2020年12月31日木曜日

89才、外山雄三の清新なベートーヴェン交響曲全集


 今年はベートーヴェン生誕250年。27日~30日にわたって、交響曲第1番~9番まで全曲聴いてみた。やはり素晴らしい。
 バッハ、モーツアルト、ヘンデルなどベートーベンの先輩達は教会、宮廷のおかかえ作曲者として、教会の祈りため、あるいは宮廷の要望に応えるために作曲した。しかし、ベートーヴェンは自分の人生観を伝えるために作曲した。その作曲意図は第9「合唱」に象徴されるように「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」である。
 交響曲は第1番から第9番まである。一般的には「英雄」「運命」「田園」「合唱」というタイトルがついているものが有名だが、全曲非の打ちどころがない。
 交響曲全集はカラヤン、バーンスタインなど世界の著名な指揮者が名演を残している。今回聴いたのは今月発売になった外山雄三指揮・大阪交響楽団。
 外山は解説書にこう書いている。”ベートーヴェンは演奏者に特別な集中力を要求している。楽譜から一瞬も目が離せない。—略ー演奏上の「効果」に惑わされて「自由な表現」を思ったりすると、それだけでベートーヴェンの意思を見失ってしまう。しかも演奏者が自由で、豊かな即興な精神を忘れたりすると、決してベートーヴェンは姿を表さない。この一見して相反する要求は、ベートーヴェンはそれほどに演奏者に対して作品そのものに「集中」することを求め、文字通り「豊かな」表現を求めているといえる”と。
 外山は今年89才。指揮者生活60数年。その外山が発展途上にある大阪交響楽団を指揮した交響曲全集には今までのベートーヴェン演奏では味わえない清新さがある。
 レコードメーカーはこのコンビに「浪速のバンベルグ」(ドイツの朴訥な地方オケ)というタイトルをつけているが、この演奏は日本の外山と大阪響でなければ表現できないきめ細かさと、美しさにあふれている。
 ベートーヴェンは9曲の交響曲を作曲するのに25年を費やし、外山は演奏するのに4年を費やした。全曲を聴くには6時間弱を要する。


2020年12月26日土曜日

コロナに負けず、女性陣の支持を得たベテランズ(老人会)活動

 
 地元刈谷ベテランズクラブ(老人会)の役員は5年前、1期(2年)担当した。継続してやって欲しいとK会長より要請があったが「1期で老人会に対する職責は十分果たした」として固辞した。これがK会長との間でシコリになっていた。
 今年、S会長が任期半場で会長を突然辞任。新体制を作るに当たって、K顧問(前会長)から副会長になって欲しいとの要請をいただいた。緊急事態でもあり、シコリ解消のためにも好機と思ったので、1年間お引き受けすることにした。
 就任に当たって、是非実行したいことがあった。S会長の時代、女性名簿から生年月日が削除された。理由は「個人情報を守るため・・・。特に女性に対して」であった。ただ、老人会は入会資格にも年齢の基準があり「誕生会」は主行事である。生年月日がなければ閉鎖的なものになってしまう。
 私は副会長就任の条件として、「女性の生年月日記載復活」を掲げた。意外にも女性役員が全員、私の意見に同意した。もう一つ私が副会長になって実施したことに「役員会の議事録作成」がある。”言った言わない”がなくなり、女性陣の意見も男性と同様に会の運営に反映されるようになった。最近、女性役員の方々から「副会長、継続してやって下さい」といわれる。悪い気はしないが、ケジメもつけたい・・・。
 今年の老人会活動はコロナに翻弄された。牛久市内の他の老人会はコロナが原因でほとんどの行事が中止になったという。コロナといえば、中止しても会員は納得するのである。
 刈谷ベテランズクラブはコロナに敢然と挑んだ。T会長、S副会長(女性)と私は12月と1月の第一週を除いて、毎週定例会を実施した。毎回、多くの会員が定例会に参加した。
 老後の人生で大事なことは教育(今日行く所がある)、教養(今日用事がる)だという。
刈谷ベテランズクラブは会員の教育と教育の場として重要性を増していたのである・・・と信じている。
(写真は毎月会員に配布している会報と、スケジュール表)



2020年12月12日土曜日

鷹農は永遠⑦3人になってしまった同窓ゴルフコンペ

 


3日、高校時代の同窓生とのゴルフコンペ「鷹農35会」を行った。(鷹巣農林・昭和35年卒)皆さんも都合があるだろうと、年明けから12月3日実施は連絡していたのだが、参加したのは簾内隆一君と後輩の斎藤拓治君、小生の3人。コンペ終了後の飲み会には石岡市在住の成田君が参加した。

会場である霞台カントリークラブに行って驚いたのは大混雑の駐車場(写真)。コロナ禍でもあり空いているだろうと思っていたが、トン~でもない!である。10:10分スタート。前半は3時間もかかり、ワンラウンドできるかどうか不安だったが、後半は2時間20分とスムース。日没前に終了となった。3人のスコア。簾内君91、斎藤君106、小生128。128というスコアは今までの最多記録。年貢の納め時である。でもゴルフは楽しい。一緒に遊んでくれる仲間がいれば続けたい。来年は5月20日開催と決めた。

ゴルフが終わってから成田君を入れた4人で飲み会。最初は上品に牛久シャトーでフランス料理。皆さん大満足。その後が大変だった。ホテルの簾内君の部屋で昔話に花が咲いた。次第に白髪頭、禿げ頭を通して学生帽の顔が浮かんでくる・・・。ご帰館は深夜。鷹農健児が集まるとコロナも吹っ飛ぶんです・・・。奥さんスイマセン。

「鷹農35会」は1989年に始まった。場所はやはり霞台だった。その時の成績は小林(110)、佐藤昭次(107)、佐藤稔(98)、田口(108)、成田(89)、畠山(106)とある。第26回、還暦記念大会は2002年、秋田北空港カントリークラブで行われた。恩師の高橋彰三郎先生も参加された。成績は次の通り。上杉(97)、近藤(85)、佐藤昭次(114)、佐藤稔(98)、佐藤宣男(98)、簾内(80)、塩寺(116)、髙橋(105)、武田(83)、畠山(106)。

来年は還暦時代のスコアを目指そう!


