2025年3月11日火曜日

世界に羽ばたくママさん指揮者、沖澤のどかさん

 クラシック音楽業界で話題の沖澤のどかさんが読売日本交響楽団を指揮したシベリウスの交響曲第2番のCDを聴いた。かつてない感動を覚えた。手垢のついたシベリウスの名曲が、今生まれたばかりのように聴こえたのである。
クラシック音楽といえば、作曲家はモーツアルト、ベートーヴェン、ブラームス等、決まりきっている。それなのに100年も200年も愛聴されているのは、指揮者によって、作品が新たに生まれ変わるからである。カラヤン、バーンスタイン、小澤征爾等の指揮者が、作品に新に生命を吹き込んできたのである。沖澤のどかさんは、その巨匠達の後を引き継ぐ天性の才能を持ち合わせているような予感がする。
沖澤さんは1987年、青森県三沢市の生まれである。東京芸大で学んだ後、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン博士課程オーケストラ指揮専攻終了。2019年第56回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。2020年、ウクライナとの連帯を示すためのコンサートでウィーンフィルと並んで世界最高のオーケストラであるベルリン・フィルを指揮した。
私生活では、2019年リトアニア人男性と結婚。2児の母である。
クラシック音楽を聴かない方でもジャケットの沖澤さんの写真(特に澄んだ目)を見れば天性の才能の方だと見当がつくのではないだろうか。
3月2日、友人の誘いで土浦で開催された「いばらく」を聞かせていただいた。茨城県を落語で盛り上げようと結成された茨城県出身の若手落語家のユニットである。落語も真骨頂は古典落語である。そういった面ではクラシック音楽と共通の再現芸術である。今後の活躍を期待したい。(左から柳亭市寿、立川成幸、立川志のぽん)

2025年3月6日木曜日

81才と18才の違い(老人会)

今日(6日)は老人会(刈谷シニアクラブ)の誕生会があった。
3月生まれの10名が、近況を語った。私も3月生まれである。
当会の会員の平均年齢は81才だという。
私は先輩がメールで送信してくれた「81才と18才の違い」を披露した。
〇恋に溺れるのが18才。風呂に溺れるのが81才 〇道路を暴走するのは18才。道路を迷走するのは81才 〇心がもろいのが18才。骨がもろいのが81才 〇偏差値が気になるのが18才。血圧・血糖値が気になるのが81才 〇まだ何も知らないのが18才。もう何も覚えてないのが81才 〇自分を捜しているのが18才。皆が自分を捜しているのが81才 〇家に帰らないのが18才。家に帰れないのが81才
会場、大笑いで喜んでいただいた。
ところで、私は今月83才になる。学校、会社の同僚の1/3は死亡、1/3は連絡とれず、残り1/3は連絡がとれても会えなくなってきている。
と、言うことで、地元の老人会は大事である。
2月20日の老人会には筑波大学フォルクローレの皆さんが、ボランティアでお出でになり、「コンドルは飛んでいく」などの中南米音楽を披露して下さった。(写真・上)学校で心理学を専攻しているといった秀才な皆さんである。われわれの孫世代である。18才と81才の貴重な触れあいだった。

