2024年4月27日土曜日

ざわつく老人会!会費の値上げ断行

 25日(木)私が住む刈谷地区老人会(牛久市刈谷シニアクラブ)の総会が行われた。この総会で今後の老人会の運営指針を変えるかもしれない決議が行われた。
それは会費の値上げである。諸物価高騰の折、年金生活者のセーフティネットである老人クラブの値上げが決定したのである。
値上げの主な理由は「特別講座」である。なんと、令和5年度は15回も特別講座を行った。中身は「三味線」「マジック」「二胡」「相撲甚句」「詩吟」と多彩。つくば大学生によるフォルクローレの演奏会である。これでは、老人会がイベント屋になったようなものである。
私はこのようなイベントをやるために会費の値上げをするのは反対だと発言した。予算を値上げすると、会がますますイベントに傾斜し、イベントを主導しているS会長の負担が増えるのも心配だった。
しかし、決議の結果、ほぼ満場一致に近い形で値上げが決まった。「特別講座」を楽しみにしている会員が多いということの証明である。主導しているS会長とともに老人会全体が「特別講座」というイベントにはまってしまったと感じた。
しかし、見方を変えれば、これが「老人会」の新しい行き方なのかもしれない。つまり、老人会は「年金生活のセーフティネットの”溜り場”」という考え方から「”溜り場”+イベントでより楽しいものにする」そのためには会費の値上げをしてもかなわない。
S会長は今年から「牛久シニア連合会」の幹事に就任した。刈谷➡牛久➡茨城➡日本と新しい風が吹くかもしれない。

特別講座がある時、刈谷老人会は”ざわつく”。つまり、活気に満ちるのである。ただ、私はこの”ざわつき”が苦手である。「誕生パーティ」で会員のスピーチを聞く”ほどほどのざわつき”がシックリするのである。


2024年4月20日土曜日

年間売上1兆円。TDKの電池事業

16日(火)TDK・OBパソコンクラブの勉強会があった。(ネット上でも配信・写真上)テーマは「電池の基礎知識と最新技術動向」。講師は現役のKさん。Kさんは東北大学大学院博士課程修了。科学研究振興機構の研究員等を経てTDKに入社した。
82才のジイさんになって、こんなピカピカの研究者の話を聞けるなんて、なんて贅沢なんだろう。

TDKはカセットテープのメーカーとして有名だが、今は電子部品メーカーである。年間売上2兆円。そのうちの半分が電池なのである。
TDKは1970年より電池事業に着手。1993年リチウム電池用電極製造。2005年、中国の電池メーカーATL社を100億円で買収。ATLの創業者は、起業前にTDKの中国法人に勤務していた。
ATLはapple社のスマホ、タブレット向けにリチウム電池を納入。売上が急拡大した。100億円で買収した会社の売上が年間売上1兆円となり、TDKの屋台骨を支えている。
(写真・中は電池工業会HPより。下は中国副健省にあるATL社タウン)






2024年4月14日日曜日

「小澤征爾を偲ぶ」東条碩夫さんの講演に全国から仲間が集う。

 
 昨日(13日)、音楽仲間の団体、「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」の春の特別講演会があった。公演テーマは「小澤征爾さんを偲んで」講師は東条碩夫先生(元・FM東京音楽プロデューサー、現音楽評論家)
 
東条さんは小澤征爾が25才でバーンスタインのアシスタントになった当時から、小澤さんの才能を確信。1971年からはFM東京の音楽プロデューサーとして、小澤さんのコンサートの収録を手がける。小澤さんは東洋人として、ベートーベンやブラームスといった西欧の音楽をどこまで表現できるかに挑戦。2002年には東洋人として初めて音楽の本場、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任する。東条さんは海外ではウィーンよりもパリでの小澤さんの評価が高いのを実感しており、フランスのオペラ劇場の音楽監督になっていれば、より小澤さんの才能が発揮できたのではないか。と語った。
 講演会終了後、場所を牛久シャトー(写真・上)に移して東条さんを囲む懇親会。17名が参加。北海道、名古屋、福島からも会員がかけつけた。ゲヴァントハウスのメンバーは60才から80才代。職業も小生のような年金生活者から学校教師、研究者と多彩。
 私はTDKで宣伝の仕事をしたが、1971年、TDKは東条さんがプロデュースしたクラシック生収録番組のスポンサーになった「TDKオリジナルコンサート」である。東条さんとは50年以上にわたる長いお付き合いである。小生82才、東条さん85才。元気でお付き合いできる幸せを嚙みしめた一時でもあった。


