2019年6月16日日曜日

雨の東京湾クルーズ

56年前、私はTDK秋田工場から東京本社に転勤になった。総武線本八幡駅に近い独身寮に入居した。21才の時である。
 当時、同僚だった仲間と今でも交流が続いている。会の名称「教養クラブ」。主催者は柏倉さん(83才)。一時は6名ほどいたメンバーも常連は柏倉さん、栗林君、小生の3名に減少。昨日、3人による会が開かれた。今回(15日)、
秋田在住の今野君に声をかけたらと幹事の柏倉さんに進言したところ、今野君も参加することになった。(写真、手前より、柏倉、栗林、今野各位)
 生憎の大雨である。集合場所は東京駅南口。約束の時間は13:10であるが、12時30分には全員集合。13:30分発の”はとバス”に乗る。1時間の東京湾クルーズを含んだ「東京百景フォトジェニックTOKYOコース」(写真・下¥3,900)である。二重橋、皇居前等を通って日ノ出桟橋へ。
 
大型客船「シンフォニー」に乗船し、4人で会話を交わしていると、船はすでに桟橋から離れている。船が進む様を「滑るように・・・」というが、まさに音も無く滑るように船は離岸したのである。この様子は小型、中型船では体験できない。
 生憎の雨で東京湾岸の景色はオボロ・・・。(写真・上)その朦を見ながらのビールの味は格別。ソプラノ歌手による小コンサートも行われた。大型客船での船旅をつまみ食いした感じ。
 5時から「がんこ上野本店」で夜の研修宴会。柏倉先輩の独壇場。昔お世話になった同僚、諸先輩の年1度の棚卸大会。今回は特に今野君が参加したお陰で秋田地区の動静に花が咲いた。「こんどは秋田で」と今野君。「へばまた・・・」

2019年6月12日水曜日

ビールを飲みながら痛風を治す

5月31日、痛風になり、その夜、布団の中で七転八倒。6月1日、町医者で薬を処方してもらい、痛みから解放された。
アマゾンで”痛風”を検索したところ、「痛風はビールを飲みながらでも治る!」という本を発見。注文する。この本、痛風の専門医が痛風にかかった体験談。前書きを紹介しよう。

「私も痛風になる前は、患者さんにアルコールは痛風によくないので飲まないほうがいいですよ。特にビールはいけません」といっておりました。ところが私自身の身体を実験材料にした2年間の経験から、今では自信をもって「ビールは痛風にいい点もあるので、お好き
ならやめなくても大丈夫です。ビールを飲みながらでも痛風は治せます」と言っていますし、以前と同じように宴席でビールの痛飲を繰り返しております。

 本によると、痛風の原因は①アルコール②ストレス③肥満の三つが原因なのだという。飲みすぎは良くないが、適度のお酒はストレス解消に効果がある。”ビールは痛風にいい
点もある”というのはストレス解消につながるからだという。
 ではアルコール類の適量はどれくらいかというと、ビールの場合750ミリリットル、お酒はお銚子1本半、ワインはグラス2杯、焼酎、ウィスキーはお湯(水)割、コップ2杯。
 これは私の今までの晩酌の量とほとんど変わりない。
 10日、11日、と連続して東京の飲み会にでかけたが、今まで同様、お酒を楽しみながら友人と語りあった。
 写真は有楽町ソニープラザの熱帯植物(中)と銀座6「GSIX」のテラス(下)

2019年6月7日金曜日

高速道路で日本一長いトンネル(郷里・秋田へ)

6月5日(水)秋田へ。5時10分出発。東北自動車道、福島JCTで、東北中央自動車道に入り、山形県米沢に至る。県境の山岳地帯を抜けるのに60分かかっていたのが、トンネルができた(2018/11)ため、20分で通過。高速道路で日本一長い無料トンネル、(全長8972m)が完成したお陰である。
 
予定より早く昼前に秋田に到着。時間的に余裕ができたので、にかほ市出身の南極探検家、白瀬矗(のぶ)の記念館「白瀬南極探検隊記念館」に寄る。次いで、「TDK歴史みらい館」へ。案内してくれた和田さんとカセットテープの磁性材の話をする。「さすが先輩!」とおダテられる。同館でランチ。800円にしてはセンス抜群。(写真)さすがTDK。穏やかな日本海を眺めながらいただく。
 にかほ市の隣町、由利本荘市にある実家へ寄ってから、約束の4時、母が入居している、特別養護老人ホーム「ふるさと学び舎」へ。弟(小田原)、妹夫婦(笠間)とともに母の居室へ。102才とは思えない元気な母がいた(要介護1)。「まんずまんず、えぐ(良く)きてくれたこと」。母は5月の長期連休中、体調を崩し入院。その後回復したが、体力が弱り、6月1日からこの施設に入居。別れの時、母は車を押して玄関先まで我々を見送ってくれた。
 