2025年2月28日金曜日

映画「山椒太夫」、今も続く人さらいの人間社会

 
1954年に公開された溝口健二監督作品「山椒太夫」を観て感動した。この映画ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞するなど海外でも高く評価されたという。(原作・森 鴎外)
1954年といえば私が12才の時の映画である。多分、私も中学校時代観ているはずである。「山椒太夫」というより「安寿と厨子王」としての印象が強い。「母と一緒に安寿と厨子王は浜辺で人さらいに会い、母と生別れる」浜辺で「安寿恋しや、ほうやれほ、厨子王恋しや、ほうれやほ」と杖にすがる母親の姿が痛々しい。(写真)溝口監督は平安時代の日本の自然、世情を忠実に再現。人さらいに会った安寿と厨子王は山椒太夫の荘園で過酷な労働を強いられる。逃げようとすると赤く焼けた火箸で肌を焼かれる。
映画を観て、平和な時代に生まれて良かったと痛感する。しかし、この人さらい、今でも続いている。北朝鮮に拉致された日本人。彼らはかの国でどんな生活をしてるのだろう。彼らの親族は日夜、日本海を眺めて嗚咽しているのである。
最近ではミャンマーの詐欺集団がSNSで日本の若者を勧誘し、逃亡しようとすると電気ショック等の拷問をしているという。拉致した若者が住む鉄格子の入ったアパート群を見ると、慄然としてしまうのである。
かと思うと、大国のトップが国際ルールや法を無視した行動を平気でとるようになった。
平穏な生活を続けていくためには、真面目に働き、ウマい話には乗らないよう心がけなくてはならない。
 
 

2025年2月22日土曜日

これからは宇宙ビジネスです(野村セミナーの提示)

昨日、地元・筑波銀行主催の会社説明会と、野村證券による投資環境セミナーが開催された。筑波銀行は「地域のために、未来のために」「小回りと質で地域をとことん支援する」と頭取の生田氏は語った。参加者へのお土産に筑西市にある湖月庵の「館最中」が提供されたが、これも地元支援の一環であろう。美味しかった。
続いて、野村證券投資情報部長の東氏が「2025年の経済・株式市場の見通し」について語った。驚いたのは「トランプ政権の注目テーマ”宇宙”=収益期に入る宇宙ビジネス」についての提示である。
日本では年に数回人口衛星を上げ、成功したとか失敗したというのがニュースになっているが、実は世界全体では1日平均7個超の人口衛星が打上げられているのだという。(成功したとか失敗したというのは世界的にニュースにならない)このビジネスに力をいれているのが、アメリカの影の大統領といわれているイ―ロン・マスク氏なのだそうだ。
人工衛星を使ったビジネスは位置情報では、自動運転や船舶の航行支援、物流の効率化などに。画像、センサー、監視サービスでは、天気予報や農作物の生育予測、魚群探査、地質調査、防災、疾病監視、安全保障などに実用化されている。
日本のマスコミでは技術予測というと「生成AI」が話題の中心だが、「宇宙ビジネス」にも目を向けなければいけない。と感じた。


2025年2月16日日曜日

「旅愁」から岡本太郎の「太陽の塔」へ

8日は音楽仲間「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」の例会。講師にオーディオ研究家の新忠篤先生をお迎えしての講演会が行われた。
今年はマイクを使用してレコード録音がはじまって100年だという。その前はラッパ吹き込みの時代で、ラッパの前で演奏し、その音の振動をラッパの先についている針に伝え、レコード盤に刻んでいたという。先生は冒頭、1909(明治42)年、ロンドンでラッパ吹き込
みで録音された「君が代」を聴かせてくれた。(写真・右。先生が手に持っているのが、その貴重なレコード盤)次いで先生は「旅愁」をラッパ吹き込みのもの3種、マイク録音によるもの7種再生。「旅愁」というと、「ふけゆく秋の夜・・・」で馴染み深いが、なんとこの曲を作ったのはアメリカ人だという。講演終了後の質疑でわかったことだが、現在の音楽教科書には「旅愁」は載っていないという。
講演会終了後、先生を囲む懇親会。小沼さんという新会員の方の隣に座った。「ゲヴァントハウスに入会してクラシック音楽は作曲家、演奏者、指揮者三つ巴の戦いということを痛感してます」からはじまって、「ところで、今年開催される大阪万博はなんですかね。1970年の万博では岡本太郎の”太陽の
塔”という強烈なシンボルがあった」「私は米国で10年以上働きましたが、アメリカ人には哲学があるが、日本人にはそれがない」。私は「そんな難しいことを急に言われても・・・」という心境だったが、それはそれで身心とも活性化され、若返った気がした。(写真上・左が小沼さん、その右がわざわざ福島から参加した市川さん、その隣はLPレコードの収集家・海老原さん)