2020年12月8日火曜日

東条先生秘蔵の「ポリーニ初来日ーSAカセット」再生



5日(土)昨年4月に次いで、龍ヶ崎ゲヴァントハウスは音楽評論家・東条碩夫(ひろお)先生をお招きし、講演会を行った。
小生、東条先生とは長いお付き合いである。
小生が勤務していたTDKは1971年から1987年までFM東京のクラシック生収録音楽番組「TDKオリジナルコンサート」を提供していた。小生は宣伝担当として、一時期この番組を担当しており、東条碩夫先生は番組プロデューサーだった。小生は2002年、「TDKオリジナルコンサート」のCD化を企画。2005年には書籍「伝説のクラシックライブ」を企画。東条先生のお世話になった。2019年~20年、龍ヶ崎ゲヴァントハウスの理事として東条先生に講師をお願いすることになった。

講演のテーマは「朝比奈隆とポリーニ」。両巨匠の番組収録に関するエピソードが中心だった。朝比奈隆の演奏(1973年)はCD化されており、そのCD(ブルックナー交響曲第5番・最終部分)が再生された。テンパニーの連打で終わるのだが、「CDになるとどうしても音が甘くなる」と先生は嘆く。ポリーニは2トラ38(オープンリールテープ)の放送マスターから先生がSAカセットにコピーした秘蔵の音源である。ポリーニは20世紀を代表する名ピアニスト。1974年初来日の演奏。NHKが協奏曲を収録すると聞き、東条先生はリサイタルを収録。その超絶技巧に日本の音楽界は圧倒された。SAは切れ味鋭いショパンを見事に再生した。
牛久シャトー(写真)で先生とメンバーの親睦会が行われた。
 東条先生も80才を超え評論界の長老である。テレビ・ラジオ番組、音楽誌に登場する先生はほとんどが先生の後輩である。
 今回、小生の愛車「エアトレック」で送迎したが、車中、先生が「私の車でTDKの長野の工場へ行ったことがありましたね」と語った。もう、48年前である。当時、先生の愛車はボルボだった。今もボルボで都内を走られているという。


2020年11月27日金曜日

都市対抗野球(東京ドーム)観戦。東北代表TDK健闘

 

25日(水)、小雨の中、東京へ。
東京ドームで都市対抗野球大会がはじまった。
TDK(秋田・にかほ市)が東北第1代表として7年ぶりに全国大会に出場。京都市代表、日本新薬と対戦する。にかほ市は人口2,3万の小都市。その代表が147万の京都市と対戦するのである。
本来であれば、地元秋田から大応援団がバスで繰り出されるのであるが、コロナ禍である。それでも内野スタンドはTDKの応援団でほぼ埋まった。(写真)
試合がはじまり、驚いたのは身近で見る、ピッチャーの球速と打球
の速さである。ナマで見る社会人野球の迫力は凄い。一球一打息が詰まる。高齢の私には刺激が強すぎる。
ピッチャーの打球がキャッチャーミットに収まるバスンという音、打球の鋭さを見ると日本新薬の方が上手のように感じたが、TDKは隙のない守備で応じ、一進一退。TDKは2対1で惜敗。
 惜敗はしたが、強豪と互角に戦った選手に拍手を送りたい。選手達も憧れの東京ドームで力一杯戦い悔いはないだろう。私の元気なうちに、もう一度東京ドームに来て欲しい。
 
翌日の毎日新聞に2点を追う7回の裏2死1塁で適時3塁打を放った北畠選手のプロフィールが紹介された。北畠選手は青森・弘前学院聖愛高1年の時、夏の甲子園に出場。10打数5安打で注目を浴びる。八戸学院大でも首位打者賞、最優秀賞と北東北大学リーグで賞を総ナメにした。自分を必要とし、地元・青森に近いということでTDKに入社したという。
 入社してくれてありがとう。OBとしてお礼を言いたい。


2020年11月24日火曜日

プリンター故障で3連休混乱




19日(木)ベテランズクラブ(老人会)役員会。コロナ禍の中、忘年会、新年会をどうするかが最大のテーマとなった。中止の意見もでたが、忘年会は会員同志がプレゼント品をもちより、交換会をやる。新年会は餅を配布する&琴等の演奏を楽しむということで決着。副会長として、早速、議事録を作ったまでは良かったが印刷の途中、プリンターが故障(20日)。ディスプレイの表示を見ると、メーカー(キャノン)による修理が必要とのこと。21日午前、早速買い求めた(1996年5月購入)ケーズデンキに持ち込む。ここで驚いたのは修理代が¥14,300かかるとのこと、ネットで確認するとさらに商品の運搬費が¥3000かかるとある。
 こうなったら、修理するより新品を購入した方が良い。21日午後、店頭で各社のプリンターを見ると、ブラザー製のものが¥17,000と一番安い。¥850プラスすれば3年間保証しますというので、これに決めた。帰宅してパソコンに接続。快適に動いた。が、23日、電
源を入れると、なぜかプリンターが作動しない。ケーズデンキに出店しているPCデポでチェ
ックしてもらったところ、接続ポジションの1部が前のキャノンに接続されたままだったことが分かった。パソコンではこんなことがよくある。勉強になった。ということで3連休はプリンターで大混乱だった。
 20日(金)午前、グランドゴルフの練習。練習開始は8:30~だが、8:00~グランドの清掃(写真)等、準
備作業がある。これも運動であり、会員同志のコミュニケーションになる。この日は73という好スコアがでた。大会で70代前半が出れば上位入賞確実なのであるが、なかなかそうはいかない。この日も上がりの2ホールが3、4と悪い。これは久々の好スコアを意識したためである。