6時、近くの保養施設「ぽぽろっこ」で兄弟会。農協幹部である兄の長男(52才)の話が面白かった。年400回飲み会があるという。農家の方々とこれからの農業を語り合う。彼が務める農協の隣にはTDKの新鋭工場が連なる。増設のため、TDKは隣接する田んぼをさらに購入する計画だという。田んぼは農地として売る場合、一反歩30万だが、TDKの買い値はそれよりはるかに高い。
 6日、家内の実家(伊藤家)に寄る。由利本荘市と横手市の境界にある、いわゆる山間僻地である。家内と義父(98才没)義母(92才没)の墓参りをする。その墓碑の立派なのに驚く。(写真)伊藤家の方々は皆さん素朴で静かである。が、その墓碑に伊藤家の強い思いを感じた。義兄の純悦氏は伊藤家の秀才である。京都大学出身。博士号を習得し、米国アリゾナ大学の教授になった。





2019年6月4日火曜日

ついに”痛風”

 
5月31日(金)3週間ぶりだろうか?グランドゴルフに参加。メンバーは60代~80代の老々男女。一組4名~5名。口の悪い陰口に長けたSさんと一緒。「お前久しぶりじゃないか、どっか悪かったのか?」私、頭を指す。「精神病かあ」。隣チームの美形の女性の方を向いて一言、「あのババア、若い時にざんざん男をだましたんだろうな。今は棺桶に足突っ込んで、先は長くないな」。グランドゴルフ、8時からスタート、10時に終了。午後、急に右足が痛くなった。歩くのもやっと、靴下を脱いで足先を見ると赤く腫れている。「痛風に違いない」と直感した。夜フトンの中で七転八倒。そういえば、最近いい気になって遊び歩いた。お酒といえばビールにはまり、飲み続けた。体だって文句の一つもいいたい。 
 6月1日(土)8時~10時まで掃除のバイトが入っている。右足をひきづりながら現場である牛久シャトーに向かう。なんとか頑張って、掃除機を操作。5日は秋田に行く予定があるので、その前には治したい。しかし、今日は土曜日で病院は休み。近所の町医者に行く。受付にいくと、70才過ぎと思われる女性。お医者さんがご主人で、受付の女性は奥さんらしい。「まあ、70才過ぎているんですか?」健康保険証をみて受付嬢。私、禿げ頭を突き出して「喜寿」です。受付嬢の言葉はお世辞(セールストーク)に決まっている。お医者さんは足を見て「ああ、痛風です。薬を出しておきます。ビールはダメですよ!」。毎日、楽しみにしている晩酌のビールはダメといわれ愕然!しかし、あ、あったノンアルコールビールがあるではないか!ありがたい世である。診察の帰り、そのままスーパーに寄り、ノンアルコールビール(写真)を購入。
晩酌、ノンアルコールビールを飲みながら食事。不思議なことに頭がスッキリしている。アルコール抜きも捨てたものではない。食後、処方された薬(写真)を飲むとアラ不思議、足の痛みが取れた。薬の有難みが身に沁みた。
 6月2日(日)12時~池袋で母校、鷹巣農林「東京伊勢堂会」の飲み会。先輩、「ワインどうですか?」と会長がすすめてくれた。ビールは痛風の原因であるプリン体を多く含むがワインはプリン体を減らす効果があるという、さすが会長、物知りである。


2019年5月26日日曜日

令和、飲み会、ゴルフコンペ(85才まで頑張ろう)

5月19日(日)8時~10時、シルバー清掃バイト。終了後、高速に乗って笠間へ向かう。11時から開催されている常陸国出雲大社、春季大祭に滑り込む。急坂を登り大社へ。令和の幟”のぼり”がはためく。(写真)境内に響き渡る大太鼓の音と笛の音。やがて黒装束に身を固めた宮司が登場し祝詞を読む。歌舞伎役者のようである。令和元年の除災と招福を願う。
5月20日(月)銀座8丁目で日本記録メディア工業会・OB会の集い。TDK、日立マクセル、日本ビクター、大日本インキ、事務局OBが集う。(写真)「あの頃は良かった」「電磁変換特性は同じでも、磁性紛の違いで音が違う。最後は聴感だった」「私の祖父は学習院大学の院長をやっていた」等々・・・。OB会終了後、江戸橋にあるレコード会社へ。
5月22日(水)霞台カントリーで、TDK・OBゴルコンペ。天気良好。ドライバーショット130~150ヤードしか飛ばない。順位も最下位。ハンディ差でブービー賞いただく。イン、アウトとも50代に収まる。飛ばなくとも、アプローチとパットがよければ、まあ、格好がつく。
5月23日(木)セゴビアゴルフクラブ イン チヨダで、鷹農OBゴルフコンペ。クラブハウスの立派なのに驚く。(写真)秋田から遠征した阿部君(写真)と回る。前半アウトコース、池あり、バンカーありの難コース。ドライバーだとヘッドスピードが出ないので、スプーンでドライバーショットを打つ。「石岡ルートイン」で懇親会。阿部君に「いつまでゴルフやるつもり?」「85まで頑張ろう」



