2009年12月29日火曜日

プロギアの中古ゴルフクラブ、ゲット

     ゲットしたプロギアのゴルフクラブ
     取ってが壊れ、ガムテープで補修した今のゴルフバック

 親戚のNさんが、ゴルフを止めたと聞いた。そこで電話をしてみた。


 「もう、ゴルフ止めたと聞いたけど・・・」


 「そうなんだ」


 「じゃあ、クラブ譲ってくれませんかね」


 「ああ、いいよ」


 昨日、そのクラブが着いた。プロギアのブランド品だが、だいぶ古いモデルだ。バックについているネームプレートをみると、アーノルド・パーマーの傘マークが付いている。ドライバーのヘッドは最近流行のデガヘッドではない。少なくとも20年以上前のモデルのようだ。


 しかし、小生がアメヨコで購入した1本、3千円の寄せ集めクラブセットよりはよっぽど益しである。コンペにでても、今までのように気後れしない。後は非力の小生が使いこなせるかどうかだ・・・。


 いずれにしろ、来年のゴルフが楽しみである。


 ゴルフバックが付いてきたのも嬉しい。なにしろ小生のバックはイタリア製でモダンだが、取ってが壊れて、針金で補修。その上にガムテープを貼ってる状態である。










2009年12月25日金曜日

オペラ三昧

       (CD14枚。オペラの大作「ニーベルングの指輪」)
 この数日、オペラDVDの視聴に追われている。

 オペラというとプッチーニとかヴェルディが一般的だが、昨今みたのは1枚が1737年にフランスの作曲家、ラモーの作曲した「カストールとポリュックス」、もう1枚は1640年にイタリアのモンテヴェルディが作曲した「ウリッセの帰還」である。

 1640年から1737といえば江戸時代初期から中期のである。このころ、イタリアを中心にオペラが勃興していたのである。2枚のDVDともプッチーニ、ヴェルディの作品に劣らない素晴らしいものだった。

 ところで、オペラ作品で最も長いものといえばワグナーが作曲した「ニーベルングの指輪」である。このオペラは1853年~1874にかけて作曲されたもので、上演時間は14時間以上に及ぶ。CDにして14枚の大作である。全体は4部に分かれており、上演も4日間にわたって行なわれるのが普通である。

 このオペラを上演するためにワーグナーはドイツのバイロイトに祝祭劇場を作ったが、2008年この劇場で上演された「ニーベルングの指輪」が12月に発売された。(輸入盤)

 このCDを聴いて、ワーグナーがこのオペラでいいたかったこと、それは「愛と死」それと「永遠」ではないかと感じた。それは全ての芸術家、もっと言えば人間すべてにとってのテーマではないかとも感じた。

2009年12月21日月曜日

絶品の河豚料理




 18日はオーディオ評論家、メーカー有志による親睦会「千代田会」の忘年会があった。


小生は発足当時からのメンバーで、リタイアしてからもこの会のメンバーである。


 ここ数年、忘年会の会場はTDK柳橋倶楽部となっている。


 ここの河豚料理は絶品で、12月の予約が解禁になる10月一週で満席になってしまう。


 予約を頼まれる小生は現役の社員に頼んでなんとか席を確保する。


 写真はコース料理の1部だが、この他に付きだし、煮こぼり、揚げ物、鍋、雑炊、デザートと続いて¥6,000である。写真をみると器も吟味されている。ところで、ふぐ刺しは一人一皿ででてくるので、誰かに大量にサーッと掬い上げられるという心配がない。


 TDKは業績が厳しいが、TDK柳橋倶楽部が健在な間は大丈夫だろうと思っている。


 席上、「オーディオはデータではなく感性だ。」と持論を述べたところ、「畠山さんも評論家になって!」と大御所から声がかかった。

2009年12月20日日曜日

サヨ~ナラ銀座

       銀座並木通り。「たかしみず」「ピアノ」もここにあった。
           「また会う日まで」ママともお別れ

          銀座のバーの伝統を継承する亀島店長


 いつも高校の新年会でお世話になっている銀座のクラブ「たかしみず」に来年もよろしく、とメールを入れたところ、「大変申し訳けないが今年で閉店します」という返事が返ってきた。同クラブのマスターが今年急逝し、それにこの不況。なんとなくそんな予感がしていた。



 6月にはやはり並木通りにある、「ピアノ」が閉店した。ママがピアノを弾き、音大生がヴァイオリンなどを奏でる粋な店だった。



 一週間くらい前、緊急連絡ということで、先輩からメールが入った。19日「たかしみず」のサヨナラパーティを開催するという。同日は忘年会の予定が入っていたが、それをキャンセルして参加することにした。なにしろ、「たかしみず」には30年くらいお世話になっている。現役のころはお客様の接待に、リタイヤしてからは高校の新年会ということで、土曜日なのにお店を開けてもらった。4人目の孫のお宮参りの時は、嫁のご両親も伴って2次会の場所として提供してもらった。



