2020年9月22日火曜日

東北の旅・番外編/菅総理誕生フィーバー(秋田)


9月20日、秋田在住、熊谷徹さんからのメール『何もなかった所が大変な騒ぎになっている様なので、湯沢、秋の宮辺りの様子を見て来ました。私が仙台に行くルートの108号線、秋の宮温泉の麓の辺りのラーメン屋さん、「藤」という店の裏手の通りに大勢の人が押し寄せています。菅総理大臣のご実家の前にテレビのカメラが入り放映されていましたが、県外ナンバーを含む車の凄い数、こんなに賑わっている景色を見るのは初めてです。』
添付されてきた地元秋田魁新報・号外の「菅総理誕生」の活字の大きさには驚いた。
菅総理は親の七光りではなく、一代で頂点まで登り詰めた。出身は秋田の農家、学歴は法政大学夜間部。新潟出身の田中角栄(1918-1993)と共通するところがある。角栄はコンピュータ付ブルドーザと呼ばれ「日中国交正常化」を実現した。菅総理については外交について不安視する見方もある。しかし、日本人も外国人も同じ人間である。国内で実績を挙げられる総理は外国でも信頼されるはずである。日本国民、世界の平和のために働いていただきたい。

2020年9月20日日曜日

4泊5日東北旅行④新庄、山寺、仙台


 8日、羽後本荘発6:27発の列車に乗るため、5:30ホテルを出発。明け方の本荘市内はまだ薄暗い。前方から自転車に乗った男がやってくる。「アレ、シュンだべ」「やあ、イサオ」とお互いに顔を見つめ合う。中学校の同級生、猪股功君だった。まさに僥倖である。
7:32酒田着。陸羽西線に乗り換え新庄へ。車窓から駅構内を見ると、見事な山鉾が見える。平成28年、ユネスコ無形文化財に指定された「新庄まつり山鉾」である。(写真)祭りは今年コロナで中止になった。車窓から見事な山鉾を見れたのは幸運だった。
9:32新庄発、奥羽線、羽前千歳駅で仙山線に乗り換え仙台に向かう。途中「山寺駅」を通過する。山寺、立石寺は芭蕉の「奥の細道」で有名「静けさや岩にしみいるセミの声」という歌を詠んだ。「山寺駅」を通るのは多分61年ぶりである。61年前、高校2年の時、文芸部の企画として「奥の細道」研修旅行を行った。男女20名の部員が顧問の先生とともに山寺、松島と巡ったのである。

12:00仙台着。仙台発東京行きの深夜バスは23:55分である。10時間以上の時間がある。この日、仙台は38度の厳しい残暑。美術館や青葉城址を見て、映画でも観て時間を潰そうかと思ったが、この暑さはたまらない。そこでヒントになったのが、車中で読んだ小金さんの自分史「私の四季」。スルガ銀行仙台支店勤務の時、「メディアテーク」で有意義な時間を過ごしたという。徒歩でそこを目指す。新潟、秋田と比較すると仙台は大都会である。すれ違う女性も洗練されている。メディアテークは「読む」「調べる」という好奇心に応える。というのがコンセプト。日頃読めない本を次々と手にとる。アッという間に20時の閉館となる。実に知的で有意義な時間だった。
 バスは9日(水)6:25東京・大崎駅に到着。乗車料金¥2,000。新幹線で秋田と東京を往復すると¥40,000である。今回の4泊5日の東北旅行は旅費、宿泊費、食費全て込みで¥38,000だった。これはコロナ不況のお陰である。11日、なんと母から電話がかかってきた。私の気持ちは母に届いていた。母さん無謀な旅行をした息子を許して下さい。黙認の妻に感謝。

4泊5日東北旅行③秋田市→由利本荘市(菅さんの実家と銅像?)



 秋田県知事が他県からの来訪を禁じている時点での近藤君の「大歓迎!」嬉しかったなあ。秋田駅の改札を出ると、近藤君、上杉君、塩寺君の3人が顔を揃えていた。早速駅ビルで乾杯!近藤君は銀行員だった。「なぜ、君は農林高校なのに銀行員になったの?」の問いにジダイ先生から「君は銀行の試験を
受けろ」といわれたんだ。それだけ近藤君は成績が良かったのである。「最初に就職が決まったのはオレと畠山だったな」「え!」自分は近藤君とは対象的に成績が悪く、縁故で東京電気化学(TDK)に入れてもらったのだった。「やあ、巣籠生活だったのに畠山のお陰で一杯やることができたよ」と、上杉君と近藤君。近藤君が
「菅さんの実家の写真撮ってきたよ」とスマホの画面を開い
た。(写真)
14:26秋田駅を後にし、羽後本荘駅へ。施設に入っている母(103才)に手紙を添えて新潟の笹だんごを届ける。会うことはできなかったが、心は伝わると思った。
本荘グランドホテルで地元の秋田魁新報を見ると菅さん関連の記事が掲載されている。地元、湯沢では菅さんの銅像を作るという話が持ち上がっているという。「健在な時に銅像をつくるのはいかがなものか?」「政治の邪魔にならないか」と懸念する一方、「若い人に努力すれば菅さんのようになれる」ということを示したいという
声もある。いずれにしろ建立のための募金活動が進んでいるとのことだった。GO to キャンペーンということで、ホテルから¥3,000の食事券をいただく。(宿泊費¥3、800なのに申し訳ない)ということもあり、食事の後、地元、由利政宗「雪の茅舎」純米、吟醸、大吟醸のセット(写真)をいただいたが、純米が一番好みに合った。

