2015年12月30日水曜日

やった!慰安婦問題解決etc(年末床屋談義)

<床屋談義と関係ないが、古くからの友人である佐藤さんが出版した「なぜ、ヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?」(講談社)が売れている。写真は先月行われた出版記念パーティで。左から小生と佐藤ご夫妻。>

 髪が薄くなり、ほとんど坊主頭だが、正月を迎え、床屋へ行った。床屋といっても1,000円のカットファクトリーである。年末は混むから朝一で行こうと開店時間を確認する為、ファクトリーのカードを見たが、なんと電話番号の表記がない。店員にこの事を尋ねると、電話がかかってくると、仕事が中断してしまうので、電話番号は表示しないのだという。「なるほど、ここまでコスト削減に務めているのか」と関心した。(私が開店時間を確認したのは同社のネットである)
 開店時間は9時。10分前に行くと、誰もいない。しかし、9時になると4~5人の集団が入店してきた。子供の頃、年末は床屋が混む。今も変わらない。

 ところで、集団の中で見覚えのある方がいる。大手建設会社OBのNさんである。「床屋、終わりましたらお茶でも飲みませんか」とお誘いした。
 Nさんとの話題は昨日、合意した「慰安婦問題、日韓妥結」。このニュースには私もNさんも驚いた。国のトップ同士がやる気になれば数十年の懸案事項でも妥結する。年末の超ビックニュースである。安倍総理は大したものである。
次なる話題は少なくなった余生の過ごし方。「悔いを残さないよう、楽しもう」という結論に達した。いずれにしろ、二人の人生は戦争にも合わず、日本も会社も発展した。幸せな人生だった。
 「今年、当社は貴社から50億円の仕事をいただいたそうです。自分も現役当時、貴社から10億円の仕事をいただきました」Nさんは、定年後10年以上たっても会社の動向を気にされる。愛社精神旺盛である。なんとも明るい床屋談義だった。

2015年12月23日水曜日

老後の株式投資。その目的は?

(つくば市の公園。証券会社もつくば市にある)

アベノミックスの影響で株が値上がりした。
10月、値上がりした所で全部株を売却した。
しかし、その後、生活に張り合いがなくなった。

新聞を見ても、テレビを見ても緊張感が沸かない。
株を持つという事は、利益を得る事が最大の目的であるようだが、社会参加という点でも意味があったようである。つまり、株を売ってしまったら、自分の生活範囲がグーンと狭くなったのである。

株を持っていた時は日本経済はもとより、世界経済、特に中国経済、それとイスラム問題・・・。それらが株価に影響した。それが日々の緊張感につながった。年金生活の身でありながら、現役の一員であるような生きがいを感じたのである。

と、いう事で、1ヶ月ほど前、また株を購入した。
購入した株は現在8%ほど下がっている。

株の購入資金に老後の生活費は使用しない事にしている。ましてや借金をするなどという事はあり得ない。株はあくまでも小遣いの範囲である。

「小遣いでボケ防止をする」それが、私の株式投資の目的なのかもしれない。

小遣いの範囲であれば、得をしても損をしても人生勉強になる。儲けて、日頃できない事をするのも勉強になるが、損をして辛抱するのも勉強になる。

と、いう事で今後も株式投資は続きそうである。

2015年12月16日水曜日

命がけ、集中して放った一打!9位入賞


 グランドゴルフは昭和57年、鳥取県で生まれたスポーツである。ゴルフよりも体力、プレー代を必要とせず、高齢者向けである。私もグランドゴルフを始めて7~8年になる。

 グランドゴルフのコースは1ラウンド50、30、25,15メートルのコースを2回づつ8回まわる。野球のボールくらいの球をゴルフクラブのパターのようなクラブで打ち、ホールポストに入れる。
3打で入れば、パープレー。従ってパープレーは24(3×8)となる。ホールインワン(1打)で入れれば、スコアから3打引かれる。ホールインワンの威力は大きい。

 試合はコースを4回廻るのでパープレーは96(24×4)となる。優勝するには60代か70代で廻らなければならない。その為にはホールインワンがでることが必須条件である。

 昨日(15日)私が所属する茨城牛久GGクラブの年末コンペがあり、40名が参加した。
私は運よく最初のプレーでホールインワンがでて、16。残り3プレーを20前後で回れば70代のスコアとなり入賞できると思った。コースは芝生である、芝生の状態がコースにより違う、傾斜しているコースもある。ホールポストの入射角度も違う。一打一打、それこそ命がけでプレーした。結果、16、21、21、20の78で回ることができ、9位に入賞した。
 終わって12時~市役所向かいの料亭で忘年会、昼なのにテーブルに宴会料理が並んだ。食事が一段落したところで、大カラオケ大会。みんな上手い。用事があった私は途中で退散した。

