2013年2月26日火曜日

悪は急げ!

(左から高尾氏、二代目社長・山﨑氏、右端が小松氏)

 24日朝、新聞を見て驚いた。
「”長崎施設火災、リコール加湿器火元”」という記事が掲載されている。この加湿器、昔小生が勤務していた会社のものである。新聞と平行して社長自ら記者会見する姿もテレビで放映された。
 起こってしまったことは、仕方がないが、率直に実情を説明し、お詫びをする会社の姿勢は納得できた。二代目社長・山﨑貞一氏は”悪は急げ!”という社訓を残した。その伝統が生きていると思った。 世に「善は急げ!」という教えはあるが「悪は急げ!」は真逆である。しかし、自分にとって都合の悪いところは率先して打ち明け、率直に詫び、反省せよとの訓えは正鵠をえている。

 会社の歴史を振りかえってみると、飛躍に結びついた製品が三つある。昭和20~40年代の磁性材料フェライト、昭和40~60年代の録音テープ、平成時代のHDD用ヘッドである。いずれも業界NO,1の商品である。
 フェライト事業部を率いた小松正一氏は”物の勝負”を事業部の方針とした。なにをおいても、メーカーにとっては商品力が大事だという考えである。
 録音テープ事業を推進したのは高尾三郎氏である。高尾さんは技術者ではないが、文藝に秀でており、市川左団次翁とも交流があり、自ら小唄を唄い、歌舞伎座にも出演した。録音テープはお稽古ごとにとって、不可欠の道具である。TDKが磁性材料メーカーであるという特性を生かして録音テープを開発。それがカセットテープで花開く。磁気テープ工業会の会長にも就任する。
 HDDヘッド事業も磁性というオリジナル技術を生かした商品である。
 
 加湿器の事故は誠に残念であるが、これを機会に会社の設立の原点「創造」に立ち返り、第四の業界NO,1の商品を育て社会に貢献して欲しい。それがOBである小生の願いであり、火災で亡くなられた方への供養だと思う。

2013年2月22日金曜日

87才の新人女流作家

(中村さんの作品が掲載される「いしぶみ」7号。現在編集作業中)

 芥川賞では75才の黒田夏子さんが受賞して話題を集めている。

 わが町の文芸誌「いしぶみ」には87才の女流作家が登場した。
中村たかさんである。
 中村さんは本所区業平橋1丁目8番地、東京スカイツリーの目の前で生まれ、育ったという。
中村さんは幼少の頃の記憶を辿る。当時、ツリーのあるところには東武鉄道の引き込み線があり、蒸気機関車が「ポーッ」と汽笛を鳴らし、黒煙を吐いていた。
 街並みには果物屋、鳥越せんべい屋、割烹、床屋、本屋、雑貨屋、糸屋、足袋屋、髪結いなどが並ぶ。因みに中村さんの家は銚子屋という焼き豆腐屋だった。
 昭和20年、中村さん19才の時の体験が生ナマしい。米軍の爆撃機B29が飛来、業平橋近辺は地獄と化す。隅田川にかかる橋に逃げ惑う人々が殺到し、橋はもろくも崩れる。「昭和の地獄橋」といわれたという。
 現在「東京スカイツリー」は観光名所として華々しが、中村さんの作品で業平橋近辺の過去の痛ましい惨劇があぶりだされる。

 「いしぶみ」7号の編集作業をしながら、私は「文藝に円熟はあるが、老いはない」と感じた。
「いしぶみ」の会員のほとんどは70代、80代であり、どの作品にも豊かな人生経験が込められている。

2013年2月16日土曜日

孫の来宅、他

(薪ストーブが燃える”牛久自然観察の森”管理棟)
 10日(日)長男夫婦が3人の孫(男の子)を連れて来宅した。
新年に揃って来宅する予定だったが、一番下の孫がインフルエンザにかかったため、家族そろっての来宅ははじめてである。
 小学一年生(長男)と幼稚園児(次男)を連れて、お決まりの「牛久自然観察の森」へでかけた。2人の孫は観察の森管理棟でゲームをやったり、塗り絵をやったり、楽しんでいる。2人の兄弟をみて、自分自身の幼少の頃を思いだす。私と兄は一学年違いである。この兄弟のように遊んだり、喧嘩をした。歴史は繰り返すである。

