2009年6月29日月曜日

船村 徹のウィスキー


 6月12日、都内のホテルで船村 徹「歌の道60年を祝う会」が開かれた。北島三郎など600名がかけつけた。この日の招待客に船村が自らプロデュースしたウィスキーが記念品として配られた。


 6月26日、オーディオ評論家・藤岡 誠氏が主催する飲み会(千代田会)が三ノ輪で開かれるというので東京へでかけた。その前にお茶の水で、西宮さんと会う。彼から「僕も父もお酒を飲まないので」とウィスキーを渡された。彼の父君が前述の船村 徹のパーティに招待されたのだという。


 千代田会でこのウィスキーを披露した。

「僕はウィスキーの大ファンだが、こんな美味しいウィスキーは飲んだことがない」とパイオニアOBの小出さん。「畠山さん、このボトル、頂戴よ」ということで、ボトルを取上げられた。渡す前に写真に収めた。「酒は友、音楽は母」は船村の自筆である。


 船村はパーティの席上で、「ハイハイをしているころから歌を作った。5千曲くらい作曲したかな。酒を飲んでいるとき、メロディが浮かぶ」と語ったという。船村 徹77歳。

2009年6月25日木曜日

次元の違う女流バイオリニスト、ムターのメンコン


 今年は作曲家メンデルスゾーンの生誕200年。

メンデルスゾーンといえば結婚行進曲が有名。さらに有名なのが「ヴァイオリン協奏曲」である。これほど、ヴァイオリンとう楽器の甘美な特徴を表現した協奏曲はない。

 それだけに、クラシックを聴いて、60年近い小生にとってメンコン(メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の略称)というと、またかという気になる。

 しかし、ウーンと唸るメンコンに遭遇した。

 6月6日、ハイビジョンで放送されたアンネ=ゾフィー・ムターのメンコンである。エロティックであり、豊饒である。また抜群のテクニックで天馬空を飛ぶといった爽快さもある。これだけ多様なメンコンの演奏ができるのは古今の名ヴァイオリンニストを通じて彼女だけだろう。次元の違うメンコンである。

 彼女は2002年、39歳の時に、34歳年上のアンドレ・プレヴィン(指揮者&作曲家)と再婚したが、このような私生活もこの演奏に肥やしになっているのだと思う。

 このメンコン、7月17日の教育テレビ「芸術劇場」で再放送されるようだ。

2009年6月21日日曜日

父の日のプレゼント


 今日は父の日。といっても私も家内も父は亡くなった。プレゼントする相手がなく、もらうだけの立場になった。


 しかし、娘も息子も今子育ての真只中。プレゼントをもらうのは心苦しい。先日、娘と息子に「父の日のプレゼントはいらない。ただ、どうしてもというのなら、酒がいい。」と言った。


 昨日から今日にかけて、2人から酒が送られてきた。息子夫妻からは「MACALLAN」の12年もの。スコッチウィスキーでシングルモルトのロールスロイスという詠い文句である。娘夫婦からは新潟の銘酒、「きりんざん」。麒麟山酒造みずから田植えをし、刈り取るという丹精込めて作った酒米「五百万石」を100%使用しているという。


それでは今晩、子供と孫達の顔を思い浮かべながらいただくとしよう。

2009年6月19日金曜日

デジタルテープレコーダ(DAT)の故障

(下段、DATレコーダとテープ。中段、CDレコーダ。上段、DVDプレーヤ)
 
 久しぶりにDAT(デジタルテープレコーダ)で衛星放送の音声を録音しようとしたら、録音できない。このDAT、磁気テープを使用しており、マッチ箱くらいの大きさながら、CD並以上の高音質の録音が2時間できる。オープンテープレコーダに代わるものとして1974年購入した。寿命なのかもしれない。

 幸い、録音はできないが、再生はできる。10年前、オープンテープ、LPレコードを処分するに当たって、貴重なものはすべてDATに録音し直した。また、友人から国内外の貴重なコンサートの放送録音をDATテープでいただいた。それらのDATテープが300巻ほどある。

 再生機能が健全な今の内にDATテープに記録されたものをCDレコーダでCD化しようと思う。CD化しながら、昔の名演奏を楽しみたい。全部CD化が終わるまでDATに頑張って欲しい。

2009年6月14日日曜日

ウォーキング・ロード

(稲荷川の河口。その先が牛久沼。河童は牛久のシンボル。)
(牛久沼湖畔に小公園がある。アジサイ、菖蒲が盛り。)

 私の住んでいる刈谷町は高台である。その西側は一段低くなっていて、田圃が広がっている。その真中を稲荷川が流れている。幅10メートルの小川である。この川は牛久沼へと注いでいる。(河口は50メートル)


 川に沿って牛久沼のほとりまで行き、戻ってくると約5キロ。これが私のウォーキング・ロードである。


 しかし、5月は殺人的な忙しさでウォーキングをしていない。


 今日、家内に「たまにはウォーキングをしたら」と誘われてでかけた。


 下の田圃におり、川沿いを歩き、牛久沼のほとりの公園に着く。アジサイと菖蒲が見ごろだった。

2009年6月11日木曜日

上野公園~新橋駅前広場

(新橋駅前広場で待ち合わせをするサラリーマン達)
(上野、西洋美術館前庭。右後方はルーブル美術展に並ぶ人達)