2020年11月14日土曜日

外山先生のベートーヴェン交響曲全集&「SLによる日本の旅」

 このところ、小生にとってはかけがえのない事柄が進行している。

①TDK元会長、澤部肇さんが書いた本「神田のサンマとニューヨークの青空」が出版された。本によると、澤部さんはTDK創業者、斎藤憲三さんにお目にかかったことはあるが、会話を交わされたことはないという。私は澤部さんと同じ年だが、斎藤さんとは数回会話を交した。社内報を担当していたためである。TDK・OBの中でも斎藤さんや創業当時の方に直に接した方が次々と逝去されている昨今、創業当時のことを書き残し、語り継ぐことは大切であり、責任の重さを感じる。そんな年になってしまった。

②日本の指揮者といえば小澤征爾(85才)がなんといっても有名である。が、日本には89
才で現役の指揮者として活躍している指揮者がいる。大阪交響楽団の名誉指揮者、外山雄三
である。その外山と大阪交響楽団によるチャイコスキーの後期三交響曲が先月発売された。アッと驚く名演である。まさに”巨匠の風格”。縁あって、外山雄三指揮大阪交響楽団CD化プロジェクトの応援をしている。年末にはこのコンビによる「ベートーヴェン交響曲全集」が発売される。これに関連した打合せが昨日、キングインターナショナルで行われた。終了後、うなぎ料理の老舗「かぐら坂”志満金”」(創業150年)でご馳走になった。この日、都内のコロナ感染者は昨日に続き300名を越した。コロナ第3波である。

③9日、刈谷ベテランズクラブで「音で聴く、SL日本の旅」を開催した。講師の行方洋一先生とは綿密な打合せを行った。7日、夜、行方さんは土浦のジャズ喫茶で、「筒美京平を偲

ぶ」イベントを開催していた。筒見さんは一月前、亡くなられた。80才だった。筒美さんは「サザエさん」や「木綿のハンカチーフ」(太田裕実)の作曲者として有名。筒美さんは自分が作曲した曲を録音する時、行方さんを指名した。行方さんによると、何故か、自分が指名されるのは女性歌手の時だったという。行方さんとは講演の内容は勿論、会場である刈谷自治会館へのアクセスまで確認した。9日は40名が参加。SLの爆音と汽笛を聴きながら少年少女時代に想いを寄せた。

2020年11月8日日曜日

神田のサンマとニューヨークの青空


 書店で新刊コーナーを見ていたら、帯にカセットテープの写真が載っている。オーディオ関連の本かと思って手にとったら、表紙に少年の顔。な、なんだ、タイトルは「神田のサンマとニューヨークの青空」ときた、どういうジャンルの本かわからなくなってきた。
 筆者を見て、そうか、そうなんだ!と思った。TDK元会長、澤部肇とある。澤部さんは78才になった今でも少年のような顔をしている。表紙は澤部さんの顔をイメージしたものなんだと納得がいく。本を読んで、タイトルの意味が分かってくる。
 澤部さんが入社した頃(1964)、TDKは中小企業だった。神田の日立別館というビルが本社だった。社員通用口に守衛所があった。老夫婦が住み込みで働いていた。夕方になるとおばさんが七輪にサンマをあげ、パタパタとサンマを焼いていた。
 そのTDKがカセットテープで世界制覇を成し遂げたこともあり、日本経済新聞社の優良企業ランキングで第2位となる(1979)。1982年、ニューヨーク証券取引所に上場。ニューヨークの青空にTDKの社旗が翻る。この時、澤部さんは社長室企画課長として三代目社長・素野福次郎とともに社旗を仰ぎみる。
 読みだすととまらない、「秋田での研修でふるさとに出会う」「”あほはいらん”と言われた玉川事業部」「岩谷さんの千本ノック」「日曜の大歳学校でマネジメントのイロハを教わる」「デミング賞の受審をやめさせた素野さん」「社長の名代として大先輩と対決」「ストライキの前夜、青山で焼き肉を食べていた」「いつも開いていた役員室のドア」「俺はこの人を幸せにできるだろうか」「本社はこれからはニューヨークやな」「”お庭番”扱いで苦労したテープ事業部」「後味が悪かった電池会社買収」「ないないづくしでルクセンブルグヘ」「ロシア債で多額の損失、頭が真っ白に」「ITバブル崩壊、ワークシェアかリストラか」「”できっこない”と鼻で笑われる」「宝くじに当たったATL」「能力の限界、社長を退く」「他流試合、社外役員で鍛えられる」「投資家との付き合いから多くを学ぶ」
 澤部さん、現在、在東京ルクセンブルク大公国名誉総領事、荏原製作所社外取締役、早稲田大学評議会会長。私も澤部さんと同じ1942年生まれでTDK・OBだが、地元老人会副会長の私とは大分立場が違う。が、お目にかかると少年のような微笑みで暖かく接してくれる。


2020年10月28日水曜日

菅新総理、古関裕而、3兄弟、裁判所、ジャズ喫茶

  28日(水)、わが郷里、秋田生まれの菅新総理に対する立憲民主枝野代表の質疑応答が終わったばかりである。枝野氏の明快な弁舌に対し、菅氏は小生と同様、朴訥。まあ、なんとか終わってホッとした。それにしても「日本学術会議」問題は政界、マスコミを巻き込んでクローズアップされた。菅さんが、ここまでの混乱を計算していたのかどうか興味深い。

