2011年7月31日日曜日

田宮虎彦著「足摺岬」

      (足摺岬にある田宮虎彦の文学碑)
 四国旅行をしてズッとひかかっていた。
田宮虎彦の書いた「足摺岬」である。若い時に読んだのかもしれない。しかし、ストーリーなど全く思い出せない。
 図書館から借りて読んだ。
 素晴らしい。感動した。切ない内容だった。
 
 今回の旅行では、土佐清水から険しい山道をバスで超えて岬のある温泉まで行ったが、小説を読むと、主人公は清水から二里ほど歩いたとある。また、馬車に乗ったとも書いている。いずれにしろ、難行苦行である。この本が書かれたのは昭和24年10月とある。今回の旅行でも足摺岬は秘境だと思ったが、当時は本当に地の涯だったと思う。
 
 主人公が足摺岬を目指した目的、それは自殺だった。泊まった宿屋でのお遍路、売薬屋、宿屋の女将、娘との交流が描かれる。出てくる登場人物、それぞれが暗い、切ない。
 
 小説・足摺岬の背景には高知出身の父の厳しい教育があったようだ。なお、虎彦の次男はトランペット奏者の田宮堅二だという。今は桐朋学園の教授とのことだが、NHK交響楽団で彼のトランペットを聴いた記憶がある。
 昭和29年、足摺岬は映画化されている。監督・新藤兼人、主演、木村功、津島恵子。是非映画も観たものだ。

2011年7月22日金曜日

中曽根に原発で影響を与えた男

(斎藤憲三は地元秋田では”ホラ憲”と呼ばれていた。気宇壮大。凡人では理解不能)
 7月17日(日)付、朝日新聞に「原発国家・中曽根康弘編」という記事が掲載されている。
この記事を読むと”54年3月に提出された日本初の原子力予算も、野党改進党の予算委理事だった中曽根が主導したといわれている。ー中略ーだが、中曽根は中心人物ではなかった。原子力予算の構想は、直前にあった改進党秋田県連大会から帰京の車中で、TDK創始者の斎藤憲三や、のちに法相となる稲葉修らが描いたものだった”
 斎藤憲三は国会議員随一の科学通だった。原子力のみならず、宇宙開発、海底資源開発、バクテリアの研究と広範な知識を有し、科学技術庁の初代の次官として活躍した。
 私はTDKに入社したお蔭で、丸の内の先生の事務所に何回かお邪魔した。先生の事務所は別名、研究室と呼ばれ、顕微鏡や試験管が並んでいた。時には先生は研究用の白衣を着用されていた。
 斎藤憲三は渡米した時に原子力潜水艦の製造をしていたゼネラルダイナミックのホプキンズ社長に会う。斎藤は社長に「原子力の終局的目標は何か」と尋ねる。社長は「原子力により電気は無限になる、原子力による無限動力」と答える。
 現在、日本は原子力による無限被害におののいている。
 原子力の可否はさておき、原発事故を機に斎藤憲三という巨人が懐かしい。斎藤が健在だったら、今回の原発事故にどういうコメントをしたであろうか・・・。
 
 
 

2011年7月20日水曜日

隣町の文学仲間

    (「いしぶみ」5周年記念号と利根町との親睦会)


 もう先月(6月)のことである。



小生が住んでいる牛久市刈谷町の文化祭が行われた。

それに合わせて小生が所属する「刈谷いしぶみの会」の文芸誌「いしぶみ」五周年記念号が発行された。この会を主催する鈴木敏正さんが、文化祭に隣町、利根町の文芸グループを招待した。


 「刈谷いしぶみの会」の参加メンバーが5名なのに対して、利根町は9名とメンバーは倍である。

利根町の文芸グループには藤代高校の元校長さんがおり、教え子をごっそり入会させたのだという。


 私の書く文章は文学などというレベルではなく、作文のレベルなのだが、このような会に入会して読後感などを語り合えるのは楽しい。


 それにしても、やはり隣町の龍ヶ崎市にはゲヴァント・ハウスという音楽グループがあるし、近くに同好のグループがあるのは誠にありがたい。



2011年7月12日火曜日

炎暑のストレステスト

        (四国の最南端、足摺岬。良かった)

