2012年5月31日木曜日

ファントム(幽霊)と記念撮影

29日(火)は刈谷ベテランズ(老人)クラブの日帰り旅行だった。
自宅を8時出発。茨城空港に寄り、那珂湊で食事(宴会)をして帰るという旅程。
往復のバスは牛久市所有のもの。というわけで参加費は3千円。お隣、ご近所さん42名が参加した。

茨城空港は需要があるのかと、建設当初から物議を醸しだした空港である。
当初は韓国の格安航空だけだったが、最近は中国便、国内便(神戸、北海道、6月から沖縄便)も動き出している。

ところで、茨城空港で思いがけず、ファントム(幽霊)の愛称で親しまれている、「F-4EJ改 要撃戦闘機」と、「RF-4EJ戦術戦闘機」を見ることができた。茨城空港は航空自衛隊百里基地に隣接しており、退役したファントムが展示されているのだ。

真近でみるファントムは実に精悍。ハイテクの塊であることが一目でわかる。最大速度はマッハ(音速)2.2、時速2,700キロ。東京ー大阪間を約11分で飛ぶという。凄い!こんなハイテク機の出番がないことを祈る。

那珂湊は岸壁に3.11大地震の痕跡が残るものの、市場は再開している。しかし、往時の盛況さはない。早くあの賑やかなな那珂湊になって欲しい。(写真撮影:酒井幸治郎さん)

2012年5月28日月曜日

ディースカウ、吉田秀和、畑中良輔

正に巨星落つである。
 5月18日 フィッシャー・ディースカウ逝去 86才
 5月22日 吉田秀和(音楽評論家・文化勲章受章者) 98才
 5月24日 畑中良輔(バリトン歌手・文化功労者受章者)90才

 5月25日、FM放送で世紀の名バリトン歌手、ディースカウの追悼番組が放送された。その時のアナウンサー、「畑中良輔さんのディースカウさんを追悼するコメントをご紹介します。この収録は22日行なわれたものです。なお、畑中さんは昨日お亡くなりになられました。」

 今朝、新聞(朝日)を見ると、なんと一面に「吉田秀和死去」の記事。茨城版トップも吉田秀和(同氏は水戸芸術館の館長)、文化面トップはやはり吉田秀和(芥川賞作家・堀江敏幸の寄稿)、そして社会面のトップは吉田純子記者の吉田秀和評伝である。
 そういえば、吉田秀和は1971年から朝日新聞に「音楽展望」を連載しており、小生もその愛読者だった。これを読む為にに朝日新聞をとっていた人が多かったのでは・・・?氏の音楽評論は視野が広く、文章も易しく分かりやすかった。世紀の名ピアニスト、ホロビッツを「壊れた骨董品」と評したのはあまりにも有名。

 ところで、小生20代の頃、中央大学の夜間部に行っていた友人から音楽のレポートの代筆を頼まれた「お陰様で”優”がとれました。」担当の先生は吉田秀和だった。

「私は吉田さんのお蔭で、アメリカの音楽会は全部ただ。あちらでは招待券は女つきで2枚くれる。その1枚を、いつも私がもらった。吉田さんには不名誉なことである。何百万もゐるヤンキー娘、それも一流音楽会の切符といへば、貞操まではいかなくとも、手ぐらゐ握らせたかもしれないのに、吉田さんにはその方の才能がなかつた。―― 吉田秀和著「音楽紀行」(1957年・新潮社刊)まえがき(福田恒存)より。

2012年5月23日水曜日

金環日食と東京スカイツリー

21日は金環日食、22日は東京スカイツリーと記念すべき出来事があった。

21日の朝は薄曇り、我が家からも金環日食が観れるかも知れない。ところがメガネの準備なし。
それならばとデジカメで撮ってみることにした。
写真を見ると、なんとなく金色の輪が見える。それと、屋根が月明かりのように黒光りしている。
ところで、裸眼で一瞬太陽を見たが、その時の刺激が、眼底検査のそれと似ていた。暫く光の刺激が眼底に残った。

22日、朝から生憎の雨。家内が東京へでかけた。
東京スカイツリーにも行ったとの事で「記念乗車券」を買ってきた。
ツリーに行っても、事前に入場券がないと入れない。家内は「そらまち」を観てきたという。
”たいしたことなかったわよ”
雨で、ツリーにも昇れないとくれば”たいしたことはない”はずである。

2012年5月22日火曜日

稀勢の里・大関昇進特集号

地元の自分史同好会”刈谷いしぶみの会”の機関誌「いしぶみ」6号が完成した。
 今回は「稀勢の里・大関昇進特集」である。

 ”刈谷いしぶみの会”の前身は”牛久いしぶみの会”だった。当時は会員が20名を超えていたという。ところが、高齢の為、会員が次々に昇天。残ったのが刈谷地区の会員だけとなり、名称も”刈谷いしぶみの会”となった・・・。
 
 平成20年、会の代表である鈴木敏正さんから寄稿依頼があった。
鈴木さんは地元の大先輩である。「ゲストとしての寄稿は恐れ多いので、会員として投稿します。」と返事をした。
 
 現在は会員が5名しかいない。原稿が足りない。窮余の一策として”稀勢の里・大関昇進特集”の原稿を追加して、体裁を繕った。稀勢の里人気に便乗したのである。これを機に新会員が増えれば、「いしぶみ」の寿命も延びるであろう。

