2018年12月31日月曜日

2018年、”人間浴”ハイライト



1月 国技館へ。稀勢の里(牛久出身)琴奨菊の突落しにバッタリ/新年グランドゴルフ大会。ホールインワン3発。67打で優勝 2月 スマホ購入。操作に右往左往。パソコンも買替 4月 レコード大賞受賞、クルレンツィス指揮(ギリシャ出身、46才)「悲愴」のド迫力に老体の血逆流 5月 小金郁三さん(元郵政大臣・孫)を囲んで兄弟会/オーディオ評論家・藤岡誠先生に講演依頼「わがオーディオ人生」 6月 梅沢富美男劇団・牛久公演。梅沢68才。今が旬。涙、笑い、妖艶 8月 金農旋風/孫とバッティングセンターへ。打球球速、ジジィ70キロ、小6の孫は90キロ 9月 101才の母を囲む兄弟会。深夜、一般道路で秋田へ。(俊、バカなことをするな、と母) 11月 名門宍戸ヒルズカントリーで鷹農35会・喜寿記念ゴルフ 12月 竹森道夫さん(元NHK音楽プロデューサ)に講演依頼。「メンデルスゾーンの真髄」/日本橋高層ビル、TDK新本社訪問。年間売上1兆3千憶、従業員10万名。今や国際優良企業である/牛久シャトーレストラン閉鎖。掃除のバイト無くなる。同僚のおば(あ)さんの顔も見れなくなる
 
 ★妻の今年の一言 こんどは無くさないでね。(銀行カード紛失。同伴で銀行へ)

(写真)高さ120メートル。世界最大<ギネスブック登録>の牛久大仏



2018年12月26日水曜日

現代アート展&聖誕節2018晩餐

25日(火)、午後2時30分、教職定年後、蜜柑づくりを生業とする弟が小田原からやってきた。今年は予想を上回る大収穫とのこと。我が家に3箱下す。
その後、笠間市の常陸国出雲大社へ。年末のお参りをした後、境内にある「ギャラリー桜林」に寄る。水野里奈展「水の結びめ」開催中(2019、1、14まで)。水野さん、2013年あいちトリエンナーレ(愛知)、2015年VOC展(東京) 奨励賞、2017年大原美術展で個展を開いた新人女性作家である。その緻密な筆跡で書かれた摩訶不思議な世界(写真・上)に魅了される。展示作品約20展、ほぼ売約済という。
 午後6時~つくば市「桃花林」で、常陸国出雲大社・高橋宮司、ギャラリー桜林ディレクターの石橋さん(写真)を囲んで三兄弟(妹も参加)晩餐会。「聖誕節2018」コースをいただく。
 出雲大社は平成4年、高橋宮司が笠間市に5万坪の土地を買い求め設立した。今や、同市
の笠間稲荷と並ぶ名所となっている。その事業手腕には驚くばかりである。選び抜かれた料理を味わいながら、ギャラリー開設のきっかけとなった画商との出会いや、日本を代表する企業創業者の御霊をまつることになった経緯等をうかがう。
 現役で活躍する異業種の方々との交流の一時だった。新しい年でのさらなる活躍に期待しつつ帰宅(牛久)の途(バス)についた。
 

2018年12月21日金曜日

忘年飲み会8回(下)パソコン仲間、営業Gゴルフ、牛久グランドG

 11日(火)午後5時~秋葉原でパソコンクラブ忘年会。
忘年会の前、クラブ事務局のお勧めは秋ブラ(秋葉原パソコン店視察)だったが、小生、浅草に足を運んだ。
何年ぶりかに浅草観音を観てみたいということと、「神谷バー」に行ってみたいの2点だった。浅草観音は外人観光客で一杯。(写真)「神谷バー」は浅草一丁目一番地にあったが、レンガ造りの店は固く門を閉ざしていた。さては、この店も!?。実はこの店を経営しているオエノングループが業績低迷のために「牛久シャトー」の営業縮小を発表していたので「神谷バー」もと思ったのである。ネットで確認したらこの日は休日。「神谷バー」といえば呑み助は誰でも知っている老舗のバー。ああ良かった。
 5時~の忘年会「銀座ライオン・秋葉原店」2時間飲み放題。さすがビールが美味い!手拍子で締める。明日ゴルフの小生は帽子を被って帰り支度(写真)
 
