2013年1月29日火曜日

FM放送の楽しみ。ヤマカズ、ソヒエフ・・・


(私家盤、ヤマカズ・左、ソヒエフ・右のCD)

 1月は誠に長く感ずる・・・。
年賀状、新年会が一段落すると、スケジュールは真っ白である。
実は、これが至福の時間である。
まず、地元自分史の会の機関誌「いしぶみ」の編集にとりかかる。

 久しぶりにFM音楽放送を聴く。
24日、トゥガン・ソヒエフ指揮/ベルリン・ドイツ交響楽団のショスタコーヴィチ/交響曲第4番・他。
驚くほど音が良い。演奏も充実している。ソヒエフは1977年北オセチアの出身だという。今後が楽しみだ。
 楽友から送っていただいた山田一雄指揮/NHK交響楽団のシベリウス/交響曲第2番も聴いてみた。日本の巨匠指揮者というと朝比奈隆が有名だが、それと肩を並べる実力者だということがわかる。シベリウスの指揮者として世界的に有名な渡辺暁雄のように北欧的な情感はないが、スケールが大きく劇的である。中国の大河の流れを連想させる。
 山田一雄(1912-1991)は通称ヤマカズの名前で親しまれた指揮者。東京芸術大学名誉教授でもある。情熱的な指揮ぶりで指揮台から転げ落ち、指揮棒を振りながら、ステージに戻ってきた等、エピソードにことかかない。没後20年たった2011年、日本芸術院賞授賞。
 ヤマカズのCDは楽友、中川正宣さんがFM放送から録音したものである。
 2枚とも私家盤としてレーベルデザインをして印刷した。
 FM放送の音楽番組は、パソコンに向いながら毎日聴いている。CDで発売されていないライヴものは録音して私家盤CDを手作り。年金生活・音楽愛好者には誠にありがたい放送である。

2013年1月20日日曜日

泉さん、新聞連載マンガ最長記録おめでとう

17日の朝日新聞を広げてオヤオヤと思った。

 ”朝小「ジャンケンポン」新聞最長マンガだ。泉昭二さん1万3616回に”の見出し。
朝日小学生新聞に連載中の泉昭二さん作の4コママンガ「ジャンケンポン」が、17日付けで1万3616回を迎え、同一タイトルの新聞連載マンガとして最長記録を達成する。毎日新聞夕刊に連載されていた「まっぴら君」(加藤芳郎さん作、1954~2001年)を超えたというのだ。

 泉さんて、あの泉さんではないか。私は記憶を辿った。
 泉さんには、50年前頃、私が担当していた社内報に挿絵を描いていただいた。
 それがご縁で、私の結婚式の時、泉さんに家内のプロフィールを描いていただいた。
 アルバムを探したところ、出てきました。
 家内の料理の献立を見ると泉さんのユーモアに富んだメニューが並んでいる。
 泉さんの暖かいお人柄と才能が溢れでている。

 「ジャンケンポン」は1969年から連載がはじまったという。ちょうど私が結婚した時である。
「ジャンケンポン」の連載記録がさらに伸びることと、泉さんの今後のますますのご活躍とご健康をお祈りいたします。

2013年1月14日月曜日

爆弾低気圧下のシティマラソン

14日、成人の日、寝床に雨の音が聞こえる。予報通り、爆弾低気圧の到来である。
6時30分、「牛久シティマラソン」にアクセスすると”マラソンは予定通り実施します”とのこと。
あわてて身支度をする。

 小生、シティマラソンのボランティアに登録していたのである。
集合場所7時45分、家から3キロ先の市のグランド。ここのグランドを小生の所属するグランドゴルフチームが利用している。グランドゴルフの加藤会長のお話によると、市にグランドゴルフでお世話になっているので、シティマラソンのボランティアに参加して恩返しをしたいとのこと。
 小生もグランドゴルフの出席率が悪く、加藤会長以下、仲間に日頃迷惑をおかけしてしている関係上、お断りするわけにいかなかった。

 加藤会長の運転する車に乗ってマラソンの折り返し点に向かう。小生の仕事は折り返し目がけて走ってくる10キロ走との5キロ走の選手を歩道側と分離帯側に誘導すること。
 
 9時30分、選手の姿が見える。 雨合羽、長靴、ホカロンで重装備し、走路に仁王立ちになる。「10キロは歩道側です」とメガホンで叫び手を振り続ける。1時間ほど叫び続けたが、なんとか喉はもった。(同僚からいただいた飴が喉に効いた。)しかし、さすがに体は冷えた。

