2012年4月28日土曜日

レコード業界の流儀

4月22日、今年第2回目の「菜の花会」があった。
第1回目は私が幹事で1月22日、「大相撲千秋楽」を観た。
今回は我孫子市在住の篠原裕治さんが幹事だった。

 篠原さんが作ったスケジュールは昼、我孫子駅集合、手賀沼湖畔にある「満天の湯」で温泉を楽しむ。その後、篠原邸に移動して宴会というものだった。
 その過程は心温まるハプニングの連続だった。まず、温泉にはバスで移動のはずだったが、奥様が迎えにきて下さった。日曜日のためか「満天の湯」は満席。運よく窓際の席がとれ、湯上りに庭を眺めながらビールをいただく。「満天の湯」から篠原邸に向かう途中、奥様の運転する車で「あけぼの山農業公園」へ。ちょうどチューリップが見頃(写真)。オランダに行ったような気分になった。
 篠原邸の奥様手作りの料理が美味しかった。特に茶碗蒸し。各種ビールがクーラに揃っている。日頃飲めないプレミアルビールをご馳走になる。酔いが回ったところで、篠原さんがギターを持ち出し、生ギターによるカラオケ大会・・・。
 篠原さんは大手レコードメーカーのご出身。ここにMさんという名プロデューサーがいた。Mさんは新人歌手の発掘、歌手の育成の為に、私財をなげうった。自宅に歌手や関係者を招待し、人脈作りに邁進したという。
 篠原ご夫妻の心温まる、しなやかなおもてなしに触れ、そこに往年のレコード業界、そこで活躍されたMさんの流儀が脈打っているのを感じた。そんな風土から大歌手が誕生した。
効率第一主義の現代では歌手も小粒になり、寿命も短い。
 
 奥様に我孫子駅まで送っていただいたのが7時30分。牛久駅には8時には着くはずだったが、牛久駅についたのは9時だった。取手止まりの電車に乗り、乗り換える時に上り電車に乗ってしまい、再び我孫子駅に行ったのであった。

2012年4月25日水曜日

ホキ美術館

4月19日、ゴルフの後は御宿の楽多館で宴会。翌日は牛久へ帰るだけだった。
そこで思いついた。昨年、8月21日、駆け足で観た「ホキ美術館」をジックリ観たいと思った。
「ホキ美術館」は土気市の昭和の森に隣接している。

美術音痴の私だが、写実専門美術館である「ホキ美術館」にスッカリ魅了された。
ここに展示されている、人物画、風景画は写真よりもリアルで美しい。

因みに写真の作品は同館のパンフレットに掲載されていた生島浩画伯の「月隠り」だが、モデルの陰影に富んだ表情がなんとも魅力的である。また、その髪の美しこと・・・。このような名画が160点も展示されているのだからたまらない。

なお、当日は11:30分から学芸員の方がギャラリー1から9まで要領よく解説しながら巡回して下さった。なお、この美術館は最新の建築技術を駆使した「空中に浮かぶ回廊型美術館」であり、館そのものも一見の価値がある。(写真左下)

2012年4月21日土曜日

想定外、ゴルフコンペ2連勝


 昨年、現役時代のOB連中の集い「和会」のゴルフコンペ(佐倉ゴルフカントリー)で生まれてはじめて優勝した。が、その後、ゴルフの回数はメッキル減り、(下手にもなった)霞台カントリーのメンバーも退会。古稀を機会にゴルフからグランドゴルフへのシフトを始めた。老い支度である。
 ただ、優勝して次の大会に参加しないというのは「食い逃げ」のような気がしていたので、19日の「和会」のコンペに参加した。場所は千葉・御宿のキャメル・ゴルフリゾート。昨年優勝したため、ハンディは25から20と厳しくなっている。また、ゴルフの回数も減っているので、恥をかかにようにしようと思ってプレーした。注意したポイントは一つだけ。”左肘が曲がらないように”という一点である。不思議なことに、ドラ―バー、セカンドショットとも、鋭い当たりが連発。それでも上がってみれば、107。(前回は103)。
 表彰式。優勝「ハタケヤマ君!」想定外である。そういえばコースが難しかった。池あり、バンカーあり、谷越えあり、全員苦労したようだ。その中で107は大健闘のスコアだったようだ。
 勝因は、左肘を延ばした事にあるようだ。腕が曲がらなければ、球に正確にヒットするし、ヘッドスピードのロスも無くなる。しかし、好調が長続きしないのがゴルフ。石川遼君、昨日の予選で7メートルを3パットしたという。
 (写真はキャメル・ゴルフリゾートの宿泊施設)

2012年4月17日火曜日

古稀、子・孫からのプレゼント


 私は1942年3月19日生まれ。古稀を迎えた。
3月25日、千葉・御宿で家族12名が集合した。私と家内、娘、息子家族それぞれ5名である。
 その時、子供と孫からお祝いのプレゼントを貰ったのだが、それをブログに書くのを今日まで忘れて
いた。こんな重要なことを書き忘れるとは、なんの為のブログか!危なくichiro's maltの中味が空になるところだった。
 さて、写真右上は息子夫婦のダンゴ(男子)3兄弟からのメッセージ。その下、右はichiro's malt。googleで検索したところ、秘造のモルト(大リーグのイチローとは関係ない)とのこと。味見をしてみたが、確かに芳醇だ。その隣はカーナビ。いつもカン(感)ナビで走っているオヤジを見ていた息子夫婦の心遣い。
 写真左上は娘夫婦の美人3姉妹からのメッセージ。その下は石川遼君ブランドのゴルフフェア。着た切りスズメのオヤジを見ていた娘夫婦の心遣い。
 ありがとう。

2012年4月15日日曜日

デジカメ騒動!



