2014年9月25日木曜日

産地直送の鮮音!「霧島国際音楽祭・イン・龍ケ崎」


9月20日、午後2時から牛久市の隣町、龍ケ崎市で「霧島国際音楽祭・イン・龍ケ崎」が開催された。
 今年の7月~8月、鹿児島で行なわれた音楽祭の模様を録音プロデューサーを務めた常盤清さんにCDを再生しながら紹介していただくという企画である。
 主催は「NPO法人龍ケ崎ゲヴァント・ハウス」。小生も役員になり、お世話になっている。「霧島国際音楽祭・イン・龍ケ崎」というタイトルは小生がつけた。
 会場には50名が詰めかけ満員となった。無料とはいえ、東京都心でもない地方都市のCDコンサートに50名が駆けつける。これは信じがたいでき事である。

 そのコンサート、素晴らしかった。1にも2にもCDの音が素晴らしい。
録音を担当された常盤さんは1970年、録音プロデューサーとして日本を代表する菅野沖彦氏が設立した「ジャパン・オーディオ・ラボラトリー」に入社。1973年に日本フォノグラムに移籍し、数々の名録音を行なった。
 
 最初に演奏されたのは藤原浜雄のヴァイオリン(高関健指揮・鹿児島交響楽団)が奏でるサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリツィオーソ」。その音の瑞々しさ。まさに産地直送である。ヴィオリンとオーケストラの音のバランスも見事。
 録音技術を通り越して、録音芸術の域を感じさせた。

 ここ数年、私は音楽と正面から向き合う事が少なく、パソコンをやりながらのバックグランドミュージックとして聴くことが多い。しかし、常盤さんの録音した音を聴いて、やはり音楽は正座して聴かなくはいけないと思った。演奏家も録音スタッフもある意味命をかけているのである。

2014年9月15日月曜日

飲んで唄って4時間!「東京伊勢堂会」

(右から2番目、小生ではありません。小生は”オンチ”です)

昨日、銀座で平成26年度「東京伊勢堂会」が開催された。
これは私の母校、秋田県立鷹巣農林高校の同窓会である。
鷹巣農林は農業、林業、普通、家庭の4科からなる総合高校である。校舎は林業科の為の壮大な実習林に囲まれていた。この実習林を〝伊勢堂の杜″と呼んでいる。「東京伊勢堂会」の名称の由来である。

会場は銀座7丁目にあるライオン銀座6階「クラシックホール」。ここに46名が集合した。
お偉いさんの挨拶が終わると、飲めや唄えの大宴会。酒はビール、ウィスキー、日本酒、ワインなんでもござれ、会長の布田さんはキングレコード出身、それにプロの女性歌手、麻里侑加も加わる。演歌もあれば秋田民謡もある。銀座のど真ん中が秋田の宴会場と化す。12時に開会した同窓会が終了したのは16時。なんと4時間に及ぶ大宴会。

「東京伊勢堂会」の幹事長は私より6年後輩の岩崎準一郎さん、副幹事長は8年後輩の本橋芳美さん。会の案内から会場セッティング、名札の作成、席のセッティング、式次第の作成とその苦労ははかりしれない。岩崎さんに「良くやるね」というと「同窓生の喜ぶ顔が見たいから」との事。

翠緑萬古 伊勢堂の杜 幽禽四時 友呼ぶ処・・・
(すいりょくばんこ いせどうのもり ゆうきしじ ともよぶところ)
兎追いし かの山”を作詞作曲した高野辰之、岡野貞一コンビが作った校歌を高らかに歌い、同窓会は幕を閉じた。また来年会おう!岩崎さん、本橋さんありがとう!
(学生服姿でお酌をして回る幹事長の岩崎さん)
(秋田・能代出身の麻里侑加さん。”おばこ夢人生”で頑張っている)

2014年9月12日金曜日

地域創生にハイテク産業育成の視点を!


