2015年5月26日火曜日

ビジネスクラスで海外旅行。リッチな友人

 
(天皇陛下お手植えの松がある、ロイヤルオーシャンゴルフ場)
 
 21日(木)、5月に入って3回目のゴルフコンペがあった。場所はロイヤルオーシャンゴルフ場(茨城県・鉾田市)。このゴルフ場はクラブハウス、ゴルフコースとも私の体験したゴルフ場でNO,1である。今回、新たにクラブハウスの前に天皇陛下が皇太子時代に植えらた松があるのを発見。係りの方に聞いたら、コースにも2ヶ所、植えられたという。

 集まったのは秋田の高校時代の友人7名。(前橋からかけつけた黒澤君は歩行困難で夜の宴会のみ参加)。ゴルフ場からの帰り、秋田で養豚場を経営する阿部君を僕の車で土浦駅まで送った。道中聞いた阿部君の悠々自適の老後の生活に驚いた。年に2回は海外旅行へ奥様と出かけると言う。座席はビジネスクラス。私も現役の頃は社用族としてビジネスクラスだったが、定年後はエコノミーである。ビジネスクラスの場合、飛行機代だけで100万はかかる。
 阿部夫妻の楽しみは旅行の他にゴルフ。ゴルフは奥様の方が上手で秋田県でもトップクラスとか。そういえば奥様と一度ゴルフをしたことがある。手帳をめくってみたら、2002年5月18日。場所は秋田の大館カントリークラブ。スコアを見ると、阿部君96、奥様89、簾内79、畠山109とある。
 いずれにしろ、同級生にリッチな友人がいるのは嬉しい。旅行にゴルフにお金を消費し、日本の経済の活性化に貢献して欲しい。ところで、養豚てそんなに儲かるの?阿部君によると、安全と味が勝負だという。日本の養豚は海外とは歴然だという。

 24日(日)、H先輩のお誘いで、K先輩と一緒に病気療養中のSさんのお宅(東京・練馬)にお邪魔した。Hさん、Sさん、小生は6年前、会社創業者のお一人だったT氏の本を出版した間柄である。また、Kさん、Sさん、小生は秋田の出身という関係。 Sさんは昭和6年生まれ。83才。1昨年脳梗塞に罹った。驚いたのは車椅子に座ったままであるが、Sさんの活き活きしたお顔だった。この陰には奥様の献身的な介護があると思った。見舞客を受け入れるというのは主婦としては大変なことである。恐らく、ご主人を喜ばせたい一心でわれわれを受け入れたのだと思う。Sさんの一日も早いご回復を祈るのみである。

 

2015年5月20日水曜日

マーケティング(商売)の本質


 先月、業界OB有志の集まりの時、元・日立マクセル・理事の工野正樹さんから一冊の本をいただいた。室井鉄衛/マーケティングの本質ーその源流と展開/自然塾編著/クリエー出版である。
 室井さんは工野さんのマーケティングの先生であり、工野さん自身この本に寄稿されている。

 マーケティング、いわゆる商売(経営)の本質とはなにか?これは私個人としても自問自答してきた課題である。それは、最近の企業の目的があまりにも利益に偏重しているのではないかという疑問である。企業の利益率を上げる為に、不採算部門のみか収益率の悪い部門を閉鎖したり売却する例が後を絶たない。利益率の高い企業が優良企業と言われ、株価も高い。しかし、企業の価値はそんなに単純なものではないはずである。
 室井さんは語る「企業の存在は、計数的には利益の表示によって表現されるが、その利益によって生まれる根源は、企業の存在と、その行動が市場からの容認と、顧客が得た期待と満足の評価の代償として与えられた結果なのである。企業の存在とは、社会において万人が認める行動として認められる結果であり、そこには自ら万人が感じ、理解し、容認する行動があるからである。人が信頼して生きる姿である。人間の行動としての経営、そこには自ら行為の倫理性が求められ、考えられ、実行されるものである。マーケティングという行為にも当然倫理性は求められるものである。倫理性とは人間の教養なのである」
 決算数字を良くする為に粉飾決算等が後を絶たない昨今、株価に企業の倫理性まで織り込まれたら、と思ったしだいである。

 室井さんは第1線を退いた後、2011年(平成23年)郷里、宇都宮で91才の生涯を終える。最晩年、宇都宮で書かれた、東京一極集中の弊害は「品格のある日本の国土と日本人の生活」を愛した室井さんならではの説得力がある。

2015年5月17日日曜日

50年前・独身寮時代の仲間と旅行(新潟)

(左から柏倉さん、小生、栗林さん)

 毎年、独身寮時代の仲間とゴルフをやっている。寮は千葉県市川市本八幡にあった。市川駅から徒歩10分。その頃はまだ田圃があった。50名くらいの寮生が入っていた。部屋の広さは3畳ほど。そこに机とテレビ(モノクロ)を置くと、布団を敷くところがない。秋田からの出張者はそんな狭いところにテレビを見にきた。寮生への手紙は食堂の一角にまとめておかれていた。プライバシーなど問題にされていなかった。「おい、彼女から手紙が来ているじゃないか」そんな会話が日常だった。
 秋田出身の柏倉さん(人事・中央大学出身)、静岡出身の栗林さん(人事・中央大学)、長野出身の平田さん(技術・電通大、後NCR)が仲間である。年長(79才)の柏倉さんが「教養クラブ」という名前を付けた。今年はこのメンバーに秋田で人事部門にいた今野さんが加わった。今野さんは一時本社勤務となり、八幡寮の一員となった。