 26日(月)佐倉市にある息子の家を訪ねた。小生、ここ数年の記憶がまだらであり、息子の家に行く自信がない。スマホマップに住所を入力して、その指示通り運転したところ、スイスイと到着した。幸い、小学、中学、高校に通っている3人兄弟も在宅しており、彼らか
ら新しいエネルギーをもらった。
25日(日)梅木先輩からメール。朝の連続ドラマ「エール」。
TDK社歌を作曲したのも
古関裕而さんです。とのこと。改めて(ひしぶり)社歌を聴く。(写真は1985年、社歌の録音風景。歌手は藤山一郎。左端、指揮しているのが古関裕而のように見える)

21日(水)東京地方裁判所へ行く。裁判所傍聴の機会が訪れるなど、夢にも思わなかったが、親戚筋が証言台に立つというので行ってみた。なるほど、なるほど・・・。被告側の弁護士、裁判官の質問は予想を超えていた。勉強になりました。
13日(火)銀座へ。一時より街を歩く人は多くなったが、ほとんど日本人であり、コロナ前、外人ばかりが目立った銀座とはほど遠い。なにしろ、三越正面のライオンさんまでマスクをしている。
10日(金)土浦の図書館に行った帰り、阿見にあるジャズ喫茶「ノーチラス」に寄る。コ

ーヒーを注文するとカップはどれにしますか?と聞かれた。マスターがいるカウンターの後ろには100個ほどのカップがある。カップは飾ではなかった。陶器で飲むコーヒーは美味しかった。霞ヶ浦の近くでジャズ音楽を流しながら暮らすマスターの生き方は”粋”である。


2020年10月17日土曜日

都市対抗野球、TDK(秋田・にかほ市)、7年ぶり全国大会へ!

 


10月13日、第91回都市対抗野球大会・東北予選第1代表決定線は東京オリンピックの行われる福島県営あづま球場で行われた。決勝戦に進んだのはTDK(秋田・にかほ市)とJR東日本東北(宮城・仙台市)。
 以下、毎日新聞記事より・・・。「東北2次予選の第1代表決定戦は延長戦にもつれ込み、あづま球場周辺は闇に包まれていた。TDKが延長12回表に2点を奪い2-0とリードして迎えたその裏。照明に照らし出されたエースの小木田敦也が投じた160球目、最後の打者が空振りの三振に倒れると、選手達はマウンドになだれ込み、歓喜の輪ができた。7年ぶりの出場を決めた佐藤康典監督は「小木田と心中するつもりだった」と感極まった。ー略ー東北で唯一、都市対抗野球優勝経験のあるTDK。小木田は「チームを優勝に導けるような投球をしたい」。2006年以来の頂点に立つ準備はできている。
 TDK秋田に硬式野球部ができたのは1959年。私が高校を卒業してTDK平沢工場(秋田)に入社したのは1960年なので、その前年にできたのである。初代監督は生産管理課長の真崎隆郎さんだった。1973年、初めて都市対抗野球大会初出場初戦敗退。2006年第77回大会ではなんと全国制覇。この時の対戦相手は日産自動車だった。この年、秋田県県民栄誉賞を受賞する。しかし、その後の戦績は芳しくなかった。「先輩、今年は大丈夫ですから・・・」といいながら毎年空手形が続いた。苦節7年、その悔しさをバネに東北予選を勝ち抜いた。
 秋田在住同期入社、今野隆君からのメール「コロナ禍の影響で東北大会は無観客でした。恐らく全国大会も無観客試合になると思います。もしも応援バスが出るとしたらかけつけるつもりです」
 全国大会は11月22日から東京ドームで開催される。有観客となった。今野君はじめ、秋田、東京のTDK社員、OB、家族と一緒に応援しよう。

2020年10月6日火曜日

心に沁みる、89才・外山雄三のチャイコフスキー

 
 5日(月)15:00江戸川橋にあるキングインターナショナルの応接室。二宮さん(大阪交響楽団楽団長)乙黒さん(ディレクター)、宮山さん(キングインター部長)が座る。(主役のお一人、大川部長は急用のため欠席)そこへ水谷さん(キングインター部長)がCDを持って現れる。
 13日発売の外山雄三指揮・大阪交響楽団によるチャイコフスキーの三大交響曲である。ついにCDが完成したのである。
 
 事のはじまりは乙黒さんから2018年にいただいた年賀状である。「オーケストラの録音をしています」と書かれていた。乙黒さんは80才。その乙黒さんが外山先生指揮の大阪交響楽団の録音をしているというのである。これは一大事。乙黒さんにお目にかかりCD化をお勧めした。レコード会社として2002年からお世話になっているキングインターナショナルをご紹介した。
 2019年3月、二宮楽団長と大川部長の面談が実現。お二人とも業界の熱血漢である。「外山・大響のCD化ぜひやりましょう!」ということになり、神楽坂で盛り上がった。
 
 乙黒さん、二宮さんのご厚意で、チャイコフスキー、ベートーヴェン等のライヴ録音を聴かせていただいたが、その演奏はとてつもない高い境地に達していた。
 5日の打合せの席で乙黒さんは語る。「ベートーヴェンの第9のリハーサルの時、外山先生はソリストを”あんたはそんな歌い方をするのか”と叱りつけたんです。会場は凍り付きました。勝手な歌い方をするな、アンサンブルを考えろ、といいたかったんですね」。「これがウチのオーケストラか?と思いたくなるような素晴らし演奏をするようになりました」と二宮さん。
 
 13日発売されるチャイコフスキー三大交響曲についての音楽評論家のコメント。
 「悠然から幽玄へ」「戦後日本のオーケストラ史の生き証人であり、まもなく90才を迎える巨匠の”いま”を刻んだ格調高き名盤の誕生」「多少の瑕を恐れず、外山の音楽を粘り強く再現するオーケストラの健闘も、この音源の大きな聴きどころ」「作曲家(チャイコフスキー)と日本のオーケストラが目指した高遇な理想が結実」
 そういえば外山先生は指揮者の巨匠であるとともに大作曲家でもある。