昨日の日本経済新聞に胸のすくような記事が掲載された。

スマホ部品増産へ100億円。ー村田製作所、福井に新工場ー

電子部品の世界トップメーカーともいえる村田製作所が、スマートフォン(スマホ)向けの部品が好調で福井県に100億円投資して新工場を作るという記事である。また、今後2年間で約100人の従業員を採用するという。

さらに勇気づけられるのは村田信夫社長のコメントである。
「最先端部品は海外生産が難しく、最も技術基盤が整った福井で増産する」と西川一誠知事に語ったとある。

つまり、日本の日本海側にある福井県の工場でなければ、スマホ向けのハイテク部品は作れないという話である。
今、安倍政権あげて、「地域創生」に取り組もうとしている。
しかし、村田のような優れた民間企業があれば税金を使わずに、地域創生が具体化できるのである。輸出額も増えるし、一石三鳥である。

「地域創生」というと補助金事業に目が行きがちだが、ハイテク産業の育成、民間企業との協力という視点も忘れないで欲しい。
 
 村田が示したように日本にはかけがえのない優れた人的資源がある。

2014年9月6日土曜日

朝日が夕日に?後手後手!トップの顔が見たい

昨夕、朝日新聞10月以降、購読中止の電話をした。
理由は従軍慰安婦問題の件もあるが、「池上彰の新聞ななめ読み」を見送ったからである。報道の自由を標榜するマスコミ、そのマスコミを代表する朝日新聞がこんな事をするなんて信じられない。
今朝、朝日新聞を見たら一面右肩に「池上彰さんの連載について 読者におわびし説明します」とある。これは期待を持てると思い、38面を見て驚いた。一民間企業に勤めていた小生には理解できない。
 一面でリードするような重要な記事であれば、なんで38面なの?なんで社長がでてこないの?
38面では現場での池上さんとの経緯が説明され、この釈明をした人物として、最後に「東京本社報道局長」の名前が掲載されている。今回の件は現場の出来事と朝日は判断しているようである。
 小生が知りたいのは現場での経緯もそうであるが、こういう体質を産んだ朝日の建て直しなのである。その為には社長の顔が見たい。こんなケースが一般企業で起こった場合、マスコミはどうするか?記者会見を求める。テレビ局は社長や当事者をカメラをかついで追いかける。
 今回の件で感じてる事はマスコミ同志の馴れ合いである。他の業界の事や政界の事であれば争うように取材合戦をするのに週刊誌を除いては平穏である。

 私は長年、朝日新聞を購読してきた。
きっかけは朝日文化財団がはじめた「大阪国際フェステバル協会」の催事である。昭和42年同協会はが主催した「バイロイト音楽祭」を聴く(観る)ために大阪まででかけた。感動した。このような催事ができる朝日新聞は素晴らしいと思った。

2014年9月4日木曜日

「こんにちは赤ちゃん」梓みちよさんの思い出

(写真、梓みちよさん。小生撮影。〝昭和41年3月撮影″)

古い社内報をめくっていたら「梓みちよ」さんの写真がでてきた。
その社内報の発行年月を見ると、昭和41年4月である。

当時、私は社内報「TDKタイムズ」の編集担当だった。
TDKは当時、「シンクロテープ」を販売していた。カセットテープ全盛の前でオープンリールテープ。ブランド名もTDKではなく、「シンクロ」だった。「シンクロファン」というタイトルで毎月、TDKシンクロテープを愛用しているタレントさんを取材した。東海林太郎、園まり、丸山明宏(現在の美輪明宏)等、多士済々。梓みちよさんもその中のお一人・・・。

この時、梓さん22才、小生23才。取材は写真撮影、インタビューと約1時半ほどかかった。年令が近いこともあり、彼女を身近に感じた。その後、銀座コリドー街にあるライブハウスで彼女のコンサートを聴いた。100名ほど入ると満席の小さなお店だった。この時、彼女の視線を感じた。(彼女は私の顔を覚えていたようだった)

梓さんは昭和38年、「こんにちは赤ちゃん」で大ブレイクした。翌年だったろうか。日劇のクレージーキャッチショウに出演されたと記憶している。
舞台袖から梓さんは乳母車を押し、唄いながら登場した。舞台が一瞬にして陽春のように明るくなった。その時の爽やかな印象は今でも忘れない。

平成26年の今、私は72才。6人の孫がおり、禿げ頭、ヨボヨボのジジィだが、梓さんはスターとして第1線で活躍されている。ますますのご活躍を期待したい。