2012年3月31日土曜日

「最期の忠臣蔵」と日本のリーダー


 月初めに録画しておいた映画を観た。「最期の忠臣蔵」である。
2時間10分、画面に釘付けになった。その日から2日たったが、まだ余韻が冷めない。
 瀬尾孫左衛門を演じた役所広司、瀬尾の親友寺坂吉右衛門を演じた佐藤浩市、大石内蔵助の隠し子、可音(かね)を演じた桜庭ななみ、内蔵助を演じた片岡仁左衛門の姿が瞼から消えない。

 それにしても、当時、上司に使えるということは「滅私奉公」だった。身を切るとは、文字通りハラキリ「切腹」だった。その覚悟が武家社会を支え、日本を支えていた。
 
 それと比較すると、今の日本のリーダーはなんと軟弱なことだろう。
 野田総理は今までの民主党総理の中では安定感があり、借金大国日本の現状を考えると「消費税増税」について信念を曲げないのは立派だが、その前にやるべき”身を切る改革”は後まわしである。「政治生命」をかける、というこは、この程度なのだ。

 その点、橋本大阪市長の言動を聞いていると本当に「命がけ」で戦っている気がする。
 刺客にねらわれかねない、言動である。
 橋本市長の人気が高いのは、今の日本は「政治生命」ではなく「命」をかけなくてはならないほど重病だと思っている日本人が多いからだと思う。

2012年3月23日金曜日

国会図書館・納本



 22日(木)国会図書館に行った。父の13回忌記念誌「感謝」を納本するためである。
国会図書館には納本制度がある。「日本国内で発行された出版物は国民共有の財産として蓄積、利用、そして次世代への継承を目的」とした制度である。
 納本された本は同館のホーム頁で検索でき、閲覧、複製ができる。
 私が今まで納本した本は「ドリームⅩ」「飛翔70年」、今回の「感謝」で3冊目となる。
 生きてきた証が国会図書館に収められるのは誠に光栄である。
 国会図書館の後、東京駅・八重洲口の「DEN東京」へ向う。
 16時から今年2回目の「高文会」である。
 各メンバーから近況報告
●廣本さん「相変わらず筋トレと肝トレをやっている。片目が不自由になったが、ベストパター賞を獲得。ゴルフは頭脳でやるもの」
●川崎さん「オーブの研究が認められ、UFO・オーブシンポジウムが新設した”マージナル・サイエンス賞”を受賞」
●浜崎さん「戦争体験披露。米軍・飛行機の追撃を受けた。逃げ惑うわれわれをみて、ニヤリと笑った空軍兵士の顔が忘れられない」
●山来さん「山本周五郎も良いが、やはり藤沢周平の本は素晴らしい。出版順に読みはじめた」
●佐藤(啓)さん「自分は被災地の出身であり、古い背広など送ったが、喜んでもらえた。今回の大震災は敗戦と同じ状況だと思う」
●長谷川さん(ゲスト・米国在住)「アメリカでは日本の総理がクルクル変わるので回転ドアといわれている。橋本大阪市長がいうように抜本改革をやらないと日本は外国に信用されない」
●畠山「ブログにも書いたドナルド・キーンの話を紹介」
 今回、印象に残った言葉は「好き」「上手」という言葉。つまり、「好きな仕事を好きな人と一緒に上手にできた」人生は最高ではないかと・・・。
 「DEN東京」の女主人、手塚さん(佐賀のご出身)の季節感あふれた手料理でアッという
間の3時間半だった。
(写真は国会図書館と納本受領書)

2012年3月17日土曜日

キーンが体験した日米戦


 藤原書店から発売された「戦場のエロイカシンフォニー」。これは2010年11月、小池政行氏が東京都北区のキーン氏のご自宅を訪ね、対談した記録である。
 ドナルド・キーン氏は太平洋戦線で日本語の通訳官をしていた。以下、キーン氏の談話から抜粋。
●日本は大変、美しい国との印象を漠然と抱いていました。同時に日本軍が中国に侵略し、そこでの行為を知ると中国人に同情を感じました。
●私はもう民族という言葉や概念を嫌うようになりました。いい人もいれば悪い人もいる、それだけでしょう。
●私は、ひょっとすると沖縄の人たちは、実は日本よりアメリカの方が好きではないかと想像しましたが、戦中戦後の時期に限っていえば、それは事実でした。
●とにかく、戦時中、軍は沖縄の人々に対して、大変冷たかったです。要するに、日本人、そして日本軍は沖縄人を同じ民族とは認めていなかったのです。
●さらに原爆の話ですが、まずは京都が候補地があげられそれを当時の陸軍長官のヘンリー・スティムソンが断固として反対したのでした。
●スティムソンが昭和5,6年婦人と共に京都を訪れ、都ホテルに泊まった記録が発見され・・・
●京都の町が地上から消えることなど想像できません。それは単に日本国民にとっての損失に留まらず、人類全体の損失になり、アメリカは末永く世界から批判されたでしょう。
●ある時、私と大変仲の良かった捕虜が「音楽が聴けないのは辛い」と訴えたのでー略ーベートーヴェンの第3を通して聴かせたのです。それは私の戦争体験の中でも、忘れられない一件です。戦時中、確か1944年でしょう。
 キーンは1922年米国生まれ。日本文学研究者。2011年の大震災を契機に日本国籍取得。2008年、日本の文化勲章受章。
(写真は冒頭の書籍より転載)

