2015年9月23日水曜日

女流歌人の味わい深いエッセー集「口ずさむとき」

         (写真、左から伊藤君、簾内君、畠山)

「日本ペンクラブ」という文壇組織がある。初代会長は島崎藤村。現・会長は浅田次郎である。会員である女流歌人、伊藤幸子さんから本が送られてきた。本のタイトルは「口ずさむとき」(出版社・コールサック社)。439頁。ズシリと重い。伊藤さんが平成19年から郷里の「盛岡タイムス」に連載した416のエッセーが収められている。筆者が感銘した短歌416作品を取り上げ、作品についての思いが語られる。そこに筆者の人生観、世界観が滲みでる。その見識の深さに圧倒される。小生は「人間浴」というブログを書いているが、素人が書くものと、プロが書くものとの違いに唖然としてしまう。

 実は、伊藤幸子さんは小生の高校時代の友人の奥様である。
 私は昭和35年、秋田県立鷹巣農林高校(現在・秋田北陽高校)林業科を卒業した。林業専攻なのに文科系の3人グループができた。グループ名をシロツメクサと言った。新聞部長の伊藤博、弁論部長の簾内隆一、文芸部長の小生、畠山である。
 伊藤君は林業関係の会社に就職。幸子さんと結婚した。新婚時代の新居を訪れた。新居は福島県・浪江だった。ここで山林の管理を任されていた。山小屋風の新居での2人の笑い声と笑顔は脳裏に焼き付いている。

 伊藤幸子さんは平成7年、自作の歌集「桜桃花」を出版されている。次の3作品は私の胸に突きささった。
「明けやらぬあしたにわが曳くリヤカーは重く軋みぬ死せる父乗せて」「機械油の匂い残れる夫の指みごもりしこと告げし夜に著(しる)く」「水底のごとき寂けさ誰もゐぬ生家の闇に覚めつつをれば」ご主人の伊藤博君は平成10年、57歳の若さで帰らぬ人となった。幸子さんの歌で伊藤君を偲ぶこの頃である。


 
 

2015年9月20日日曜日

オーディオ界のドン、藤岡先生に乾杯!


 私がTDKでカセットテープ開発の担当になったのは40年前の事である。
開発中のカセットテープが出来あがると、開発技術者と一緒にオーディオ評論家のご自宅にうかがい、試聴していただきご指導を仰いだ。

 当時、カセットテープ関連のオーディオ評論家というと、長岡鉄男、菅野沖彦、若林駿介が業界をリードされていた。当時、若手評論家の一人として登場されたのが、藤岡誠先生である。まだ、大学を卒業されたばかりだった。
 藤岡先生のお住まいは代々木上原の高級住宅街。秋田の農家出身の自分は足がすくむ思いだった。ただ、先生はいつもフランクに幅広い観点から指導して下さった。藤岡先生にはTDKのカセット工場である長野の千曲川工場、ビデオの専門工場だった大分の三隈川工場にもお出でいただきご指導していただいた。
 私が商品企画時代、TDKが世界一のテープメーカーになり、世界陸上等のイベントができるようになったのも藤岡先生はじめ諸先生のお蔭である。

 私は13年前、TDKを定年退職し、TDKもテープ事業から撤退したが、私と藤岡先生とお付き合いはまだ続いている。
 9月18日、先生が主催されている「千代田会」にお招きいただいた。先生は茶目っけタップリに私との写真に収まった。

 現在、オーディオ機器はゼネラル化し、マニア向けのオーディオ業界は波乱の時代を迎えている。その中にあって、藤岡先生は業界のドンとしてオーディオ文化を追及し続けている。それはお酒の文化と共通するところがあるのかも知れない。藤岡先生はそんな幅広い発想ができるオーディオ文化人である。


2015年9月12日土曜日

感動!映画「日本の一いちばん長い日」


 今年は戦後70年、映画界、テレビ界、出版界、そろって記念ドラマが展開されている。
おそらく、その中で映画「日本のいちばん長い日」は日本人であれば必見の映画だと思う。
 (10日、有楽町の丸の内ピカデリーで観た。)
 物語は日本が終戦を宣言した1945年(昭和20年)8月15日のドラマである。
当時、私は3才。この時の天皇陛下の英断があって、今の日本がそして自分の幸せがあるという事を痛切に感じた。
 日本が天皇制で本当に良かった。死んだ父が「国体」という事を口癖のように言っていた。
(ここでいう「国体」は国民体育大会のことではない。天皇制を軸とした日本国のことである。)
 軍部の一部には一億総玉砕!一億火の玉になって米軍と戦おうという考えもあったが、天皇は国民の生命を第一に考え終戦を決意し、あの玉音放送となった。
 映画「日本のいちばん長い日」は当時の模様が劇的に描かれていた。昭和天皇を演じる本木雅弘もいい、阿南陸軍大佐を演じる役所広司は名演である。
 特撮等の演出もいい。広島への原爆の劇場内を揺るがす大音響には思わず立ち上がりそうになった。それでも日本は勝てると軍部の一部は勇み立つ・・・。  
 日本の天皇制を称して「日本は神の国」と偉い方が言って辞職に追い込まれた。
気持ちはわかるが、それぞれの国がそれぞれの歴史を持ち、それぞれの国民はそれを誇りに思っている。戦争をしない為ににはそれぞれの国の歴史と誇りを尊重する事だと思った。
(「永遠の〇」も観たがこれも良かった。この映画のデジタル特撮による空中戦は凄かった。)


2015年9月7日月曜日

目黒雅叙園&東京伊勢堂会

(雅叙園のレストラン。奥に日本庭園があり、滝が流れる)

 神奈川県の山北で教師をやっている弟から時々、「ここは観ておいた方が良いよ。」というメールがくる。6月にきたメールで薦められたのが白金台にある「畠山記念館」だった。その模様は6月16日のブログ”人間浴”「祖先、故郷に対する思い」に書いた。記念館はともかく、ここが東京かと思えるような、古木が生い茂る鬱蒼たる森に感動した。

 6日(日)、もう一つ弟に言われた目黒の「雅叙園」行った。「雅叙園」はポピュラーであり、現役時代行った記憶があるだけになにも行ってみなくとも、と思った。しかし、73才になった今、それらを観ると全く違ったものに見えてくる。「雅叙園」に行くには目黒駅を降りて急坂を下る。この急坂を活用して「雅叙園」は滝を作り、日本庭園を造っていたのである。苑内に入って、美しい庭園、レストラン等に驚く。まさに「昭和の竜宮殿」である。こんなところも是非外国人に見せたい、いや見せたくない・・・と心の葛藤が起きる。

 6日の上京のメインは12時~ライオン銀座クラシックホールで開催された高校時代の同窓会(東京伊勢堂会)への出席である。私は昭和35年、秋田県立鷹巣農林高校を卒業した。同窓生にも構想の大きいのがいる。秋田の実業高校が東京のど真ん中で同窓会をやろうというのである。この同窓会、今年で40回を迎える。
 今年は昭和26年の卒業から昭和44年の卒業まで45名の卒業生が参加した。
 私の同級生、阿部秀夫君も秋田からわざわざかけつけた。
 「翠緑萬古 伊勢堂の杜 幽禽四時 友呼ぶ処」母校の校歌が高らかにライオンクラシックホールに鳴り響いた。幹事の岩崎準志郎君、本橋秀美君、斉藤拓治君、お疲れ様でした。