2019年5月11日土曜日

バスで大阪トンボ帰り。米寿の外山先生を聴く

 10日、久しぶりというか多分30年ぶりに大阪へ行った。
目的は10日、米寿(88才)を迎えた指揮者&作曲家、外山雄三先生の「第9」を聴くためである。
1960年、NHK交響楽団は世界一周の演奏旅行をした。その時指揮者として同行したのが岩城宏之(1932~2006)と外山先生である。オーケストラの世界一周演奏旅行としては1959年のカラヤン、ウィーンフィルに次ぐものだったという。
なぜ、小生が外山さんを先生と呼ぶか?それは中学生時代からの憧れの指揮者であると同時に外山先生の言動が他の指揮者と次元が違うからである。外山先生はご自分の作品や指揮法について黙したままである。その根底にあるのは「音楽は音で表現するものであり、自分の音楽に興味があるのであれば聴けばよい」と突き放す。活動の場も東京中心ではなく
大阪にある大阪交響楽団を主に指揮している。
 年金生活の身である。新幹線に乗るなど勿体ない。東京発7:10のバスに乗る。快晴。足柄サービスエリアで富士山がクッキリ。夕刻16時40分大阪着。コンサートは19:00からである。大阪城見学。天守閣がクッキリ。
 コンサートは「ザ・シンフォニーホール」で行われた。このホール、恐らく日本一、世界一ではないだろうか。残響を優先し、座席数は1,704席。このホールに響いた外山先生の「第9」は誠にスケールが大きく厳しいものだった。先生は一時間半、立ったままで指揮を執った。下半身は微動だにしないが、上半身はダイナミックに動き、楽員と合唱団を奮い立たせた。外山先生の演奏を大阪だけではなく、東京は勿論、日本、世界の音楽ファンに聴いて欲しい・・・。
 22:45、東京行きの夜行バスはJR難波を出発した。
 

2019年4月30日火曜日

デル・モナコ、バイロイト、小澤征爾

4月20日、龍ヶ崎ゲヴァントハウスで行われた東条碩夫先生の講演は昭和、平成を締めくくる素晴らしいものだった。札幌、名古屋、福島からもファンがかけつけた。
 東条先生は講演の後半で「東条碩夫が体験した昭和と平成のオペラ&コンサート、ハイライト10(国内)」を披露して下さった。
 〇イタリア・オペラ 1961年 デル・モナコ&テバルディ「アンドレア・シェニエ」
 〇ベルリン・ドイツオペラ 1963年 ベーム「フィデリオ」
 〇バイロイト音楽祭 1967年 「トリスタンとイゾルデ」
 〇ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団 1970年5月
 〇バースタイン指揮ニューヨーク・フィル 1970年9月 マーラー「9番」
 〇小澤征爾指揮日本フィル 1972年6月16日 マーラー「復活」
 〇クライバー指揮バイエルン州立管弦楽団 1986年5月 
 〇ロイヤル・オペラ 1987年10~11月 コリン・ディヴィス指揮「ピーター・グライムズ」
 〇サイトウ・キネン・フェステバル 1992年9月 小澤征爾指揮「エディプス王」
 〇キーロフ・オペラ 1993年11月 ゲルギエフ「炎の天使」
 このリストは私の体験とも重なる。
 〇イタリアオペラは私の中学から高校生時代、モノクロテレビで兄と視て興奮した。東条先生はモナコの声はオケを飛び越えて天井桟敷まで直線で飛んできたとコメントされたが、電波に乗って故郷秋田にも飛んできた。
 〇バイロイト音楽祭の時は25才。大学生の弟を連れて大阪へ。
 〇バーンスタインについては1990年、家内と大学生の娘、高校生の息子を連れて聴いた。曲目は「ウェストサイド物語」とベートーヴェンの「7番」だった。ウェスト・サイドを大植英次に指揮させたとして問題になった。
 ところで、「東条碩夫のコンサート日記」で語られた、最も貴重なエポックメーキングな事柄は1961年の”小澤征爾・N響事件”ではなかろうか?小澤はN響と対立。誰も楽員がいないステージに一人佇む小澤の写真が新聞で報道された。この時、東条先生は学生アルバイトとしてN響の音楽資料室に勤務していたという。