2012年3月15日木曜日

古希・東奔西走


 3月8日(木)14:00、牛久駅で・独身寮時代の友人、柏倉哲、平田幸紀、栗林和彦出迎え。車で栃木県烏山へ向う。明日名門・烏山城カントリーでゴルフをするのだ。ゴルフは1月以来。名門とはいえ、交通不便(常磐道・那珂インターから1時間30分)一泊3食付で16,500である。16:30、ゴルフ場着。隣接するホテルへ。これが立派。
 3月9日(金)生憎の雨。8:03スタート。打ってもボールが転がらないため、距離がでない。バンカーに入ったら大変。砂が重く、ボールがでない。雨脚が次第に強まり、15ホール目でギブアップ。それにしてもコースは立派。5月にはここで日本プロゴルフ選手権が開催される。石川遼、池田勇太、谷口徹などが参加する。17時帰宅。
 3月10日(土)6:30自宅出発。神奈川県・山北町の弟の自宅に向かう。彼の内孫の初節句である。14:00祝宴終了後、弟が総代をつとめる種徳寺へ向う。1億円かけてリフォームしたという。秋田・畠山家の杉をふだんに使用した。それを見せてもらう。15:10分、義弟の車で帰途につく。17:30常磐道・谷和原インターで降車。関東鉄道に乗り換え、竜ヶ崎市に向かう。実はこの日竜ヶ崎市で14時から「ガラスCDコンサート」が開催されていた。その親睦会に合流。講師の新忠篤先生にお目にかかる。
 3月11日(日)8:00シルバーセンター掃除バイト。午後、大相撲観戦原稿書き。
 
 3月12日(月)8:00グランドゴルフ参加。12時30分から16:00、浜松からきた中学の同級生、税理士・小松征夫と会食。
 3月13日(火)8:00シルバーセンター掃除バイト。午後レコード会社依頼原稿書き。
 3月14日(水)9:40東京へ。太田昌純氏と原稿打ち合わせ。14:00西宮さんにSPレコード渡す。新宿で映画鑑賞。19:00上野・東京文化会館で久しぶりにNHK交響楽団を聴く。21:03上野発電車乗車。05分震度5の地震発生したが時間通り牛久に着く。
 3月15日(木)8:00レコード会社依頼原稿送信。9:30ベテランズクラブで古希祝いの赤飯いただく。(写真)13:30文芸誌「いしぶみ」例会。相撲観戦記合評。
       
 
 

2012年3月6日火曜日

原稿三本、かけもち


 今年の町内会の文芸誌「いしぶみ」は例年同様、5月の文化祭に合わせて発刊することになった。
 私は6年続けているスーパーマーケットの掃除のバイトの経験談をまとめて寄稿することにし、原稿作成中である。掃除をしていると、人間の裏表が見えてくる。タイトルは「トイレの神様」にすることにした。バイトにはトイレの掃除も含まれているのである。
 そうこうしている間に特別企画特集として「稀勢の里・大関昇進特集」が盛り込まれることになった。タイミング良く、私は1月22日の初場所千秋楽に足を運んだ。仮題「大相撲、千秋楽でござる」と題して執筆をはじめた。
 昨日、レコード会社の方から電話があり、近々発売するレコードの解説書に乗せる原稿を書いて欲しいという連絡・・・。昨年、同様の依頼があり、素人の私が書いていいものかどうか迷ったが書いてみた。それが役だったようである。あるいは原稿料を請求しないので、それが功を奏したのかもしれない。
 流行作家並みに3本の原稿が重なり、その構想をねるため、夕べは熟睡できなかった。

 
 ところで、先週、近所の奥様が拙宅にお見えになった。
 「自治会館にある”いしぶみ”で、ご主人の”ドイツ夢旅行・後編”を観たのですが、前半もみたのです。バックナンバーがありましたら、貸していただけませんか・・・」
 とのこと。
 文集は読んでいただけなければ、なんの価値もない。嬉しい訪問だった。
(写真は進行中の「いしぶみ」”稀勢の里大関昇進特集号”表紙原案)