2016年8月29日月曜日

インク、バッテリー、勘違い(老化は進む♪♪♪)

(「371+370」と間違って「351+350」を購入。6千円の損失)

●プリンターのインクが無くなった。
私のプリンターはキャノン製、インクの品番は「371+370」(6色)である。先日、電気店に行った時、6色1パック買っておいたので安心である。早速、新品の封を切って交換した。無事セットできた。ところがインクのランプがつかない。プリンタの表示器に「このインクは違います」という表示がでた。不良品のインクかも知れない。電気店に向かう。
 インク売り場に行って原因がわかった。 「371+370」と似たデザインと同じ大きさのパッケージで「351+350」という商品がある。私は品番を良く確認しないで「351+350」を購入していたのである。店員さんに「商品を交換してくれないか」と聞いたところ、「6色の内、一色でも封を切ったものがあれば交換はできません」という。つまり、私は再度6千円を払って「371+370」を購入した。

●デジカメの電池(バッテリー)切れである。
デジカメのバッテリーを懐に入れて、同じ品番のものを購入しようとしたが、バッテリー売り場には同じような形状と品番のものが置いてない。
ベテランズクラブの会合の時、会合でいつも写真を撮られている芝田さん(民生委員)に「やあ、2~3電気店を回ったんですが、バッテリーを売ってないんですよ」と言ったところ、芝田さんに開口一番こう言われた。「畠山さん、そのバッテリー、充電式ではないんですか?電源コードをつけるやつですよ」
 そうか、そうだった。ボケの私もピンときた。デジカメ等のバッテリーはほとんどが、充電式なのだ。家に帰って探すと、すぐに電源コードが見つかった。ちなみに、私が電気店でバッテリーを探していた場所はメモリーカード売り場だった。バッテリーとメモリーカードは大きさ、形状が似ているため勘違いしていたのである。

 それにしても老化(ボケ)は進む。最近はお目にかかる方々のお名前をスグに忘れる。まさに「振り向けば・・・」である。

2016年8月23日火曜日

孫接待。「盆玉」他


(子供は遊びの天才。ちゃぶ台が卓球台に早変わり)

 私には6人の孫がいる。
長女の方は娘3人で、上の孫は社会人、下の孫2人も高校生。スッカリ女性らしくなって、ジジイが近寄る場面がほとんとない。そこで、家内から「お父さん、盆玉どうするの?」ときた。
 最近は、正月の「お年玉」に対して「盆玉」というのがあるらしい。家内の一言に乗って、なんとか祖父としての面目を果たした。(8・15来宅)

 長男の方は男3人である。上の2人の孫は小学生、下の孫は幼稚園である。こちらにも「盆玉」を上げた。この年齢だと、ジジィとも付き合ってくれるので、「映画」と「ワンワンランド」で十分楽しんだ。(8・18~19来宅)
 彼等がまた遊びに来るという。「盆玉」「ワンワンランド」はもう2番煎じ。そこで思いついたのが、「読書」である。図書館に行って、彼等の年齢に会いそうな本を借りてきた。これらの本にどういう関心を示すか、楽しみである。
 
 23日、3人兄弟再来宅。図書にも興味を示したが、ちゃぶ台を卓球台にし、団扇をラケット変わりにして卓球を始めたのには驚いた。子供は遊びの天才である。24日は、小学生兄弟の希望で「ひたちの牛久」駅前バッティングセンターへ。駅前をウロウロしていると、長男の純成君が「じいちゃん、あすこだよ」と道案内。昨年も小生と行ったそうだ。小生はそのことをスッカリ忘れていた。本当ボケた。世代はかわりつつある。家内が心配するのもムリはない。(24日、夕方追記)

2016年8月17日水曜日

ゴーギャン、モーム、マーラー

(ゴーギャン作「われわれはどこから来たのか われわれは何者か 
 われわれはどこへ行くのか・1897~8」の一部)

拝啓  飯澤 正様
サマセット・モーム著「月と6ペンス」、あまりにも面白いので再読しました。再読して、70才を過ぎて読んで良かったと思いました。若い時、この本を読んでいたら勘違いして自分を芸術家と思い、違った人生を歩んでいたかもしれません。それだけ、この本から受ける印象は強烈でした。
 この本のモデルは画家ゴーギャンだそうですね。
 私は最近、本を読む時、クラシック音楽を聴きながら読むのが習慣になっております。この本を読んでいる時、聴く音楽はマーラーの交響曲がピッタリでした。モーツアルト、ベートーヴェン、ブラームスのように形式の整っている音楽は合いません。その点、天上の音楽のように連綿と続くマーラーの交響曲を聴きまがらこの本を読むと、別世界にいるような気分になりました。

 ところで、さて、ゴーギャン、モーム、マーラーはいつ頃の人間だろうと思い、生年を調べたところ、ゴーギャン1848~1903年、モーム1874~1965年、マーラー1960~1911年でした。この3人、どこかでお互いの作品に触れているかもしれません。
 モームを読みながら、マーラーを聴くなど、私の感性もなかなか?勘違いかな・・・。

 それにしても、翻訳を担当された中野好夫さんは大したものですね。単に語学が堪能だけでは、「月と6ペンス」のように人間の繊細な心理が入り組んだ小説の翻訳はできないと思います。

