2012年7月30日月曜日

オリンピックの功罪

27日、第30回ロンドンオリンピックが開幕した。定年後3回目のオリンピックである。
第29回北京大会、第28回アテネ大会ともほとんど記憶に残っていない。
これではいけないと思って、ブログに書き残すことにした。

27日、(日本時間28日早朝)の開会式を見て、オリンピックの認識を新たにした。今回の参加国・地域は204ヶ国に及ぶ。選手の入場行進は1時間30分に及んだ。つまり、丸い地球に住む全ての人種の代表が集うのである。こんな光景はオリンピックでなければ見ることはできない。
 地球はこれら参加国・地域みんなの物であり、戦争したり、汚染してはいけないと思う。

次に感じたのは開会式の見事な演出である。
イギリスは人口も、国民総生産もちょうど日本の1/2である。それなのにこれだけ立派な開会式ができる。国の力は人口や国民総生産だけではない。国が小さくとも知恵があればどんな事でもできる。人間の知恵は無限だということを感じた。

日本の新聞は日本はメダルを何個獲れるか予想する。
最近のゴルフ大会を見ると、男女とも韓国勢が上位を独占。オリンピックではどうだろう。興味のあるところである。開会式前から競技の始まった、男女サッカーの日本の活躍には心が躍る。深夜にかかわらず、テレビを観る。
しかし、テレビが連日オリンピック番組に埋め尽くされるのはどうだろう。
日本は課題山積である。日常を忘れてはいけない。
日常だけ放送する局があっても良い。

2012年7月24日火曜日

介護保険料、19%アップ


市役所から「介護保険料のしおり」というパンフレットが送られてきた。
表紙を見ると、老人を囲む明るい家庭のイラストである。

70才を迎えた小生にも夢のある通知のようである。
しかし、右下に「平成24年度から介護保険料が変わりました」とある。
経済状況の厳しい昨今、値下げはありえないので、値上げの通知ではないかと思った。
パンフレットの中を見ると、新しい保険料が印刷されている。しかし、昨年までの保険料が記載されていないので、どれぐらいの値上げ(値下げ)なのかわからない。
一緒に小生自身への新保険料の通達が入っていた。
これを見るとかなり大幅のようだ。しかし、これにも何%アップなのか数値が書きこまれてないので、市役所へ問い合わせた。なんと19%のアップだという。

消費税にしても電気料金にしてもマスコミ、国民上げてその是非が議論されている昨今、19%大幅アップという具体的な記述のない、パンフレットによって一方的に通知されるとは・・・。市の姿勢を疑う。介護保険料は年金受給者の場合、その年金から引き落とされる。
 このような大幅な値上げがまかり通ると、年金受給者の生活はますます逼迫し、健康的な生活が阻まれる。


市のホーム頁にアクセスし、介護保険事業の中身を見ると、こんな事業にも使われているのかというものもある。行政や関係者は「介護福祉事業」を「聖域視」し、この分野のチェックが甘くなっているのではないか。
税金頼みの介護福祉事業を見直し、介護保険料の値上げを抑える。その一方で老人に自立を要求する。それがこれからの行き方であり、その方が老人も活きいきとするのではないか。

2012年7月20日金曜日

佐藤しのぶ、由紀さおり、中村紘子

日本を代表するアーチスト、3名(4名)が立て続けに牛久市・中央学習センター文化ホールで公演する。

7月22日(日) 佐藤しのぶ(カルメン・ファンタジー) 17:00~(3千~5千円)
8月12日(日) 由紀さおり・安田祥子(童謡コンサート) 14:30~(3千5百、4千円) 
9月 8日(土) 中村紘子(ついてなかったブゾーニ氏について) 14:30~(3千5百、4千円)

牛久市の場合、今までは、これくらいの大物になると、年に1回の公演があるかないかといった程度だった。したがって、牛久住民の私としては彼女達のファンであるとともに興業的な面で関心があるのである。

牛久市の人口は8万名。いくら大スターでも3ケ月続くと息切れしてしまう。
おそらく、主催者側はつくば、土浦、竜ヶ崎、取手あたりまで視野に入れているのだと思う。
牛久のホールは駅から徒歩15分。駐車場は無料。高速のインターからも近い。ホールのキャパシティは1,200名と手頃である。

三公演とも成功してもらいたい。


2012年7月13日金曜日

98才、吉田秀和の遺稿


音楽評論家(文化勲章受章)、吉田秀和が死去した時、朝日新聞が一面トップ、文化欄、社会面で詳しく報じた。

しかし、追悼記事の圧巻はなんといっても「レコード芸術」7月号(音楽の友社)”追悼特集・吉田秀和”である。
死の前日(5月21日)、編集担当が鎌倉のご自宅に原稿をとりに行ったのだという。その時の先生とのやりとり、そして、渡された手書きの原稿(写真)を見ると、吉田は死の前日まで矍鑠としていた事がわかる。
吉田の手書きの原稿を見ると、文字自体が楷書で美しく流れるようだ。しかも修正箇所があると、文字数がオーバーしないように次の行で調整している。これらの作業は瞬時に行なわれ、次に書き進む。一気に書かれたものだと推察される。98才、しかも死を間近にした人間が書いたものとは思えない。