 暮れの緊急の「さよなら会」にもかかわらず、20名ほどの常連客が集った。最後は「また会う日」までを合唱してのお開きになったが、「これで銀座へくることも無くなった」という寂寥感に襲われた。



 その後、銀座に別れがたく、バー「EVITA」に行く。ここではイケメンの亀島店長が頑張っている。彼の作るカクテルは格別。また、彼の洗練された接客態度にも魅了された。これこそ銀座である。



 銀座よ、「また会う日まで」・・・。



2009年12月14日月曜日

ガンでもピンピンコロリ


 昨日(13日)、牛久市の「介護の日」ということで、元フジテレビキャスターである黒岩祐治さんの講演があった。黒岩さんと介護というのは結びつかないというのが私のイメージだったが、講演を聞いて感銘を受けた。

 まず、黒岩さんのお父さんについての実話である。お父さんは余命2ヶ月といわれていたが、漢方医療で寿命が2年延び、しかも死の直前までビールを飲み、ステーキを食べていたという。まさにピンピンコロリである。

 西洋医学はデータを観て診断するが、漢方医学は人間を見て治療するのだという。データよりも医師が自分の五感で患者をみて処方を決めるのだそうだ。従って、西洋医学ではすぐにガンを切り取ってしまうが、漢方医学の場合は患者の精神状態も含めて、患者に一番負担のかからない処方を考えるのだという。

 これは私の趣味であるオーディオとも共通している。オーディオでもデータで素晴らしい機器が耳で聴いて本当にいいかというと、そうでもない。つまり、データよりも、人間の感性が大事なのだと思う。

 ところで、講演のときの黒岩さんのなんと生き生きしていること。それは彼がフジテレビを退社して、自分の好きな医療福祉分野で活動しはじめているからだろう。

 最近は西洋医学と東洋医学の統合ということが叫ばれ、政府主導の研究委員会ができたが、黒岩さんはその班長に指名されたという。

 黒岩さんはこれからの医療介護の分野で大活躍をするという予感がした。

2009年12月11日金曜日

お宝SPレコードの再生


 3年前、現役のころお世話になった木村恭平さん(日本記録メディア工業会・常務理事、松戸市在住)からSPレコードをいただいた。

 ヴェルディ・アリア集で昭和初期から中期にかけて活躍した日本を代表するオペラ歌手が歌っている。藤原義江、大谷冽子、三宅春恵、川崎静子、柴田睦陸、齋田愛子といった錚々たるメンバーである。オーケストラの指揮はマンフレッド・グルリット。堀内敬三の解説もついている。

 しかし、小生の知り合いにSPレコードを再生する蓄音機をもっている方がいないため、宝の持ち腐れになっていた。

 先週、隣町である竜ヶ崎市の音楽同好会に参加したところ、近々、SPレコードのコンサートをやるので興味のある方は参加して欲しいという呼びかけがあった。渡りに舟とはこのことである。

 このコンサートを企画されたのは流山市の元職員でオーディオ機器蒐集家の豊嶋藤夫さん。コンサートで使用する蓄音機は1930頃アメリカのビクター社が制作したもので、針は鉄ではなくサボテンを使用するという。

 豊嶋さんの第1回SPレコードコンサートは明日、流山市の江戸川台で開催される。明日はムリとしても近々、木村さんからいただいたヴェルディ・アリア集が聴けそうである。

送(贈)られてきた本


 今月、2冊の本が贈られてきた。

一冊は「語りあう仲間たち」、もう一冊は「雑学談抄」である。

 「語りあう仲間たち」は某私大の有志による同人誌とある。送ってこられた方がW大学のご出身なので、某私大とはW大学だろうと思った。

 内容が素晴らしい。戦中時代の勝どき橋周辺の描写、終戦の玉音放送の思い出、定年まで独身で過ごしたエリート社員の独り言、夫を亡くした未亡人の独り言。作者の全てが60歳以上の様子。すべての作品に死の予感が漂っている。編集後記に肉体は滅んでも精神は残る。その思いを文章で残したいという趣旨の文章があった。

 もう一冊は「雑学談抄本」。これは、会社の先輩で現在カナダで住宅会社を経営している上田さんが書いたもの。海外勤務が長かっただけに、物の見方がグローバルである。能書きのジャンルもワイン、音楽、株、旅、動物の生態、食べ物等、無限である。

 70歳近い今でも世界を股にかけて活躍している上田さん、いつ執筆しているのだろうと思う。忙しい人ほど脳が活性化され、無限にアイディアが沸いてくるのだろう。本を読みながら、そう推測した。