12日(水)~13日(木)千葉房総カントリーでCSG(コンシューマ・セールス・グループ)OBの忘年⛳大会。朝起きると生憎の雨。牛久6時出発。9時15分ゴルフ場着。前半ハーフは雨中のプレーとなった。後半、プロ並みのショットがでた。ミドルホール下り残り110ヤード、7番ウッドで打った球はビューン、グリーンON。残り2mをワンパットで入れる。見事ボギー。このケース、プロはバーディなのだが小生、飛距離が出ないのでボギーなのだ。でも気持ち良かった。夜は御宿で大宴会。ゴルフの疲れもあり、同僚のカラオケを聴きながら眠りに落ちた。
 19日(水)牛久グラウンドゴルフ忘年大会。36名参加。8時40分スタート。ホールインワン1本でたが、トータル83で入賞圏外。70台で回らないと入賞はムリ。新年大会がんばろう。12時~市役所近くの蕎麦屋で宴会。幹事の皆様お疲れ様でした。
 残り25日、つくばで開催する「兄弟忘年会」のみとなった。
 

2018年12月14日金曜日

忘年飲み会8回(中)TDK新本社ビル、高文会、チンドン屋

 
 
10日(月)「高文会・忘年会」。高文会とはTDK創業の恩人の一人、高尾三郎氏を偲ぶ会である。この会、平成19年、高尾三郎文集「皆さん聞いていただきたい」を出版したことに端を発っしている。この本の編集に携わったのは渋谷敏則、川崎利男、廣本潔、小生の4人。その後、4人の他に高尾さんを慕う方々が集まり「高文会」が発足した。メンバーの中心だった方々が次々と亡くなられ、幹事役の小生が会の解散を宣言した。しかし、元・人事部長のYさんから、ご自分が幹事をやっても継続したいという強い決意が発せられ、有志で会が再開した。
 今回、11月にTDKの新本社が日本橋の高層ビルに引っ越ししたこともあり、会食(昼)の前に訪問することになった。新本社の受付フロアーは26階。窓外を見ると、銀座方面である。その先に東京湾。(写真)TDK、今や売上1兆3千憶。社員10万名の国際優良企業である。
 TDKは昭和10年、カネボウから設立資金を借りて設立された。高尾さんもカネボウからTDKに派遣された。カネボウが手掛けていた繊維産業は当時鉄鋼、自動車と並ぶ基幹産業だった。そのカネボウは2007年解散した。TDKは現代の基幹産業である電子部品産業に位置している。今後も発展を続けることがカネボウ、および高尾さんへの恩返しになる。
 TDK本社訪問の後、高島屋特別食堂で会食。話題は政治、経済、国際問題とハイレベル。さすが高文会である。
 
 11日(火)11時、銀座で元・広告業界のAさんと情報交換。Aさん、80代だがまだまだお元気。「私の若い頃は広告業というとチンドン屋といわれたもんですよ。母がね、″うちの息子は新聞社に勤めてます″って見栄はってました。広告業といえなかったんですね」今は電通、博報堂・・・といったら一流企業である。

2018年12月9日日曜日

忘年飲み会8回(上)同窓会、工業会、音楽仲間

もう12月も1/3が経過した。
 12月の飲み会、数えたら8回である。今までで一番多い。考えてみると、諸先輩が亡くなられたり、病気だったりで会合に参加できなくなってきている。喜寿を迎えた私は長老の部類である。体はきついが後輩に先輩達の思いを引き継いでいくためにも、声のかかった会合にはできるだけ参加しよう。
 