2024年4月8日月曜日

「橋のない川」住井すゑの生涯

  先月、私の家から2,5キロのところにある「牛久市住井すゑ文学館」を尋ねた。
この文学館は2018年に建てられたのだが、「灯台下暗し」で今まで尋ねたことがなかった。
この文学館はすゑの書斎があった建物を改装したものである。書斎が再現され、ゆかりの品や本が展示されている。
 彼女の代表作「橋のない川」が部落問題研究所の雑誌「部落」に掲載されたのは1958年59才の時、そして最終刊となる第7部を書き終えたのは1992年90才の時だった。そしてこの年、日本武道館で「90歳の人間宣言・いまなぜ人権が問われるか」という講演を行っている。この講演会には8,500名のファンが詰めかけた。
 北条常久さんが書いた「橋のない川 住井すゑの生涯」を再読した。
 すゑは奈良県の出身だが、なぜ、牛久に文学館があるのか。それは彼女の夫、犬田卯が牛久の出身だからだった。すゑと犬田はどうして知り合ったのか。すゑは博文館が出版している「少女世界」「文章世界」に作品を投稿していた。犬田は博文館の編集部員だった。
 「橋のない川」第一部にこんな文章がある。
 進吉は対岸を上流を向いて駆け出す。ふでも上流を向いて走りつづける。「ああどこかに橋があるはずや。」しかし、川幅は広く、対岸は丈余の雪で上流にも下流にも橋はない。ふでは、愛しい夫の進吉にどうしても会えない。手放しでふでは泣いた。ふでは恋しかった。ただただ進吉が恋しかった。
「橋のない川」は600万部売れたといわれ映画にもなった。住井すゑは佐多稲子、林芙美子、円地文子と並ぶ昭和を代表する作家である。


2024年4月2日火曜日

ドイツの名車フォルクスワーゲンで鴨川へ/マイスター集合

 私が会員になっている「NPO法人 龍ヶ崎ゲヴァントハウス」のメンバーのお一人であるKさんからお誘いがあった。鴨川(千葉・房総半島)にある研究室にオーディオ装置と音楽ライブラリーがあるので聴きにこないかというのである。
3月31日8時30分、団地近くのコンビニに行くと、仲間3人が待っていた。車を見て驚いた。ドイツの名車フォルクスワーゲンである。高齢ということで、助手席に乗せていただいた。視界も広く、ナビ装置も最新。車内にはマーラーのシンフォニーが流れる。
会の「ゲヴァントハウス」という名称はドイツの地方都市ライプツィッヒのコンサートホールの名称である。仲間は音楽だけではなく車もドイツ車を愛好している。鴨川に着いて、東京からきたもう一人の仲間と合流した。彼の車もやはりドイツ製。BMWだった。ワーゲンのナビを見ると、後に着いてくる彼のBMWが写っている。(写真・上)彼に聞くとドイツの車は車体がシッカリしているという。ドイツはマイスター(職人制度の最上級)の国。GNPで日本を抜いた。
鴨川の研究室に着く。日本の音楽・オーディオのマイスターが勢ぞろい。12時から夜の9時30分まで、音楽・オーディオ談義。途中、電源コードによる音の違いのテスト、Kさんが購入した新品のスピーカのセッティングなど盛りだくさんだった。
翌日(4月1日)は鴨川グランドホテルの温泉を楽しみ、展望台で鴨川市の全景を展望。(写真・下)帰途に着く。途中、徳川四天王の一人、本多忠勝の居城である大多喜城見学。夕刻4時、フォルクスワーゲンは無事、団地のコンビニに到着した。<4日、Kさんの車もドイツ製(アウディ)だということを知った。>



2024年3月29日金曜日

GGで準優勝。午後はワーグナーの楽劇(5時間)に挑戦!

 3月は秋田行とか、孫娘からの誕生食事会の誘いなど、いろいろあったが、27日(水)はまたまた記録すべき日となった。

この日、8:30~年度末のグランドゴルフ大会。40名参加。なんとホールインワン2発(25m、30m)。トータルスコア79。男子の部で準優勝。今後、こんなことはないだろう。
12:30帰宅。昼飯を食べ終わるなり、着替えをして上野に向かう。午後3時~上野・東京文化会館で「東京・春・音楽祭」がある。出し物はワーグナー作曲「楽劇トリスタンとイゾルデ」。昨年6月チケットを購入し、この日を待ちわびていた。
上野公園口に出ると、桜の開花はまだだというのに観光客でごった返していた。外人客が多い。文化会館に入る。平日のせいか年配のお客さんが多い。小泉元総理の姿もおみかけした。
このオペラ終演予定は7時45分、幕間にビールをいただく。グランドゴルフの後でもあり、居眠りをするのではないかと心配したが、86才の巨匠ヤノフスキーの指揮によるNHK交響楽団、名歌手達の饗宴にわれを忘れた。終演後、観客総立ちのカーテンコールに指揮者、歌手達は何度も呼び出される。(写真・下)
音楽評論家・東条碩夫氏は「トリスタンとイゾルデ」は「ドイツオペラ最大の傑作であり、音楽史上3本の指に入る名作」だという。
小生クラシック音楽を聴いて70年。その価値がやっと理解できるようになった。



