2015年3月31日火曜日

旭日昇天の旅

五浦を訪れた弟家族。右端は筆者
28日と29日、私は長男の孫達と筑波山に登った。
30日と31日は山北(神奈川県)に住む弟家族が茨城にやって来た。「兄貴も良かったら来ないか」の誘いにのって、30日、宿泊先の五浦観光ホテルに向かった。ホテルに行く前に日立に寄った。
慶応義塾卒業の友人が「茨城に来て”日鉱記念館”は良かった」と言っていたのが記憶に残っていた。インターをおりて5分くらいのところに記念館はあった。記念館を見て「日鉱は1905年(明治38年)慶応出身の久原房之助が設立した日立鉱山である。久原は鉱山を作るにあたって、労使・地域が渾然一体となった桃源郷を作ろうとした。また、巨大企業、日立製作所は日鉱の電気機械修理工場が独立したものだ」という事を知った。現在、人口18万名の日立市は久原が描いた桃源郷なのだ。

夕刻。五浦観光ホテルに到着。5時過ぎ、弟家族13名が到着。弟には3人の子供がいるが、それぞれが所帯を持ち、孫もいる。それぞれの孫が個性的で活き活きしている。これらの孫達がこれからの日本を支えると思うと心強い。
部屋は弟と一緒だった。
朝方、障子に明かりが差していたので、障子を開けると、巨大なお日様が水平線から顔を出している。正に”旭日昇天”である。思わず「もったいない」とつぶやく。時計を見ると5:45分だった。
31日、22時03分、山北に帰った弟からメールが入った。
「ご参加いただきましてありがとうございました。五浦というところがあんなに素敵なところとは。岡倉天心が惚れたのもわかります。六角堂の苔の庭、整備された敷地内の佇まい、清冽な海水、”亜細亜は一つ”と彫られた石碑感動しました。・・・」
夜明けホテルの窓から見た”旭日昇天”

2015年3月30日月曜日

スピルバーグが泣いた、中国映画

(夫の帰宅を待ち侘びる名女優コン・リー演じるフォン・ワンイー)

3月10日、東京へ出かけた時、時間が空いたので偶然見た映画だった。中国映画「妻への家路」である。感動した。ネットで予告編を見ると、「スピルバーグも泣いた”傑作”」というメッセージが入っていた。スピルバーグならずとも、映画に素人の私でも深い感動に襲われた。

物語は1977年、文化大革命が終結。20年ぶりに主人公は開放されたが、心労のあまり、妻の記憶から主人公は消えている。主人公は第三者になり、戦地から妻へ送った自分の手紙を読み聞かせ、なんとか妻の記憶を取り戻そうと努力するが・・・。

監督チャン・イーモウ、主人公チェン・ダオミン、妻コン・リーとも中国映画界を代表する著名人だという。映画からにじみ出る、人情のひだは最近の日本映画が忘れた彫の深いものに思えた。
中国といえば、超格差社会、爆買いなど、首をかしげることの多い昨今だが、この映画を観て、中国が好きになってしまった。映画(芸術作品)が与える影響力の大きさを改めて認識した。映画にでてくる風景も日本の昭和時代を思わせる。懐かしい・・・。
映画(芸術)は世界の調和を実現する力を持っていると感じた。

2015年3月27日金曜日

孫との思い出づくり


最近の一連の行動が、子や孫へ、生きた証を残すための行動となっている。自分史を書いたり、ブログを書いたり・・・。家内には「自己満足」と笑われる。

春休み、息子の2人の孫が遊びに来た。こんど小学校5年と3年になる。
26日、バッティングセンターに行き、その足で筑波山に登った。2人とも「おじいさん、明日も行こう」というので今日(27日)もバッティングセンターと筑波山に行った。ただし、26日は男体山(871m)に登り、27日は女体山(877m)に登った。
山頂近くまでケーブルカー(男体山)とロープウェイ(女体山)で行ったのであるが、73才ともなると、山登りはキツイ。孫達が先に行って、私が到着するのを見下ろす。
幸い、26日も27日も晴天だった。

この年になると、亡くなった祖父や父の事を思い出す。
おそらく、その頻度は年と共に増えていくのだろう。そして、やがて彼等と一体になる日がくるのである。

子や孫にも、やがて、私を思い出の人として辿る日がくるのである。
その為の思い出づくりに励んだ2日間だった。

明日(28日)は山北(神奈川県)に済む弟が長男家族(孫3人)を連れて、北茨城の五浦海岸にやってくる。(弟の思い出づくりである)それに招待された。弟と酒を酌み交わしながら、父・祖父の思い出を語り合いたい。

2015年3月22日日曜日

情熱社長からゴルフの誘い。やはりゴルフは素晴らしい!