 難ホールといわれた7番でホールインワンできた感触は一日たった今でも忘れない。まさに命がけで、集中して放った一打だった。(と言って入るわけではない。やはりツキがないとダメ)

2015年12月14日月曜日

ジジィ、東京地下鉄ジャングル実感

(久しぶりの秋葉原は中国人で溢れていた)

月に一回は東京にでかける。
11日(木)の東京行きは、73歳のジジィとしてはハードなスケジュールを建てた。
  9:00 牛久発
 10:30 銀座/野原さん(80歳だが、現役)と昼食を兼ねた情報交換
 14:00 赤坂/デザイナーの目崎さんと情報交換(現役の頃、CDのデザインをお願いした。
 15:30 四つ谷/TDK・OB西宮さんと情報交換。(先月行われた、米国ジャーナリスト、佐藤さんのパーティなども聞きたい。
 17:00 秋葉原散策 
 18:00 浅草橋・TDK柳橋クラブ/オーディオ評論家・藤岡誠先生を囲む、オーディオ業界忘年会(出版、メーカー、評論家、19名参加)

 銀座までは通い馴れた道なのでどうという事はなかった。
 銀座から赤坂見附、四つ谷、秋葉原と地下鉄を利用した。
 なぜかといえば、地下鉄は都心に網の目のように張り巡らされており、各路線が繋がっているからである。
  (地下鉄を数多く利用するのは4~5年ぶりである)
 ところが驚いた、地下鉄は1階から6階まであるようで、距離的にも50メートルから300メートルと離れている。ジャングルなのである。

 以前、東北新幹線を利用し、上野で降りて、JRの改札にでるのに(何回もエレベーターに乗る、&歩く)苦労したが、地下鉄はそれの連続である。ジジィにはきつい。JRでも驚いた事があった。秋葉原から浅草橋に行くために、総武線に乗ろうとしたら、総武線がない。最近まで山手戦に隣接していた総武線が遠くに移動していたのである。
 
しかし、キツイからと言って、東京行き減らしたら、東京ジャングルはますますキツクなる。スケジュールには余裕を持たせ、ガンバらなくちゃ・・・。
        

2015年12月6日日曜日

60年ぶりの「餅つき」見学

 
「杵を振るう、杉森さん”市議”と、サポート役の村中さん”中央・割烹着姿”」
 
 5日、今年から理事をしている、牛久市刈谷町・ベテランズクラブ(老人会)の「餅つき」があった。刈谷町には4,500世帯があるが、「餅つき」に参加したメンバーは54名である。参加率1%強である。
 8時30分、指定された自治会館の空地に集合。空地には臼(うす)と杵(きね)が準備され、その隣で、もち米の入った釜が3段重なっている。既に釜の下では薪が赤々と燃えている。「3段とも一度に蒸されるんですか?」と先輩に聞くと「下から順番に蒸される。だがら下の釜が蒸したら、臼に移すという順番で上の釜まで蒸すんだよ」との事。私はバカな事を聞いたものだと思った。

 私は秋田の農家の次男、年末など、朝早くから別棟の作業小屋からドン、ドンという「餅つき」の音が聞こえたものである。ただ、「餅つき」は父と兄がやっていたので、私は杵に触った記憶もない。農家の次男である私は、学校(高校)を卒業したら東京へ集団就職するか、婿に出すものであり、父も真剣に農家の事を教えようという気持ちはなかったようだし、私自身、農家の仕事にほとんど興味がなかった。
 子供の頃の習性は今も引き継いでおり、5日も杵を持って、「餅つき」をするチャンスがあったのであるが、見学するだけに終わったものである。

 それにしても「餅つき」のベテランがよくも集合したものである。「薪燃やし」「もち米蒸し状態のチェック」「餅つき」「餅つきサポート」・・・。見学はしなかったが、餅が持ち込まれた自治会館では、女性陣が「餡子もち」「きな粉もち」の加工を行った。昼近くには、54名分の「餡子もち」と「きな粉もち」が見事に並び、「お疲れ様」の酒井会長の挨拶と同時に缶ビールの蓋が開いた。

 最近、定年後の自分の使命とはなにか?という事を自問自答する。それは「自分の生きてきたものを後世に伝える事」ではないかと思う。5日の「餅つき」もその一つである。いつまでも「餅つき」を継続して欲しい。