2013年4月27日土曜日

被災地・相馬を旅する

(松川浦を眼下に臨む、ホテル「夕鶴」の浴場)

 現役の頃、秋田からでてきて千葉県市川市の独身寮に入った。
この時知り合った連中と毎年旅を楽しんでいる。

 昨年は3・11の被災地である茨城県・神栖市を訪れた。宿泊したホテルは復興に当たる作業員で満室だった。反対に近隣のゴルフ場は閑散としていた。

 今回は被災地の本丸ともいえる福島県・相馬市を訪れた。相馬には景勝地・松川浦がある。同所の著名なホテルに電話したところ、一般客はお断りしているという。復旧工事関係者を優先しているらしい。そんな中ホテル「夕鶴」の予約がとれた。

 23日(火)昼、牛久駅で仲間と落ちあい出発。常磐高速と国道6号線を使用すれば3時間余で到着するのであるが、いわき市の先が高速、6号とも不通なので、山側を迂回して松川浦へ。4時間余かかって5時頃、ホテル「夕鶴」に到着。同ホテルの松川浦を見下ろす風呂の絶景は旅の疲れを忘れさせた。宿泊客に工事関係者の姿が見えた。このホテルも復旧工事関係の下支えでなんとかやりくりしているのではないかと思った。

 24日(水)は東蔵王カントリーでゴルフを楽しんだ後、仙台の秋保温泉・瑞鳳へ。このホテルで秋田からかけつけた今野隆君と合流。彼は昭和35年、平沢工場(秋田)に入社した同期生である。
 
 今野君は鳥海山の麓にある矢島町の出身であるが、昭和38年頃、小生は彼の実家を訪ねた。その時思いつきで鳥海山(2,236m)に登ることにした。日帰りのつもりだったが、あまりにも天気が良かったので頂上まで登り、翌日帰ることにした。今野君は予定を変更したことを五号目の公衆電話で実家に連絡するつもりでいたが、電話が故障で連絡できない。麓では遭難したのではないかと大騒ぎになった。 この件で小生の父は今野君のお母さんに「ご迷惑をおかけしました。」とご挨拶に行ったという。今野君と一緒に登った記憶はあるが、こんな騒動があったとは今日まで知らなかった。(・・・忘れていた。)

 小生の父も今野君のお母様も、もうこの世にいない。

(松川浦に残る、3,11の爪後)

2013年4月17日水曜日

満開!千年「三春の滝桜」を観る

昨日(16日)、家内が申し込んだクラブツーリヅム・日帰りバスツアー「三春の滝桜」「鶴ヶ城・千本桜」に付き合った。
 7時10分、バスは牛久を出発。晴れ、風もなく絶好の花見日和である。ただ、昨日、仙台で桜が満開と聞いていたので、どうせ葉桜だろうと思っていた。しかし、バスガイドがこう切り出したのである。「三春の滝桜、皆さんネット等で調べていると思いますが、今日、満開です」ときた。
 これは凄い、天気といい、時期といい、満点である。家内に感謝!

 10時30分、現場に到着。駐車場はバスと乗用車で満タンである。花見なのに入場料300円。ゲートを通って、人混みに揉まれながら土産物屋に囲まれた坂を200メートルほど登る。左手に滝桜が威容を現す。凄い!桜が本当に滝のように丘に羽を広げている。その長さ24メートルとか。近寄って幹を見ると、真っ黒い石垣のようである。(写真・下)

 千年も生き続ける・・・とはどういう事か?そして、この桜はこの間なにを見てきたのか?
 滝桜を見て、人生、家系、企業、国というものを千年の単位で見たいという欲望にかられた。
 たとえば、企業が千年も生き延びるとしたら何が必要だろうか・・・。企業は人、物、金というが、そんなものだろうか?キーワードはやはり”ロマン”ではないだろか・・・。

 伊達正宗は鶴ヶ城のある会津若松市を東北の拠点にしようという”ロマン”を持ったという。福島県といえば、なんといっても郡山、福島の方が大都会である。しかし、福島も郡山も近年街道筋の町として発展しただけではないか。鶴ヶ城は会津若松市の象徴として、日本人の心の故郷として千年も万年も保存されるのではないか・・・。

 20時30分、牛久へ帰着。旅行代金、交通費、昼食代、各施設入場料、〆て一人¥8,980なり。




 

2013年4月15日月曜日

アベノミクス、マスターズゴルフ

(家内が楽しんでいる、ささやかな我が家の花壇)

アベノミクスは日本にとっても小生にとっても、やはり書いておかなくはならない出来事である。

 金融には全く素人である私だが、最近の株高はエキサイティングである。
政治や日銀の政策によって、これだけダイナミックに経済が動くのだろうか・・・。ここ数年国際社会から忘れられていた日本経済が世界の中心に戻ってきたという気がする。
 私自身は株式投資はほとんどしていないが、アベノミクス効果で、今までの損失は修復できた。最近は株式市場が休みの土日はもの足りない。

 アメリカ・ジョージア州で行なわれているマスターズゴルフ。今日、プレーオフでアルゼンチンのカブレラをオーストラリアのアダム・スコットが破り、オーストラリアに初めての優勝をもたらした。今回のマスターズは予選ランドでは石川遼が予選を突破できるかどうかでハラハラしたし、決勝ラウンドでのウッズ、カブレラ、デー、スコットの戦いに息が詰まった。マスターズの素晴らしさは美しいコースとパトロンの熱狂でもある。
 海外の一流プレーヤと比較すると石川遼はまだまだだと思ったが、最終日68で回り、56位から38位に躍進した。今後の成長に期待を繋ぎとめたのは彼のゴルフ人生のためにも良かった。
 これだけコマーシャル等に起用されているのに2日目、3日目の状態で終ったらあまりにも惨めであった。