2024年3月21日木曜日

池上 彰さん、宗教を語る(下)世界三大宗教

 池上さんは、世界の三大宗教についても語った。それを私なりにまとめてみた。

①世界三大宗教といえばキリスト教、仏教、イスラム教。信者の数からいうとヒンズー教が多いがインドに集中している。②ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は違う宗教だけど、この世界をお造りになった唯一絶対の神様を信じるという意味では同じである。③キリストは救世主という意味である。➃マリアからイエスという子が生まれた。そのイエスが十字架にかけられて亡くなって救世主になった。イエス・キリストというのは苗字と名前ではなく、救世主イエスという意味である。⑤ユダヤ教の聖書に神様がこの世を造ったとある。宇宙は闇に包まれていたが「これに光あれ」と神様がいうと、昼と夜に分かれ、神様は6日間かけてこの世界を造り、7日目に休息をとった。これが一週間のはじまりである。⑥神様の言葉をまとめたものが「聖書」である。「新約聖書」「旧約聖書」というが、新約は翻訳という意味ではない。「旧約聖書」とはユダヤ教時代、神様がこの世界を造った時代の人間との契約。新約聖書とはイエスが十字架にかけられて復活した時代の人間との契約というこである。⑦イスラム教とユダヤ教は対立しているように見えるが、それだけではない。土地争いなのである。

日本では宗教について語るのはタブーである。これは戦前、戦中からの反省からきている。日本は戦前、戦中、神道を国家神道といって国民に押し付けた。キリスト教、仏教を信じる人を「神道を信じないのはけしからん」といって刑務所に入れた。戦後は国がそういうことをやってはいけない、ということで公立の学校では宗教から距離を置くようになった。(知識として歴史の教科書で教えている)

池上 彰さんの宗教解説はまさに「目から鱗(ウロコ)」だった。




2024年3月17日日曜日

孫娘からの誕生プレゼント。大手町フォーシーズンでお食事

 私は3月生まれ。
14日(木)はシニア(老人)クラブでの誕生パーティ。グランドゴルフ、龍ヶ崎ゲヴァントハウスなど4つのグループに所属して人生を楽しんでいることを披露。
15日(金)は後輩にゴルフに誘っていただく。バンカー越え、池越えに果敢に挑戦。
16日(土)は、孫娘に大手町フォーシーズンホテルのランチに招待された。妻も一緒だった。これは、全く予想外だった。まず、招待先が孫娘というのも驚きだったが、場所が大手町のフォーシーズンホテルというのも驚きだった。この日はグランドゴルフの大会の予定があったが、こちらをキャンセル。慎ましい生活を心情としている妻も孫娘の招待とあっては断るわけにはいかない。二人とも一流ホテルに出向くような衣装は持っていないがしょうがない。
さすがに大手町フォーシーズンホテルは異次元である。東京では帝国ホテルが有名だが、その威容を上回る。ロビーからして先が見えないほど広々としている。
指定されたレストランは200メートルのタワービル39階。席について驚いたのは眼下に皇居の森が見える。昭和生まれの私にとっては、天皇陛下がお住まいの御所を見ながら食事するなど恐縮の至りである。向かいに座った孫娘の姿も眩しく見えた。(写真)
料理はミシュランの星に輝いたシェフが「豊潤な人生」をテーマにして調理したイタリア料理。妻は「冥土の土産」といいながらいただいた。
 個人主義が高まる近年、若者の行動をみて、これも時代の流れと思っていたが、祖父母に感謝の気持ちを伝えたいという孫娘の思いに心が和んだ。このような気持ちがあれば、これからの孫娘の人生も豊かなものになるに違いない。
19日が私の誕生日、82才になるとともに、結婚55年を迎える。


