2009年9月23日水曜日

1964年NHK・FM「立体音楽堂」

        (クリックすると拡大されます)
 ビゼー作曲、組曲「アルルの女」の決定盤といえばアンドレ・クリュイタンス指揮・パリ音楽院管弦楽団の演奏したものである。フランス物の演奏にかけては他の追随を許さないこのコンビが1964年に1度だけ来日している。

 このコンビが来日公演で演奏したベルリオーズの「幻想交響曲」と「ラベル管弦楽曲集」はNHKに放送音源が残っており、CD化されている。ただ、「幻想交響曲」はステレオなのになぜか「ラベル管弦楽曲集」はモノラルである。

 その理由は「ラベル管弦楽曲集」についてはNHKにモノラルしか保存されていないということだった。

最近、私が親しくしている竜ヶ崎市(牛久市の隣)の音楽愛好会「ゲバントハウス」が「ラベル管弦楽曲集」の一部をステレオで保存していることがわかった。1964年5月10日NHK・FMで放送されたものをエアチェックしたものだった。

 私はこのステレオ音源をNHKに提供するよう提案した。そんなこんなでステレオの曲目が加わった「ラベル管弦楽曲集」のCDがこの度発売された。

 このCDの解説書をみると、協力として、竜ヶ崎市・音楽愛好会「ゲバントハウス」の名称が記載されている。ただし、小生の名前まで記載されたのは想定外だった。

 いずれにしろ、クリュイタンス・パリ管お得意のラベル管弦楽のステレオがCD化されたのは一音楽ファンとして嬉しい。ステレオによるラベルはパリのエスプリに満ちている。

2009年9月22日火曜日

敬老会のホスト

        (敬老会、オカリナコンサート)
 昨日は穏やかな天気でまさに「敬老会」日和。

わが刈谷自治会も75歳以上100名が自治会館に集い、楽しい一時を過ごした。

 名ばかり役員(実は下働き)の小生は前日から100名分の座席を作ったり、お土産を準備したり大忙し。

 当日は自治会周辺の掃除、スリッパの準備、放送設備の準備等、大忙し。老人達が集ってくるとお盆にお茶を載せて配る。「まあ、ありがとうございます」とおばあさん達はニコニコ。彼女達にとって、67歳の小生は若者らしい?結構評判が良い。

 終わってから民生委員も一緒になっての反省会。24名の大人数。それが終わると、台所で下働きした女性理事と、彼女達のお手伝いをした男性理事数人で反省会の2次会。

 内でも外でも女性に使われる立場になりましたあ・・・。

2009年9月19日土曜日

我々はどこへ行くのか。


        (東京駅からでていたゴーギャン展への無料バス)

 8日、眞鍋圭子さんのパーティに行く前に「ゴーギャン展」へ行ったのだった。


ゴーギャンに関心を持ったのは今年の1月、電通・元モスクワ支局長のIさんに会ってからだ。Iさんは「日本サマセット・モーム協会」の会員だという。モームの作品を読まざるをえなくなった。彼の代表作「月と6ペンス」を読んだ。画家ゴーギャンを主人公にした作品である。面白かった。彼が晩年を過ごしたタヒチ島へ行きたいという誘惑にえ誘われた。


 タイミングよく「ゴーギャン展」が開催されている。


彼の代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」に圧倒された。タテ1.39メートル、ヨコ3.74メートルの大作である。傷や汚れもなく保存状態も良い。米国ボストン美術館の所蔵だという。未開の地、タヒチ島で描かれた大作がどんな経緯でボストンに渡ったのかにも興味が沸いた。

2009年9月17日木曜日

浄化のオペラ「サロメ」

      一途で無垢なサロメを演じたミヒャエル(ソプラノ歌手)
 サロメとえば、まだ少女のような女性が「7つのベールの踊り」を踊った見返りに王に銀の皿に載せた預言者ヨカナーンの首を所望するというなんとも気味の悪い筋書きである。

 2008年、イギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場で上演された「サロメ」のDVDをみた。

「サロメ」のイメージが変わった。これはグロティスクな作品ではなく、「愛の神秘は、死の神秘より深い」という浄化のドラマなのである。けっして表面上の不気味な筋書きのまどわされてはいけない。