原稿の内容は「神のヴァイオリン弾き」とうハイフェッツのDVDを見た感想から始まる。一般的に演奏者を評する時、演奏解釈、演奏技術が論じられるが、ハイフェッツは別次元の奏者だというのである。彼の場合、その発する音だけで聴き手を魅了した「ある絶対的なもの」だというのである。

この原稿を読み終わった後、思わずハイフェッツのCDを取り出し、久しぶりに絶対的なものを味わった。


2012年7月8日日曜日

北アルプス・飛騨高山の旅と小説・氷壁(7/7)

上高地を訪れたのは二回目である。
第一回目は多分1968年(昭和43年)26才の時である。TDKの千曲川工場が長野県佐久にあり、この工場にお得意先を招待した時にタクシーで上高地を訪れた。駆け足だったので、当時の記憶は定かでない。従って、今回が初めての上高地行きといっても良い。
 4時頃、上高知を後にして帰途についた。帰りのバスは誠に順調、驚いた事に首都高で一度も渋滞がなかった。向島を通過する頃、右手を見ると、東京スカイツリーの左手に月が見えた。と間もなく、ツリーと月が重なった。都会の情景の素晴らしい瞬間だった。守谷に9時頃到着、牛久の我が家に着いたのは10時前だった。
(河童橋と穂高連峰をのぞむ)

 小説・氷壁は1958年(昭和32年)映画化された。魚津は菅原謙二、小坂は川崎敬三、八代美那子は山本富士子、小坂かおるは野添ひとみが演じた。野添ひとみの粒らなひとみと、初々しさは今でも記憶に残っている。
今回読み直してみて井上靖の構成力、心理描写の緻密さに圧倒された。
「氷壁」によって、今回の旅行は一段と意義深いものとなった。

上高知と小説・氷壁(6/7)

7月2日、乗鞍岳スカイラインを降り、平湯で一服した後、2時頃、いよいよ上高地に入る。
上高地もマイカー乗り入れ禁止である。
大正池でバスを降りる。ここからウォーキングコース梓川に沿ってを歩く。今回の旅行のハイライトである。
天気は快晴。大正池の左手に焼岳が聳える。田代池を通って、ウェストン碑を見、河童橋に至る。一時間半かけてゆっくり歩を進めた。山、梓川の清々しさを写真に収めた。

 さて、小説・氷壁の方だが、魚津恭介はいつの間にか、人妻であり、亡き友人の恋人である八代美那子に心を惹かれる。その一方で小坂乙彦の妹かおるに愛を告白される。これらの複雑な関係を清算する為に上司・常盤大作の心配を余所に一人で穂高に向かう・・・。
梓川と六百山(標高2,470メートル)

乗鞍岳と小説・氷壁(5/7)

7月2日、10時過ぎ、飛騨高山を後にして乗鞍岳に向かう。
雄大なスカイラインを登る。日光などと違ってマイカー禁止。排気ガスが少ないので空気もうまい。標高2,702メートルの畳平で休憩。ここの駐車料金、バス1万円、タクシー2千円。自然保護に使用されるとのこと。畳平を出発したのは丁度12時、ツアーガイドの方が揺れるバスの中で弁当とお茶を配る。ツアーガイドの仕事は結構大変だということを実感。乗客は景色ら見ながら、下山。上高地に向かう。”写真は畳平とスカイライン(下)”
ところで、小説・氷壁の続き・・・。
魚津恭太は小坂乙彦の妹かおる共に、捜索にでかけるが、乙彦は発見できず、雪解けを待つことになる。小坂の郷里は山形県の酒田。魚津は小坂の母に仔細を報告する為に夜行寝台「羽黒」三等寝台で酒田に向かう。秋田生まれの私にとって、「羽黒」は懐かしい名前である。今でも、羽越線経由の山形(秋田)行き夜行寝台は健在である。ただし、名称は「あけぼの」に改称されており三等寝台は無くなっている。



2012年7月6日金曜日

飛騨高山と小説・氷壁(4/7)

7月2日、8時30分にホテル出発。2時間かけて、高山の朝市と名所を探訪する。
高山は元禄五年(1692年)幕府の直轄地「天領」になった。今でいうと「経済・文化特区」という位置づけになると思う。その象徴が高山祭である。この高山祭の時に町を練り歩く屋台が、屋台会館に展示されている。屋台を見ると、木工、塗り、彫刻、金具、人形など日本の伝統芸術の全てが結集されているという印象を受ける。ただただ圧倒され、言葉もでない。”美しい街並み(写真上)と屋台会館に展示されている屋台(写真下)”