2024年3月12日火曜日

秋田・由利高原鉄道に花開いた「オーディオ文化」

9日(土)、母の一回忌が郷里の由利本荘市で行われた。                          
一年ぶりに親戚が集まった。話題は後継者問題。農業は離農者が増え集約化が進んでいる。地方でも結婚しない若者が増える傾向にあり心配である。また、電子部品大手のTDKが進出したため、TDKへの転職者が増えており、地元企業への影響が表面化しているようだ。熊本に半導体工場が進出したケースと似ている。産業構造の変化に伴う歪である。
10日(日)、由利高原鉄道に乗る。この鉄道、1985年(昭和60)国鉄矢島線の転換でできた第3セクターである。羽後本荘、矢島間23キロ。鳥海山の山裾を走る。由利高原鉄道に乗車したのははじめてである。車内は「ひな祭り」の飾りが一杯である。第三セクターとしての創意工夫の一端。電車が羽後本荘から2つ目を通過し、鮎川駅に向かう。車窓の左手に巨大なTDKの工場が見えてくる。(写真・下)工場の先のお結び型の山が日住山。子供の頃、鳥海山とともに馴染んだ山である。
前川駅で下車。目と鼻の先にある「駅前食堂」を尋ねる。なんとここは関東の音楽グループ「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」のメンバーである熊谷さんが経営する食堂なのである。熊谷さんの案内で2階の大広間へ。この大広間、昔は宴会場だったが、今は熊谷さんの意向で、オーディオルームに変身している。熊谷さん自慢の機材で、LPレコードの音を聴く。
デジタルサウンドでは得られないアナログサウンドを堪能。鳥海山の山裾に花開いたオーディオ文化がそこにあった。


2024年3月6日水曜日

池上 彰さん、宗教を語る(中)宗教法人はなぜ無税なのか。

 池上さんんは語る「 宗教団体のほとんとが宗教法人です。学校も会社も法人です。法人というのは法律上、人と同じように扱うということなんです。土地を持つことも施設を持つこともできます。宗教団体も教祖がいなくなった時になくってしまっては困りますし、宗教施設を持てるように宗教法人というものを作ったわけです」
そういえば、趣味の団体が団体名で銀行の口座を作ろうとしたら作れなかったが、NPO法人になったら、団体名で口座を作ることができたという事例があった。
「法人になると、法人税や固定資産税など、さまざまな税を納めなくてはなりません。しかし、宗教法人はそれらの税金を納めなくてもよかったり、軽減されます。それは会社の場合は利益を追求するわけでしょう。だから利益がでたら納めてもらいましょう。しかし、宗教法人は金儲けのためではなく、あくまでもお祈りのためだから利益はでない。信者の幸せのために皆でお祈りする法人だから税金はとらない、ということなんですね。現実問題としては信者が高齢化したり、減少して経営的にギリギリで税金をかけたら、潰れそうな法人が一杯あるという事情もあります」
「宗教法人だからといって、全く税金がかからないかというと、そうではありません。お賽銭やお布施は非課税ですが、駐車場の料金収入や、神主さんやお坊さんの給料には所得税がかかります」「今、ムリにお金を集めているというので、解散命令がでている宗教法人がありますね。これは宗教法人としての解散であり、法人としては残ってもよい、ただし、税金はかけます。ということです」
さすが池上さん、実にわかりやすい。(下)ではキリスト教、イスラム教についてどう語ったか、まとめてみたい。


2024年3月4日月曜日

池上 彰さん、宗教を語る(上)神道と仏教

 

2月24日のゴールデンタイム、テレビ朝日が開局65周年記念番組として「博士ちゃんVS池上 彰 コラボSP」を放送した。この番組で、宗教問題を取り上げた。大手マスコミが宗教をテーマに取り上げるのは画期的である。池上 彰さんの解説にひきつけられた。
池上さんは神道と仏教のについてこう語った。
「日本で生まれた独自の宗教、それが神道(しんとう)です。全国にたくさんある神社が神道の宗教施設です。神道は日本の生活文化に浸透した古代から続く民族的な宗教です。原点は人間以外の山や川、動物、植物に神や神聖なものが宿るという自然崇拝です。八百万(やおろず)の神といいますね、これは神が八百万いるということではなく、ありとあらゆるところに神がいるとう意味です。「トイレの神様」という言葉があります。これはトイレにも神様がいるからきれいに使わなくてはいけない。あらゆることに感謝する。これが神道の宗教行動の原点なんです。ただし、神道は「こうしなさい」とは教えないんですよ。キリスト教とかイスラム教というように”教”ではないでしょう。神道は”道”でしょう。あくまで”生きる道”なんです。自然を大切にする、それに感謝する、そういう生き方の”道”なんです。
古くから日本には神道が定着していたのですが、およそ1500年前、仏教が渡来してきました。仏教はインド、ネパールあたりで生まれ、中国を経由して日本にやってきました。聖徳太子が仏教を基礎にして日本を作ろうとしたので、仏教が日本に広まりました。八百万の神の一つとして神道の国、日本は仏教を受け入れたわけです。「神仏習合」という言葉があります。結果として神道と仏教が混在し、お葬式はお寺で、法事もお寺で、お宮参りとか初詣は神社でという現象が起きているわけです。これは神道のおおらかさからきているわけです。
 神道のトップといえば誰でしょう。それは天皇陛下です。日本の神々の政を司り、国民の幸せ、国の安泰、世界平和を護ることが天皇陛下の重要な役割です」
 池上さんの解説を聞いて、日本外交の原点は「神道」におくべきではないかと感じた。