2013年4月10日水曜日

70才、できる事、やらなければならない事

(編集のお手伝いをしている「いしぶみ」)

 9日(火)、9時30分、牛久中央図書館で市内在住の堀井さんとお会いした。
堀井さんは機械エンジニア会社の社長。米国企業の指導に当たっている。
チャンピオンベルトのような特大のバックルのベルト、カーボーイハット姿の堀井さんが図書館玄関で待ちかまえていた。手にアルバムを持っている。
 2人の会話はお互い70才(小生は3月で71才)。これからなにができるか、なにをやるべかだった。堀井さんは先月、ロシア、中国の旅から帰ったばかりである。
 「畠山さん、中国の歴史博物館には日本軍の残虐行為の写真が展示されていた。このアルバムを見て下さい。中国人には日本人に対する計りしれない憎悪がある。しかし、日本人には中国人に対する憎悪はない。”相手悪いと思う中国人、相手悪いと思う日本人”。このような現実を日本の若者に知ってもらいたいし、知らせたい」
 「堀井さん、われわれが感じたことを記録に残す事が大事だと思う、それがわれわれの使命だと思っている。幸い、刈谷には私が編集をお手伝いしている”いしぶみ”という機関誌がある。これに堀井さんの思い書いていただけばありがたい」
 堀井さんはなんという情熱家なのだろう。話をうかがっていると、こちらも熱くなってくる。

 堀井さんと別れ、図書館を出ると、偶然見覚えのある青年と会った。「時間があったらちょっと話ませんか?」私は声をかけた。彼は私が掃除のバイトをやっているスーパー(24時間営業)の従業員だった。このところ、顔が見えない。「私は(彼)大学を出た後、電機部品メーカーに入社しました。しかし、3年でリストラされ、スーパーに入ったのですが、最近、勤務時間を早朝5時からにして欲しいといわれました。その為には午前4時に起きなくてはいけません。朝に弱い私はそれでスーパーを辞めました。」「そうですか、早く次の就職先が見つかるといいですね」私は青年を励まし別れた。お互い名前も名乗らなかった。

 11時30分から図書館の近くの空き地で「歌謡コーラス・グループ」の花見である。
 このグループの指導者はなんと元・日本コロムビアの指導者である古屋先生である。私は頼まれもしないのにこのグループの音出しを担当。この日もラジカセ持参。しかし、野外で風があるため、音が響かず散々。(先生申し訳けありません。)それでも集まった30名のメンバーは先生の機知に富んだ指導の元、唄い踊った。

 帰宅してパソコンを開くと、息子の嫁からメールが入っていた。今日は団子(男子)3兄弟の2番目の小学校入学式だったという。立派に育った孫。ありがとう。


2013年4月6日土曜日

神が乗り移った佐村河内守と小澤征爾

(”NHKスペシャル”作曲家・佐村河内ドキュメンタリーの画面)

 「運命」、「合唱」の作曲家として有名なベートーヴェンは難聴だった。耳が聴こえないという事は音楽家にとって”死”を意味する。事実彼は「遺書」を書き自殺しようとした。耳が聴こえない暗闇の中で彼は次々と名曲を書く。しかし、晩年は難聴がひどくなり、自分の作った作品を聴くことができなかった。「合唱」の初演の指揮台に彼はたったが音楽はもとより、聴衆の拍手も聞こえない!歌手がベートーヴェンの手をとって聴衆の方を向かせ、彼ははじめて初演が成功したことを実感したのである。

 現代のベートーヴェンという作曲家が日本にいる。佐村河内守(サムラゴウチマモル)である。彼のドキュメンタリーが3月29日の「NHKスペシャル」で放送された。
 1963年、原爆被爆者を両親として佐村河内は広島に生まれる。17歳で交響曲第1番の作曲に着手したという天才。しかし、この年から難聴となる。ボイラー室にいるような轟音の中で彼は作曲を続ける。彼はこの音を「両親が聴いた原爆の音」と語る。そんな音の闇で難聴以前に聴いた楽器の音をイメージして作曲する。作曲する時は轟音から逃れるため薬を飲む。薬により体力が奪われる。苦しさのあまり、首つり自殺を図るが果たせない。そんな”闇を突き抜けて光明を見出す”作品、「ヒロシマ」が音楽ファンを熱狂させているという。番組の中でその旋律の一部が流れたが、マーラーの交響曲を彷彿とさせる感動的なもののようである。
 ベートーヴェンの作品のテーマは「苦悩を突き抜けて歓喜に至る」だった。佐村河内の作品もこれと合致する。彼はまさに現代のベートーヴェンなのである。そして神は二人に非情な運命を背負はせたのである。

 食道癌の手術をした指揮者の小澤征爾が復帰宣言、昨日(5日)NHKのテレビに生出演した。(77才)。いつもの小澤さんのように明るい笑顔である。知らない人がみたら、どこにでもいるお爺さんである。しかし、最近収録されたという指揮姿を見て驚いた。その気迫に満ちた表情は別人である。指揮する時、小澤さんにはベートーヴェン(作曲家)が、そして神が乗り移っているとしか思えない。
 インタビューの中で小澤さんは、自分の子供達を「うちの餓鬼ども」と語った。餓鬼とは俳優の征悦さん、エッセイストの征良さんを指す。あんな立派な子供達を餓鬼と呼ぶなんて・・・。小澤さんは今回復帰できたのは家族のお陰と感謝する。ビデオ出演した征良さんは「死ぬかと思った」と語った。小澤家は小澤さんが世間で子供達を餓鬼と呼べるほど一心同体なのだと思った。