2020年10月4日日曜日

福田先生を迎え、オーディオ講演会


 コロナに負けず、私が理事を務めるNPO法人・龍ヶ崎ゲヴァントハウスは毎月コンサート(CD)を続けている。メンバーのクラシック音楽&オーディオに対する熱意は並々ならぬものがある。
3日はゲヴァントハウスの特別企画として、オーディオ業界をリードするオーディオ評論家・福田雅光先生をお迎えし講演会を行った。(写真)福田先生とは40年前、カセットテープの音質評価をお願いして以来、定年後もお付き合いいただいている。

この講演会に友人の熊谷さん(秋田)、髙山さん(土浦)、弟(神奈川・山北)が駆け付けてくれた。熊谷さんはこのために牛久のホテルに2泊。空いた時間を利用して、牛久大仏へ案内した。青銅でできた世界最大(120m)の仏像に熊谷さんは感動!
福田先生の講演会は白熱した。会員から「先生はオーディオで生の音を超える音を目指すといっているが、そのようなことを体験したことはあるのか」

「ケーブルで音が変わるというが電源コード、スピーカーコード、機器間のコードのどれが一番音質に作用するのか」「クラシック向き、ジャズ向きのスピーカーという分類についてどう思うか」「ストリーミングで音を聴く人が増えている。CDは残るのか」等々矢継ぎ早の質問に先生は丁寧に答える。「スピーカーについては、日本のメーカーは全滅ですね」という先生の発言に場内から笑いが起こった。

講演会が終わってから「牛久シャトー」のレストランで親睦会。先生を囲んで仲間達はワインを飲みながらディナーを楽しんだ。(写真)
 先生を牛久駅で見送りした後、自宅で弟と金沢の銘酒「日栄歳盛」を酌み交わし、疲れを癒した。

2020年9月22日火曜日

東北の旅・番外編/菅総理誕生フィーバー(秋田)


9月20日、秋田在住、熊谷徹さんからのメール『何もなかった所が大変な騒ぎになっている様なので、湯沢、秋の宮辺りの様子を見て来ました。私が仙台に行くルートの108号線、秋の宮温泉の麓の辺りのラーメン屋さん、「藤」という店の裏手の通りに大勢の人が押し寄せています。菅総理大臣のご実家の前にテレビのカメラが入り放映されていましたが、県外ナンバーを含む車の凄い数、こんなに賑わっている景色を見るのは初めてです。』
添付されてきた地元秋田魁新報・号外の「菅総理誕生」の活字の大きさには驚いた。
菅総理は親の七光りではなく、一代で頂点まで登り詰めた。出身は秋田の農家、学歴は法政大学夜間部。新潟出身の田中角栄(1918-1993)と共通するところがある。角栄はコンピュータ付ブルドーザと呼ばれ「日中国交正常化」を実現した。菅総理については外交について不安視する見方もある。しかし、日本人も外国人も同じ人間である。国内で実績を挙げられる総理は外国でも信頼されるはずである。日本国民、世界の平和のために働いていただきたい。

2020年9月20日日曜日

4泊5日東北旅行④新庄、山寺、仙台


 8日、羽後本荘発6:27発の列車に乗るため、5:30ホテルを出発。明け方の本荘市内はまだ薄暗い。前方から自転車に乗った男がやってくる。「アレ、シュンだべ」「やあ、イサオ」とお互いに顔を見つめ合う。中学校の同級生、猪股功君だった。まさに僥倖である。
7:32酒田着。陸羽西線に乗り換え新庄へ。車窓から駅構内を見ると、見事な山鉾が見える。平成28年、ユネスコ無形文化財に指定された「新庄まつり山鉾」である。(写真)祭りは今年コロナで中止になった。車窓から見事な山鉾を見れたのは幸運だった。
9:32新庄発、奥羽線、羽前千歳駅で仙山線に乗り換え仙台に向かう。途中「山寺駅」を通過する。山寺、立石寺は芭蕉の「奥の細道」で有名「静けさや岩にしみいるセミの声」という歌を詠んだ。「山寺駅」を通るのは多分61年ぶりである。61年前、高校2年の時、文芸部の企画として「奥の細道」研修旅行を行った。男女20名の部員が顧問の先生とともに山寺、松島と巡ったのである。

12:00仙台着。仙台発東京行きの深夜バスは23:55分である。10時間以上の時間がある。この日、仙台は38度の厳しい残暑。美術館や青葉城址を見て、映画でも観て時間を潰そうかと思ったが、この暑さはたまらない。そこでヒントになったのが、車中で読んだ小金さんの自分史「私の四季」。スルガ銀行仙台支店勤務の時、「メディアテーク」で有意義な時間を過ごしたという。徒歩でそこを目指す。新潟、秋田と比較すると仙台は大都会である。すれ違う女性も洗練されている。メディアテークは「読む」「調べる」という好奇心に応える。というのがコンセプト。日頃読めない本を次々と手にとる。アッという間に20時の閉館となる。実に知的で有意義な時間だった。
 バスは9日(水)6:25東京・大崎駅に到着。乗車料金¥2,000。新幹線で秋田と東京を往復すると¥40,000である。今回の4泊5日の東北旅行は旅費、宿泊費、食費全て込みで¥38,000だった。これはコロナ不況のお陰である。11日、なんと母から電話がかかってきた。私の気持ちは母に届いていた。母さん無謀な旅行をした息子を許して下さい。黙認の妻に感謝。

4泊5日東北旅行③秋田市→由利本荘市(菅さんの実家と銅像?)