2024年3月2日土曜日

マイ・パーフェクトディ(役所広司主演作に感動)

3月1日(金)朝、霧雨、「グランドゴルフ」の日なのだが、この天気だとやるのかどうかわからい。いつもは会場(3キロ先)まで自転車で行くのであるが、車で8時出発。会場に着くと、5人くらいおり、グランドにはプレー用の旗も立っていたが、風が冷たいので、退散。
9時30分、銀行に行き、今月のお小遣いを引き出す。
10時30分、郵便局へ。仙台在住の司法書士に相続分譲証書と相続分譲確認書を書留で送付。(実は母方の遺産相続の手続きが済んでなかったのである)
11時15分。PCデポットへ。カード会社パスワードの切替がうまくいかないのでパソコンを持ち込む。担当者の操作で解決。
12時00分、「シネプレックス」つくばへ。役所広司主演の「PERFECT DAYS」のチケット購入。開場は13:00からなので、近所の中華料理店に入る。昼定食の量の多さ(写真)に驚く。美味しかったけど半分しか入らなかった。
13:10~15:20「PERFECT DAYS」鑑賞。
 主人公は都の掃除職員なのだがインテリ。仕事の行帰りにミュージックカセットを聴き、就寝前に幸田文の文学書を読む。行きつけの屋台、カウンターバー、大衆浴場。前半はほとんど無言。後半に切ない人間模様が展開。明け方、音楽を聴きながら掃除用具の入った軽ワゴンを運転し、首都高を通って渋谷の仕事場に向かう幕切れはたまらなかった。
 この映画、監督がドイツ人(写真上、ウェンスタース監督と役所広司)だと知って驚いた。ヒントは日本の”禅”にあったそうだ。そういえば静謐で美しい映画でもあった。
 3月1日は全てのもの事が美味く処理できた「MY PERFECT DAY」でだった。




2024年2月24日土曜日

世界の星!ニッポン!株価市場最高値

 元日の日本経済新聞の一面トップのタイトルは「昭和99年・ニッポン反転”解き放て”」だった。「2024年、日本に住む人の半数が50才を超える。一方で20才~64才の内、20~30代の比率は37,7%で底打ちして上っていく。人は減るが若返る」若い世代の発想を大胆に活かし、世界に向けて野心を持つことでニッポンを反転できる、しなくてはいけない」という内容だった。
あれから50日、なんと日経平均株価が史上最高値となった。1月4日、33,288円だった株が39,098円となった。15%の値上がりである。株価を押し上げた大きな要因の一つが、円安・ドル高やインバウンド(訪日観光客)を追い風にした堅調な企業業績だといわれる。今後はAI(人工頭脳)の利用拡大による関連産業の発展も期待される。先端産業のモノづくりを得意とする日本の出番である。
株価急騰の大きな要因の一つは海外の投資家の日本産業に対する熱い眼差しである。
武力を背景にした国々の横暴が猛威を奮う昨今、日本の技術力を背景にした発展は希望の星である。
3月になればドジャーズの大谷選手の活躍が世界を席巻。日本は産業、スポーツ・文化の両輪で世界の人々に勇気を与える。2024年の年末には株高の影響が中小企業にも波及し、ニッポンの反転は本物になる、また、そうしなければならない。
戦争をしている国のトップは暗殺に怯え、国民は徴兵、密告に怯える。武力を背景にして領土を拡大したところで国の地位は向上しないし、国民の幸せもない。因みに、一人当たりの名目GTPはアメリカ8位、$83,063、日本37位、$34,535、ロシア74位、$13,324、中国75位、$13,156位である。





2024年2月17日土曜日

81才、ヨレヨレのゴルフ。(基本はやはり足・腰)でもこんな楽しいことはない。

70代後半から、球は飛ばない、グリーンまわりのアプローチは行ったり、来たり、グリーン上では3パットも度々、上ってみれば120打という惨めさである。
それでも誘っていただけるのは、80過ぎだと、どれくらいヨレヨレになるのだろう?という見本になるかららしい。何しろ、この年になると、「クラブを忘れる」「自分の打った球がわからない」など、若い方々に迷惑をかけるばかりである。
16日は今年はじめてゴルフに誘っていただいた。自宅までの送迎付きであり有難い。
今回は第一打でミスしないように務めた。できればフェアウェイまで飛ばしたい。クラブヘットが走る高さ、方向を確認し、前方に力強く振り抜くことに務めた。結果、6割方、フェアウェイまで飛んだ。170ヤード飛んだケースもあり、まだやれると思った。球を正確に打つにはフォームが大切だが、基本は足・腰だということを痛感。
15番ショートホール。距離170ヤード。(左図)第一打、いい当たりだったが、打球が低かったため、前方の窪地(濃い緑)に落球。5メートルの窪地に球は落ちていた。グリーンまでの距離は90ヤード。球が窪地からでるだけで良いと思い7番アイアンで思いっきり打ち込む。球が上ったのが見えた。ややあって頭上から「ナイスオン」という仲間の声。ピン側2mにオンしており、ワンパットで沈めてパー。記憶に残るスーパープレーだった。
やはり、ゴルフは面白い。お誘いがあったら絶対付き合おう。
(写真は霞台カントリー。左池、バンカー付砲台グリーン。ヨレヨレプレーヤーはいつも大叩き)


