2017年9月26日火曜日

「東芝・原子力敗戦」に学ぶ (上司のためではなく、人類の未来のために)

 
電子部品メーカーOBの小生にとって、東芝は日立、パナソニックと並んで、お得意先であり、雲の上の存在である。
 従業員、経営者もエリート、電子部品メーカーとはレベルが違うだろう。ところが、その東芝が原子力事業で多額の負債をだしたとか、その穴埋めに虎の子である半導体事業を売りに出したが、その売り先がなかなか決まらない等、新聞で報じられた。天下の東芝に何があったのだろう?その疑問に答える本が出版された。大西康之著「東芝・原子力敗戦」(文藝春秋)である。
 本を読んで唖然とした。小生の常識の範囲を超えるできごとが次から次へと記載されている。「2006年、経済産業省が″原子力立国計画″を発表。国内の電力需要の30~40%を原発で補うとともに、後進国に原発を輸出する。この国策のもとに、2007年、東芝は米国の原発会社ウェスチングハウスを6,600億で買収」「当初、当面の受注数を39基と見込んでいた。1基当たりの建設コストは2,000億。ところが、2011年、東日本大地震の発生等で原発建設の流れが停滞、しかもコストは要求品質が厳しくなった事で1兆円に膨れ上がると見込まれた」「ここで踏みとどまれば良かったが、トップは国策だといって突き進む。そして行われたのが粉飾決算である。2017年3月期の最終赤字は日本の製造業として最悪の1兆円超にのぼる見込みだ」
 大西氏は指摘する。「東芝問題は、東芝固有の問題ではない。日本企業全体の問題である。″官民一体″″全社一丸″″滅私奉公″は思考停止を呼び、粉飾決算にも手を染めさせる」「米国、電気自動車のベンチャー企業テスラモーターズのCEOイーロン・マスクは全社員に一本のメールを送った。″あなたの上司のためではなく、人類の未来のために働いてください″」「求められるのは″自由″と″多様性″である」
 
 大西康之=1965年生まれ。愛知県出身。1988年、早稲田大学法学部卒、日本経済新聞社入社。1998年、欧州総局(ロンドン)、日本経済新聞編集委員。日経ビジネス編集委員などを経て2016年独立。著書に「稲盛和夫 最後の戦い」他

2017年9月21日木曜日

スマホ世代にも見て欲しい、名画「米」

<ご用済みの携帯(左)とスマホ>
 
 15日、2009年から使用していた携帯電話をスマホに切り替えた。スマホといっても、電話もメールもほとんど使用しない私、容量は0,5ギガで契約。それでも、インターネットが見れるのでありがたい。グーグルで「映画・米」と検索すれば、関連情報がズラリとでてくる。小生のブログ「人間浴」も出先で検索できる。
 ところで、8月24日のブログで触れた映画「米」、わが町、牛久図書館にDVDがあったので観た。感動した。感想は「凄い!」の一言。この映画ができたのは1957年(昭和32年)、小生、15才、高校一年生の時である。
 舞台は近隣のかすみがうら市の農漁村。田植えのシーンが凄い!農民達は膝まで、泥田に埋まりながら、田植え、田の草取りを行う。(当時、田植え機などなかった)刈り採った稲から足踏みの脱穀機で米を採る。農作業で使用する縄も足踏みの機械にワラを差し込みナう。
 私は実家が秋田の農家だったので、「米」を見ながら今年100才になる母、亡くなった父、ワカゼ(若衆)メラシ(女衆)達が寝る間を惜しんで働いていた姿を思い出す。稲刈りの時期、昼は田圃にムシロを敷いてホノハママ(ご飯にきな粉を付け、ほおの木の葉っぱで包む)を食べた。
 当時、長男は跡継ぎだからいいものの、次三男は東京に集団就職。霞ケ浦の次三男は自衛隊に入隊する。「米」にでてくる母娘は貧しかった。農家でありながら、自分で食べる米もなく青田刈をする。霞ケ浦の漁でなんとか生き延びるが・・・。そして若者達の切ないロマンス・・・。
 名匠、今井 正監督の画面が凄い。厳しい農作業と農民の生活をリアルに表現。一方、霞ケ浦に帆舟が出航するはシーンは勇壮、収穫を祝う祭りのシーンは躍動!気持ちが昂った。
 先人達の苦労があって、今の日本がある。次世代を担うスマホ世代にも、この名画を観て欲しい。
 

