2014年7月31日木曜日

古希の祝いに〝バイロイト〟というお嬢さん

《写真》バイロイト行きの夢破れ「飲み会」に興ずる筆者(左下)。25日、TDK時代の同僚・高橋氏(右)と。

美しい封書が届いた。
差出人を見ると、ピアニストのT嬢である。
中にコンサートのチラシと招待券が入っている。

私が衝撃を受けたのは、同封されていたお手紙だった。
「8月、父を連れてバイロイトに行ってきます。今年度からはじまったインターネット販売で執念でチケットを入手しました。古希祝いです。」
T嬢のお父上は放送局でご活躍されたクラシック番組収録エンジニアである。お父上にとっては願ってもない古希の祝になると思う。なんという父娘の愛情であろう。ワグナーの楽劇にでてくる父娘の情愛を連想してしまった。

私もクラシック音楽ファンの端くれである。
生涯に一度はワーグナーが自分の楽劇を上演する為に作ったバイロイトに行くのが夢だった。
どうやらその夢は夢で終わりそうだ。

最近、私の楽しみは「音楽会」ではなく「飲み会」である。7月21日、秋田で中学の同期会、25日東京・御徒町でTDK営業部・OB会、29日牛久でTDK・コアOB会、明日8月1日は東京・銀座でテープ業界・OB会と続く。

しかし、待てよ、アルコールに陶酔するのも良いが、音楽に陶酔する事を忘れてはならない・・・。
T嬢の手紙を見てそう思った。

2014年7月23日水曜日

深夜バスで秋田へ。中学同期会

(由利本荘のシンボルである鳥海山と「カダーレ」。そして僕の中学時代)

6月、実家の「畠山家兄弟会」があったばかりなのに、こんどは(7月21日)中学の同期会である。

年金生活の身である。東京から、会場である秋田・由利本荘市までの交通費を調べる。新幹線・飛行機・マイカーはともに往復3万円前後。最も安いのは深夜バスである。深夜東京を出発して早朝、秋田に着く。ルートは3つある。①東京・由利本荘往復1万7千円くらい。②東京・横手往復+横手・由利本荘バス往復=1万5千くらい。③東京・酒田+酒田・由利本荘JR往復=1万3、800円。
一番安い③で行く事にした。この料金だと、同期会の会費7千円を払っても新幹線往復より1万ほど安い。ところがである。深夜バスは狭くて寝る事ができない。しかも長時間である。酒田行きは東京出発が22時、酒田着が8時45分。なんと10時間45分の旅である。案の定、乗客は元気の良い若者ばかり。しかも女性客の方が多い。
しかし、この深夜バス。素晴らしかった。久しぶりに見る大東京の夜景。(深夜バスは窓のカーテンが締まっているので、隙間から外の景色を覗く)どこまでも続くラブホテルのネオン。最大のプレゼントは早朝の湯殿山越え。窓越しに出羽山々(羽黒・湯殿・月山)の絶景が広がった。

早目に本荘駅についたので、駅前にできた由利本荘市文化交流館「カダーレ」に寄った。奇抜な外観と立派な図書館に仰天した。この図書館には昭和29年、本荘町が本荘市になってからの「市政だより」も保管されている。もしや?と思って第1号をめくってみると、祖父・畠山敬治が写真入りで掲載されている。当時祖父は石沢村の村長で本荘町に合併する経緯を語っている。

「カダーレ」とはギリシャ語かと思ったらこの地方の方言「かだれ」に因んでいるという。この地方では「仲間に入る」ことを「かたれ」というのである。
「カダーレ」は新居千秋の設計であり、2012年度・日本建築家協会賞を受賞したという。郷里・由利本荘にもこのような斬新な交流館を作る熱意があるのだ。交流館を起爆剤としてさらに発展して欲しい。

肝心の「石沢中学同期会」は午後2時から市内「安楽温泉」で開催された。宴会の前にゆっくりと温泉に浸かった。参加者は22名。往年の秋田美人にお酌をしていただき、酩酊。帰りは象潟でTDK時代の友人・今野隆君にお目にかかり、酒田発20時のバスに乗車。翌朝、窓越しに巨大な東京スカイツリーが姿を現す。6時20分、バスは無事、東京駅・鍛冶橋に到着した。

2014年7月17日木曜日

マゼール逝く!吉田純子さんの見事な追悼文。

吉田秀和(2012年、99才で歿。文化勲章受章)亡きあと、音楽評で最も気にいっているのが朝日新聞編集委員の吉田純子さんである。

7月15日、指揮者ロリン・マゼールが84才で亡くなったという記事が朝日新聞に掲載された。追悼記事を吉田さんが書いている。その記事の結びを引用する。
 「カラヤンの後継と目されつつ90年、ベルリン・フィル芸術監督の座をアバドに譲った。そのアバドも1月に逝去。アバドは調和の貴さを、マゼールは批判を恐れず己を貫く勇気を。それぞれに人生を賭し、次代への遺言を完結させた。」
 短い文章の中でアバドとマゼールという2大巨匠の指揮スタイルと業績を見事に表現している。

 私の身近にも素晴らしい音楽表現者がいる。
 私は月に2回、隣町にある「龍ケ崎ゲヴァント・ハウス」のCDコンサートを聴きにいく。私の前の席に高野睦さんが陣取っておられる。高野さんの7月8日のブログの一部を引用する。
 「ヂャーン、チャイコの4番!トランペットのファンファーレで始るコレもへ短調なのでした。ベルリン・フィルを叱り飛ばしているオザワ!両手で藁塚から藁を引き抜くようにして、音塊を取り出しては投げ、投げては跳ねる。チャイコフスキーが踊っています。(もちろん画像はありません。)いやー、コーフンしました。スピーカーの前のわれわれも大喝采。汗までかいていました。」