2024年2月12日月曜日

小澤征爾のラデッキーに送られた、定年退職パーティ


 小澤征爾が6日、88才で亡くなった。「日本人が西洋音楽でどこまでやれるか!」ついに小澤はカラヤン、バーンスタインを継ぐ偉大な指揮者となった。世界の共通語であるクラシック音楽の分野で日本人の才能が通用し、頂点に立てることを実証した。
クラシック音楽は文化的な価値は高いが商売にはならない。毎年正月、生中継されるウィーンフィルのニューイヤーコンサートのCDの売れ行きも良くて1万枚といわれている。ところが、小澤が指揮した2002年のニューイヤーコンサートのCDは70万枚売れた。
CDの販売を担当したのはユニバーサルミュージック。70万枚はクラシック分野としては空前絶後だという。同社はDVDの販売には興味を示さなかった。これに手をだしたのが、カセットテープメーカーのTDK。なんと5万枚のオファーを提示して販売権を獲得。売上は10万枚を突破した。
2002年、私はDVDの販売を担当したTDKの子会社にいた。この年は定年退職の年だった。子会社の社長は小澤・ウィーンフィルDVDのヒットに大感激。空前絶後の定年退職パーティを開催した。場所は有楽町の外国特派員記者クラブ。参加者はTDK、関連業界、計87名だった。私は女子社員から花束をいただいた後、小澤・ウィーンフィルが演奏するラデッキー行進曲で退場した。

2024年2月7日水曜日

AI(人工頭脳)は人間を超えることができるか?

 
どんな巡り合わせだろう。科学にド素人の81才の老人が、会社OB会の集まりでAIについて話をすることになった。
図書館にいけばAIについての本は沢山ある。ほとんとが、技術的な内容でチンプンカンプンである。その中に「AIが職場にやってきた」という本があった。ニューヨークタイムズの記者が書いた本である。本の中にこんな例が紹介されていた。「産業用ロボットの登場で自動車工場の工員は職場を失った。しかし、トヨタの河合満はハンマーで部品を叩き、その音と匂いで不良個所を発見した。ロボットは河合の領域を侵すことができなかった」。この事例を話すと「やあ面白い、その本の話をして欲しい」ということになった。
ところでAIって何の略、AIと生成AIの違いは・・・。お陰で基礎の基礎から勉強することになった。今はパソコンで検索すると、直ぐ答がでるのでありがたい。まさにAIのお陰である。
AIについて、AIは人間の頭脳を超えてしまう、AIが武器に使用されると大変なことになるなど、その将来につて、数多くの問題点が指摘されている。
ただ、私の調べた範囲では、AIが人間を超えることはないと感じた。一例として、ニュートンはリンゴの落ちるのを見て万有引力を発見した。過去のデータを基に仮説を立てるのはAIの得意とするところだが、ニュートンのようなヒラメキはAIにはムリ。と語る学者がいた。私もその見方に賛成である。
AIが戦争に使用される不安もあるが、これは「核」に対する不安と同じだと思う。つまり、「AI」にしても「核」にしても人間の判断で平和にも人類の破滅にも使用できる。
シッカリしなくてはならないのは人間様なのだと私は思う。
(写真はAIとロボットを駆使したピアノ演奏訓練外骨格ロボット。芸術面の表現領域への研究も進んでいる。1/21 日本経済新聞)