2日(日)12時~浦和で「東京伊勢堂会(鷹農OB)忘年会」幹部15名が参加。学校が統合されてなくなって10年近い。後輩幹部は愛校精神に燃え会を継続している。歌手を目指したこともあるという布田先輩の秋田民謡に打たれた。
 6日(木)野村証券つくば支店セミナーに参加。投資情報部の幹部が「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。野村
証券は11月、「年末はダウ平均23,000~24,000と予告していた。しかし、昨今の株価は21,000台である。野村証券のようなエリート集団でもトランプ政権で揺れる世界経済を見通すのは難しい。まだ20日ある。
 7日(金)11時~日本橋「たいめいけん」で、日本記録メディア工業会OB会。事務局OBの宮田さんが幹事、TDK、フジフィルム、日立マクセル、日本ビクター、大日本インキのOBが参加。最盛期、カセットテープの年間国内総需要5億巻、世界の総需要30億巻。VHSビデオテープ同3億巻、同20億巻。日本の記録メディアは世界市場を席捲した。
 8日(土)14時~龍ヶ崎ゲヴァントハウス、今年最後の講演会。講師はNHK元音楽プロデューサー竹森道夫氏。テーマは「メンデルスゾーンの真髄」。会場は45名で満席。竹森氏はユダヤ人のため歴史に翻弄されたメンデルスゾーンを熱っぽく語る。
「旋律は美しいが軽い」という従来のメンデルスゾーンが実は大作曲家だったと解き明かす。この日聴いたヴァイオリン協奏曲(ミルシュタインⅤnワルターⅭond)からは彼の魂の叫びが聴こえた。
 講演会終了後、忘年会。講演の熱気冷めやらないメンバーは音楽談義、オーディオ談義で熱く燃えた。福島、大阪からも参加。
 9日(日)11日の房総カントリー行きに備えてガソリンスタンドへ。マフラー等、車体の下部が錆びているとの指摘。塗装等、なんだかんだで、修理の見積もり4万円。予想していませんでした。

 ●写真 工業会OB会(上)”たいめいけん”秘蔵の洋酒(下)

 
 

2018年12月4日火曜日

日本初の本格的ワイン醸造場(重要文化財・牛久シャトー)


わが牛久市のシンボルは、なんといっても牛久シャトー。
牛久駅東口から徒歩5分のところにある。

1903年(明治36年)実業家、神谷傳兵衛が、日本初の本格的ワイン醸造場を牛久に作った。(写真上・シャトー正面事務棟)6万平方メートルの広大な敷地に醸造場、葡萄畑、ミュージアム、レストラン等が点在する。シャトーは「近代化産業遺産」として2008年、国の重要文化財に指定されている。

 先月、施設運営会社の都合により、シャトーのワイン・ビール工場、レストラン、売店が今月28日で閉鎖されると発表された。ただし、神谷傳兵衛記念館、ミュージアム(写真中)は引き続き公開されるという。ミュージアムにはシャトーを運営するオエノングループの歴史、商品、販売促進物が展示されている。ワイン、焼酎、日本酒、ウィスキーづくりにかける職人さん、デザイナー達の執念を感じることができる。
 庭園の散策もできる。庭園には四季折々の花が咲き、草木が心を癒してくれる。竹林やプラタナスも見事である(写真下)

私は2015年からシルバー人材センターを通じて牛久シャトーの清掃を行っている。週2~3日、8時~2~3時間であるが、当番の日は気力充実。掃除の仲間は9人。70代~80代。男性は2人。時々、おばさん達から「うちでとれたネギです」「冬瓜です」と野菜をいただくこともある。
 レストランの掃除に行くと、調理の方々が白いユニフォームを着て下準備をはじめている。「お願いします」「ありがとうございます」と清掃のわれわれに声をかけて下さる。皆さん礼儀正しい。

 できれば、従来通り、全ての施設の営業を続けて欲しい。牛久市では市民による継続嘆願運動がはじまっている。

2018年11月27日火曜日

牛久市シニアクラブ連合会主催「喜寿の祝い」


75才になった時、牛久市から「敬老の日」の案内をいただいた。
この時は「敬老の日だと?オレはまだ若い!」と不愉快だった・・・。それから2年、鏡に映った自分の姿をみると、「え、どこの老人だ・・・」と驚くことがある。
と、いうこともあり、今日、牛久市シニアクラブ連合会主催のシニア大会「喜寿の祝い」に参加した。喜寿(77才)を迎えた市内のシニアクラブ会員99名が対象だった。

