2022年7月25日月曜日

TDK、16年ぶりベスト8!都市対抗野球


24日、 第7波コロナの最中、東京へ。
都市対抗野球、20日1回戦、TDK(秋田・にかほ市)が一昨年優勝のホンダを3対2で破り、昨日、JFE西日と対戦した。JFEとは昔の日本鋼管+川崎製鉄である。
14:10試合開始。TDKの打撃力は圧倒的だった。ホームランが2本飛び出し4対0で快勝。それにしてもナマで見る社会人野球は凄い!打球が早すぎて、80才の老人は着いていけない。

TDKチーム、出場メンバーを見ると39名。東北代表で秋田からやってきたのである。出身校をみると、東洋大、横浜商科大、東北福祉大、神奈川大、法政大、国学院大と実に多彩。プロになる気はないが、どうしても野球をやりたいということでTDKに入社したのであろう。雪深い秋田の工場で働きながら、東京ドームを目指してきたのであろう。     
 コールされてグランドへ飛び出して行く、ナインの嬉しそうなこと。東京ドームでヒットを打ったともなれば野球人生の貴重な記憶になるだろう。
 明日、26日はベスト4を目指してトヨタと対戦する。
 TDKは16年前、全国優勝している。16年ぶりの優勝目指して頑張って欲しい。
 TDK、応援も元気一杯。チアガールも秋田からかけつけたのかな?それとも・・・。
 東京ドームへの飲食物の持ち込みは禁止である。
 生ビールを買おうとしたら、現金は駄目とある。幸いSUICAは使用できたので購入できた。それにしても80才のお爺さんはビールが好きである。


2022年7月24日日曜日

世界陸上、TDKも電子部品事業の金メダルへ挑戦!


 連日、TBSで「世界陸上」(第18回)が放送されている。
開催地は米国・西海岸オレゴン州。陸上の本場だけにその盛り上がりは格別である。記録に挑むアスリートの姿に胸躍る。
「人間浴」を執筆している小生はTDKに在職。TDKは第1回・ヘルシンキ大会(1983)から世界陸上のスポンサーになった。小生は第2回・ローマ大会(1987)、第3回・東京大会(1991)、第4回・シュツットガルト大会(1993)等の事務方を担当した。
 第2回・ローマ大会の時は数回現地に足を運んだ。同大会は日本テレビが放送を担当。現地からのリポートは長嶋茂雄氏だった。男子100メートルにスーパースター、カール・ルイス登場。長嶋氏の「カール、カール」という声が今でも耳に残っている。
 世界陸上のスポンサーになった1983年はTDKがカセットで世界シェアNO、1になり、VHSビデオビジネスも軌道に乗った時期だった。世界陸上の契約料の負担も本社4割、磁気テープ事業部が6割という比率だった。2014年、TDKは磁気テープ事業から撤退し、電子部品事業専業になったが今でもスポンサーを継続しているのである。
 オレゴン大会の放送を見ると、男子ゼッケン、100mスタート等、いたるところにTDKロゴが露出する。TDKの運動会のようである。これは、TDKが第1回大会から第18回大会まで同大会を支え続けてきた成果である。
 TDKは、村田、京セラ、日本電産と並んで、日本の電子部品業界を支える世界の優良企業に成長した。カセットテープ時代にはじめた世界陸上を継続することによって、TDKは他の電子部品メーカーとは異なる風土ができ上ったと思う。
 世界陸上のアスリートのように挑戦し続けて欲しい。電子部品事業において金メダルをとり続けて欲しい。
 

2022年7月22日金曜日

一代で売上10兆円企業を目指す!もう一人のカリスマ永守重信

 

 京セラの稲盛和夫も凄いが、日本電産を創業した永守重信も凄い!
永守重信(ながもりしげのぶ)は1944年、京都府生まれ。職業訓練大学校電気科卒業。73年日本電産を設立。現在同社代表取締役会長兼最高経営責任者。日本長者番付で4位。個人総資産48億ドル(「フォーブス」誌)。日本電産は世界NO,1の総合モーターメーカーである。CDプレーヤは勿論、スマホのハードディスク、プリンターにも同社のモーターが使用されている。                                    
                                           
