2015年11月30日月曜日

塩屋岬灯台に挑戦!

(灯台に登ったのは芝田さんと私の2人だけ。芝田さん撮影)
 
 27日~28日は私が住む牛久市刈谷町のベテランズクラブ(老人クラブ)の旅行だった。今年から私はこのクラブの理事である。雑事が多いのでお断りしたのだが、断りきれず、1期(2年)はやらざるを得ない。旅行に参加したメンバーは22名、行先はいわき湯本温泉郷、塩屋岬等である。
 9時バスが出発し、高速に入ると、早速ビールがでてくる。次いでお酒がでる。酒好きの私にはたまらない。また、旅館の同室者は酒井会長、伊澤副会長、芝田理事(民生委員)とご一緒。実に名誉なことではある。

 2日目、塩屋岬に向かう。ここでの見学時間は約50分、多くの参加者は灯台の下にある美空ひばりの「みだれ髪」の歌碑と遺影碑をみた後、お土産屋さんの見学をしてたが、私は2日酔いの身体にムチ打って灯台めがけて坂道を上がった。灯台は海面から73m、地上から24mの高さにある。年齢的に今回登らないと機会がなくなるのではないかという思いが脳裏をかすめたのだった。灯台の頂上で写真を撮りたいと思っていたら階段を上る音がした。芝田さんだった。芝田さんにお願いして写真をとっていただいた。
 塩屋岬灯台は美空ひばりの「みだれ髪」で有名だが、昭和32年、私が15歳の時に木下恵介監督によって映画化された「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台でもある。灯台守夫婦を演じた佐田啓二と高峰秀子を忘れる事ができない。
 なお、塩屋岬付近は2011年の東日本大震災の被災地である。今も復興工事の真っ最中である。地震の影響で9ヶ月間、灯台の灯も消えたという。

 



 

2015年11月23日月曜日

米国・クリーブランドの思い出

(左より、'74・クリーブランド管弦団のプロ、ドリームⅩ、アメリカ大陸横断の旅、白上冴さんのCD)

 隣町、龍ヶ崎市に住む白上朝子さんとは時々、同地で開催される「ゲヴァント・ハウス」のCDコンサートで一緒になる。
 先日、白上さんから「アメリカ大陸横断40日間の旅」という本をお借りした。1973年クリーブランドに音楽留学するお嬢さんと、西海岸のサンフランシスコから東海岸のクリーブランド(米国・オハイオ州)に車を運転しての旅日記である。アメリカの広大さと、日々の食事、クリーブランドでの借家の手続きの煩雑さ等が克明に描写されている。
 私が保存している音楽プログラムを調べてみると、1974年、クリーブランド管弦楽団の来日プログラムがでてきた。(指揮マゼール)クリーブランド管弦楽団はアメリカの5大オーケストラの一つとして日本のクラシックファンには有名。私も聴きに行った。そのアンサンブルの見事さは今も耳に焼きついている。
 私が10年前に書いた自分史「ドリームⅩ」(文芸春秋・自費出版)を観ると、1976年にクリーブランドに行ったという記録がある。こんな一文がある。「五大湖沿岸の都市ではミシガン湖畔にあるシカゴが有名だが、エリー湖畔にあるクリーブランドは知名度が低い。それでも著名なオーディオ店があるというので、佐藤さんが案内してくれた」佐藤さんとは、前回(18日)のブログに登場したあの佐藤さんである。
 白上さんのお嬢さん、冴さんは見事、名門クリーブランド管弦楽団のヴァイオリンニストとして入団する。
 時々、帰国されては地元、茨城、八ヶ岳音楽堂でチャリティコンサートを開いている。
音楽は世界を、そして時空を結ぶ文化であるという事を実感する。

2015年11月18日水曜日

なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?

 
(写真、右から佐藤ご夫妻、小生)
 
 TDK時代からの古くからの友人である佐藤則男さんが、書いた「なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?」が明日(19日)発売になる。出版社は講談社である。(新書版、¥880)その出版をお祝いする会が昨日(17日)、永楽倶楽部(東京・永田町)で行われた。(この倶楽部は早稲田大学を創立した大隈重信が作った社交場で、今年100年目を迎える。)
 祝う会には佐藤さんの出身大学である早稲田大学、コロンビア大学(米国)の卒業生を中心に約50名が参加した。久しぶりに奥様にもお目にかかる。(奥様は長年、国連の職員としてご活躍され、今年外務大臣表彰を受賞)
「なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?」パーティでいただいた本をめくってみると、40年アメリカに在住した佐藤さんでないと書けない内容がギッシリ詰まっている。アメリカの大統領選挙って候補者のエゴのぶつかりあい、アメリカってどうも男社会のようである、日本が思っているほど、アメリカにとって日本は重要じゃないようだ・・・、などショッキングな内容が次から次へとでてくる。日頃、日本のテレビに出演しているジャーナリストから、こんな話は聞けない。
 1976年(昭和51年)、私は米国に出張した。その時、アテンドして下さったのが佐藤さんだった。佐藤さんはホテルに帰ってくると、夢を語り続けた。その夢の結晶の一つが今回の本だと思う。
 パーティ終了後、植村さん、岩澤さん、西宮さんと2次会。牛久行の終電が終わっていた。定年後初めてである。やあ、楽しかった!