 夏場所の稀勢の里は惜しくも初優勝を逃したが、白鵬、把瑠都と真っ向から力相撲がとれるのは、稀勢の里しかいない。勝敗は別にして彼には今後も真っ向勝負をしてもらいたい。
 
「いしぶみ」6号に小生は「千秋楽でござる」「トイレの神様」の2本の原稿を書いた。「トイレの神様」は6年間続けている、シルバーセンターの掃除のバイトの体験談である。同僚から「面白い!」とお褒めの言葉をいただいた。

2012年5月14日月曜日

100年前の名演奏を再生する

ヌヴー、カペー、ブッシュ、レーマン・・・???。
これは人の名前、いずれも1980年代後半から1990年代前半に活躍したクラシック音楽の名演奏家である。

12日、私の住む牛久の隣町・竜ヶ崎市音楽愛好会「ゲヴァントハウス」の特別例会として、新忠篤先生の講演が開催された。
講演の内容は”デジタル技術で蘇生されたSP盤の名演を聴く”である。(冒頭の名称は当日のプログラムに掲載された演奏家の一部である。)

冒頭、女性ヴァイオリニスト、ヌヴーのヴァイオリンが流れた。眼前でヌヴーが演奏しているようにリアルだった。男性ヴァイオリニストとしか思えない逞しい演奏に圧倒された。この音を引きだした、新先生の研究成果に目を見張った。

私は新先生を「管球王国」の主筆としてしか存じ上げていなかった。従ってオーディオ評論家という認識でいた。お話をうかがって、先生はオーディオを音楽を再生する道具として位置づけている印象を抱いた。デジタル技術で再生された音も素晴らしかったが、それと同等以上に作曲、演奏家に関する造詣の深さに圧倒された。ご経歴を拝見するとレコード会社に勤務し、経営にも当たっておられたとある。なるほど・・・である。

ところで、新先生を今年2回(3月、ガラスCDコンサート)も招聘した(多分、新先生の手弁当)ゲヴァントハウスのメンバーは素晴らしい。講演終了後、先生とメンバーとの親睦会が行われた。メンバーの一人、古屋和紀さんの親睦会での一人言(自問、自答)「作曲家がいて、演奏家がいる。作曲もせず、演奏もせず、聴くだけの自分ってなんなのだろう。うん、聴くにも才能がいるんだ」。この言葉に私は救われた。私も聴くだけの音楽ファンである。

創る人、表現する人、鑑賞する人、この三者がいて、音楽も他の芸術も成り立つ。(広く言えば社会も)その間に格差などあるはずがない。

(写真は講演中の新忠篤先生)

2012年5月9日水曜日

太陽は核融合で輝いている

8日、久しぶりにTDK・OBによって組織されている「TDKパソコンクラブ」に参加した。
懇親会の場で、この会を主宰する梅木信治さんが、こう語った。
「太陽は核融合で、輝いています。ただ、これを手に入れて制御するには100年かかると言われております」
私はこの言葉を聞いて目から鱗が落ちる思いだった。

「日本の原子力発電は中曽根康弘が主導したように言われているが、原子力予算の構想はTDK創始者の斎藤憲三や稲葉修が描いたものだった」(2011、7,17朝日新聞)
TDKを創った斎藤憲三は私と同じ秋田県出身。私が秋田工場にいたころ、斎藤憲三が地元に原子力発電を誘致しようと躍起になっていた。当時、斎藤は”ホラ憲”と呼ばれていた。

昨年、原発問題が起きて、原子力を推進しようとした中曽根や斎藤の見識が疑われているようにも見える。ただ、ここで間違ってはいけない。資源の少ない日本の政治家として、”核融合で輝く太陽を手に入れようとした”斎藤や中曽根の発想は当然であり、評価されなくてはならない。
いけないのはそれを実用化する過程での”制御技術についての甘さ”と”利権の核分裂”である。
為政者やマスコミをここを区分して語らなければならない。

斎藤憲三は東京の事務所にいる時も白衣を着て、試験管を握っていた。
利権とは無縁の政治家だった。
(写真はパソコンクラブの例会が行われた”TDK柳橋倶楽部”のコンシェルジェ嬢)

2012年5月4日金曜日

チェコフィル「わが祖国」全曲日本初演CD化

チェコが産んだ作曲家とえばドボルザークが有名だ。彼が作曲した「新世界」交響曲は特に有名。第二楽章は日本でも”家路”というタイトルで親しまれている。
チェコにはもう一人、スメタナという偉大な作曲家がいる。彼の作品では交響詩「モルダウ」が有名。この曲は同国を流れるモルダウ川が生まれるところから大河になるまでを描写したものである。このモルダウは実は六曲からなる連作交響詩「わが祖国」の第二曲目である。
このことを知っている日本の音楽ファンは地元チェコ・フィルの演奏で「わが祖国」全曲を聴くのを渇望していた。
これが実現したのが1974年、今から38年前である。
FM東京が「TDKオリジナルコンサート」開始3周年として企画した聴取者無料コンサートである。なんと応募ハガキが11万通にも達した。これは同局のイベントとしては”さだまさし”に次ぐ記録だという。
このコンサートの音源が今回CD化された。
全曲演奏終了後の熱気に満ちた拍手は感動的である。
なお、このCDの解説書に当時、TDK広報を担当していた私の回想録が掲載されている。なんと光栄なことだろう。(写真)
それにしても、経済大国・日本には「新世界」「わが祖国」に匹敵するような名曲はまだ存在しない。