3月後半から今日まで、デジカメの面白さを十分堪能した。
①3月25日、小生の古稀祝いで家族12名が千葉・御宿に集合。三脚を持参して記念撮影。
ところが家に帰ってプリントしてガックリ。全員フレームには入っているが、孫2人が家内
の後ろに立っていたために、顔半分が見えない。ここまでは気がつかなかった。
②娘が別のアングルから撮影していたので、カメラを借りた。チップ差し込むと自動的に
350枚パソコンにインストールされた。必要な写真だけCDRに取り込んで、消去。
ここで、大事件。チップの画像が全部消えていると娘の顔色が変わった。なにしろ、娘3人
のここ3年くらいの写真が記録されていたのだから・・・。
③あわてて、パソコンの写真のアイコンをクリックしたが、見つからない。もしやと思って、
ゴミ箱をクリックしたらあった、あった・・・。ところがここからが大変、パソコンの写真を娘
のカメラのチップにドロップインするには1枚づつしかできない。350枚、ドロップイン
するのに2時間ほどかかった。腕が痛くなった。
④小生の写真と娘の写真を結合し、不自然な場所を修正するのにアレやコレやで一週間ほどか  
かった。楽しかったが、時間がかかる。暇つぶしにはいいが・・・。お陰でJTrimを使いこなせ
るようになった。まさに”必要は発明の母”である。
⑤4月10日、町内の歌謡コーラスグループが花見をやるので、集合写真を撮影して欲しいと
とのこと。人数は31名。野外なので、小生の安いデジカメでも大丈夫だと思い、引き受け
る。家族写真の失敗体験をもとに、全員の顔が見えるように配慮する。思い通りの構図とな
ったがプリントしてみるとマスクをしている人が1名、帽子の縁が影になって顔が良く見え
ない人が一名。写真の難しさを知った。
(写真、4月10日の牛久シャトーと、14日の園内。雨で桜散る)

2012年4月8日日曜日

秘境集落で暮らす聖人達


 「東海道中膝栗毛」の作者として有名な十返舎一九の依頼で、越後の作家、鈴木牧之は「秋山記行」を書き上げる。天保2年(1831)のことである。「秋山とは、新潟県津南町を出発点とし、中津川沿いに長野県栄村まで峡谷を遡るルート」である。
 鈴木牧之は外部と隔絶した秘境集落の暮しぶりを赤裸々に描写する。そこには山間の動植物と同化して暮らす人々の生活がある。自然が厳しい時は餓死の危険があるが、暮らす人々の心は聖人のようであったという。
 鈴木牧之は「秋山記行」を以下のように総括している。
○里人は 
 ・家にあっては心配ごとが多く、外では色浴をほしいままにする。
 ・山海の魚鳥の肉を喰らい、病気や悲しみに心を迷わせる。
 ・夏の虫が火に飛び込み、魚が毒餌に食い付くように煩悩の波が高い。
 ・暇があると名利名聞の為に物事をやろうとする。
○秋山は
 ・神代の時代そのままの生活であり、長寿である。
 ・天の恵みを自然に守り継ぎ、栃の実、楢の実、粟、稗を食べ、色欲も飲酒もない。仙人の道である。
 ・手足の動くうちは山の畑に出て、雨露風霜も苦にせず、鳥や獣のように自然の中を駆け回る。
 ・真っ正直で、夜も戸には錠もなく、聖人たちの集落のようだ。
(「秋山記行」現代語訳・磯部定治。発行/株式会社・恒文社)

2012年4月4日水曜日

モーム協会誌&秋山紀行


 2日(月)半蔵門にあるTOKYO FM(写真)へ用事があって東京へでかけた。マルチメディア事業部の責任者である大内さんが会って下さった。いずれにしろ、古希を迎えた年金生活者の小生が現役の方にお目にかかれるのは光栄である。
 ところで、牛久から東京(上野)までは1時間近くかかる。実はこの時間が小生にとつて、貴重な読書の時間である。
 行きは「日本モーム協会誌」に掲載されている、飯澤正さんのエッセーを読んだ。オーストラリア北東延長にある木曜島に関した内容である。この島をテーマに英国の作家モームと日本の司馬遼太郎が小説を書いたという。また、この島には一時真珠貝を採る為、多くの日本人が住んでいたという。驚きの連続だった。
 帰りは、数日前、町内の鈴木敏正さんからお借りした「秋山紀行」を読む。この紀行は江戸時代の越後の文人鈴木牧之(1770~1840)が書いたものである。秋山とは新潟県津南町から長野にいたる峡谷である。200年以上前にそこで暮らした人々の生活が赤裸々に描写されている。「家は掘立小屋。屋根も壁も萱(土壁があるのは庄屋クラス)」「食べ物は粟と稗」「女は髪に油も付けず、赤黒く乱れたまま後ろで束ねる」「草履もはかず、裸足で仕事をし、足も洗わず、裸足で寝る」「寒い時はボロの着物のままカマスに入って寝る」。想像を絶する内容に愕然。