2011年7月22日金曜日

中曽根に原発で影響を与えた男

(斎藤憲三は地元秋田では”ホラ憲”と呼ばれていた。気宇壮大。凡人では理解不能)
 7月17日(日)付、朝日新聞に「原発国家・中曽根康弘編」という記事が掲載されている。
この記事を読むと”54年3月に提出された日本初の原子力予算も、野党改進党の予算委理事だった中曽根が主導したといわれている。ー中略ーだが、中曽根は中心人物ではなかった。原子力予算の構想は、直前にあった改進党秋田県連大会から帰京の車中で、TDK創始者の斎藤憲三や、のちに法相となる稲葉修らが描いたものだった”
 斎藤憲三は国会議員随一の科学通だった。原子力のみならず、宇宙開発、海底資源開発、バクテリアの研究と広範な知識を有し、科学技術庁の初代の次官として活躍した。
 私はTDKに入社したお蔭で、丸の内の先生の事務所に何回かお邪魔した。先生の事務所は別名、研究室と呼ばれ、顕微鏡や試験管が並んでいた。時には先生は研究用の白衣を着用されていた。
 斎藤憲三は渡米した時に原子力潜水艦の製造をしていたゼネラルダイナミックのホプキンズ社長に会う。斎藤は社長に「原子力の終局的目標は何か」と尋ねる。社長は「原子力により電気は無限になる、原子力による無限動力」と答える。
 現在、日本は原子力による無限被害におののいている。
 原子力の可否はさておき、原発事故を機に斎藤憲三という巨人が懐かしい。斎藤が健在だったら、今回の原発事故にどういうコメントをしたであろうか・・・。
 
 
 

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