2010年4月27日火曜日

孫社長の日本を救う提案

         (写真は小生の散歩道)
 25日(日)10時~のテレビ朝日「フロントライン」での孫社長の発言に感銘を受けた。

「崖っぷちの日本を救う」というテーマでソフトバンク社長の孫正義さんと、国家戦略大臣の仙谷由人さんが出演した。

 

 孫さんは2つの提案をした。

 

 ①日本は教育で海外の諸国に遅れをとっている。将来の日本を考えると、子供の教育が大事。そこで、紙の教科書を止め「電子教科書」にする。この為の投資額は3百数十億、やん場ダムと同じ金額でできる。

 ②現在医療費は30兆円規模。これが高齢化で数年後には40兆円になる。しかし、カルテを「電子カルテ」にすれば10兆円以上の節約ができる。


 孫さんは、「電子教科書」と「電子カルテ」は法律を作ればできるという。また、国会は法律を作れるわけだから是非やるべきだと・・・。「電子教科書」と「電子カルテ」が実現すれば日本のIT化も進み、グローバル化で遅れている日本も追いつけるという。


 政府にも是非これくらいの将来ビジョンを提示して欲しいと思った。

2010年4月23日金曜日

今年は上岡敏之イヤー


 上岡敏之イヤーっていったところで、何の話?上岡って誰?

写真でお分かりのように彼は指揮者である。

 指揮者といえば、日本人といえば、小澤征爾、コバケン(小林研一郎)、若手では佐渡裕、海外で活躍している指揮者というと大野和士とかいう人、聞いたことあるような・・・?

 ということで、上岡イヤーなどと言ってるのは一部のクラシックファンとレコード会社だけなのである。

 小生を含めて、なぜ上岡イヤーといっているかといえば、彼の指揮したCDが年内に3枚、また彼がピアノを弾いたCDが1枚リリースされ、しかも彼が首席指揮者を努めるヴッパータール交響楽団を引き連れて10月に来日し、10回の公演を行うからである。

 この不況、小澤征爾でも1年間に4枚もCDを発売し、外国のオーケストラを引き連れて10回も公演するのは難しい。だから、今年の上岡のパフォーマンスは異例なのである。

 ところで、ヴッパータール交響楽団って聞いたことがないなあ。おっしゃる通り、この交響楽団、ドイツの地方都市のオーケストラなのである。これくらいの実力なら、日本のオーケストラの方が上なのではない?確かに・・・。

 しかし、である。今月発売された両コンビのCD、R・シュトラウスの「家庭交響曲」、シューマンの「交響曲第4番」は名演である。前者はあのカラヤン・ベルリンフィルと、後者は伝説の指揮者フルトヴェングラーと、並ぶ魅力があると思う。

 ただ、この良さは小生など一部のマニアしか分からないだろう。

 いずれにしろクラシックオタクの世界の話である。

2010年4月17日土曜日

雪、桜、温泉、ゴルフ

            (同室の4人)
         (雪化粧した住宅の屋根、川原・・・)

 16日、会社OB仲間とのゴルフコンペがあり、群馬県にでかけた。


当日の天気予報な真冬並みの冷え込みで、雨。場合によっては中止もありえるという予想で朝5時半に出発。


 8時30分に安中市のローズベイカントリーに到着。悪天候の予想にもかかわらず、16名が元気な顔を揃えた。底冷えはしていたがプレー中は雨は降らず、無事プレー終了。


 ゴルフ場近くの舌切り雀の宿「ホテル磯辺ガーデン」に一泊することになった。


 ホテルの部屋は広く、4人がゆっくりと寛げる。窓の外を眺めると眼下に碓氷川が流れ、桜が満開である。風呂に入る段になって、浴衣に着替えるとき、Kさんと、Tさんが手術の後を見せ合っている。2人ともお腹の真ん中に一直線に傷跡。Tさんなど、食事の前にはインシュリン注射を打つ。Gさんも昨年ガン手術をしたとか・・・。そんな状況でゴルフをしに群馬まできたのである。この会に対するメンバーの意気込みが痛いようにわかる。


 宴会が終わるころ幹事が「外は雪ですよ!」


 外を見ると暗闇に白いものが降っている。


 翌朝外をみると、住宅や車の屋根は雪で真っ白。4月17日の雪は41年ぶりの記録更新だという。ホテルを9時前に出発。雪のため、通行止めになっていた高速道も解除されており、11時30分には無事茨城に到着した。

2010年4月13日火曜日

官邸に住まう「謎の鳥」

         (国営ひたち海浜公園で撮影)
 今日(13日)、カナダ在住の上田先輩から、国内(カナダ)の新聞に掲載されたとう記事が送信されてきた。題して、”19羽の鳥”の一部。

 <最近永田町に迷い込んだ謎の鳥、正体不明である。中国からみれば「カモ」らしい。米国人は「チキン」と見ている。欧州からは「アホウ鳥」と呼ばれている。日本人は「サギ」だと言い始めた。オザワ鳥からみれば「オウム」なのに、当の鳥は「私はハト」と言い張っている。実際は鵜飼の「ウ」だと言われている。「カッコウ」だけは、一人前だが、「おフクロウさん」に「タカ」るのが上手らしい・・・>

 