京セラと日本電産は同じ京都のメーカー。永守の目標は京セラだという。日本電産の本社ビルから京セラの本社ビルは良く見える。日本電産は京セラより14年遅れて設立したが売上では肩を並べた。両社とも年間売上は2兆円に迫っている。
永守の凄いところは、長期ビジョンを公表していることである。連結売上げ、2025年、4兆円、2030年、10兆円である。2030年、永守は86才を迎える。メーカーの経営者として1代で10兆円の売上を達成したとなるとギネスブックものではないかと思う。
 永守は小作農だった奥田末次郎とタミの間の6人兄姉弟の末っ子として生まれた。生活は苦しかった。大学も学費がかからない職業訓練大学を選ぶしかなかった。生活費を稼ぐため、高校時代から株式投資をした。母タミの口癖は「人の2倍働け、絶対に楽して儲けたらあかん」だった。永守は人の倍働き、瀕死の重傷を負った企業に資本参加し、人員削減もせず、一気に再建する。
 
 『永守重信語録』の一部である。「一日24時間という時間はすべての人間に平等に与えられている」「信頼の基本は”ごまかさない””にげない””やめない”の3つにある」「”すぐやる””必ずやる””出来るまでやる”」「人の総合的な能力は、天才は別として、秀才まで入れてもたかだか5倍、普通は2倍しか違わない。ところが、やる気、士気、意識は100倍くらいの差がある」
 永守は小生より2才年下。永守を見習い、残りの人生「やる気」を持ち続けて価値のある日々を過ごしたい。

2022年7月17日日曜日

カリスマ経営者・稲盛和夫と”六波羅蜜”


  京セラの創業者、稲盛和夫について、今までその著書を読んだことがなかった。読んでみた、読んで良かった。
 稲盛和夫(いなもりかずお)は1932年、鹿児島生まれ。鹿児島大学工学部卒業。59年京都セラミックス株式会社(現、京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年から名誉会長。これだけでも立派なカリスマ経営者なのだが、84年に第二電電(現KDDI)を創業、2010に日本航空(JAL)会長に就任し、同社を再生する。
 稲盛はいう、企業には見える部分(財務、技術、人材等)と見えざる部分(トップの信念、人生観、社風)がある。稲盛は見えざる部分を重視した。
 人生の目的とは「心を高める」ことだという、「心を純化する」「心を浄化する」。波瀾万丈の人生で、さまざまな現象に遭遇し対処しながら、人間性を高め、自分自身の魂を磨いていく、これが人生の目的だという。
 事業活動において自分の利益を追求することを先行させ、余りがあれば他人に分けるという考え方が普通だが、そうであってはならない。相手の人を助け、施しをしてあげることによって事業も成功する。
 稲盛は悟りを開くためにはお釈迦様が説かれた「六波羅蜜」(ろくはらみつ)を理解することだという。布施、持戒、精進、忍辱、禅定、この五つのことをしていくと、六つ目に宇宙の「知恵」に至るという。
 このことを、社員(JALのエリート社員も含む)、外人経営者にも理解させ、自分の分身として事業に当たらせた。これが60年にわたる常勝経営の真髄だった。
 ここで、ふと、プーチンを思いだす。自己の利益第一。そのためには、他人、社会はどうなっても良い……。気分が悪くなる。

2022年7月7日木曜日

七夕と西馬音内盆踊り(老人会)