ところで、「氷壁」の続き・・・。
 小坂乙彦遭難のニュースが報道されると、世間は「ナイロンザイルは切れたのか?」という話題で持ちきりとなる。ナイロンザイルは切れないと宣伝されていたため、ナイロンザイルを小坂が切ったのではないか?(自殺)または、魚津が自分が助かる為に切ったのではないか、という憶測も生まれる。そこで、実験をする事になるのだが、その実験を指揮したのが、小坂とただならぬ関係にあった美那子の夫、八代教之助だった。
 

2012年7月5日木曜日

高山・雲上露天風呂と小説・氷壁(3/7)

7月1日、午後5時、宿泊先である「ホテルアソシア高山リゾート」着。5つ星のホテルとあって、その豪華さに驚く。部屋に入って、カーテンを明けると、雨が上がりの高山市街が眼下に広がる。7階にある風呂は清潔そのもの。特に展望露天風呂には驚いた。あふれ出たお湯が、眼下に滝のように落ちているような錯覚に陥る。
(雲上・露天風呂。眼下に山々に囲まれた高山市街が広がる)

夕食は大きなテーブルを4組のツアー客が囲む。土浦、荒川沖、牛久から参加したご夫妻だった。小生の痛風エピソードを突破口に健康談義で盛り上がる。

ところで、小説・氷壁のその続き・・・。
魚津恭太は八代美那子との関係で不安定な心理状態の小坂乙彦とともに穂高の氷壁に挑む。二人はシッカリとナイロンザイルで結び合う。吹雪に見舞われ、頂上直前で小坂が滑落。谷底へ消える。その時、魚津はなんの衝撃も重力も感じなかった。二人を繋いでいたナイロンザイルが切れたのである。魚津は必死に捜索するも小坂は見つからず、失意の内に帰京する。

2012年7月4日水曜日

穂高と小説・氷壁(2/7)

道中、井上靖の「氷壁」を読みはじめる。
登山家の魚津恭太は親友の小坂乙彦と、年末から正月にかけて前穂高東壁に初登頂をする計画を立てる。その計画のさ中、魚津は小坂の思いがけない秘密を知る。小坂はふとしたきっかけで、八代美那子(人妻)と一夜を過ごす。その後、小坂は八代に横恋慕、美那子は困惑する。
魚津と小坂は12月28日登頂に出発。新宿22時45分の夜行に乗車。4時57分松本に着く。
新宿から松本まで6時間12分を要している。物語は昭和30年、当時は松本も遠かった。

<7月1日の穂高は雨。ケーブルカーの窓には雨粒(上)、山頂に咲く、キヌガサ草>

ツアーバスは諏訪サービスエリアで休憩をとった後、松本で高速を降りる。首都高速から松本までは3時間。「氷壁」の頃、6時間以上かかった松本は、今、車でも電車でも3時間で行ける。バスは松本から野麦街道(158号)を走る。平湯で471号に入り、新穂高を目指す。東京を発つ時、曇りだった天気は新穂高ロープウェイの乗車口に到着した時は本降りの雨となった。第1、第2ロープウェイを乗り継いで、標高2,156の西穂高口に着く。眼前に聳えるはずの穂高連峰は全く見ない。山頂に咲く高山植物、キヌガサ草が雨に濡れて美しい。
3時過ぎ、バスは新穂高を後にして高山へ。5時過ぎ、バスは飛騨高山の南高台に聳える、ホテルアソシア高山リゾートに到着する。







2012年7月3日火曜日

北アルプス・飛騨高山の旅と小説・氷壁(1/7)

(2日、上高地・河童橋から見た穂高連峰)

7月1日から2日にかけて、家内と奥飛騨と上高地にでかけた。

ツアーの名称を正確に記すとこうなる。
<ご夫婦でゆく>マイカーでは行けない絶景と飛騨高山ー北アルプス3景と小京都で豪華リゾートに宿泊ー上高地・乗鞍スカイライン・新穂高ロープウェイ

クラブツーリズム・茨城旅行センターの企画で、バスが石岡、土浦、牛久、取手、守谷で集客して
目的地に向かう。ドアツードアの便利な企画。費用は〆て一人2万円。家内が行きたいというので、4月16日申込んだ。早い申込みだったので、天気が心配だったが、まずまずのようだ。
(井上靖の書いた名著「氷壁」文庫版)

穂高連峰、上高地というと、思い出すのは、井上靖の書いた「氷壁」。
道中、この本を読み返すことにした。

7:15分牛久出発。守谷で全員乗車。バスは夫婦20組、計40名でほぼ満席。守谷から常磐高速に乗り、首都高速、中央自動車と進む。昼前には諏訪サービスエリアに到着。ここで昼食の「峠の釜めし」が出る。一緒にビールを飲もうとサービスエリア内のお店を探したがビールはおいてないとのこと。これは想定外だった。
この後、想定外の事が次々に発生する。