2015年11月11日水曜日

98歳の母、獺祭(DASSAI)、etc・・・。

11月8日、叔母・綾子(82歳)の葬儀が行われた。幼少の頃、私を可愛がってくれた明るい叔母だった。叔母の嫁ぎ先である富樫家は私の実家・畠山家とは3キロしか離れていない。
 葬儀の前、実家に寄り、母と会う。母は98歳。兄嫁の話によると体調が悪いという。思い出してみると、私は意識して母の手を握った事がない。今回は是非母の手を握りたいと思った。母は、今年の6月父の17回忌で会った時より元気そうである。私は弟と母を囲んで写真を撮る。(左から、私、母、弟)そして手を握る。ゴツゴツして力強い。この手で5人の子供を育て、10人を超える大家族の食事を作り、田畑を耕し、戦争を乗り越えてきたのである。ありがとう!母さん。
 今回の秋田行きは往復の新幹線もホテルも弟と一緒だった。弟は神奈川県・山北在住。67歳。長年勤務した私立高校も来年には退職するという。ホテルの近くの寿司屋で一杯飲む。女将さん「獺祭(DASSAI)」ありますよ。「いただきます。兄貴ご馳走するよ」と弟。獺祭は安部首相が来日したオバマ大統領にプレゼントした銘酒である。
 畠山家は農家である。兄が心配していた。「TPPもいいけど、食の安全と環境は守らないといけない」と。これからの農家は高付加価値商品で戦わなければならない。「獺祭」はその象徴なのである。
 ところで、富樫家と畠山家の間の田んぼの真ん中にTDKが延べ面積1万5千坪の大工場を建設中である。人件費を考えたら中国の工場を拡張した方が良いのだが、TDKはここで、徹底した自動化を図り、高品質商品を作るという 農業も工業もこれからの日本は高付加価値で伸びるしかない。
*本荘アイリスホテル10階、スカイレストラン「天空」。360度の視界に驚嘆。子吉川、日本海、日住山等、わが故郷の美しさを再認識。


2015年11月6日金曜日

私の音楽鑑賞歴・70年

 
(私の青春時代の指揮界のスター、カラヤン。日本の音楽写真家・木之下晃氏撮影。木之下氏今年死去。小生、サントリーホールで行われた告別式に招待された。)

 メル友、高野 睦さんからのメールである。
「な、なんですか、いきなり!!!ものすごいパンチ、フック、ストレート、雨あられ、いやはや、負けた、負けた、負けました、ワタシマケマシタワ。一覧表が貴重ですね。何かと参考にさせて下さい」

 来春発行する地元の自分史「いしぶみ」の為に「私の音楽鑑賞歴」を書いた。70年の間、聴いた主な演奏会180をリストアップし、感想をまとめたものである。
 冒頭の高野さんのメールはこの原稿を見ての高野さんの驚き!である。しかし、これは高野さん自身が音楽ファンだから反応してくれたのであって、音楽に興味のない方には価値がない内容だと思う。

 ところで、70年の間に聴いたもので、記憶に残るものといえば1966年のカラヤン(1906~1989)・ベルリンフィルの来日。この時はチケットを買う為に日比谷公園で徹夜しました。「ウェストサイド物語」を作曲したバーンスタイン(1918~1990)の最後の来日公演ベートーヴェン交響曲第7番も凄かったな!(1990年)。しかし、なんといっても大変だったのは1967年の大阪へのバイロイト音楽祭引っ越し公演。チケット代だけで今の価格で一公演30万円だった。当時25歳。今思えば「独身貴族」だった。


2015年11月2日月曜日

自分史とは「紙碑」!FM放送で語る。

(左から下遠野さん、鈴木会長、畠山)
 
 8月に牛久市にFM放送局(85・4メガヘルツ)が誕生した。
私の現役時代の後輩である吉野 宏さんが、局のボランティアをやっている。そんな関係もあって、私が編集を担当している自分史「いしぶみ」を放送で紹介して下さるという。
「いしぶみの会」の鈴木敏正会長に相談したところ、出演して下さるという。鈴木会長、事務局の下遠野富士子さん、小生(畠山)の3人が出演する事になった。
 FM局は市役所に隣接した建物の2階にある。予想以上に立派である。FM局開局を決めた市役所の意気込みを感じる。
 放送が行われたのは10月20日(火曜日)1時~だった。
 キャスターの方から自分史を発行する目的や苦心談を聞かれた。
「目的」それは、「自分だけの人生」を「自分の言葉」で表し、「生きた証し=紙碑」として残す為である。現在はネット社会、コミュニケーションはネットで行われるが、後世に伝える為には、現在も「紙碑」に勝るものはない。3人の言葉に熱がこもった。
 放送が終了したのは1時45分。予定より放送が15分も長引いた。
 鈴木会長が創めた「いしぶみ」は年1回発行。昨年9号が発行され、現在、記念すべき10号の編集が進んでいる。バックナンバーは牛久中央図書館に常備されている。「いしぶみ」は牛久市を象徴する文化活動の一つである。