 今日は週一の老人会(ベテランズクラブ)だった。イベントは「誕生会」と「七夕飾り」。
 誕生会の司会は「話下手ですが…」という決まり文句で話をはじめる森田さん。実は話がうまいプロ並みである。7月生まれの女性は3名。「では織姫3名をご紹介します…」ということになった。中に秋田生まれの佐藤さんがいた。森田さん「佐藤さんは西馬音内(にしもない)盆踊りで有名な羽後町のご出身です。佐藤さん踊っていただけますか」「え、踊るんですか?伴奏は?。実は幼少の頃から踊っておりました。踊る時は数種類の絹布を左右対称にパッチワークのように組み合わせて縫った着物を着ます」なんと佐藤さんは無伴奏で踊りはじめ
た。服装は普段着である。その見事な手踊りに拍手が沸き起こった。
 森田さんは写真を取り出す。(左上)「この写真は私が現地で撮影したものです。篝火の中で踊ります。幽玄で神秘的です」森田さんは”奥の細道”の研究家。東北には何度も足を運んでいる。
 誕生会が終ると「七夕」。50名の仲間が願いを短冊に書いて七夕に結ぶ。昨年、1昨年はコロナの収束を願うものが多かったが、今年は「ウクライナ戦争の収束」「世界の平和」を願うものが多かった。
 コロナ以前は七夕飾りが終ると、祝い酒で親睦を深めていたが、コロナが続いているので

できない。全員、ビール、お茶、お菓子の入ったお土産をいただいて帰る。いくつになってもお土産は嬉しい。今晩の晩酌はいただいた缶ビールを追加しよう! 
(西馬音内盆踊りは1981年、重要無形文化財指定。現在、徳島の「阿波踊り」、岐阜の「郡上おどり」と並んで日本三大盆踊。毎年8月16日~18日、開催)
          

2022年7月5日火曜日

私の生年に完成した戦争交響曲「レニングラード」

  ここ数日、気になっていたCDがある。ロシア生まれの作曲家、ショスタコーヴィチ(1906-1975)が作曲した交響曲第7番である。1941年6月、ナチス・ドイツ軍の中心勢力がソビエト第2の都市レニングラードを包囲。熾烈な砲撃と空襲によって住民もろとも消滅させるべく攻勢をかける。
 第7番はスターリンの意向に沿い、この猛攻に立ち向かい、ドイツ軍に勝利するという構成で作曲されたと言われている。「レニングラード」という愛称がついている。
 第1楽章でドイツ軍がレニングラードに侵攻してくる様子が描写される。この部分はラベルのボレロを模写しているのではないかと言われる。最初はどちらかというと明るく勇壮である。しかし、次第に変容。悲劇性を帯びてくる。

 亀山郁夫氏の書いた「ショスタコーヴィチ・引き裂かれた栄光」を読む。
「ショスタコーヴィチは義勇兵として前線で銃を持つことを志願したが、入隊を拒否され、ペンと五線紙で戦う決意をした」「ショスタコーヴィチはレニングラードからモスクワに空路で避難。モスクワから鉄道でサマーラに移動。同じ列車にカバレフスキー、ハチャトリアン、オボーリン(ピアニスト)も乗車していた」「1942年、第7番、レニングラードで初演。ドイツ軍による兵糧攻めで1日2万人の餓死者がでる状況下での初演だった。このコンサートが無事終わるようにソビエト軍は砲弾3千発を敵軍に打ち込んだ。演奏中、砲声やサイレンによる空襲警報は万が一の場合のみという指令がでた」「レニングラード市民はその夜、遠からぬ自分の死や、愛する人の死を予感し、迫りくる世界の終わりに思いを馳せながら、恥じることなく涙にくれた。彼らが耳を傾けていたのは、音楽というよりもむしろ交響曲という<一冊>の書物だったのかもしれない」
 

聴いたCDは第7番の決定盤と称されるワレリー・ゲルギエフの指揮したもの。ゲルギエフはロシア出身の指揮者。プーチンと30年来の親交があるということで、現在、欧米の楽団から締め出されている。
 交響曲第7番「レニングラード」が完成した年、自分は生まれた。80才になった今年、ロシアによるウクライナへの侵攻が始まった。