2024年2月2日金曜日

チケット26万円!空前絶後の1967年バイロイト日本公演


「え、畠山先輩、あのコンサート観たんですか!」若い音楽ファンから羨望の目で見られることがある。それは、1967年、大阪で開催されたバイロイト音楽祭の日本引越公演である。バイロイト音楽祭はワーグナーのオペラ・楽劇を上演する音楽祭。バイロイトはドイツの小都市である。この公演を見るために、毎年夏、世界からワーグナーファンが集まる。
そのコンサートが日本(大阪のみ)で行われたのである。
この時、私25才。独身。大学生の弟を連れて大阪にでかけたのであった。コンサートの印象は凄かった。その後、何回かオペラを観たが、その時の感動を上回るものはない。その時のコンサートはCDで発売されているが、映像は残っていない。
昨年の秋、新潟放送OBの伊藤佳祐さんから、荷物が届いた。中を開けて驚きましたね。1967年大阪公演の「トリスタンとイゾルデ」のVHSが入っていたのである。伊藤さんは大阪公演で偶然お会いし、それ以来お付き合いをしている。このVHSをゲヴァントハウスの中川さんにDVD化(写真・左上)してもらった。観て聴いて驚きました。最高のイゾルデ歌手と言われたビルギット・二ルソンの水晶のように透き通ったソプラノが生ナマしく聴こえてきた。しかも映像つきである。
田中公平さんのブログによると、このコンサートのチケットはSS席が3万円。現在の貨幣価値で、いうと26万円である。私の席はB席。1万2千円、現在の貨幣価値で10万円になる。カーテンコールが1時間半も続いたとある。(写真上はトリスタン役のヴィントガッセンと、イゾルデ役の二ルソン)
友人達、SNSのお陰で消えかけていた56年前の空前絶後のコンサートが蘇った。
大谷選手・ドジャースのチケットが7万円とか韓国歌手を追いかける若者を見聞きして世の中、変わったものだと思っていたが、私も若い頃は同じようなことをやっていたんだと思った。


2024年1月22日月曜日

シニアクラブ&社友会・新年会


11日(木)シニアクラブの新年会が行われた。自宅から会場の自治会館まで、200メートル。祝酒を手土産に参加。(写真・左)自治会長、シニア連合会の会長さんといったお偉方のご挨拶の後、乾杯。地域のノド自慢の方々の歌を聴きながらお寿司をいただく。隣の席は今年94才、最長老の松本さん。髪は黒々、耳も眼も異常なし。小生、既に坊主頭だが、松本さんのように元気で90才を迎えることができるだろうか?多分、ムリでしょう。

 21日(日)12時より、東京・大手町「サンケイプラザ」で「社友会新年会」。朝から生憎の雨。大手町に行く前「伊東屋」本店に寄る。周囲のお店は11時開店なのに「伊東屋」は10時から開店している。細いビルなのだが、地下1階から12階まで全部「伊東屋」。万年筆やボールペン等の品ぞろえの豊富なのに驚く。雨だというのに外国のお客さんで混雑していた。11時45分、大手町サンケイプラザに到着。受付で参加者名簿と名札をいただいて会場へ。(写真・下)名簿を見ると、アイウエオ順に112名の名前が表示されている。乾杯の前に能登半島地震で犠牲になった方々に対して黙祷。会長は挨拶の中で「気のおけない仲間と家族に囲まれ、平穏に暮らすのが、なによりの幸せ」と述べた。現役の頃お世話になった方々と酒を酌み交わし、来年もまた会おうと誓い合った。

 長野から「千曲川支部」の佐藤支部長がお見えになっていた。千曲川工場ではカセットテープを生産していた。毎月、工場の技術屋さんとの打合せのため通った。当時は新幹線がなく、電車は横川駅で停車した。そこで「峠の釜飯」を買うのが恒例だった。今日(22日)佐藤さんに千曲川支部の社友会に参加したいので、その折には連絡して欲しいとメールした。

2024年1月17日水曜日

社長さんビックリ!日本株急騰&私は「オール2打賞」にビックリ

 私は経営も経済も素人なので、これに関して、ブログに書くのは控えているのだが、1月2日のブログでは「どうする!ニッポン・・・」という記事を書いた。元日の日本経済新聞が一面トップで訴えた「昭和99年・ニッポン反転”解き放て”」という記事に刺激を受けたのである。その記事は1994年(平成4年/昭和67)世界の中で日本の占めるGDPの比率は17,8%だったのが2023年(昭和98)4%に急落したとし、今年は日本の経済力を反転さるチャンスと訴える。
同じ元日の紙面に日本有力企業20社の社長さんの今年の株価予想が掲載された。
ほとんどの社長さんが、1月が底値と見ており、その値幅は3,000~3,300円としている。現実はどうだろう。年明けから株価は急騰。1月半ばで3,600に到達した。多分、社長さん達もビックリだと思う。急騰の理由として、中国・欧州と比較して日本企業の業績は期待できるので、海外の資金が流れてているとか、円安の影響などが指摘されている。
能登半島地震や日航機衝突事後で、年初日本は危機感に包まれた。経済の反転で、明るい年になって欲しい。

ところで、12日(金)GG(グランドゴルフ)で「オール2打賞」を達成した。GGは週3回プレーしているが、今年は調子がいい。GGは1ラウンド8コースまわるが、「オール2打賞」は各ホール2打でまわることである。今回、最終ホールが難関の50mだった。第一打がピン側2mに寄り達成できた。昨年8月はダイヤモンド賞(1ラウンドで3ホール以上を一打でいれる)を受賞。めでたい。