大会には来賓として、牛久市長、牛久議会議長、牛久市出身の県議会議長が参加され、祝辞を述べた。
 根本牛久市長は牛久市のシンボル「牛久シャトー」について語った。牛久シャトーは今月レストランと売店の閉店を発表した。市長として、なんとか再興したいという。これは牛久市民共通の願いである。
 板倉牛久議会議長は2025年の大阪万博が決まったことに触れ、皆さんも元気で大阪万博を迎えて下さい。と語った。
 山岡県議会議長は茨城県の人口は減少しているが、「茨城に住んで良かった」と住民の方々に思ってもらえるような施策をしたい。と語った。また、ご自身のこととして「園遊会」に招待されたことを披露した。
 国会中継をみると、野党の質問にシドロモドロする大臣がおり、政治家とはこんなものかと思うことがあるが、今日の来賓の方々の挨拶は適切な内容だった。「ほとんどの政治家がまともなのだ」ということを実感した。
記念講演を行った茨城県薬剤師会の近藤さんは「若い人の模範になる生き方をして欲しい」「10年後の目標を持って欲しい」「それには地域の支えあいが大事」と語った。

この大会の運営に当たった、自治会の役員の方々、市役所の方々に感謝したい。
「喜寿の祝い」としてフカフカの座布団をいただいた。(写真)



2018年11月23日金曜日

イベント(講演会)PRの腕の見せ所

 
 世の中、SNS(ソーシャル・ネット・サービス)の時代といわれ、パソコン、スマホ全盛だが、新聞、本、雑誌といった活字メディアも見逃せない。

 私が理事を務める「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」もホーム頁を設け、情報活動を行っているが、ゲストを招いての「講演会」の時は積極的に地方活字メディアを活用する。

 11月18日の小生のブログ「人間浴」で12月8日に開催される講演会「歴史に翻弄されたメンデルスゾーンの真髄」について、竹森道夫氏から講演会の趣旨をうかがい報道関係資料を作成し、記者発表にいたる駆け込み作業の様子を書いたが、活字メディアの方々に協力していただいてPRしようとすると、報道関係資料は重要である。
現時点で講演会の模様は読売新聞・茨城版(写真1)とエリート情報(写真2)に掲載していただいた。
 講演会の開催については勿論、ゲヴァントハウスのホーム頁にも掲載している。つまり、SNSと活字メディア双方を活用してPRしているのである。
 主催者の悩みはPRが効きすぎて、来場者が多くなり、会場の定員を超えてしまった場合である。ここが主催者の腕の見せどころである。


2018年11月18日日曜日

NHK音楽プロデューサ、竹森氏講演「歴史に翻弄されたメンデルゾーンの真髄」

12月8日(土)14時~龍ヶ崎ゲヴァントハウスで竹森道夫氏(元・NHK音楽プロデューサ)の講演会が行われる。講演テーマは「歴史に翻弄されたメンデルスゾーンの真髄」である。

実はこの講演会、まとめ上げるのが綱渡りだった。
10月20日、龍ヶ崎ゲヴァントハウスの定例CDコンサートに参加したところ、事務局から相談を持ち掛けられた。「実は12月8日、ゲスト講師による講演会を予定していたのですが、予定していた講師の都合が悪く、キャンセルになりました」「わかりました。代案を考えましょう」。帰宅すると、5時、元NHK音楽プロデューサの竹森道夫さん(写真)にメールを入れた。7時、竹森さんから返事をいただいた。「お引き受けしましょう。テーマは″知られざるメンデルスゾーン″でよろしいですか」「結構です。つきましては報道関係資料を作る関係がありますので、10月末まで趣旨、演奏曲目を知らせてくれませんか」
 講演会を開催する場合、地元紙にPRをしていただかなくてはならない。そのための報道関係資料を1ヶ月前に郵送する必要がある。12月8日の講演会だと、11月に入ったら直ぐ郵送する必要がある。私は10月26日~28日那須、秋田へとでかける。11月1日から2日まで笠間で宿泊ゴルフがある。
 竹森さんから私のスケジュールを見透かしたように講演趣旨と演奏曲目が29日に届いた。私は一晩で報道関係資料を書き上げ30日、竹森さんに提示。31日OKの返事をいただいた。ゲヴァントハウスの井原会長が11月1日付けで資料を報道各社に送付した。
 