2017年9月13日水曜日

恩田 陸著「蜜蜂と遠雷」(直木賞、本屋大賞)

 
弟から「面白い本があるから読んでみたら」と薦められた。
 2017年度、直木賞と本屋大賞をダブル受賞した、恩田 陸著「蜜蜂と遠雷」である。
 ストーリーは日本の地方都市で開催された世界的なピアノの国際コンクールに出場するコンテスタントの話なのだが、音楽・オーディオファンであり、現役の頃、カセットテープの商品企画をやっていた私には聞き捨てならない話が続々登場する。
「才能は、当然のことながら富と権力のあるところに引き寄せられる。豊かなアメリカは巨大な音楽市場となった」。TDKも音楽用カセットをアメリカから市場導入して成功した。「CDがレコードならまだ再現できていた人間の耳に聴こえるか聴こえない高音域と低音域を切り捨て、それによって、演奏家のもっているある種の土着性をスッポリとそぎ落とした・・・」LPレコードで聴いた加藤登紀子の「知床旅情」が私の心に響いたのはそのせいかもしれない。
 極め付きは、楽器を演奏せず、カラオケも歌わない私が体験できない、演奏家の喜びである。「普段の生活がどこか遠いできごとのよう。ステージ上のあの感じ、光に照らされたグランドピアノの佇まい、そこに歩いていく感じ、心地よく集中できるあの場所、観客の視線を集めて弾きだす瞬間、親密な同時に崇高なものが凝縮された瞬間、そしてあの満足感。興奮に溢れた喝采、観客となにかを共有し、やりとげた感じ。ステージを去る時の感激と高揚感・・・」ここで、先月、聴いたプリマドンナ、中丸美千繪を思い出す。彼女は観客の割れるような拍手に片膝を折り曲げて答礼。その姿が美しかった。
 恩田 陸(おんだ りく)さん<本名:熊谷奈苗(くまがいななえ)>は1964年生まれ、私より22才若い。そのせいか文章は現代調で読みやすい。しかも、その表現力、洞察力に驚く。音楽に縁のない人でもピアノ演奏の奥深さが十分わかるように表現されている。恩田さんはこの作品を書き上げるのに7年費やしたという。
 わが町、牛久図書館でも「蜜蜂と遠雷」は大評判。現在、貸出待ちの市民210名である。
 

2017年9月4日月曜日

加藤登紀子と中丸三千繪

 
加藤登紀子(左)と中丸三千繪
 
 レコードをジャケットから取り出す。レコードの盤面を拭く。プレーヤーのターンテーブルにレコードを載せる。スタートボタンを押すと、ターンテーブルが回転し、ピックアップがレコードに乗る。えもいわれる優しい音がスピーカーから流れる。
 加藤登紀子の唄が流れる。「知床旅情」(森繁久彌、作詞作曲)、「逢瀬」(加藤登紀子、作詞作曲)と続く。加藤登紀子、昭和18年生れ。東大卒のシンガーソングライター。唄を聴きながら、あの頃、北海道は新幹線もなく、知床はまさに最果ての秘境だったと思う・・・。「逢瀬」、<後ろ姿の淋しい男に、かける言葉はみつからない・・・>という歌詞ではじまる。切ない・・・。
 加藤登紀子の唄はアナログLPレコードが良く似合う。彼女の唄をデジタルサウンドで聴く気がしない。

 中丸三千繪。昭和35年生れ。オペラ歌手。8月26日(土)、隣町、龍ヶ崎市文化会館ホールで聴いた。家内も一緒だった。そのパワフルな歌唱力に圧倒された。彼女がオペラ歌手を目指すようになったのは、イタリア映画の影響だという。「甘い生活」「カビリアの夜」「ひまわり」「道」、イタリア映画にでてくる主人公達は感情をむきだしにする。オペラはその凝縮版といってもよい。

 加藤登紀子、中丸三千繪、ジャンルは違うが、2人に共通しているのは、その唄がドラマになっている点である。ただ、味は全く違う。
 加藤の唄は日本の風土を反映して、抒情がある、陰がある。そして切ない。
 中丸の唄はドラマチックである。イタリアの男女の情念の世界は激しい。中丸は全身全霊を傾けてそれを表現した。