 

 昨日(10日)、東京へ出かけた。


13時に上野駅・公園口で太田さんと会う約束。


早めに着いたので周辺をブラブラしていたら、西洋美術館の前に長蛇の列。「ルーブル展」が開かれていた。チケットを買うのに80分待ちだという。


 美術館の前に「東京西洋美術館を世界遺産に」というノボリがたっていた。西洋美術館はそんな価値があるのかなと疑問が湧く・・・。


 西洋美術館の隣にあるテラスでワグネリアンである太田先輩(79才)さんの話を聞く。ドイツの哲学者であるニーチェやマルクスの名前がでてきて、少々難解であったが、貴重な内容でもあった。ワーグナーに対するこの情熱が太田さんの健康の源泉だと感じた。


15時から新宿に行きもう一人の楽友である、中山さんに会う。ヴァン・クライバーンコンクールで辻井伸行君が優勝したことが話題になった。我々音楽仲間ではクライバーンコンクールのスティタスはあまり高くないが、なにはともあれ、クラシック業界にスターが現れるのは業界活性化のためにも大歓迎ということになった。


帰り、馴染みの銀座クラブへ寄ってみた。ママが不況でお客が少なく、借金をしてなんとかやってます。と嘆いていた。ビール一杯だけご馳走になって退散した。


新橋駅から山手線に乗った。駅のホームから広場を見下ろと、人だかりがしている。そうだ、新橋駅前は銀座のソニービル前と並んで、サラリーマンの待合場所として有名だったと、現役時代のことを思い、懐かしくなりシュッターを切った。

2009年6月9日火曜日

ゴーギャンが愛した地上最後の楽園


 今年のはじめ、日本モーム協会・会員である飯沢正さんとお会いしたのがご縁で、サマセット・モームの代表作の一つである「月と六ペンス」を読んだ。

 この小説は画家のポール・ゴーギャンをモデルにしているが、登場人物の心理描写と筋立てが巧みであり一気に読ませる。また、文章のここかしこに教訓めいた言葉がちりばめられている。「人類は同じ円周をただ新しい足でめぐるのみ」「一人の心の中に卑小と偉大、悪意と善意、憎悪と愛情が同居している」「書く本や絵では無防備の自分がさらけだされる」「およそ人間という不可解な生き物を相手にしては確実といえることなど一つもない」「外科医として名を上げ、年収1万ポンドを稼ぎ、美人の妻を持つことが成功だろうか。結局は、人生をどう意味づけるかによる。社会から個人への要求と、個人から社会への要求をどう認識するかによる」等々・・・。

 ゴーギャンは1891年、タヒチ島に渡る。この場面の情景描写が秀逸である。「鳳凰木の緋色の花は、澄み切った青空に情熱の叫びのように広がる。恥知らずに咲き誇る花ーそれは暴力的なほどに官能的で、見る者の息を弾ませる。」この感動が”タヒチの女”の名画に結実するのである。

 ゴーギャンが愛した地上最後の楽園タヒチ。この楽園にも是非行ってみたいものである。

2009年6月5日金曜日

1年半ぶりの100切り(ゴルフ)

               (写真、クリックすると拡大してみることができます。)

 
  昨日、メンバーコースである霞台カントリーでプレーした。久しぶりに100を切った。


先月プレーした時に、ドライバーショットのときにスタンスを狭くした方が飛距離が伸びるような気がした。加齢現象で体が硬くなってきて、ヘッドスピードが出なくなってきている。スタンスを狭くすると、体の回転が効くようになり、ヘッドスピードが上がる。それを確信をもって実行した。


 

ドライバーショットで一打のミスもなかった。160ヤードの池越え、谷超えもなんとかクリアした。結果、イン、アウトとも9打という大叩きがあったにもかかわらず、99で廻ることができた。




 前回、100を切ったのは2007,12,4、場所は石岡カントリーだった。その後不調が続き、100を切るのはもう無理かと思っていた。これも加齢現象かと諦めていた。それだけに1年半ぶりの100切りは嬉しい。


 今回の快挙をきっかけにコンペの優勝を目指して精進したい。

2009年6月2日火曜日

町内会・文化祭


 5月30、31日、町内会(刈谷地区)の文化祭が開催された。

市の主催の文化祭はどこでも開催されているが、一行政区の文化祭は珍しいのではないか。


 展示部門ではサツキなどの盆栽、陶芸、油絵、貼り絵、写真、書など、町内の腕自慢が出展。演芸部門では三味線、オカリナなど。野外ではペタング、ビンゴなどのゲーム、バザーなどが行われた。


 役員(理事)は住民へのPR、会場設営の他、焼きそば、ポップコーンの販売も行い、2日間、朝から夕方までフル回転で住民サービスに勤めた。


 私はこのようなイベントは得意ではないが、他の理事の方々の熱意に負けて、できる範囲での協力をした。それにしても、刈谷には素晴らしい住民がおり、役員がそろっていると感じた。