点では、辻本のコンサートも震災の影響を受けた。このコンサート、実は4月2日開催の予定が震災があったため、今日になった。
 会場は高級住宅地の青葉台駅前のフィリアホール。音楽専用ホールである。何回か彼女の演奏を聞いたが今日の「ドビュッシーの世界」は今までの彼女のコンサートでも最高の仕上がりだった。眼前に色彩豊かなドビュッシーの世界が広がった。ピアノリサイタルでは巨匠ポリー二以来の感動である。日本には無名でも優れたピアニストがいることを再確認した。
 残念なのはお客さんが少なかったこと。
 指揮者の世界で佐渡裕がベルリンフィルを指揮したことで、知名度が上がっているが、彼クラスの指揮者は日本に沢山いると私は思う。結局はマスコミに頼らず、自分で聴くしかないようだ。
 

2011年8月13日土曜日

孫、水鉄砲で遊ぶ

          (竹で作った水鉄砲)
 12日、お盆ということで佐倉にいる息子の団子(男子)3兄弟が来宅。小1、幼稚園、生後半年。
 
 今日(13日)小1と幼稚園児の二人の希望で、近所の牛久自然観察の森へ行く。
 9時森に到着。森の入口にあるネイチャーセンターで、マンツーマンで学生アルバイトのボランティアが2人の相手をして下さる。2人はこのセンターで一時間半ほど、ゲームなどに興じる。
 
 森に入ると、休憩所に水鉄砲があり、女性ボランティアが使い方を教える。2人は水鉄砲に夢中。それが終わると、「竹細工グループ」のメンバーが竹細工の風車を作ってくれる。
 昼近くになったので帰ろうとしたが、2人はネイチャーセンターで昆虫の塗り絵をしたいという。結局帰宅をしたのは1時。
 
 帰宅すると、柏にいる娘の美人3姉妹が来宅しており、6人の孫が勢ぞろいとなった。

2011年8月9日火曜日



4日間、朝5時から放送された世界ゴルフ選手権をテレビ観戦した。
なんと、石川遼が3日間、60台でまわり、最終日はオーストラリアのアダム・スコットとともに最終組で回った。凄い。もし19歳の彼が優勝したら最年少優勝だという。最終日は家内も5時起きだった。
 日本ツアーと違って、世界ツアーは厳しい。日本ツアーだと石川遼は最終日はスーパーショットを連発してギャラリーを沸かせるのだが、この日はスコットの力の差を見せつけられた。スタートは1打差、前半、並んだが、最終的には5打差となり、4位タイに終わった。
 日本ツアーではスタイル抜群の遼もスコットと比較すると小さい。体力差からくるスタミナ不足はなんともしがたいと思ってしまう。しかし、遼はまだ若い。努力家である。その内、きっと、世界ツアーでも優勝するだろう。
 それにしても「なでしこジャパン」「世界ゴルフ選手権」とスポーツは勇気を与えてくれる。熱戦が続く、高校野球をみていると、日本はこれからも大丈夫と思う。

2011年7月31日日曜日

田宮虎彦著「足摺岬」

      (足摺岬にある田宮虎彦の文学碑)
 四国旅行をしてズッとひかかっていた。
田宮虎彦の書いた「足摺岬」である。若い時に読んだのかもしれない。しかし、ストーリーなど全く思い出せない。
 図書館から借りて読んだ。
 素晴らしい。感動した。切ない内容だった。
 
 今回の旅行では、土佐清水から険しい山道をバスで超えて岬のある温泉まで行ったが、小説を読むと、主人公は清水から二里ほど歩いたとある。また、馬車に乗ったとも書いている。いずれにしろ、難行苦行である。この本が書かれたのは昭和24年10月とある。今回の旅行でも足摺岬は秘境だと思ったが、当時は本当に地の涯だったと思う。
 
 主人公が足摺岬を目指した目的、それは自殺だった。泊まった宿屋でのお遍路、売薬屋、宿屋の女将、娘との交流が描かれる。出てくる登場人物、それぞれが暗い、切ない。
 
 小説・足摺岬の背景には高知出身の父の厳しい教育があったようだ。なお、虎彦の次男はトランペット奏者の田宮堅二だという。今は桐朋学園の教授とのことだが、NHK交響楽団で彼のトランペットを聴いた記憶がある。
 昭和29年、足摺岬は映画化されている。監督・新藤兼人、主演、木村功、津島恵子。是非映画も観たものだ。

2011年7月22日金曜日

中曽根に原発で影響を与えた男

(斎藤憲三は地元秋田では”ホラ憲”と呼ばれていた。気宇壮大。凡人では理解不能)
 7月17日(日)付、朝日新聞に「原発国家・中曽根康弘編」という記事が掲載されている。
この記事を読むと”54年3月に提出された日本初の原子力予算も、野党改進党の予算委理事だった中曽根が主導したといわれている。ー中略ーだが、中曽根は中心人物ではなかった。原子力予算の構想は、直前にあった改進党秋田県連大会から帰京の車中で、TDK創始者の斎藤憲三や、のちに法相となる稲葉修らが描いたものだった”
 斎藤憲三は国会議員随一の科学通だった。原子力のみならず、宇宙開発、海底資源開発、バクテリアの研究と広範な知識を有し、科学技術庁の初代の次官として活躍した。
 私はTDKに入社したお蔭で、丸の内の先生の事務所に何回かお邪魔した。先生の事務所は別名、研究室と呼ばれ、顕微鏡や試験管が並んでいた。時には先生は研究用の白衣を着用されていた。
 斎藤憲三は渡米した時に原子力潜水艦の製造をしていたゼネラルダイナミックのホプキンズ社長に会う。斎藤は社長に「原子力の終局的目標は何か」と尋ねる。社長は「原子力により電気は無限になる、原子力による無限動力」と答える。
 現在、日本は原子力による無限被害におののいている。
 原子力の可否はさておき、原発事故を機に斎藤憲三という巨人が懐かしい。斎藤が健在だったら、今回の原発事故にどういうコメントをしたであろうか・・・。
 
 
 

2011年7月20日水曜日

隣町の文学仲間

    (「いしぶみ」5周年記念号と利根町との親睦会)


 もう先月(6月)のことである。



小生が住んでいる牛久市刈谷町の文化祭が行われた。

それに合わせて小生が所属する「刈谷いしぶみの会」の文芸誌「いしぶみ」五周年記念号が発行された。この会を主催する鈴木敏正さんが、文化祭に隣町、利根町の文芸グループを招待した。


 「刈谷いしぶみの会」の参加メンバーが5名なのに対して、利根町は9名とメンバーは倍である。

利根町の文芸グループには藤代高校の元校長さんがおり、教え子をごっそり入会させたのだという。


 私の書く文章は文学などというレベルではなく、作文のレベルなのだが、このような会に入会して読後感などを語り合えるのは楽しい。


 それにしても、やはり隣町の龍ヶ崎市にはゲヴァント・ハウスという音楽グループがあるし、近くに同好のグループがあるのは誠にありがたい。