(筑波東急ゴルフクラブは池を配した林間コース。実に美しい)

3月16日、音楽出版社のW社長から電話をいただいた。
「畠山さん、21日、空いてますか?空いてましたらゴルフをやりましょう」
「社長のお誘いであれば、万難を排して参加します」
「じゃあ、筑波東急カントリーに8時40分頃、いらして下さい」

昨日、21日は好天、風も無く絶好のゴルフ日和だった。
ゴルフといえば、最近はグラウンドゴルフ以外やっていなかったので、20日はゴルフ練習場に足を運んだ。ボールにクラブが当たるかどうかと、クラブにカビが生えてないか・・・の確認だった。

Wさんとの初対面は1970年頃である。
私がカセットテープの宣伝を担当。Wさんはオーディオ誌の編集長だった。
45年のお付き合いである。
Wさんは1974年取締役、1983年に社長に就任され、以降社長として活躍されている。
社員39名、オーディオ・音楽関係の定期刊行物4誌を発行。1999年からインターネットの普及を予感。ファイルウェブへの対応も万全である。音楽・オーディオ誌の情熱社長として名高い。年令は私より2つ下。今年70才を迎えるという。
趣味はゴルフ。筑波東急カントリークラブ等の役員を引き受けている。
21日のスコアはWさん、47、52=99、 畠山、52、57=109
まずまずのスコアでWさん、およびパートナーのIさんご夫妻に迷惑をかけず良かった。

グランドゴルフはプレー代はほとんど無料だが、ゴルフはプレー代が1万円前後かかる。
しかし、21日はその価値が十分あった。
池を配した、林間コースの風景は世俗を忘れさせてくれた。
一打ごとにボール、クラブのヘッド、スタンス、体の重心、方向性を確認。この一連の緊張感。その結果、イメージ通りに球が飛んだ時の快感。やはりゴルフは素晴らしい!

2015年3月13日金曜日

カセット黄金時代。その余波が続く・・・。


続けざまに二冊の本がカセットテープの特集を組んだ。
 「ステレオ時代」Vol3号 「昭和40年男」4月号
どちらも、大きな書店に行けば並んでいる。

カセットテープといえば私のいたTDKがトップメーカーだった。
私はTDKでカセットテープの商品企画を担当していた。

TDK・広報部の依頼で取材に応えた。
定年後13年たった今、雑誌に掲載されるなど、思ってもみなかった。
私は本当に幸運な男である。

それにしても、当時、私は寝食を忘れて仕事に没頭していた。
出勤は6時台、帰宅は22時台。深夜、東京からタクシーで帰ることもシバシバだった。(自宅は都心から50キロも離れた牛久)
国内にいる時は長野、日田(九州)工場への出張が多かった。本社(東京)にいるときは、夜、音楽・オーディオ評論家やテープレコーダメーカーの方々とのお付き合いが続いた。海外出張も多く、欧米は勿論、中近東まででかけた。

したがって、2人の子供の成長期の記憶は少ない。
海外出張から帰って、その足で九州へ出張という時、長男から「父さん泊まっていったら」と言われた事がある。

家内には迷惑をかけたが幸せなサラリーマン人生だった。
その余波が今でも続いているのである。

*カセット(Cassette)→フランス語で”小箱”


2015年3月4日水曜日

これからの生きがいはグランドゴルフ?

(シルバーの先輩からいただいたクラブとボール)
先月で地元・自分史「いしぶみ」の編集が終わった。TDK・広報から依頼のあった「ステレオ時代」「昭和40年男」の取材も終わった。龍ケ崎「ゲヴァント・ハウス」の4月特別コンサートの地元報道関係資料の作成も終わった。
さらに、月10日ほどやっていたシルバーセンターのスーパーの掃除のバイトも今月で終了とのこと。このバイト9年ほど続いた。バイトの終了で小遣が減るが、その分はアベノミックスで補填するとして、バイトを運動とも考えていたので、運動をどうするかである・・・。
そこで浮上したのがグランドゴルフである。
グランドゴルフは9年前、シルバーセンターの先輩から道具をいただき始めたが、今までは時間帯がバイトとかちあう(両方とも朝8時~11時)ため、週一しかできなかった。しかし、バイトが無くなるとなると、週3日はできそう。体力づくりとボケ防止にちょうどよい。
グランドゴルフはゴルフのパター競技のようなもの。短いコースで15メートル、長いコースで50メートル。長短関係なくパー3。毎回コースが違い、コースの芝の状態が違い、風の影響も受ける。読み通り行ったり、行かなかったり。ハーフ8ホールで4回まわる。地元の老々男女で競う。実に楽しい。プレー代も月500円。これからの生きがいはグランドゴルフになりそうである。
今朝の天気予報は9時まで雨だったが、朝起きると曇りである。「よし、でかけるか」というと家内もニコニコ。家事の為にも、小生の健康の為にも、朝は小生が居ない方が家内は喜ぶ。自転車で3キロ先のゴルフ場へ行くと、すでに30人ほど集まっていた。まずは準備体操から・・・。