2016年6月27日月曜日

しのびよる加齢現象(体調不良)

 
今朝(27日)、8時過ぎ、3ヶ月前に予約していた病院に向かった。病院までは車で15分、病院に到着して、診察カードを機械に差し込んだところ、「正しく入れて下さい」という表示がでた。カードを確認したところ、違う病院のカード(左下)である。こんな事もあろうと、カードは確認したはずであったが・・・。
 予約時間は9時、あわてて、家に帰ってカードを探す。あった!あった!何しろ、最近の病院のカードは全部横文字。これでは70半ばの爺さんは間違ってしまう。昔のように「畠山医院」とか「牛久病院」というように日本語で書いてもらえばいいのだが・・・。
  今、通院している体調不良現象は次の4つである。
 ①もの忘れが激しい。(特に人の名前はほとんど覚えることができない。これでは自治会理事落弟である。身内については家内がフォローしてくれるので助かる)
 ②排尿障害(寝ている時、5~6回トイレに起きる。ただ、就寝9時、起床5時30分なので寝不足という事はない)
 ③手の震え。(文字が書けない時もある。ただ、文章は99%、パソコン入力なので、実害はない。ただ、この先、パソコンのキーを叩けなくなれば大問題である)
 ④1年ほど前から、テレビの音声が聞きとれない時がある。パソコンで調べると、”さしすせそ”の音がかすれるのだという。そういえばそういう気がする。
  
 最初に病院に行ったのは2015年1月である。総合診療科の向井先生が「アロチノロール錠」という薬をだして下さった。2015年2月担当の先生が神経内科の保坂先生に代わられた。保坂先生は2015年8月から薬を「リポトリール錠」に変えられた。
 向井先生も保坂先生も、とても診療は適格だと思う。①~④の症状は全快はしないが、悪化する事はない。加齢現象を考慮すれば、悪化しないという事で満足すべきだと思う。ただ気分がたまにハイになるのはやや気になる。保坂先生ご懸念のように血圧が高めかもしれない。

2016年6月21日火曜日

母、白寿祭。父との愛は永遠。

(「白寿の祝い」に25名の子、孫、曾孫がかけつけた)
 
 母99才「白寿の祝い」
6月18日(土)、故郷・秋田「にかほ市温泉保養センター」(はまなす)に子供、孫、曾孫の代表25名が集合、盛大に行われた。家・家族のつながりが薄くなっている現在、これは珍しい。さすが、私が生まれた畠山又右エ門家である。(小さいが地主であり、祖父は石澤村々長をやっていた。)
 母の子供は5名。長男が農業を継ぎ、農協組合長。長女は近隣農家の嫁になる。次男の私はTDKに勤務。16年前定年。三男は小田原私立高校教頭を今年で退任。次女は笠間市出雲大社会長夫人として頑張っている。
 母、板垣チヨミは大正6年(1917)、石澤村の生まれ。実家は農家だが100ヘクタールの山持ち。父初吉は郵便局長を務めていた。手先が器用で尋常小学校の時の作品「尾形人形、筏流し」は全国大会に出品され、天皇陛下にもご覧いただいた。
 昭和11年(1936)、畠山一男と結婚。戦争、敗戦、農地解放と激動の中を生き抜いた。5名の子供に恵まれ、孫は30名を超えているが、名前を全て記憶している。今朝の食事のメニューも忘れる次男の私とは大違いである。母は宴会の後半、大正琴を披露した。姉の「仮面踊り」も素晴らしかった。
 今回の幹事役は3男、幸三。私に「閉会の辞」をやれという。「母は今でもほぼ毎日父の夢を見るそうです。夫婦は永遠であるという事を実感しました。」これが私の挨拶の趣旨だった。父は平成11年(1999)、86才で亡くなった。あれから17年、母は夢で父に会っているという。これは宴会開始前に母との雑談の中で聞いた話だが、私の胸を強く打った。私達夫婦をはじめ、ここに集まった方々が母のように、片方が先に死んでも、永遠に相思相愛であって欲しい。
 それが「白寿の母」の願いであるとも思った。



 
 

