2024年4月27日土曜日

ざわつく老人会!会費の値上げ断行

 25日(木)私が住む刈谷地区老人会(牛久市刈谷シニアクラブ)の総会が行われた。この総会で今後の老人会の運営指針を変えるかもしれない決議が行われた。
それは会費の値上げである。諸物価高騰の折、年金生活者のセーフティネットである老人クラブの値上げが決定したのである。
値上げの主な理由は「特別講座」である。なんと、令和5年度は15回も特別講座を行った。中身は「三味線」「マジック」「二胡」「相撲甚句」「詩吟」と多彩。つくば大学生によるフォルクローレの演奏会もある。これでは、老人会がイベント屋になったようなものである。
私はこのようなイベントをやるために会費の値上げをするのは反対だと発言した。予算を値上げすると、会がますますイベントに傾斜し、イベントを主導しているS会長の負担が増えるのも心配だった。
しかし、決議の結果、ほぼ満場一致に近い形で値上げが決まった。「特別講座」を楽しみにしている会員が多いということの証明である。主導しているS会長とともに老人会全体が「特別講座」というイベントにはまってしまったと感じた。
しかし、見方を変えれば、これが「老人会」の新しい行き方なのかもしれない。つまり、老人会は「年金生活のセーフティネットの”溜り場”」という考え方から「”溜り場”+イベントでより楽しいものにする」そのためには会費の値上げをしてもかなわない。
S会長は今年から「牛久シニアクラブ連合会」の理事に就任した。刈谷➡牛久➡茨城➡日本と新しい風が吹くかもしれない。

特別講座がある時、刈谷老人会は”ざわつく”。つまり、活気に満ちるのである。ただ、私はこの”ざわつき”が苦手である。「誕生パーティ」で会員のスピーチを聞く”ほどほどのざわつき”がシックリするのである。


2024年4月20日土曜日

年間売上1兆円。TDKの電池事業

16日(火)TDK・OBパソコンクラブの勉強会があった。(ネット上でも配信・写真上)テーマは「電池の基礎知識と最新技術動向」。講師は現役のKさん。Kさんは東北大学大学院博士課程修了。科学研究振興機構の研究員等を経てTDKに入社した。
82才のジイさんになって、こんなピカピカの研究者の話を聞けるなんて、なんて贅沢なんだろう。

TDKはカセットテープのメーカーとして有名だが、今は電子部品メーカーである。年間売上2兆円。そのうちの半分が電池なのである。
TDKは1970年より電池事業に着手。1993年リチウム電池用電極製造。2005年、中国の電池メーカーATL社を100億円で買収。ATLの創業者は、起業前にTDKの中国法人に勤務していた。
ATLはapple社のスマホ、タブレット向けにリチウム電池を納入。売上が急拡大した。100億円で買収した会社の売上が年間売上1兆円となり、TDKの屋台骨を支えている。
(写真・中は電池工業会HPより。下は中国副健省にあるATL社タウン)






2024年4月14日日曜日

「小澤征爾を偲ぶ」東条碩夫さんの講演に全国から仲間が集う。

 
 昨日(13日)、音楽仲間の団体、「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」の春の特別講演会があった。公演テーマは「小澤征爾さんを偲んで」講師は東条碩夫先生(元・FM東京音楽プロデューサー、現音楽評論家)
 
東条さんは小澤征爾が25才でバーンスタインのアシスタントになった当時から、小澤さんの才能を確信。1971年からはFM東京の音楽プロデューサーとして、小澤さんのコンサートの収録を手がける。小澤さんは東洋人として、ベートーベンやブラームスといった西欧の音楽をどこまで表現できるかに挑戦。2002年には東洋人として初めて音楽の本場、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任する。東条さんは海外ではウィーンよりもパリでの小澤さんの評価が高いのを実感しており、フランスのオペラ劇場の音楽監督になっていれば、より小澤さんの才能が発揮できたのではないか。と語った。
 講演会終了後、場所を牛久シャトー(写真・上)に移して東条さんを囲む懇親会。17名が参加。北海道、名古屋、福島からも会員がかけつけた。ゲヴァントハウスのメンバーは60才から80才代。職業も小生のような年金生活者から学校教師、研究者と多彩。
 私はTDKで宣伝の仕事をしたが、1971年、TDKは東条さんがプロデュースしたクラシック生収録番組のスポンサーになった「TDKオリジナルコンサート」である。東条さんとは50年以上にわたる長いお付き合いである。小生82才、東条さん85才。元気でお付き合いできる幸せを嚙みしめた一時でもあった。