 こんな印象を持ったのもサロメを演じたミヒャエルの容貌と演技に起因している。彼女は舞台女優のように一途で無垢なサロメを演じている。

2009年9月10日木曜日

眞鍋圭子さんおめでとう

   (花束を手にした眞鍋さん、右手に川口元外務大臣の顔もみえる)
 8日、ホテルニューオータニで眞鍋圭子さんの出版と受勲を祝うパーティが開催された。

出版は7月に幻冬舎から出版された「素顔のカラヤン」、受勲は「オーストリア共和国功労金賞」である。

 参加者のなんと豪華なこと。川口順子・元外務大臣、作曲家・三枝成彰、作家・なかにしれい、ソニー相談役・大賀典雄、サントリー佐治会長・夫人などなど、司会は音楽評論家・湯川れい子。

 こんな場所に年金暮らしの小生がなぜ、招待されたのか?当日の眞鍋さんによると、「昔お世話になった方」ということだった。

 そういえば、1969年ころ乙黒さん(当時グラモフォンレコード)、中山さん(当時大阪フェステバル協会)、眞鍋さんの4人で夜明けまで音楽談義に花を咲かせたものだ。

 それにしても、眞鍋さんは偉くなった。サントリーホールで「ホールオペラ」という方式を定着させた功績も大きい。カラヤンに家族同様に愛しされていた眞鍋さん。カラヤンも天国で今日のパーティを祝福していると思う。

2009年9月7日月曜日

越後屋の美術館

     (7階の美術館へ通じる1階エレベーターホールの吹き抜け)
            (道教美術展のパンフレット)

「越後屋、お主も悪よのう」「いえいえお代官様ほどでは」で有名な越後屋こと、三井財閥が美術館を作った。「三井記念美術館」である。日本橋・三越の隣にある。


越後屋は1673年江戸本町に呉服屋として誕生した。越後屋は悪徳商人だったわけではなく、商店としてあまりにも有名なので、代名詞的に使用されている。越後屋は江戸、明治、大正、昭和、平成と発展を続け、遂に美術館をもつまで、発展したのである。


 昨日(6日)はじめて、同美術館をのぞいてみた。「道教の美術」の最終日だった。道教ってなに?。「日本に神道があるように、中国における民族宗教が道教である。中国の風土で生まれた様々な神々。不老長寿や福・禄・寿といった現世利益を願う民族宗教」わかったようなわからないような・・・。

2009年9月5日土曜日

カリスマ歌手「越路吹雪」


 ひょっとしたご縁で「越路吹雪」(愛称コーちゃん)のCDを聴くことになった。

 その並外れた歌唱力に驚いた。次元が違う。カリスマである。

 僕流にカリスマといえば、演歌の「美空ひばり」であるが、「越路吹雪」はシャンソンのカリスマである。


 豊かな声量、幅広い音域。どんな曲でも呼吸するように自然に淡々と歌う。それなのに味わい深い。

「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」「枯葉」「そして今は」・・・。どれも素晴らしい。そしてなによりも慄然としたのは「人生は過ぎ行く」。この中で”好きよ”というセリフが50回以上もくりかえされるが、そのセリフの可愛さと、セクシーさは単なる歌手ではなく舞台人であった彼女ならのものである。

 彼女の歌のバックを支えるのがフルバンドというのも凄い。

 

 越路吹雪。1924年生まれ。1980年胃がんのため死去。満56歳の盛りだった。

 日本のシャンソン歌手。宝塚歌劇団の男役スターだった。

 1969年からはじまった日生劇場のリサイタルは1980年まで続いた。(53回)

 独身時代は三島由紀夫の恋人だったこともあるという。

 

2009年9月4日金曜日

美感遊創

 現在、私は無職なので名刺をもっていない。
しかし、東京へでかけてると、名刺をいただくことがあり、名刺がないと相手に失礼だと感じている。
たまたま、8日は都心でパーティがあり、作ることにした。
 ところで肩書きである。迷ったあげく肩書きのかわりに「美感遊創」と入れることにした。「美感遊創」は定年後の私の処世訓である。
 美を感じる感性を磨き、多くの友人と遊び、創造的な人生を歩みたいという思いである。
 友人には郷友、学友、社友、地友がいるが、これをタテ糸とすれば、ヨコ糸として、酒友、球友(ゴルフ)、楽友、音友(オーディオ)、文友がいる。これらの友と交わって、楽しい人生を送りたい。
 それを集約した言葉が「美感遊創」である。