2016年3月27日日曜日

元気な白寿の母に、医師も驚く

(笠間市から駆け付けた妹と母)

 心臓が悪く入院した99才の母。入院当初は手術などせず、人生を全うしたいと考えていた。しかし、「まだまだシッカリしているからペースメーカーを入れた方がよい」という医師の勧めに母は納得。ペースメーカーを入れる手術をした。

 朝、関東を出発したわれわれは、26日(日)、夕方4時頃、母が入院している「本荘第一病院」(秋田)に到着した。母と会って驚いた。術後数日しか経っていない老人とは思えない、元気な姿、意識である。もう病院内を歩いているという。これなら、後、数日で退院できるだろうと思っていたら、医師は1ヶ月くらいは入院して欲しいとの事。その理由を聞いて驚いた。「ペースメーカーを入れる患者は70代が多い、100才近い患者にぺ-スメーカーを入れたのは初めてなので、術後の経過を良くみてみたい」というものだった。

 弟が6月に「母の白寿を祝う会」を企画している。この会の開催は全く問題ないし、100才越えも問題ないだろう。われわれ子供の方が負けそうである。母の見舞いの後、弟行きつけの寿司店「大松」で母の健康を祝して乾杯。近くに住む姉も参加した。ルートイン由利本荘に宿泊。5階の部屋から眺める日本海と子吉川が美しい。

 翌日、母に挨拶してから15キロほど山寄りの実家(鮎瀬)により(途中、TDKの新工場が見える)、兄夫婦と会い、「白寿を祝う会」等、今後の予定を話会う。その後、母の生家、滝ノ沢により、従弟の板垣憲一氏ご夫妻に挨拶。帰途につく。
 車は往復弟が運転。車中、弟、妹と3人で昔育った秋田の思い出を語り合う。弟の話によると、6月の「白寿を祝う会」には母の子供、孫達30名近くが集うという。こうやって、畠山家の伝統は若い世代に引き継がれていく。その積み重ねが日本の歴史となる。

2016年3月24日木曜日

白寿の母の見舞い、秋田行き


 (写真、左から筆者、娘、母、弟、父。45年前、井の頭公演で)

 今年、白寿(99才)を迎える母が入院した。兄の話によると、至って元気なのだが、時折、意識が亡くなる事があるという。病院に行くと、血液の流れがスムースでなく、専門の病院に行く事になった。母自身は「ここまで長生きさせてもらったので、治療などせず、自然のままでよい」という考えであり、われわれ子供達も母自身の考えを尊重したい。

 専門医の見立てはこうだった。「年のわりには元気であり、ペースメーカーを入れた方が良い」。母も医師の説明に納得。勿論、われわれ子供達も母の意向に異論はない。先週末、ペースメーカーを入れる手術が無事終わった。われわれは5人兄弟。兄と姉は故郷の秋田にいる。その下の3人は関東地区である。私は牛久、弟は小田原、妹は笠間に住んでいる。弟の車に乗り、3人で秋田に向かう事になった。

 母には本当にお世話になった。子供の頃、私は寝小便垂れ、兄と違い、勉強嫌い。時々、戒めの為に土蔵に入れられた。泣き叫ぶ声に土蔵のカギを開けてくれるのはお手伝いさんだった。高校時代、下宿先で高熱を出した。母が200キロ離れた生家からかけつけてくれた。結婚相手がなかなか決まらない私にお見合い相手(今の家内)を世話してくれたのも母だった。「母さん、本当にありがとう」

 弟は今日、長年勤めた私立高校を退職する。68才である。私も明日から3日間空いている。妹も夫がちょうど海外旅行で都合が良いという。これは17年前、86才で亡くなった父の引き合わせかもしれない。3人で思いっきり母に甘えてこよう。弟は6月に「白寿の会」を企画している。今回のお見舞いはその事前行事でもある。

2016年3月18日金曜日

日本酒の神髄、久保田・萬寿


今年の年始に常陸国・出雲大社にお参りした。この時、神主から日本酒「久保田・萬寿」(写真)をいただいた。自分でいただくのが勿体なくて、押し入れに閉まっておいた。
 昨日(17日)、地元のベテランズクラブ(老人会)の役員会の会食があった。私も役員の一員であるが、シルバーセンターの仕事や、諸団体との付き合いで忙しく、役員会に参加しても上の空である。(役員に推薦された時、多忙なのでできないと、固くお断りしたのだが、高齢者が多く、一期だけは引き受けざるを得なかった)
 お詫びの印に「久保田・萬寿」を持ってでかける事にした。
 ところで、この「久保田・萬寿」どういう酒だろう、ビール党の私は全く知識がない。ネットで検索して驚いた。価格が¥8,110(1.8ℓ)とある。味はどうなのだろう。役員の方々には申し訳けないが、前夜(16日)封を切って口に含んでみた。なんとまろやかな事、飲み込んでからさらに驚いた。ジワジワとまろやかさが体に沁み込んでいく。正に五臓六腑にしみ込むとはこの事だ。そして心地良い、酔いが体を温める。

 「久保田・萬寿」の一升瓶を下げて、役員会の会食の襖を開ける。
「ウォー、畠山さん、凄い!」と歓声が上る。
役員の中には「久保田・萬寿」が銘酒であり、めったに飲める酒でないという事をご存知の面々が顔を揃えている。「久保田・萬寿」を注ごうとすると、「待て待て」と来た。まず、その前に水を飲み、マイペース(自分で注ぐ)で自分でやる(注ぐ)。との事。
 ここで、日本の料亭のお座敷の話がでた。芸者さんが脇にいて、お客さんのペースに合わせて「どーぞ」と進めてくれる。盃などの器も、つまみも日本酒に合った厳選されたものがそろっている。
 ここまでくると、日本酒をいただくというのは、単にお酒をいただくという域を超え、日本の文化を味わう事になる。役員の一人は日本酒は日本文化を伝えるものとして日本の外交にも役立つという。安倍首相はそれを実践している、という話まででた。
 お酒も良いものをいただくと、会話も高尚になる。