 以下は小生の解説。

<謎の鳥は宇宙ドリとも呼ばれ、まだ人類が遭遇したことのない怪鳥である。その内、地球人では思いもよらないご託宣を下すのか、それとも、謎のまま宇宙に帰還するのか・・・。その時期は迫っている。少なくとも前官邸トリのアソウ(アホウ?)鳥よりは注目を浴び、今後の飛来の行方を世界が固唾を呑んで見守っている。>

2010年4月11日日曜日

町内会・理事辞職

         (牛久市の桜は今が満開である。)
 今日(11日)、刈谷地区の自治会総会があった。

刈谷地区は牛久市最大の行政区で1,500世帯。人口5千名である。

2年前、この地区の理事に推薦され、推薦された以上、住民の義務との思いから就任した。

 2年間、役員として盆踊り、体育祭、文化祭、敬老会等の世話役をやり勉強になった。つまり、現役時代経験したことのない業務を経験するとともに、刈谷地区には多彩な人材がいることを思いしらされた。分かりやすい例をいうと、18名の役員の中にドクター(博士)が2名もいた。

 近隣に学園都市であるつくば市があり、日立の工場が散在していることを思えば、それも頷ける。

 もともと、内向的な小生には世話役は向かないということもあり、1期2年で退任する決意をし、総会で認めていただいた。

 総会の冒頭、市長の挨拶があった。

 3年前、市民の1世帯当たりの年収は600万円代だったが、昨年は400万円代に落ちたという。また廃業する企業が増加。高齢化と不況により、市の税収は急減しているという。平成23年には茨城でも破綻する自治体がでてくるのではないかとのこと。茨城県だって、日本国だって危険だという。

 小生も同感である。

 経済的には厳しくとも、近隣同士助け会い、豊かな心もっていれば、なにごとも乗り越えられる。

 

2010年4月6日火曜日

神楽坂、外濠水上レストラン

            (神楽坂下、外濠の水上レストラン)
 恒例の会社OB4人の会が4日行われた。

今回の幹事は飯田橋生まれで、現在も飯田橋住まいのFさん。

 11時30分、飯田橋西口に集合。

 今をときめく「神楽坂」はFさん、幼少時からの馴染みの場所。通りで「おい、何々君いるか!」といえば、「なんだ、F君じゃないか」と答えが返ってくるという。

 それにしても神楽坂、人がすれ違うのがやっとという細い通りまで石畳がしかれ、名店が並ぶ。イタリア・ヴェネチアを思い出させる。

 今回も隠れ家のような和食レストランでランチを楽しんだ。その後、和菓子屋により、今回欠席した我孫子在住のSさんに機嫌伺いのお菓子を送る。

 休日で人並みが絶えない通りを散策しながら、飯田橋西口に向かい、坂道を下って、外堀通りを横断。水上レストランで2次会。ここのレストランはパリの雰囲気がある。Fさんの話によると近くに日仏会館があり、フランス人が多いとか。

 ところで、千葉から参加した、Eさん、昨年末新築マンションを購入したという。62歳にして20年ローンを組んだというから凄い。借金できるのも実力の証・・・。

 5日、メールを開いて驚いた。我孫子のSさんから機嫌伺いのお礼とともに今回欠席の理由が書かれている。「1月末に大腸癌がみつかり、手術しました・・・」なんとも・・・。

2010年4月5日月曜日

佐竹寺(国宝)と西山荘

              (水戸光圀が引退後、過ごした西山荘入り口)
                (国宝・佐竹寺の本堂)

 小田原で教師をやっている弟が春休みを利用して2日、茨城に遊びにきた。


2日は一部の電車が止まるという強風。弟が牛久に着いたのは1時30分ころ。一休みして家内も入れて3人で予約していた那珂湊のホテルへ向かう。通されたのが15畳もある和室。弟が3人で、この広さでは寂しいと、日立・国分工場へ勤務している、甥に電話。彼も参加することになった。


 夕方6時から蟹食べ放題の会食。7時30分には甥も到着した、彼と会うのは父の葬儀以来だから11年ぶりということになる。


 翌日は風も止み、旅行日より。国文学専攻の弟の好みを考え、常陸太田市の西山荘に向かった。道中、「常陸太田は秋田に移赴した佐竹公の出身地ではないか・・・」と弟が言う。さすがである。西山荘の手前に「佐竹寺」という表示があり、寺に寄る。この寺、予想を遥かに超える名刹である。本堂は1543年に建てられたという。朽ちかけた茅葺屋根。本堂をのぞくと扉から天井まで、お札がビッシリ。坂東霊場22番札所でもあるという。国宝という表札に納得。


 佐竹寺の後は西山荘により、その後国営ひたち海浜公園に向かう。広々とした園内を1時間30分ほど歩く。その後、那珂湊魚市場で昼食。食堂おすすめの”あいなめ定食”のボリュームと味を堪能。料理にうるさい家内も大満足。


 最後は今回孫の急病で欠席した妹夫妻のところによる。(笠間市・出雲大社)


 義弟は神社の経営を息子に譲ったが、義弟が新しくはじめた樹木葬が順調な売れ行きだという。


 「息子にジャガーを買ってもらった」と義弟はいう。今まで乗っていたベンツを売ってジャガーに乗換えたとう。義弟はそれくらい仕事をしている。樹木葬のアイディアだけではない。自らユンボを運転して樹木葬に使用する山の整地も行っている。偉い!


 弟は中身の濃い茨城旅行を満喫し、帰途についた。