竹森さんによると、メンデルスゾーン(写真)というと結婚行進曲やヴァイオリン協奏曲で有名だが「美しいが軽い」というのが世評である。ただ、これはメンデルスゾーンがユダヤ人だったために、全貌が明らかにされてこなかったためだという。12月8日は大作曲家メンデルスゾーンの素顔を体験談と作品によって明らかにしたいという。
 ●龍ヶ崎ゲヴァントハウス http://gewandhaus.sakura.ne.jp/wp/

2018年11月9日金曜日

NHKサウンドエンジニア 辻本さんの思い出

 
今年いただいた年賀状を整理していて、ハッと思った。
NHKサウンドエンジニア、辻本 簾さんの奥様からいただいたおハガキである。

早々に賀状をいただきましてありがとうございます。
残念ながら夫、辻本 簾は 昨年3月31日にすい臓がんのために旅立ってしまいました。生前大変お世話になったこと、本人に代わりまして深くお礼申し上げます。

辻本さんにお目にかかったのは2005年である。
2002年、定年を迎えた私はエフエム東京の放送音源をCD化する事業に携わっていた。放送音源は演奏も音もスタジオ録音にはない生ナマしさがあり、好評だった。
 私はこの際、放送音源をCD化した商品をリストアップするとともに、収録に携わったプロデューサ、エンジニアの方々の苦心談をまとめた本をつくる事を提案。「ステレオ放送80年の歩み」の項の執筆を辻本さんにお願いした。本は2005年、「伝説のクラシックライヴ」(TOKYO FM出版)というタイトルで出版された。
 その後、辻本さんには私が理事を務める龍ヶ崎ゲヴァントハウスで2009、2012、2015の3回、講演をしていただいた。
 辻本さんは1944年広島生まれ。1969年、NHKに入局。放送技術研究所音響研究セクションでステレオ音響技術、音質評価技術の研究に従事。その後制作技術部門に移り、音楽番組のミクシングとデジタル音声制作技術の開発。番組制作に携わった。

 2016年辻本さんからいただいた年賀状である。

 明けましておめでとうございます。
 昨年4月から週2~3日(ときに4日)出勤程度の契約に替え、ちょっとペースダウンしました。FM放送の「N響ザ・レジェンド」「オペラ・ファンタステカ」「名演奏ライブラリー」等々、を制作しております。ぜひお聴きください。今年もよろしくお願いします。(写真・番組制作中の辻本さん)

2018年11月5日月曜日

高校同窓”喜寿記念”ゴルフコンペ

11月1日(木)、高校同窓″鷹農35会・喜寿コンペ″が行われた。私が幹事を務めた。
場所は笠間市にある宍戸ヒルズカントリークラブ。6月、日本ゴルフツアー選手権が行われた名門である。参加費32,000(宿泊費込み)の豪華版である。
 秋田、宇都宮、埼玉から6名が参加。(写真・上)好天。集合一時間前にクラブに着く。驚いたのは広い駐車場が満杯。10月
24日の西那須野カントリーとは雲泥の差である。玄関にキャディさん6名がお出迎え。クラブハウスに入って入場登録するが、ペンの滑らかさに驚く。建物も備品も超一流である。聞けば、このゴルフ場森ビルの経営だという。
 コースも長く、池、バンカーが随所に配置され、さすがプロ仕様である。小生、那須塩原でプレーした後なので、まず
まずの出来。フルスィングして真芯でボールをとらえた時の快感がたまらない。今年ノーベル賞を受賞をした本庶佑氏が「これからやりたい事」と聞かれて「ゴルフでエイジシュートをしたい」と答えた気持が良くわかる。本庶氏は私と同じ昭和17年生まれ。エイジシュートは77である。120も
叩く私には夢のようなスコア。さすがノーベル賞受賞者である。
 プレーが終了してからパーティの後、コテージ(写真中上)の幹事部屋で二次会。ビール、日本酒、ワイン、焼酎なんでもござれ。高校時代のマドンナの話などで大いに盛り上がった。何歳になっても「青春の門」である。