2025年2月7日金曜日

植物病理学者の夢は「クラシック居酒屋」

 わが牛久市と研究学園都市つくば市は隣同志である。
つくばの研究者にはクラシック音楽ファンが多いようだ。
加来久敏さんも、その中のお一人。加来さんは1946年生まれ。79才。小生より4才若い。農林水産省の研究機関で植物病理の研究を行う植物病理学者である。研究の傍ら「クラシック33名盤へのオマージュ」という音楽書を出版。ベストセラーになっている。
2月2日「畠山さん、私のアパートで新年会をやりましょう」ということでお邪魔した。現役高校教師の瀧澤さんも柏市からかけつけた。
加来さんのアパートは、実は音楽・オーディオ研究室なのである。素晴らしいオーディオ機器があり、数多くのCDコレクション。そして音楽専門書のライブラリー。
加来さんは音楽と同じように無類のお酒好き。加来さんの夢は「クラシック居酒屋」を開くことだという。当日はそのリハーサルだったのかも知れない。
瀧澤さんはドイツビール持参、小生は濁り酒を持参、CDを聴きながらいただく。小生はカセットデッキの最高峰ナカミチ1000ⅡとTDK・SAで録音したチェロのCDを持参。(写真)眼前でチェロが鳴っているようなリアルな音に圧倒された。さすが加来さんが調教したオーディオ装置である。瀧澤さんが持参したCDは10枚ほど。隠れた名曲ということで再生したチャイコフスキーの四季、隠れた名演奏ということで鬼才ロリン・マゼールのCDを披露。
加来さんはお酒のつまみに新鮮な刺身を取り寄せ、その後、おでん、がでてくるという万全の心配り。
12時に開催した新年会はアッという間に時間経過。予定の時刻である4:30になったので退散。無事、帰りのバスに乗車して牛久のバス停についたが、そこから自宅までの2キロは千鳥足だった。

2025年2月1日土曜日

カセットテープの国内発売順を検証。丸3年

 私はTDKで1968年から19年間カセットテープの仕事にかかわった。また、1986年から12年間、日本記録メディア工業会の委員を兼任。業務委員長、広報委員長を歴任した。
日本記録メディア工業会の前身は磁気テープ工業会。昭和28年、磁気録音テープ業界の健全な発展を目的に設立された。創立当時の加入メーカーはソニー、TDK、日本コロムビア、フジフィルム、マクセルの5社。初代理事長はソニーの盛田昭夫氏だった。(写真)
工業会の最盛期はカセットテープが発売された1966年から2000年初頭までである。2013年にはデジタル化の波に押されカセットテープ事業は衰退。工業会は解散する。
 日本で最初にカセットテープを発売したのはTDKである。(1966年6月)しかし、2022年(令和4)頃からネット上で「日本でカセットテープを最初に発売したのは(TDKではなく)A社である」という記事が露出しはじめる。これはTDK・OBとして、また公正な情報発信を基本とする元・工業会広報委員長として見逃すわけにはいかない。
1966年6月にTDKが発売したことは2005年に放送された「NHKプロジェクトⅩ」で周知の事実だが、私は永田町にある国会図書館に通い、当時の業界新聞(電波新聞)を閲覧。自社ブランド(シンクロ)でもTDKが最初であることを突き止める。(写真・左)その後、今年になってA社から新証言が飛び出し、国内におけるカセットテープの発売は次のような順番となることを確認。工業会OB有志に小生の検証結果を報告した。
 1966年6月 TDK、松下電器に納入 同年7月 マクセル発売(企業向)、同年9月 TDK(シンクロ)発売(市販) 同年10月 マクセル発売(市販) 同年11月 ソニー発売(市販)