2013年9月22日日曜日

那須の麓でゴルフをやりました。

(ヨーロッパの城を彷彿とさせる、「那須ハイランドゴルフ」のクラブハウス)

最近はメッキリゴルフの回数が減った。理由は3つ。
 ①ゴルフ好きだった川上先輩が昨年亡くなられた。
 ②体力の低下とともに、ゴルフの腕が衰えた。
 ③付き合いの範囲が増え、金のかかるゴルフに金がまわらない。

そんな状況下、9月は2回ゴルフをやるハメになった。

 6日、茨城県知事選挙不在者投票の事務所に詰めていた所、携帯に電話。O社の社長から”8日どうしても俺に付き合えとの事。不幸でもあったのかと思って、了解したら、ゴルフをやろうとの事だった。さすが社長、プレー代・食事代、全てオゴリだった。
 
 この日はなんという日だろう。T社の相談役からもお電話をいただいた。昨晩の飲み会のお礼の電話だった。さすが、偉くなる人は気遣いが違う。

 18日はかねてから予定していた「和会」コンペ。会社本社スタッフOB会のコンペである。大荒れの3連休が嘘のような快晴。那須高原に向かう。会社とは関係ない「わさび栽培」職人の古矢さんが私の組に入った。古矢さん、500ヤード2オンという飛ばし屋。私の飛距離は古矢さんの半分だった。
 このコースのショートホールに120ヤードのところが2ヶ所あった。8日の経験からして、7番ウッドだと丁度良いと思った。予想がピタリと当たり、2ヶ所ともニアピン賞ゲット。その他に馬券も当たり、大枚が入ってきた。アリガタヤ、アリガタヤ・・・。皆さんに申し訳けない。
(ゴルフコースから黒磯方面を望む)

2013年9月15日日曜日

肛門をこする春野の法悦や

「肛門をこする春野の法悦や」
この歌は俳句同人誌「らん」56号に掲載されていた丑丸敬史さんの作品である。
実に野趣豊かおおらかである。子供の頃、我慢できなくて、藪に入って一息ついた事を思い出した。

恐ろしい歌もある。
「ただ一枚賜る賀状母とあり」「抱かれると思う仏の膝寒し」「綱(つな)よごすまじく首拭く寒の水」
この三首、死刑の宣告を受けた死刑囚の歌である。

そして、
「叫びたし寒満月(かんまんげつ)の割れるほど」
この句は冤罪の可能性のある方の絶句とある。

こんな官能的な歌もある。
「やるせなきところに触るる苦うるか」嵯峨根鈴子

最後にこのような含蓄のある句集を紹介して下さった、高野射手男さんの作品。
「バスが来て花野色めくバスは去る」
このバスには誰が乗っていたのだろう。青春を乗せたバスが来て去っていったというのだろうか?


高野さんは71才の小生よりご高齢である。

2013年9月10日火曜日

会社への遺言

(5日午後、西宮さんの案内で阿佐ヶ谷のジャズカフェ”エリントン”訪問)

牛久には私と同じTDK・OBの吉野宏さんが住んでいる。吉野さんは昨年の秋、定年退職をした。
吉野さんがTDKの澤部相談役に定年の挨拶に行ったところ、「そうか、関係者で一杯やろうか」という事になったという。吉野さんから、この会に参加しないかという誘いがあった。会には現職の役員も数人参加されるという。 私はTDKを定年退職してから11年。在職中は中間管理職に過ぎなかった。その私が、そんな偉い方の集まる会に参加していいものか迷ったが、これもなにかのご縁。参加することにした。

”澤部相談役を囲む会”は5日(木)午後6時からTDK柳橋倶楽部で開かれた。私は会社のトップの方々に今後お目にかかることがないと思ったので、日頃、思っている事を”遺言”だと思って申し上げた。その要旨は「創業の精神を忘れないで欲しい」というものだった。

 TDKは昭和10年、東京工業大学の加藤与五郎、武井武両博士が発明した磁性材料「フェライト」を工業化するために創立された。創立したのは、秋田県出身の斎藤憲三(衆議院議員・科学技術庁政務次官)である。二代目社長は東京工業大学出身の山﨑貞一(静岡)である。
 私はTDKで一時期社内報を担当していたので、加藤先生、武井先生、斎藤初代社長、山﨑二代目社長を身近で拝見し、原稿を頂戴したり、対談のテープ起しをした。創業者の方々の思考は森羅万象であり、行動はダイナミックだった。

「パナソニックショック」を執筆された立石泰則は同書の中でこう述べている。”創業者精神こそが、その企業誕生の源泉であり、成長の源泉であり、生存の源泉である”と。澤部肇相談役は社長時代「TDK歴史館」を作った。創業者の思いを後継者に伝えたいという一念だった。

TDKの社是は「創造によって世界の文化産業に貢献しよう」である。

2013年9月3日火曜日

放っておくと癌になりますよ!

(43年前住んでいた西荻窪のマンション。9月5日撮影)

8月13日のブログ”人間浴”に「酩酊!全治二週間」という記事を書いた。
8月9日、秋葉原で飲んで、帰りに転んで、左肘を怪我したという内容である。怪我した場所がカサブタになったので、二週間もあればカサブタもとれるだろうと思っていたのである。

ところが、である。肘というのは曲げ伸ばしするので、固まった”カサブタ”が崩れてしまう。
21日、ついに総合病院の整形外科に行った。
レントゲン検査をしたところ骨には異常はなかったということで、お医者さんいわく「カサブタが崩れないように大判の絆創膏でも貼っておけば自然に治りますよ」

ところが、である。絆創膏をしたところで、皮膚を固定したわけではないので、カサブタの崩れはとまらない。今月の下旬には久しぶりにゴルフコンペもあるし、早目に治したい。

昨日(2日)、午後、総合病院に行って状況を説明しようと思って電話したら、「午後は休診です」とのこと。それならば、R整形外科へ。ということででかけた。R病院に着いたのは3時頃。待っている人は4~5人なので、1時間も待てば順番がくるだろうと思っていたが、いっこうに名前を呼ばれない。おかしいと思って受付けてもらった事務員に「何時頃になりますかね?」「お名前は?」ときた。顔も名前も記憶にないらしい。これはダメだ。「時間がないので、帰ります」。

帰りがけに以前行った事のあるU皮膚科に寄った。皮膚科に寄る予定はなかったので診察券は持っていない。事情を話たら、すぐに対応してくれた。
お医者さん、傷を見るなり、「旦那さん、この傷放っておくと皮膚癌になりますよ!絆創膏を貼るなんてとんでもない」。殺菌した後、化膿止めの軟膏を塗ったガーゼを傷口にあて、ネット包帯で包んでくれた。
私はU皮膚科に救われた気がした。総合病院が午後休みでよかった!R整形外科の記憶喪失の事務員さん、ありがとう!