2020年9月19日土曜日

4泊5日東北旅行②酒田→秋田(土門拳記念館)


 7日(月)午前4時、新潟古町アパホテル出発。右手にバック、左手に伊藤さんからいただいた「越乃寒梅」を持つ。さすがにタクシーは走っていない。新潟駅まで2キロ近く歩く。キツカッタなあ。新潟発4:56発の羽越線・村上行、普通列車に乗る。(写真)村上を過ぎるころから女学生が乗車してきた。なるほど、この列車は高校生の通学列車なのである。2時間もかけて山形の鶴岡とか酒田に通学する高校生がいるのである。そういえば、私の柏と佐倉の孫も2時間かけて通学している。

8:15酒田着。酒田では「土門拳記念館」を見学する予定である。記念館は9:00開場。駅から記念館までは約5キロある。タクシーで行けばよいが節約旅行である。市の観光自転車(無料)を借りることにした。なにしろ78才。転ばないように注意しながら記念館を目指してひた走る。
 土門拳(1909~1990)は酒田市出身。戦後日本を代表する写真家の一人。「古寺巡礼」「室生寺」「ヒロシマ」「筑豊の子供達」等の代表作がある。記念館の建設に当たっては土門拳と深い親交のあった芸術家たちが力を結集した。彫刻 イサムノグチ、庭園 勅使河原宏、銘板 亀倉雄策、銘石 草野心平である。展示場には室生寺の仏像の写真が展示されていた。800年代に作られた仏像だが、その生き生きとした表情に魅了された。ひょっとしたら実物よりも土門が撮影した写真の方が作品の真髄をわれわれに伝えてくれているのではないか?と思わせるほどの迫真力があった。(写真・下)観て良かった。

10:37、酒田駅から特急「いなほ1号」に乗る。乗客は一両に2~3人しか乗っていない。JRも大変だなあ・・・。12:03秋田駅着。改札をでると、近藤君、上杉君、塩寺君の3人(高校時代の同級生)が出迎えてくれた。東北旅行をするに当たって近藤君には事前に電話を入れた。「オレ秋田へ行くけど会ってくれるかな」「大歓迎!」。秋田県知事が他県からの来訪を禁じてる状況での近藤君の反応だった。

2020年9月12日土曜日

4泊5日東北旅行①新潟放送OB伊藤さんと再会

 自分78才。元気なうちに懐かしい方に会っておきたい。3月、新潟放送OB伊藤さんにお会いしたいと思い電話した。「歓迎します」とのことだった。伊藤さんに最初にお目にかかったのは1967年(昭和42)、大阪で開催されたバイロイト音楽祭というイベントだった。25才の時である。あれから53年・・・。数回東京でお会いしたが新潟でお会いしたことがない。
 コロナ下で交通費はバカみたいに安い。高速バスを利用すると東京から新潟まで¥2、000である。ホテルもアパホテルは温泉付きで¥3,440。年金生活者にはありがたい。5日の深夜バスに乗り、6日、新潟に到着した。10時過ぎ伊藤さんに電話を入れる。「今、新潟です」「そう、じゃあ晩飯でも食べようか」。幸い伊藤さんのスケジュールは空いていた。
 ホテルで伊藤さんと会う。炎暑だというのに背広姿。自分はTシャツ姿。伊藤さんは新潟市内を一望できる「新潟日報メディアシップ」展望フロア(写真)に案内して下さった。後、中華料理店へ。
 伊藤さんにプライベートなことまでおうかがいした。①82才になりました。②5人兄弟でした。亡くなりましたが上の兄はウィーン交響楽団でヴァイオリンを弾いておりました。③家ではビクターレコードのトレードマークと同じ手作りの朝顔型のスピーカーで聴いております。④SPレコードは柏崎市にあるドナルド・キーン博物館に寄贈しました。⑤毎月、地元でコンサートをやり解説をしております。でも、中々クラシック音楽を話合える仲間はいません。

 伊藤さんはタクシーに乗ると「運転手さん、近くて悪いね」と優しく声をかける。「畠山さん、荷物になって悪いけど持って行ってください」。美味しい中華料理をご馳走になった上に「越乃寒梅」までいただいてしまった。
 伊藤さんは新潟の文化人であり、心優しい紳士だということを痛感した。新潟には萬代橋や白山神社、県政記念館等、見所が沢山あったが、伊藤さんのお人柄が全てを象徴していると感じた。