飯澤さん、素晴らしい本をご紹介下さり、ありがとうございました。   敬具

2016年8月12日金曜日

内村、奇跡の着地(慶子おばさん)

11日早朝、テレビを付けたら、リオ・オリンピック体操男子個人総合の決勝戦がライブで放送されていた。残す競技は鉄棒のみ。内村は残念ながら、ウクライナのベルニャエフに0,099離されている。鉄棒は内村がやってから、ベルニャエフが行う。内村が鉄棒に飛びつく。G難度の技も無事に通過。いよいよ着地。凄い!両足がマットに着き、両手を前方に着きだして微動だにしない。奇跡だ!神業だ!この地点で内村の逆転を確信した。こんな着地、できる選手はいない。(写真:12日、読売新聞)
 オリンピックのモットーは「より早く、より髙く、より強く」であるが、内村の演技を見て「より美しく」を追加しても良いのではないかと思った。

 それにしてもオリンピックは凄い!スポーツの素晴らしさを再認識させられた。また、それが世界の平和にも結び付くとも実感した。2020年、東京オリンピックの使命は思い。

 オリンピックが開催されてから公私ともに重要な出来事が重なった。

●8日、天皇陛下がお言葉を表明→生前退位の意向が滲む。
●9日、山北に住む弟と、尻手(横浜市)に住む慶子おばさんのお宅を訪ねる。何年ぶりだろう。慶子おばさんは(88才)はお元気だった。東京近辺に親戚というと慶子おばさんのお宅しかなかった。秋田に生まれたわれわれ兄弟は昭和時代、学校、就職、旅行といっては慶子おばさんにお世話になった。慶子おばさんのお宅は我が畠山家の関東における出先機関のようだった。慶子おばさん、ありがとう。われわれが今日あるのはおばさんのお陰です。
●サマセット・モームの「月と6ペンス」再読書中。(オリンピックより面白い?)現役時代お世話になった電通の飯澤さんに進められた。老後の楽しみに音楽、グランドゴルフの他に読書も加わりそう。勿論「飲み会」が一番である事に変わりはない。

2016年8月8日月曜日

やった!グランドゴルフ、スコア73

(「牛久GGクラブ」の仲間たち)
 
 グランドゴルフ(GG)を初めて10年ほどになる。
 GGは昭和57年、島根県で考案された。GGのコースは8ホール(30m、50m、30m、50m、25m、15m、25m、15m)ある。このコースを全て3打で入れる。一回廻ると24、これを4回繰り返す。トータル96であるが、打数が少ないほど良い。70代の前半で回ると大会で優勝できる。パターはゴルフのパターとほぼ同じ、ボールは直径6センチ。ワンラウンド2時間30分ほどかかる。9時スタートして11時30分終了。老人でもできるので、まさに生涯スポーツである。(場所は市内のグランド等を使用するのでプレー代等の会費も数百円)

 小生、もともと運動神経が鈍く、ゴルフも下手。GGも同じ。いつも80代である。大会に参加すると、下位の方に名を連ねる。
 ところが、今日(8日)、練習ではあるが、とんでもない好スコアがでた。1回目20、2回目14(一打で入ったホールが一つあり-3)、3回目20、4回目19。合計73打である。このスコアだったら大会でも優勝できる可能性がある。
 なぜ、こんな好スコアがでたのか、それは①ホールに向かって真っすぐパターを振る。(ゴールポストを見ないでボールを正しく打つ事に集中)②第2打目はゴールポストに近くなるが、ポストをオーバーしないように弱めに距離を合わせる。の2点だった。この結果、32ホールの内、約半分の15ホールを2打で、1打で入ったホールも一つあった。パートナーが良かったからかもしれない。

 ところで、GGをはじめるキッカケはシルバーセンターで一緒に掃除のバイトをしていた福島先輩の紹介だった。現在使用しているパターとボールは福島さんからいただいたものである。福島さん、ありがとう。

2016年8月5日金曜日

お付き合いが一杯(ご縁は大切)


もう70代も半ばだが、秋はお付き合いのスケジュールが一杯。
ディスクの横の壁は、ゴルフ等の案内状で埋まっている。(写真・上)

ゴルフは年金生活の小生には経済的な負担にもなるし、下手だし、できるだけお断りしている。
ただ、春、秋のシーズンは学校関係、会社関係でお断りできないコンペが目白押しである。
(最近はゴルフといえばグランドゴルフ。こちらは毎週楽しんでいる)

秋から年末にかけては、飲み会も盛ん。今回は会社(TDK)の新役員が参加される飲み会への案内もいただき恐縮している。

さらに今年の秋は、TDKの発祥の地、秋田にある「TDK歴史みらい館」にも行かなくてはならない。TDKは1961年~72年にかけてNASA(アメリカ航空宇宙局)が行った人類初の宇宙飛行計画に電子部品を提供している。その関連資料がリニューアルして「歴史館」に展示されるという。関連資料を提供した当時のTDKアメリカの社長が、その展示物を見に行かれるという。「畠山さん、秋田出身だろう。」社長から同行するよう要請があった。これも光栄な事である。

実はTDKは秋田出身の斎藤憲三氏(衆議院議員)が作った会社である。父が斎藤先生の支援者であり、そんなご縁で農林高校出身(畑違い)の私もTDKに入社する事ができたのである。
ご縁は大切である。