2016年3月11日金曜日

国会図書館、アポロ11号、小松君


 9日(水)
   17:00 牛久駅ビルの居酒屋で。中学時代(秋田)の小松征夫君と
         飲む。小松君は税理士。牛久にいる事業家Hさんの会計監
         査の為に、この時期浜松からやってくる
          飲みながら、彼のこれまでの人生を聞く。幼少の頃、父死亡。
         中学を卒業すると東京にでて、住み込みで働き、夜学に通う。
         後、浜松で働いていた母の誘いで浜松へ。28歳で結婚。40
         過ぎてから大学院に通う。そして税理士の資格をとる。同郷な
         がら私など足元にも及ばない苦労人であり、努力家なのだ。
          5年前、牛久出張時に3.11の洗礼を受けたという。     
10日(木)
    8:55 刈谷自治会館。会場づくり。20キロほどのテーブルが重い!
    9:24 JR牛久駅出発
   10:50 銀座で、広告代理店OB、野原さんと会う。80才。元気。
   13:00 国立国会図書館へ。自分史の会「いしぶみ」10号納品。
         閲覧室の広い事。書架はなく全員パソコンに向かってパソコン
         で本を探す。20分くらいで目的の本が届く仕組みである。
   16:00 東京南口「DEN東京」へ。
         会社の仲間5名の飲み会。なぜか小生が幹事。
         前日、後輩(TDK歴史館・事務局)から「SDカセットがアポロ
         11号に搭載されたと社内報に掲載されているが、関係資料に
         ついて知ってませんか」との問合せがあった。席上、この話をする
         と、元・アメリカの社長、上田さんが「それ、僕の時代の話」 
         なんと47年も前の話が明かに。飲み会も馬鹿にならない。
   21:30 ご帰宅 
               ●2日続けての飲み会は疲れる。
         ●ところで、加齢現象のご報告→東京地下鉄のトイレで間違
           って非常ボタンを押してしまった。


 


2016年3月7日月曜日

大興奮!結婚記念”ピアノ演奏会”

わが輩、今年で結婚47年目。結婚式はなんと、わが輩の誕生日に挙げた。誕生日は3月19日。誕生記念日に久しぶりにコンサートに行こうと思った。
 3月は隣町で「つくば国際音楽祭」が行われる。プログラムを見ると、な、なんと19日にNHK交響楽団のコンサートがあるではないか。勇んでプレイガイドに電話をすると、「チケットまだあります」「やった!」その後がいけない。あるにはあるが1枚だけだという。これではどうにもならない。家内と一緒でないと意味がない。
 他にいいのはないかと思い探すと「仲道郁代&横山幸雄、ピアノデュオ・リサイタル」というのが目に留まった。美男美女コンビ、曲目もショパンのワルツ、(仲道郁代のショパンは今月の「レコード芸術」で特選になっている)横山幸雄作曲、超絶技巧連弾曲「カルメンの誘惑と幻想」と並ぶ。鍵盤を弾く奏者の手の動きが見えるバルコニー席を2枚購入。

 昨日(6日)、3時からつくばノバホールでこのコンサートが開かれた。会場はほぼ満席。コンサートは都度、2人の「語り」も入り、一曲ごとに大拍手。ピアノ連弾の大音響はオーケストラを凌ぐほど。今まで、何回かピアノの演奏会を聴いた(ポリーニ、ブレンデル、ギレリスetc)が、こんなに楽しいピアノ演奏会は初めてである。これにはノバホールが中規模のホールである事と、バルコニー席だった事も影響していると思う。あまり、クラシック音楽を聴かない家内もスッカリ興奮。仲道さん、横山さん、ありがとうございました。

 コンサート終了後、30分で我が家のある牛久に帰り、レストランで夕食。 家内にこれからもボケ老人の世話をよろしくと、頭を下げる。

2016年3月5日土曜日

74歳、ボケ老人の実態

(間もなく74歳。ボケ老人です)

小生、1942年(昭和17)3月生まれ。19日の誕生日がくると74歳である。
最近、特にひどいのは人の名前を忘れる事である。孫の名前も瞬時にでてこない時がある。孫の年齢とか、学校名になったら絶望的だ。
因みに隣近所のお名前も思い出せるのは1/3くらい。向かいのお宅の名前はでてくるが、その隣はわからない。

最近、自分でも信じられないような出来事が2つあった。

①切手を貼らずに葉書をポストに投函し、気がついたので、局員の方にポストを開けていただいた。
②ガソリンスタンドに入ったのはいいが、注入口のフタを開けるコックの位置がわからない。幸い、隣で注入 されていた方がいたので聞いた。座席の右下にありました。(こんな状態で車の運転大丈夫かなあ・・・)

こんな状態なので、外出した時は車のカギとか、玄関のカギを忘れてないか、頻繁にポケットの中を探る。その事によって、かえってカギを無くすのではないか不安になる。電車の切符なども同様、どこに入れたか不安になる。電車の中で四六時中、ポケットの中をまさぐる。

頻尿も凄い。一晩に5~6回起きる時もある。程よくお酒をいただくとグッスリ眠れる。

町中で「あら、畠山さん!」「やあ、どうもどうも」。声をかけてきたのはシルバーセンターで一緒に掃除のバイトをやっている、おばあさんである。女性の方の記憶力の良さには驚く。
という事で最近はなにかにつけて家内頼みである。
今後ともよろしくね。