2009年12月9日水曜日

ゲルギエフの名演奏

 12月1日の出来事も忘れてはならない。
 新潟の友人がサントリーホールのコンサートに行けなくなったので、行って欲しいとチケットを送ってきた。(この友人、小生のようにチケット代は払ってくれなどという野暮なことはいわない。)
 コンサートは人気絶頂のワレリー・ゲルギエフ指揮のマリンスキー歌劇場管弦楽団。
 マリンスキー劇場はロシアのサンクトペテルブルグにある歌劇場だが、ゲルギエフが音楽監督になってから、ロシアオペラのみならず、イタリア・ドイツ・オペラもレーパートリーに加え、オーケストラとしての実力も世界の20指に数えられるまでに躍進している。
 当日のプログラムはオール・ショスタコーヴィッチ。普通クラシックのコンサートは7時開演で9時前には終了するが、終わったのは9時30分。なにしろ、盛り沢山。前半がオペラ「鼻」の間奏曲にはじまり、交響曲第1番、ピアノ協奏曲第1番(曲目変更)と続く。休憩を挟んで後半は交響曲第10番。
 それにしても大変な名演で会場は一曲終わるごとに大歓声。
 休憩時間には華道の假屋崎省吾、なかにし礼などの著名人、数多くの音楽評論家の顔も見えた。
 ただ、客の入りは7割ほど。
 不況の影響か、もしくはオール・ショスタコーヴッチというプログラムの影響か。
 入場料、S席2万円。
 さすがのゲルギエフも4日間、サントリーホールを満席にすることはできなかった。

2009年12月8日火曜日

町内会(餅つき大会&旅行)

   (鵜の岬海岸)
    (もち米を蒸篭で蒸す)

 (第2展望台から観た逆光の袋田の滝)


 6日は町内会の理事会と子供会会合同の餅つき大会。



役員が9時前から会館の前に集合。今時珍しい鉄製の釜にもち米を入れ、薪で炊く。餅つきには子供達も加る。このようなイベントをやらないと、子供達はきっと餅は電気釜で自動的に作るものだと思うだろう。餅つきの原型を子供達に伝える為にも意義深い。



 子供達に餅を振舞った後は男性理事と老人会の幹部で、餅と豚汁をいただく。当然お酒付き。この間、お母さん、女性の理事は台所で忙しく働く。



 7日は理事会の年末バス旅行。昨年は1泊旅行だったが、一泊だと女性理事が参加しないというので日帰り旅行となった。7時に牛久を発ち、袋田の滝へ向かう。滝についたのは9時30分。水量も多く、なかなかの絶景だった。



 その後、峠を越えて高萩へ抜け、鵜の岬へ。ここの国民宿舎は人気度・全国一である。なるほど、景色は抜群。建物も新しく、清潔だ。



 12時から8階にある展望風呂に入り、12時30分から宴会。



 帰りはお決まりの那珂湊お魚センターで土産を買い、夕方6時には無事牛久のわが家に到着した。

2009年12月6日日曜日

ナマの石川遼君を観る

(16番ホール、右手上、青いスラックスが遼君。ちなみにコースは撮影禁止である)
 4日、横浜方面に行く用事があったので、横浜カントリーで行なわれている男子ゴルフJTカップを観ることにした。

 小田急線、新百合丘駅から無料バスがでていた。ゴルフ場へ着いたのは12時を過ぎていた。その後のスケジュールを考えるとプレーを見る時間は2時間弱である。

 しかし、4000円の入場料を払って入場した。

 4000円は高い気がしたが、18歳で賞金王を目前にした石川遼を一目観ておきたい。

 幸か不幸か石川遼は1日目の成績が悪く、9時にスタートしていた。

 私は16番から最終の18番ホールでプレーする遼君をみることができた。

 この日の遼君はグリーンのスラックスにグリーンの帽子。

 顔だけでなくスタイルも良い。歩き方も颯爽としていた。さすがスターの風貌である。

 ナマの遼君をみて良かったと思う。

 もう一つ収穫だったのは18番ホール。ここは225ヤードでグリーンが急傾斜でゴルファー泣かせの難コースである。このコースをナマでみることができた。

 意気込んでショットした遼君の打球はグリーン脇のラフに入った。ここからのアプローチは無残にもグリーン遥か下まで転げ落ち、そこからのパットも入らず、ボギーとなった。

 名物18番ホールは18歳の少年プレーヤーに過酷だった。

2009年12月3日木曜日

父と観た映画


 子供の頃、父と町に映画を観に行った記憶がる。父と観たのはラブロマンスである。一方、母と見たのは母物である。母物はだいたいが学校の体育館で上映された。三益愛子が母を演じるもので「母紅梅」「母三人」などが記憶に残っている。

 父と観たのは「心の日月」「月よりの使者」だと記憶している。

 この他、子供のころは怪猫映画を観た。映画をみた日は恐ろしくて寝付けなかった。

 ところで、11月、CS放送で「心の日月」が放送された。面白かった。

菅原謙二演じるところの大学生を訪ねて、恋人役の若尾文子が岡山から上京する。二人が会う約束をしたのは飯田橋駅。ところが、2人とも地方出身のため、飯田橋駅に出口が2つあることを知らない。2人は別々の出口にいたため、すれ違いとなる。その後、女性主人公は数々の苦難に出会う。

 ヒロインを演じる若尾文子が素朴で可憐である。当時彼女は21歳。