 家に帰り昼食。実はこの日14時~つくばで開催される読売日本交響楽団のチケットを買っていた。12時40分、家内と車でつくばへ向う。なんと午前中の氷雨は雪に変わり、道路は大渋滞。と、その時、ポケットを探す。チケットが入ってない。「チケットを忘れた。この雪だし、コンサートは止めよう」「そうね」家内もうなづく。痴呆気味の頭が雪のつくば行きを中止させるために、チケットを忘れさせたようだ。

2013年1月11日金曜日

天国に近い、老人会の新年会


私が住む刈谷地区ベテランズクラブ(老人会)の新年会が昨日、11時から開催された。
 シルバーセンターのスーパーの掃除のバイトが終ると(7:30~10:30)着替えていそいそと自治会館にでかけた。自治会館は我が家から200メートルほど。

 会場に着くと、100名ほどのベテランの面々で一杯、席を捜していると、グランドゴルフの仲間である平野さんが「おーい、ここが空いているよ!」と手を上げて招いて下さった。平田会長が開会の挨拶。「昨年は旅行に行ったきり帰ってこなかった方がいらしたが、今年、旅行する場合は必ず帰ってくるように・・・」との事。そういえば、70才の私は一番の若手。ほとんどが80歳前後で、天国行き予備軍である。

 ビールでの乾杯が終ると、一升びんが目の前を行き交う。たちまち体が浮遊状態。朝の掃除のバイトの疲れ(1万歩)もあり、天国に行けそうな気分になった。我にに返り、ここは自宅に近い自治会館と気がつき、またコップ酒をすする。
 (老人会の新年会は数ある新年会の中でも一番、酔いが早く、気持ちが良い。)
1時前、「これから音頭」の大合唱で幕となった。

2013年1月7日月曜日

平成の畠山家と北条家、他

(北條家の愛情で育つ3人の孫と、モンゴル捕虜跡地の写真が掲載された堀井さんの賀状)

 私の実家は鎌倉時代の武将、畠山重忠と称している。(兄は重忠から数えて32代目に当たる。)
畠山重忠は1205年(元久2年)北条家との確執で無念の最期を遂げる。

 昭和になって兄洋三は北条家の流れを汲む北條文次郎氏と東京農業大学で会い意気投合、「村の会」に集い、農業の将来を語り合う。
 平成になってから、私の息子が結婚。相手が北條文次郎氏の弟、保夫氏のお嬢さんと分かった時は畠山家と北条家の不思議なご縁に感動した。息子は3人の子に恵まれる。

 今年の正月2日、保夫氏の奥様が拙宅にお見えになった。
奥様は結城市の名門の生まれとのことだが、その行動力には驚く。ゴルフのキャディ、コンビニのバイト、市の業務と掛け持ち、その合間を縫って、海外にゴルフにでかける・・・。話をうかがっていて、大いに刺激を受けた。3人の孫達も奥様の愛情に育まれて元気一杯である。

 もう一つ、刺激を受けたのは牛久市内在住の堀井さんの年賀状。堀井さんのお父さんはモンゴルにある日本人捕虜病院の軍医だったとのこと。昨年、その跡地をみて足が震え、無意識のうちに合掌したとある。今年は捕虜達が運搬された極寒のシベリア鉄道を旅するという。堀井さんは私と同じくらいのご年齢のはず。遊び半分で旅をする私とは覚悟が違う。


2013年1月5日土曜日

大自然相手に!ゴルフ初打ち


 4日、平成25年ゴルフ初打ち!
場所は茨城県南・霞台カントリークラブ。我が家から約16キロと近い。
 会社現役組対OB組の対抗戦。
 現役組といっても年齢は55歳~59歳。
 若手は入らず、高齢化するばかり、この対抗戦いつまで続くことやら・・・。
 ただし、定年が60歳~65歳になるのではという情報も・・・。

 天気晴朗なれど風強し。私のスコアは56、56と自慢できるのものではない。
70歳。大自然相手に白球を飛ばせるだけでも満足。故郷、秋田は吹雪でゴルフどころではない。