 私もコンサートの模様を時々ブログなどに書くが、感覚的な印象を文章にするのは実に難しい。
吉田さんや高野さんの文章を読んで、自分の未熟さを感じるとともに、プロの物書きの方々の次元の違いを思いしらされるのである。

2014年7月10日木曜日

小澤征爾・水戸室内のベートーヴェン第7番


2010年、食道ガンの手術を受けた小澤征爾が奇跡のカンバックを果たしている。
去る5月25日、水戸市で自らが音楽監督をしている水戸室内管弦楽団を指揮し、ベートーヴェンの交響曲第7番を指揮した。この模様は茨城県限定でTV放送され、茨城県在住の小生はその恩恵にさずかった。

音楽は世界共通語である楽譜に従って演奏される。小澤が指揮しようが、誰が演奏しようが、変わりはない。ベートーヴェンはベートーヴェンではないかという見方もある。
ただ、音楽を聴き進んでいくと、そのベートーヴェンも演奏者によって印象が違うことに気がつく。
幸い、日本ではベートーヴェンの第9番「合唱」がプロの演奏者のみならず、身近な町の演奏者によっても演奏される。クラシックファンでなくとも同じ曲でも演奏者によって印象が違う事を体験できる。

5月、水戸と川崎で行なわれた小澤征爾・水戸室内によるベートーヴェンの第7番は多くの評論家が最高の名演と評価した。それは欧米の古今の名指揮者の演奏者と比較してもひけをとらないというものだった。

私も小澤が表現した「舞踏の化身」と評されるこの交響曲第7番の躍動感に興奮してしまった。
小澤征爾は24才の時、スクーターとギターを持って貨物船に乗り、渡仏した。以来「西洋音楽の神髄をどれだけ見極められるか。その実験だ」という基本姿勢でクラシック音楽に立ち向かってきた。
その成果がベートーヴェンの第7番だった。

小澤征爾(1959年生まれ。文化勲章受章。ボストン交響楽団、ウィーン国立歌劇場音楽監督歴任)

2014年7月6日日曜日

偉大な母の愛(野口英世、照国)


 先月「兄弟会」の時、兄から”横綱「照国」物語”(無明舎出版)という本をもらった。ちょうど同じ時期、弟から”野口英世の母 シカ”(白水社)を読むよう勧められた。
 横綱「照国」は秋田県出身。24才で横綱になった。「相撲さ、行くな!相撲さ行けば、はたかれる」。と母は相撲取りになることに反対。「あばぁ(母さん)を助けたい。早く一人前の関取になって仕送りをしたい」。
 野口英世は福島県出身。3才の時、囲炉裏に落ち、左手におおやけど。5本の指が癒着して木のコブのようになってしまう。「清作(英世の幼名)ごめんな。母がすっかりかたわものにしてしまった。観音様。この愚かな母を許してくだされ」「母ちゃん、俺は大人になって絶対に母ちゃんに楽させてあげるんだ」
 両方とも母子の愛情の深さを語り、度々目頭が熱くなった。
 
 そして自分の母を思う。
 私の家は秋田の小地主だった。終戦、農地改革という動乱期に母は5人の子供を抱えていた。父、祖父・祖母、一時期、叔父・叔母も同居していたので11人の大家族だった。現在母は96才。健在である。

 この2冊の本を読むと、日本は偉大な母の愛によって継続しているように想う。この伝統が今後も継続し、日本が永遠に繁栄し続けることを願う。

 ところで野口英世を読んで、義兄の事を連想した。
 昭和10年、秋田県出身。京都大学大学院卒。フルブライト留学生として渡米。スタンフォード大に学び、大阪大微生物研究所に勤めた後、再渡米。アリゾナ大学医学部教授となる。
 

2014年7月2日水曜日

友人・中田さんの叙勲

(受章された中田さんと、シンガポール旅行の記念写真。左から中田さん、自分、中居さん)

友人の中田貴己さんが、今年の春、瑞宝小綬章を授与された。
中田さんは海上保安庁に勤務され、巡視船に乗船された。国を守るため、体を張ったのである。
中田さんとは5年くらい前、牛久市の「松本英語塾」で知り合った。今では学友の域を超え、友人と認めあう間柄である。その証拠に昨年、中田さんと私、そして同じ学友の中居さんと三人でシンガポールに旅したのである。
中田さんは海上保安庁のご出身、中居さんは鹿島建設のご出身である。電子部品メーカー育ちの私からみるとお二人は仰ぎみるような方々である。いずれにしろ、日本をリードしてきた方々とお付き合いできる自分は幸せだと思う。

そもそも「松本英語塾」には凄いメンバーが揃っている。塾長の松本さんは日立製作所エレベーター部門の国際ビジネスマン。幹事のTさんは日本航空のご出身。塾生にはNEC・OBのSさん、神戸外語大・OBのHさん、女性陣では香港で美容師をやっておられたYさん、中国国籍のSさん、ご主人がエーザイのつくば研究所に勤めておられたというTさん・・・。

英語が全くできない私が70過ぎてなぜ「英語塾」に通うのか?
それは日本、世界をリードしてきた方々のお話をおうかがいするためである。そういった意味では二ヶ月に一回の塾生による飲み会も楽しみである。
こういった方々と杯を酌み交わしながら自分も日本をリードしてきた一員だったような高揚感にかられるのである。