 秋田県知事が他県からの来訪を禁じている時点での近藤君の「大歓迎!」嬉しかったなあ。秋田駅の改札を出ると、近藤君、上杉君、塩寺君の3人が顔を揃えていた。早速駅ビルで乾杯!近藤君は銀行員だった。「なぜ、君は農林高校なのに銀行員になったの?」の問いにジダイ先生から「君は銀行の試験を
受けろ」といわれたんだ。それだけ近藤君は成績が良かったのである。「最初に就職が決まったのはオレと畠山だったな」「え!」自分は近藤君とは対象的に成績が悪く、縁故で東京電気化学(TDK)に入れてもらったのだった。「やあ、巣籠生活だったのに畠山のお陰で一杯やることができたよ」と、上杉君と近藤君。近藤君が
「菅さんの実家の写真撮ってきたよ」とスマホの画面を開い
た。(写真)
14:26秋田駅を後にし、羽後本荘駅へ。施設に入っている母(103才)に手紙を添えて新潟の笹だんごを届ける。会うことはできなかったが、心は伝わると思った。
本荘グランドホテルで地元の秋田魁新報を見ると菅さん関連の記事が掲載されている。地元、湯沢では菅さんの銅像を作るという話が持ち上がっているという。「健在な時に銅像をつくるのはいかがなものか?」「政治の邪魔にならないか」と懸念する一方、「若い人に努力すれば菅さんのようになれる」ということを示したいという
声もある。いずれにしろ建立のための募金活動が進んでいるとのことだった。GO to キャンペーンということで、ホテルから¥3,000の食事券をいただく。(宿泊費¥3、800なのに申し訳ない)ということもあり、食事の後、地元、由利政宗「雪の茅舎」純米、吟醸、大吟醸のセット(写真)をいただいたが、純米が一番好みに合った。

2020年9月19日土曜日

4泊5日東北旅行②酒田→秋田(土門拳記念館)


 7日(月)午前4時、新潟古町アパホテル出発。右手にバック、左手に伊藤さんからいただいた「越乃寒梅」を持つ。さすがにタクシーは走っていない。新潟駅まで2キロ近く歩く。キツカッタなあ。新潟発4:56発の羽越線・村上行、普通列車に乗る。(写真)村上を過ぎるころから女学生が乗車してきた。なるほど、この列車は高校生の通学列車なのである。2時間もかけて山形の鶴岡とか酒田に通学する高校生がいるのである。そういえば、私の柏と佐倉の孫も2時間かけて通学している。

8:15酒田着。酒田では「土門拳記念館」を見学する予定である。記念館は9:00開場。駅から記念館までは約5キロある。タクシーで行けばよいが節約旅行である。市の観光自転車(無料)を借りることにした。なにしろ78才。転ばないように注意しながら記念館を目指してひた走る。
 土門拳(1909~1990)は酒田市出身。戦後日本を代表する写真家の一人。「古寺巡礼」「室生寺」「ヒロシマ」「筑豊の子供達」等の代表作がある。記念館の建設に当たっては土門拳と深い親交のあった芸術家たちが力を結集した。彫刻 イサムノグチ、庭園 勅使河原宏、銘板 亀倉雄策、銘石 草野心平である。展示場には室生寺の仏像の写真が展示されていた。800年代に作られた仏像だが、その生き生きとした表情に魅了された。ひょっとしたら実物よりも土門が撮影した写真の方が作品の真髄をわれわれに伝えてくれているのではないか?と思わせるほどの迫真力があった。(写真・下)観て良かった。

10:37、酒田駅から特急「いなほ1号」に乗る。乗客は一両に2~3人しか乗っていない。JRも大変だなあ・・・。12:03秋田駅着。改札をでると、近藤君、上杉君、塩寺君の3人(高校時代の同級生)が出迎えてくれた。東北旅行をするに当たって近藤君には事前に電話を入れた。「オレ秋田へ行くけど会ってくれるかな」「大歓迎!」。秋田県知事が他県からの来訪を禁じてる状況での近藤君の反応だった。

2020年9月12日土曜日

4泊5日東北旅行①新潟放送OB伊藤さんと再会

 自分78才。元気なうちに懐かしい方に会っておきたい。3月、新潟放送OB伊藤さんにお会いしたいと思い電話した。「歓迎します」とのことだった。伊藤さんに最初にお目にかかったのは1967年(昭和42)、大阪で開催されたバイロイト音楽祭というイベントだった。25才の時である。あれから53年・・・。数回東京でお会いしたが新潟でお会いしたことがない。
 コロナ下で交通費はバカみたいに安い。高速バスを利用すると東京から新潟まで¥2、000である。ホテルもアパホテルは温泉付きで¥3,440。年金生活者にはありがたい。5日の深夜バスに乗り、6日、新潟に到着した。10時過ぎ伊藤さんに電話を入れる。「今、新潟です」「そう、じゃあ晩飯でも食べようか」。幸い伊藤さんのスケジュールは空いていた。
 ホテルで伊藤さんと会う。炎暑だというのに背広姿。自分はTシャツ姿。伊藤さんは新潟市内を一望できる「新潟日報メディアシップ」展望フロア(写真)に案内して下さった。後、中華料理店へ。
 伊藤さんにプライベートなことまでおうかがいした。①82才になりました。②5人兄弟でした。亡くなりましたが上の兄はウィーン交響楽団でヴァイオリンを弾いておりました。③家ではビクターレコードのトレードマークと同じ手作りの朝顔型のスピーカーで聴いております。④SPレコードは柏崎市にあるドナルド・キーン博物館に寄贈しました。⑤毎月、地元でコンサートをやり解説をしております。でも、中々クラシック音楽を話合える仲間はいません。

 伊藤さんはタクシーに乗ると「運転手さん、近くて悪いね」と優しく声をかける。「畠山さん、荷物になって悪いけど持って行ってください」。美味しい中華料理をご馳走になった上に「越乃寒梅」までいただいてしまった。
 伊藤さんは新潟の文化人であり、心優しい紳士だということを痛感した。新潟には萬代橋や白山神社、県政記念館等、見所が沢山あったが、伊藤さんのお人柄が全てを象徴していると感じた。