 ところで、前回のブログに書いたように、自分が幹事役のイヴェントが目白押し。日程の調整、会場探し、案内状発送と日夜忙しい。
 そんなところへ、隣家の柳田さんから手紙が舞い込んだ。「ベテランズクラブの役員を引き受けて欲しい」という内容だった。申し訳けないと思ったが今年はムリとお断りした。中途半端にお引き受けするとかえってご迷惑をおかけしてしまう。

 人生も残り少なくなってきた。他人様にご迷惑をおかけしないよう、そして意義のある日々が送れるよう慎重に対処したい。

2013年2月8日金曜日

人生のクライマックス


 人生のクライマックスというのは人それぞれだと思う。
一般的には「卒業」「入社」「結婚式」「子供の誕生」「海外旅行」「定年」などがあてはまるのではないだろうか?

私の場合、70年の人生を振り返ると、いろいろあるが、今年の前半なども自分の人生のクライマックスではないかと思う。自分が幹事役の行事が目白押しである。

 2月21日 関東地区高校時代の同窓会
 3月 2日 レコードメーカーOB,常盤さんを迎えて地元で講演会
 3月 6日 町内友人と海外旅行(シンガポール、マーレシア)
 3月17日 工業会部長の定年退職パーティ
 4月下旬 会社OB仲間との東北旅行
 6月中旬  地元自分史同好会、機関誌発行
 6月22日 秋田で兄弟会

65歳を過ぎる頃からボケを感じる事が時々あったが、これだけスケジュールが立て込んでいるとボケる暇がない。ありがたいことである。

2013年2月5日火曜日

銀座、新橋、阿佐ヶ谷、浅草橋

4日、久しぶりの東京行き。
電車に乗る前、一仕事があった。3日、土浦にある旅行代理店まで3月の海外旅行の残金を払いに行ったのだが、窓口が混雑していて、3時間くらい待たないと順番がまわってこない模様。「お金払うだけだからなんとかしてよ」と窓口のお嬢さんに行ったがラチがあかない。振り込むことにして牛久に引き返した。
一仕事とはそのお金の振込である。驚いたことに振込料1、260円とられた。金を持参しても受け取ってもらえず、大枚をはたいて振り込むなんて・・・。本当に腹が立つ。
 牛久駅発9:25の電車に乗る。
 11:00 銀座の喫茶店で旧友Nさんと会う。喫茶店に向かう時、歌舞伎座の写真を撮る。(上)4月2日が新歌舞伎座のこけら落しである。そういえば、今日マスコミは團十郎死去のニュースでもちきり。
 14:00 新橋第一ホテル・ロビーで現役の頃お世話になったMさんと会う。彼も3月定年退職。盛大に慰労会をやってあげよう。
 16:00 阿佐ヶ谷駅の近くにある音楽喫茶「ヴィオロン」へ。ヴィオロンとはヴィオリンの仏語である。古色蒼然とした喫茶店である。そういえば、50年前ころ、御茶ノ水界隈に「ウィーン」「田園」といった名曲喫茶があった・・・。懐かしい。暫くして、この店の常連であるYさん、Nさんも来店。ヒソヒソ話で近況報告。
 18:00 浅草橋・TDK柳橋倶楽部。会社OB有志が集まっての飲み会。昔、夜行列車に乗って秋田の工場へ納期の督促に行ったというO先輩の話が懐かしく面白い。秋田弁がサッパリわからなかったとのこと。ンダベナ。その工場がある町で作った「飛良泉」をたらふく飲む。上野発21:15分発の電車に乗り、22時30分帰館。