 

 日本の世情は原発のストレステストが話題だが、小生のスケジュールは炎暑のストレステストといったところである。


 5日、朝6時起きで佐倉カントリーへ。コンペで優勝。


 6日、8時、シルバーセンター。掃除のバイト。カンカン照りの駐車場の掃除はこたえる。


 7日、5時起き。家内と四国旅行。羽田から高知へ。龍馬の銅像の立派なこと。足摺岬まで行く。


 8日、四万十川、宇和島を経て、松山・道後温泉へ。道後温泉界隈の洗練された街並みに驚く。


 9日、金毘羅参り。700段余の階段登る。その後、徳島の祖谷峡へ。7時高松空港発。22:30帰宅


 10日、8時、シルバーセンター。掃除バイト。


 11日、4時起き。横浜・大倉山へ。新潟・伊藤桂佑さんの依頼で、彼の実兄所有のSPレコード回収。

    流山のSPレコード愛好家、豊島さん同行。その足で川崎市・明津の中山実さん宅を訪ねる。母 

    屋の隣に中山さん専用の趣味の家(1階がオーディオルーム。2階が資料室)があるのには驚い

    た。母屋で奥様の手料理をご馳走になる。往復高速を使用しなかったので、7時間ほど運転。


 12日、今日も暑い中、シルバーセンターのバイトが待っている。


 過密スケジュールだが、なんとか元気に消化。生きている実感。(親父の遺言だと生かされている実感がする)



2011年7月6日水曜日

ゴルフコンペ、70歳目前にして初優勝

       (みごと優勝!ニアピンもとりました)






 2日の筑波東急でプレーを終えた後、5日の佐倉カントリーでのゴルフコンペでは、上位入賞ができそうな予感がしたが、結果は優勝だった。1973年にゴルフを初めたが、優勝は初めてである。


 70歳(来年3月)を目前にしての優勝!実におめでたいと自画自賛。


 このコンペ、現役時代の総務部長、高橋一夫氏が会長を務めている。同氏と同年代の総務、法務、特許、営業のOBが名を連ねる。私は当時、広報に席を置いていた。会名は「和会」。年に2回以上コンペを開催。私は年に一度ほどゲスト参加している。平均年齢は70歳の前半。


 佐倉カントリーは距離はあまり長くないがアップダウンがあり、ラフも深く、グリーンは早くアンジュレーションがあり、難コースである。参加者のほとんどが、猛暑とグリーンに苦しむ。逆に私はグリーンが絶好調。後半は9ホールのうち、5ホールがワンパット。それだけアプローチも良かった。

 とはいえ、トータルスコアは103。ハンディを沢山いただいていたので、優勝である。









 

2011年7月4日月曜日

7月も元気にスタート

        (左から石見社長、和田社長、広畑会長、私)

 7月2日、筑波東急カントリーに出陣。

父の十三回忌記念誌「感謝」を現役時代お世話になった音元出版・和田光征社長に進呈したところ、そのお祝いということで、声がかかった。

 パートナーはオーディオ機器・ディスク販売店の広畑会長、やはりオーディオ関係の会社を経営されている石見社長。皆さんうまいので、バックティから打たれるとのこと。ラウンド中、和田さんからご指導いただき、この分だと、5日、佐倉カントリーで開催される会社OBのコンペで上位入賞できるかも・・・。という欲がでる。それにしても皆様のマナーのいいこと。勉強になりました。それもそのはず、和田さんは筑波東急カントリーの理事&競技委員長である。仕事に趣味に輝かしい実績をあげられている和田さんには脱帽である。

 7月は5日の佐倉カントリーのコンペが終わると、7日~9日まで家内と四国旅行。11日は新潟の旧友・伊藤桂佑さんからの依頼で遺品の回収作業が入った。(横浜・大倉山へ行って、SPレコードを回収)。15日はオーディオ評論家・藤岡誠先生主催の「千代田会」。その間にシルバーセンターの清掃のバイト、地元文芸誌からの原稿書きと、結構多忙である。