2020年8月31日月曜日

コロナ収束願い、大曲の花火。柳葉敏郎(ギバちゃん)感動!言葉に詰まる


8月29日、NHK・BSプレミアムで、「日本最高峰の美。秋田”大曲の花火”」が放送さた。


 秋田県大仙市では毎年「全国花火競技大会」(大曲の花火)が開催される。昨年は約1万8千発が打ち上げられ、70万人を超える観客が押し寄せた。しかし、今年の競技大会はコロナの影響で中止。来年に延期になった。大曲商工会議所などでつくる大曲の花火実行委員会は予定されていた29日、短い時間でも良いから楽しんで欲しいと事前予告なしのサプライズ形式で花火を打ち上げた。その模様がテレビでナマ中継されたのである。


午後8時、色鮮やかなスターマインで幕開け。続いて全国の煙火会社28社がコロナの収束を願って制作した大輪が夜空を飾った。テレビ中継には大仙市出身の柳葉敏郎さんがゲストコメンテーターとして出演していたが、感動で落ちる涙を抑えきれない。(写真)「コメントできず申し訳ありません」と声を震わせ、視聴者に詫びた。


翌30日、大仙市に住む熊谷徹さんからメールが入った。花火の音を収録するために林立するマイクの写真が添付されていた。「シアターでサラウンド音声を再現できるようなマイクセッティングでした。10メーター四方にマイクを3列づつ置き、なおかつ、高さ方向の音の変化をとらえるため、1,5メーターと3メーターほどに、1本のマイクスタンドに2段かまえの取り付けでした。(写真)10メーター四方の真ん中にリスニングポイントを想定しているかと思います。」というコメントがついていた。


2020年8月23日日曜日

感動+郷愁! 「音」で聴く、歌、SL、ねぶた囃子


先月、レコーディングエンジニアの行方洋一先生にお目にかかったことをブログに書いた。
その時、手作りのCDをいただき、感動と郷愁に浸った。この体験を是非、地元刈谷ベテランズクラブ(老人会)の皆さんにも聴いていただきたいと思った。
 20日、その機会が訪れた。参加者は60才~90才代の老人、約40名。
 プログラムは以下の通り。
 ①遠くへ行きたい (ジュリー藤尾) ②見上げてごらん夜の星を (坂本 九) ③SL蒸気機関車 (北海道、美唄鉄道・常盤台駅付近で収録)④青森・ねぶた囃子 終わって、拍手が沸いた。

 
●若かった昭和時代を思いだし、感無量 ●私、美唄の出身です。聴いた途端、オレの鉄道だと思った。近くの川で魚を獲った頃を思いだした。ありがとう・・・等の感想が寄せられた。
 再生した機材はラジカセ。ジュリー藤尾、坂本九の歌声はラジカセでも十分伝わった。SLが汽笛を鳴らし、蒸気音を発しながら喘ぎあえぎ急坂を登る様も皆さんに伝わったようだ。ねぶた囃子もその賑やかさと活気は伝わったと思うが、大太鼓の皮が波打つ様までは再生できず、伝えることができなかった。
 機会があれば本格的なオーディオ装置で聴かせてあげたい。歌でも、SLや祭りでも、映像で視るより、いい音で聴いていただいた方がイメージが広がり、感動を呼ぶことを体験させてあげたい。行方先生が音質に拘るのもその点だと思う。

 🔵21日、車検。いつもお願しているところから「そろそろタイヤをとりかえないと」といわれたが、タイヤの山をみると、まだ、大丈夫だと思った。今回、業者を変更した。タイヤに対する指摘なし。タイヤ代(6万~9万)が浮いた。

2020年8月14日金曜日

渋谷「明日の神話」「忠犬ハチ公」&金正恩、夢にでる

 

11日、東京にでかけました。40年以上お世話になっている0さんと京王井の頭線渋谷駅の改札でお目にかかることにした。久しぶりの渋谷なので、有名な交差点にも行ってみたいと思った。その前に井の頭線の渋谷駅を確認しておく必要がある。(最近は東京も昔と違って様変わりしており、戸惑うことが多い)目的地につながる通路で、思わぬ作品に出合った。岡本太郎(1911~1996)の大壁画「明日の神話」である。岡本太郎といえば「芸術は爆発だ!」1970年、大阪万博の「太陽の塔」が有名。僥倖である。通路から眼下を見ると、有名な交差点が見える。その手前に人だかりがしているので、良く見ると「忠犬ハ公」の銅像が見える。ハチ公は秋田犬で、毎日、飼い主を渋谷駅まで迎えに来たという。飼い主が死んでから約10年、渋谷駅に迎えにでたというから驚く。海外でも有名で、外人旅行客の記念撮影の聖地になっているという。

思わぬ観光をした後、Oさんと無事合流。昔話を堪能した。Oさん、83才だが、まだ現役である。

ところで、昨日、思わぬ夢を見た。「日本経済新聞を広げると、北朝鮮の将軍様、金正恩氏の講演会の記事が掲載されている。入場料は¥13,000。いいバイトだなと思っていると、自分は帝国ホテルにいた。二階に上がると、全ての部屋が将軍様一行の貸切。場面変わって、講演会が終わってからのパーティ。自分は将軍様随行の美女に囲まれて身動きがとれない。これはワナかもしれない。と焦った・・・」というところで覚めた。

2020年8月2日日曜日

小池百合子さん、それを支えた都庁官僚の手記


「築地と豊洲」という本を読んだ。元東京都中央卸売市場次長・澤章さんが書いた手記である。サブタイトルは”「市場移転問題」という名のブラックボックスを開封する”である。迷走に迷走を重ねた小池都政最大の事件の真相が赤裸々に描かれている。
 