2024年1月10日水曜日

七草がゆ、マラソンお手伝い、新春セミナー講師


 7日(日)の昼、食卓に七草がゆでてきたのは嬉しかった。七草は早春に一早く芽吹く。これをいただくと、邪気を払い、一年間無病息災で過ごせるという。江戸時代からはじまった習慣だという。七草とは「せり」「なずな」「ごぎょう」「はこべら」「ほとけのざ」「すずな(かぶ)」「すずしろ(だいこん)」の七草を指すという。

8日(月)成人の日。「牛久シティマラソン」の手伝い。8時集合。待ち合わせの運動場は霜で真っ白。晴天、無風なのは嬉しい。担当はマラソンコースの整理。コースで2時間ほと立ちっぱなしになる。近くにコンビニがあるので助かる。加齢のためトイレが近い。最初に走ってきたのは小学生たち。2キロを駆け抜ける。(写真)その後、中学生、一般と続く。昼近く風がでて寒さが身に応えた。

9日(火)9時30分出発。東京へ向かう。今年はじめての東京行である。TDKパソコンクラブ定例会。初春セミナーがある。講師はなんと私。テーマは「カセットテープ夜明け前ーカセットテープ草創期の業界動向とTDKの戦略ー」。講師は当初、私の上司、富田先輩(91才)の予定だったが、昨年11月、富田先輩が急逝。私が担当することになった。(写真)私も81才。写真で見るとお坊さんのようである。


2024年1月4日木曜日

初詣。新時代の神社「常陸国出雲大社」高橋宮司の執務室

 初詣は今年も茨城県笠間市にある常陸国出雲大社を尋ねた。
同大社は創建して30年しか経っていないのに、関東にシッカリ根付いている。
私は家内安全祈願をしたが、私と同じグループで祈願された方々(神主が祈願者の名前を読みあげる)は東京、福島、栃木、茨城がほぼ同じ比率だった。
神社といえば神話の時代の神々、天皇家に関するもの、武将等の著名人、疫病、戦死者を弔うものなど、歴史に関するものが多く、靖
国神社を除けば数百年以上経つものが多い。
ところが常陸国出雲大社は昭和22年生まれの高橋宮司が「大国主大神のご神徳を分け隔てなく多くの方々に行きわたらせたい」という独自の宗教観で創建したものであり、神社の建設は昭和、平成、令和3代にわたって今も続いている。建設資金は数十億になるが、樹木葬の運営等で賄っているというから高橋宮司の事業家としての才能は特筆すべきものだと思う。
今回、特別に高橋宮司の執務室を見せていただいた。(写真・上)
一流企業の社長室と同等の威容に驚いた。
この執務室を拝見しただけで、高橋宮司は世間でいう神社の宮司とは桁が違うと感じた。
高橋宮司は「神様を利用して事業をやっているのではないか」と誤解されそうだが、大国主大神のご神徳を次世代に引き継いでくためには、事業家としてのセンスも大切だと高橋宮司は身をもって実践していると感じた。
(写真、左下は社務所の山鬼ホールに展示されている「現代アート」)

2024年1月2日火曜日

どうする!ニッポン「若者の活用」「世界に向け野心を持つ」

元日の日本経済新聞一面トップのタイトルは『昭和99年・ニッポン反転”解き放て”』。
さすが日経だと思った。前書きにこうあった。「2024年、日本は停滞から抜け出す好機にある。物価と賃金が上れば、凝り固まった社会は動き出す。日本を世界第2位の経済大国に成長させた昭和のシステムは、99年目となると時代に合わなくなった。日本を”古き良き”時代から解き放ち、作り変える。経済の若返りに向け反転する」
第7面のグラフが衝撃的である。(表・上)世界のGDP(国内総生産)に占める日本の割合は1994年(平成4年/昭和67)17,8%だったが、2023年(昭和98)4%に急降下。日本の地位が下がったのはライバルが伸びたためだという。22年中国のシェアは17,8と日本の絶好調時に並んだ。韓国は2,8%で日本の足元に迫っている。
昭和のシステムの何が時代に合わなくなったのか、「終身雇用」「年功序列」が直ぐ頭に浮かぶ。これを「東洋経済」誌は”仲良く貧乏”と名付けている。

日経が今年が反転の好機と指摘している一因として挙げているのが年齢構成「24年、日本に住む人の半数が50才を超える。一方で20才~64才の内、20~30代の比率は27年に37、7%で底打ちして上っていく。人は減るが若返る」若い年代の発想を大胆に活かし、世界に眼を向け野心を持つことでニッポンを反転できる。しなくてはならない。と説く。

大谷君がニッポンのイメージを維持してる間にニッポンを反転させたいものである。