 場所は今野さんの事を考えて、東京と秋田の中間を選んだ。新潟県阿賀野市咲花温泉。阿賀野川に面したこじんまりとした温泉。翌日は近くの阿賀野高原ゴルフ場で一戦を交える。
 5月12日、10時過ぎ、牛久駅で柏倉、平田、栗林の3名を愛車に乗せて出発。午後4時には花咲温泉・湯元館に到着。今野さんも到着していた。案内された三階から臨む阿賀野川のなんと素晴らしい事か!山間とは思えない、幅広の川面が眼前に浮かぶ。「フォー」と歓声を上げる。(写真・下)風呂もひなびて風情があり、料理も美味しかった。なによりも木造のこじんまりした作りが良い。女将も中居さんも新潟美人だった。
 13日のゴルフは、予報にあった台風の影響も無く、晴れ。阿賀野高原ゴルフ、クラブハウスは立派、コースままずまず。しかし、コース間の移動は急峻。カートの運転を任された小生、汗だくだった。73才にはキツイ。3時過ぎにはなんとか無事終了。牛久から阿賀野市までは往復700キロ。その上、カートの運転も引き受ける。キツかったが、それだけに記憶に残る旅行になった。

2015年5月10日日曜日

最期のマイカー

(リニューアルした愛車”エアトレック”息子から譲りうけた)
 
 私が車に乗りはじめたのは1973年(昭和48年)31才の時だった。
この年、西荻窪から牛久に引っ越し。長女に続いて長男も生まれた。車は必需品だった。
(運動神経が鈍く、車にも興味がなかった私の車はほとんどが、義弟からゆずり受けた中古車だった。)
 それから22年、2001年息子も大きくなり就職。宇都宮勤務。ここで息子は新車を購入した。ステーションワゴン車、三菱エアトレックである。次の年、息子がそのエアトレックを買って欲しいという。車種には執着心がない小生、エアトレックを買い取ることにした。
 定年を迎えた時、定年後は”軽”が一番経済的だよと助言してくれる人もいたが、たまに友人とゴルフに行く。”軽”だとクラブを積む事ができない。
 あれから13年エアトレックに乗り続けている。

 運転が下手な小生、エアトレックはボロボロである。前も後もバンパーに傷がついている。ただし、走行距離を見ると97,000キロしか走っていない。
 熟慮の上、このエアトレックを最期のマイカーとして乗り続けることにした。4月30万円かけてリニューアル。これからは傷をつけないように大事に乗ろう。息子から譲り受けた大切な車である。


2015年5月5日火曜日

老人を拒否する街(汐留)

冷たい、汐留の高層ビル街
 
 先月(4月28日)、工業会OB会有志の飲み会があった。工業会とは「日本記録メディア工業会」のことである。
 カセットテープ、ビデオテープ、CD-R、DVD-R、フロッピーディスクの生産メーカーの集まりである。ソニー、富士写真、日立マクセル、TDK、パナソニック、ビクター等が加入していた。小生は会社勤務の傍ら、工業会で広報、業務委員をやっていた。

 飲み会の場所は東京の汐留だという。JR新橋駅から数分だという。開始は5時。現役時代、日本橋勤務だったし、工業会は虎の門だったので、日本橋から東京、銀座、新橋は守備範囲である。ただ、海側については当時は未開の地だった。そんな事もあり、余裕を持ってでかけた。

 余裕を持ってでかけたが、エライ目に会った。汐留は巨大なビル街だった。パナソニック、日本テレビ、電通などの巨大企業が巨大な高層ビルに入居している。ビルを一回りするだけでも200メートル近く歩かなければならない。その中で飲みやを捜すのは大変。ここは老人のくるところではない。高層ビルの地下二階の飲み屋の座席に着いた時はヤレヤレだった。

 東京も変わったが、自分も年をとったものだ。
 飲み会に集まった各社の面々、さすがにみんな年をとった。いつもは二次会ということで銀座に繰り出したものだが、8時、汐留で打ち止め。助かった・・・。

2015年5月2日土曜日

春たけなわ、ゴルフコンペ3回。頑張るぞ!

(右から坂本さん、小生、坂本さんの奥さん)
 
 最近はゴルフといえばグランドゴルフである。ただ、昨日(1日)、お断りできないコンペがあり、今年2回目のゴルフをした。(1回目は3月21日、出版社の社長と)。3年前亡くなられた上司の追悼コンペである。12名(3組)が霞台カントリークラブに集合した。天気は晴天。私の組は現役時代、営業を率いた岡田光雄さんと、私の部下だった坂本幸弘さん、奥様の彰子さん。坂本さんも今年の秋には定年を迎えるという。
 ところで、坂本さんの結婚式は1985年12月7日、場所は下関だった。奇しくも、岡田さんと私は坂本さんの結婚式に参加していた。幹事はこのことを知っていて4人を組合せたのだろうか?この年の私の日記を見ると、欧米出張2回。ワシントン、パリにも行っている。つくばで科学万博開催と大変な年だった。長男は筑波のマラソン大会、小学生の部で2位。長女は中学生で関西に修学旅行をしている。あのバーンスタインがイスラエルフィルを率いて来日。そのマーラーの名演も聴いた。人生絶頂期の頃だった。

 昨日のゴルフだが、岡田さんが102で7位、坂本さんが100で9位、奥様が105で5位、私が110でブービー賞(尻から2番目)。久し振りのゴルフなので、自分のボールがどのクラブでどれくらい飛ぶのか全く見当がつかない。前半のアプローチはほとんどがグリーンオーバーで57、後半は飛距離が把握できてきたので53だった。今月は13日、独身寮時代の仲間とコンペ(新潟・阿賀高原ゴルフ)、21日は高校時代の同級生とのコンペ(ザ・ロイヤルオーシャン)と続く。月に3回のコンペは久しぶりである。100近くまでスコアを縮めたいものである。