 小池さんと言えば、そのメディア(広報)戦略の巧みさである。
 2017(平成29)年9月25日夕刻、安倍首相が衆議院議員解散の会見を行うという情報が流れる。小池さんの新党立ち上げの準備が整はないうちに解散に打ってでれば選挙戦に有利という戦略だった。この情報を察知した小池さんはその裏をかく。同じ25日、新党(「希望の党」)立ち上げの記者発表をする。しかも直前に「パンダ命名会見」を行ったのである。パンダに引き寄せられたメディアはそのまま「希望の党」立ち上げの会見になだれ込み、テレビ、全国紙、ワイドショーからスポーツ新聞まで、小池マジックにまんまとはまった。しかも、「希望の党」立ち上げから1時間後、小泉純一郎元首相を都庁に迎え二者会談。党の公約として「原発ゼロ」を掲げる。結果、安倍首相の解散声明はかすんでしまう。本書は「この日こそ政治家・小池百合子が束の間の絶頂をおう歌した瞬間だった。」と結んでいる。
 この後の「希望の党」の急降下は驚くべきものだった。
 29日、「希望の党」代表になった小池さんの定例記者会見が行われる。記者から民進党との関係を聞かれて「排除します」と発言したのが急降下の予兆となる。続いて「都知事と国政政党の2足のわらじを履いて大丈夫か」という批判がでる。与党であるはずの公明党からも「都政は踏み台か。都政に専念すべき」と苦言がでる。次に起こったのが「小池知事の出馬はないのか」という国政出馬(待望)論だった。9月、小池さんは「希望の党」代表の座を降りる。結党50日目。線香花火のような退場だった。
 「築地と豊洲」のみならず「希望の党」でも揺れ動いた小池さん・・・。
 
 小池さんは7月の都知事選挙で圧勝した。が、コロナ、オリンピックと難題が続く。揺れ動く小池さんと、それを支える都庁官僚とのドラマはこれからも続く・・・。

2020年7月23日木曜日

ショック!白塗りの男子ゼッケン、祝・老人会


7月もいろいろあった。
ショックだったのはテレビで放送された白塗の男子ゼッケン!
トーク番組に男子陸上の有名選手が出演。番組のサブタイトルに”世界陸上メダリスト”とでている。自分は現役時代、世界陸上の仕事をしていた。勤務していたTDKは世界陸上のゼッケンスポンサーをしていた。当然、当該選手がメダルを獲る瞬間が放送されるだろう、と観ていた。確かに放送された。が、驚いたことにTDKのロゴが入っているゼッケンが白塗りになっている。ゼッケンだけではない、TDKの看板まで白塗りになっている。多分、これは番組スポンサーの指示によるものだろう。
しかし、こんなことをやったら、登場選手や番組にとってもイメージ的にプラスにならないし、スポンサー、局のイメージアップにもならないのではないかと思った。
 例えば、銀座にA飲料メーカーの看板があったとする。B飲料メーカーの提供番組にこの看板が写っていたとする。B社は放送局にA社の看板を白塗りにするよう指示する。
 このことによって、B社の品位が上るだろうか?広告物も時代を反映するものであり、慎重に対応すべきではないか・・・。
4月から地域の老人クラブの役員をやっている。2日、毎年恒例の「七夕祭り」を実施。役員男子部が竿竹を用意、女子部が飾り付けを担当。これに会員が願事を書いた短冊を結んだ。(写真)願い事のほとんどが、コロナの早期終息だった。9日、新旧役員会の昼食会実施。19名が参加。三密を考慮し、食事の形態は弁当(写真)。幹部会では乾杯の音頭にビールを出すかどうかで意見が分れた。
コロナは予測不能。老人会ですら対応に苦慮するのだから行政にしろ、諸団体にしろリーダーは大変である。結果が悪ければリーダーは責任を問われる。
 
                 

2020年7月19日日曜日

僥倖、行方洋一先生との食事会



17日、行方洋一先生との食事会のセッティングをして下さったのは髙山了さん(フジフィルムOB)である。髙山さんは一緒にカセットテープビジネスで汗をかいた仲間である。ケーナ奏者の渡辺大輔さんも同席されるという。
 指定されたコーヒー店「ノーチラスカフェ」は土浦駅から霞ヶ浦沿いに4キロほど南下した125号線沿いにあった。ウッカリすると見落としそうな木造平屋建ての一
軒屋だった。店内に入ると、マスク姿の行方先生が迎えてくださった。マスクをはずされて「行方です」と笑顔。髙山さんと、渡辺さんが現れる間、自己紹介も含めて話が弾んだ。
 行方さんは映画監督の大林宣彦さんのようにヒゲを蓄えておられる。著書を読むと、東芝EMIの社員でありながら、競合他社の仕事をされたり、オーディオ評論家の仕事をされたり・・・「不良社員だった」そうだ。東芝EMIの給料より、バイト代の方が多かったという。そんな経緯から行方先生は近づきがたい、怖い方かと思っていたが、「誠実、謙虚、穏健」暖かい方だった。バイトができたのは先生の実力とお人柄だったのだと合点した。
 12時に始まった4人の話題はオーディオ、音楽から生録音へと展開。終わったのは3時30分だった。SⅬ(蒸気機関車)を知らない世代の渡辺さんも、店内に流れるSⅬのリアルな爆音に魅了された。渡辺さんといえば会話の中に興味のある単語がでてくると、即座にタブレットで検索して対応する。世代の違いを実感した。
 「ノーチラスカフェ」はジャズ好きの山本店長が経営しており、店長手作りのアルテックのスピーカーが鎮座。棚に陳列されたコーヒーカップが美しい(写真)
 行方先生から恐縮にも手作りのピンクフロイドとビートルズのCDをいただく。帰宅して、その音に仰天。家内が留守の時にジックリ聴こう!