2024年4月8日月曜日

「橋のない川」住井すゑの生涯

  先月、私の家から2,5キロのところにある「牛久市住井すゑ文学館」を尋ねた。
この文学館は2018年に建てられたのだが、「灯台下暗し」で今まで尋ねたことがなかった。
この文学館はすゑの書斎があった建物を改装したものである。書斎が再現され、ゆかりの品や本が展示されている。
 彼女の代表作「橋のない川」が部落問題研究所の雑誌「部落」に掲載されたのは1958年59才の時、そして最終刊となる第7部を書き終えたのは1992年90才の時だった。そしてこの年、日本武道館で「90歳の人間宣言・いまなぜ人権が問われるか」という講演を行っている。この講演会には8,500名のファンが詰めかけた。
 北条常久さんが書いた「橋のない川 住井すゑの生涯」を再読した。
 すゑは奈良県の出身だが、なぜ、牛久に文学館があるのか。それは彼女の夫、犬田卯が牛久の出身だからだった。すゑと犬田はどうして知り合ったのか。すゑは博文館が出版している「少女世界」「文章世界」に作品を投稿していた。犬田は博文館の編集部員だった。
 「橋のない川」第一部にこんな文章がある。
 進吉は対岸を上流を向いて駆け出す。ふでも上流を向いて走りつづける。「ああどこかに橋があるはずや。」しかし、川幅は広く、対岸は丈余の雪で上流にも下流にも橋はない。ふでは、愛しい夫の進吉にどうしても会えない。手放しでふでは泣いた。ふでは恋しかった。ただただ進吉が恋しかった。
「橋のない川」は600万部売れたといわれ映画にもなった。住井すゑは佐多稲子、林芙美子、円地文子と並ぶ昭和を代表する作家である。


2024年4月2日火曜日

ドイツの名車フォルクスワーゲンで鴨川へ/マイスター集合

 私が会員になっている「NPO法人 龍ヶ崎ゲヴァントハウス」のメンバーのお一人であるKさんからお誘いがあった。鴨川(千葉・房総半島)にある研究室にオーディオ装置と音楽ライブラリーがあるので聴きにこないかというのである。
3月31日8時30分、団地近くのコンビニに行くと、仲間3人が待っていた。車を見て驚いた。ドイツの名車フォルクスワーゲンである。高齢ということで、助手席に乗せていただいた。視界も広く、ナビ装置も最新。車内にはマーラーのシンフォニーが流れる。
会の「ゲヴァントハウス」という名称はドイツの地方都市ライプツィッヒのコンサートホールの名称である。仲間は音楽だけではなく車もドイツ車を愛好している。鴨川に着いて、東京からきたもう一人の仲間と合流した。彼の車もやはりドイツ製。BMWだった。ワーゲンのナビを見ると、後に着いてくる彼のBMWが写っている。(写真・上)彼に聞くとドイツの車は車体がシッカリしているという。ドイツはマイスター(職人制度の最上級)の国。GNPで日本を抜いた。
鴨川の研究室に着く。日本の音楽・オーディオのマイスターが勢ぞろい。12時から夜の9時30分まで、音楽・オーディオ談義。途中、電源コードによる音の違いのテスト、Kさんが購入した新品のスピーカのセッティングなど盛りだくさんだった。
翌日(4月1日)は鴨川グランドホテルの温泉を楽しみ、展望台で鴨川市の全景を展望。(写真・下)帰途に着く。途中、徳川四天王の一人、本多忠勝の居城である大多喜城見学。夕刻4時、フォルクスワーゲンは無事、団地のコンビニに到着した。<4日、Kさんの車もドイツ製(アウディ)だということを知った。>