2016年6月16日木曜日

「父の日」前後の人間模様

 
14日(木)、東京で会社OBによるパソコン勉強会があり、その後飲み会があった。昔の話で盛り上がった。「銀座に良く飲みに行ったな」「帰りはハイヤーの時もあったな」。それがエネルギーとなって会社は発展した。舛添さん、われわれは民間会社だからそれでも良かった。しかし、官庁はそうは行かない。納税者の目が光っている。東大卒でなくとも立派な都民が多い。(舛添さん、15日退任決意)
 夜遅く帰宅すると、机の上に荷物が上っていた。翌朝、差出人をみると息子である。中を開けると「スコッチウィスキー」が入っている。家内が言う。「貴方、19日は秋田へ行くから早く送ってくれたんじゃない」。そういえば、「父の日というのがあったなあ・・・」調べてみると6月の第3日曜日が「父の日」なのだという。息子も3人も子供を抱えて大変なのに・・・。
 ウィスキーはラガヴァ―リン(Lagavulin)というブランドだった。息子からメールが入っていた。「かなりスモーキーなアイラモルトウィスキーとのことなので好き嫌いがあるかも。でも、なんとなくお父さんは好きそうな気がしたんだよね。」ビンの蓋を開けると、凄いスモーキーな臭いである。おちょこに垂らして、口に含む。このウィスキー、飲むというより、口に含んで楽しむウィスキーである。このウィスキーの産地であるアイラ島はスコットランドにあり、「ウィスキーの聖地」と呼ばれているという。
 そのイギリス、来週EU離脱を問う国民投票をやるんだって。勘弁してよ・・・。虎の子の株が円高の影響もあり、瀕死の状態ではないか。
 昨夜、10時近く布団に入ったら、枕元にある携帯のベルが鳴った。女性の声である。「主人の病状(脳卒中)はまずまずなんですが、私が看病疲れで、近い内に手術をします。その間は施設に入れようと思っております」そのご主人Sさんは私の結婚の仲人をやって下さったKさんの部下で、80才半ばである。Sさんも奥さんに病気になられては大変である。私でできる事があれば、なにかしてやりたい。自分もそのような年齢が近づいている。他人事ではない。
 その自分に驚いた。18日(土)母の白寿の祝いで実家にある秋田に行くのであるが、ANAに電話して、羽田飛行場に行くにはJRであればどこの駅から行くのが便利ですかね」と聞いていた。電話をしながら浜松町からモノレールがでている事を思いだした・・・。家内が私の車を敬遠、飛行機で行く事にした事に納得。(小生74歳)

2016年6月10日金曜日

74才にしてサマセット・モームに出会う

 
現役の頃、TDKは世界陸上のゼッケンスポンサーとなった。
1987年のローマ大会の時は、「お世話になります」という事で日本大使館を訪ね西田大使にご挨拶におうかがいした。広告代理店は「電通」さんである。営業の方にもお世話になったが、スポーツ・文化事業局の飯澤正さんにもお世話になった。
 退職後も飯澤さんにはお世話になっている。小生が自分史を進呈したのに対して、毎年「日本モーム協会会誌"CAP FERRAT"」を送っていただいている。この協会は英国の作家サマセット・モーム(1874-1965)を記念して作られた協会である。
 先日、飯澤さんに「恥ずかしいんだけど、私、モームの作品まだ読んだことないんだけど」と正直に打ち明けたところ「まず、”月と6ペンス”を読みなさい」という返事が返ってきた。
 早速、牛久図書館に行き、同本を借り、読み始めた。実に面白い。翻訳者は中野好夫(1903-1985)だが、文章表現が巧みで翻訳物という事を忘れてしまう。この本に登場するのは画家であるが、私の想像を超えた画家の破天荒な生き方が描かれている。
 今年74才になった私は、比較的恵まれた人生を送っていると思う。だが、最近、「人間の生きがいってなんだろう?」と迷いが生じる時もある。
 モームの作品はこの迷いに示唆を与えてくれそうである。訳者の中野好夫は解説の中でこう述べている。「人間は彼自身にさえどうにも出来ない、複雑極まる矛盾の塊である。-略ーいわば永遠の謎なるものとして人間の魂を描くこと、これが彼の一生を通じて歌いつづけている唯一の主題であるといってよい」。
 こう書くとモームの小説は哲学書のようだが、とんでもない。読みだしたら止められない面白い本なのである。 飯澤さん、ありがとう。

2016年6月5日日曜日

カラヤンの秘書・眞鍋圭子さんと7年ぶり再会

 昨日(6月4日)は、夢のような一日だった。
小生、隣町にあるNPO法人「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」(音楽愛好会)の理事を務めている。10周年記念行事として、講師を招聘して欲しいと会から依頼があった。4月、ダメモトでサントリーホール、エグゼクティブプロデューサーである眞鍋圭子さんにメールを入れた。意外にも「喜んで」という返事をいただいた。会としても、私としても夢のような話である。
 眞鍋さんに最近お目にかかったのは7年前である。ホテルニューオータ二で眞鍋さんのパーティがあった。眞鍋さんがオーストリアから勲章を受章、さらに「素顔のカラヤン」という本を出版された。これを祝ってのパーティだった。川口順子・元文部大臣、作曲家・三枝成影、作家・なかにし礼、ソニー相談役・大賀典雄、サントリー佐治会長・夫人といった錚々たるメンバーが参加された。司会は湯川れい子だった。そんなパーティに年金生活者の小生が招待されたのだった。
 昨日の講演会で、眞鍋さんが小生との関係について触れられた。「私が学生時代の音楽仲間の一人です。畠山さんはTDK、グラモフォンの乙黒さん、大阪国際フェステバルの中山さん・・・」。それから約40数年である。
 龍ヶ崎市の講演会会場は座席数80であるが、満席となった。今年はサントリーホール設立30周年。眞鍋さんの話にも熱がこもる。講演会には北海道、名古屋、福島からも熱烈な眞鍋ファンがかけつけ喝采を送った。
 講演会終了後、近くの市の会館で「食事会」。これがまた凄かった。ゲヴァントハウスの役員10名が参加。サントリービールと牛久ワインを飲みながらケンケンガクガク。私は勿体なくも、眞鍋さん、秘書の中村恵さんとともにひな壇に座らされた。
 眞鍋さん、小生の顔を見ながら「お互い年とったわね」。こんなザックバランなところが、眞鍋さんの魅力であり、カラヤン、ベーム、メータ、ティーレマン等、世界の巨匠に愛される理由なのではないかと思った。