 11月3日(土)隣町にある江戸崎カントリークラブで「富士フィルムシニアチャンピオンシップ」″大会主管・倉本昌弘″(写真中下)が開催されたので覗いてみた。8時過ぎ、会場に着いたが駐車場に溢れたギャラリーの車の多さに驚いた。(写真・下)
 この日、午後「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」の例会があり、早々に退散。

2018年10月27日土曜日

那須塩原で会社OBゴルフ。翌日、秋田・中学同期会

 
24日、那須塩原市にある「西那須野カントリー倶楽部」でゴルフ。現役の頃、カセットテープビジネスに燃えた10名(CSG-コンシューマ・セールス・グループ)が北(北海道)、南(九州)から集合した。この会も20回を超えた。
 一時は20名近い世帯だったのに他界したり、ゴルフを辞退したり、漸減。今回も食事の途中、インシュリンの注射を処方する先輩も・・・。かくいう私も76才である。インコース、バンカーで4打も叩き上がってみれば63。アウトで挽回を。と挑戦したが、最終ホールで池ポチャ、63。しかも、ラウンド中、クラブを2回も忘れ、仲間に迷惑をかけた。宴会で久しぶりにカラオケを歌えば、息が続かない。カラオケだって、ゴルフ同様練習しなければ惨めな結果となる。
 ゴルフ場はフェアウエイも緑のベント芝。美しかった。(写真)
 
25日、昼、自宅に帰宅して休憩。24時、新宿発の深夜バスで酒田に向かう。8時30分、酒田着。羽越線で本荘に向かう。日本海が美しい。(写真)14時から「ぽぽろっこ」で開かれた石沢中学校第10期卒業生同期会に参加する。同期生は75名いたが、物故者18名。今回の出席者20名(男性9名、女性11名)。関東地区からの参加者は私を入れて2名である。地元の幹事にとって遠来の参加者は励みになる・・・。と、勝手に解釈してスケジュール的にきつかったが参加した。
 
「おみゃ(お前)誰だ?」顔はわかるが名前がでてこない。やっと記憶が蘇る頃、会はお開きになる。「来年も来るからな」の声を残して、本荘から酒田に向かう。酒田発20:40分のバスに乗る。27日5時40分、新宿着。山手線のホームに立って驚いた。土曜日だというのに(だから?)ホームは乗客で一杯。(写真)閑古鳥の羽越線に比較すると格差が凄い。深夜バスを使う理由?深夜バスは料金が新幹線の半分以下である(ネットで予約)。乗客は全て若者。

2018年10月22日月曜日

西東京郷土史を編集した日立マクセル・OB、工野さん

 昨日、日立マクセル・OBの工野正樹さんから「西東京郷土史研究会研究概要」が送られてきた。
頁をめくってみると、工野さんは維新前後の西東京(現・清瀬市、現・練馬区、現・小平市、現、国分寺市、現、武蔵野市)の治安維持組織等について書いている。
 慶応四年(1868)江戸城明け渡しから一か月後の閏(うるう)四月の中頃、旧幕府方武装集団・彰義隊の初代頭取渋沢誠一郎(明治の実業家・渋沢栄一の従兄)は上野に屯集する副頭取天野八郎らの彰義隊と別れ、堀之内(現・杉並区)の茶屋で同志を集め直す。天野とは義兄弟の杯を交わした仲だったが、渋沢が市中から軍資金を調達したことに天野は怒ったとされ、さらに渋沢が決戦場を江戸の外としたのに対し天野は上野で戦うと主張、隊内は二派に分れた。・・・渋沢は農村支配のため旧幕府が構築した組合村という組織を使い、組合村々へ速やかに伝達、短期間に三千両以上を集めている。
 組合組織とは、三~七ヶ村を集めた小組合を治安維持などのための単位とし、この村役人の中から小惣代(しょうそうだい)を選び小組合の代表とし、さらに小組合の代表から何人かを選んで、大惣代とし、大組合を運営、大組合の中の有力な村を親村とし、囚人を一時預かる寄場を設け、この大組合を寄場組合とも称した・・・。
 この文章は工野さんが「田無市史」等の地方古文書を読み解いて現代訳したものである。工野さんの才能と努力に脱帽である。
 
工野さんは現役時代、カセットテープビジネスのライバルだった。工野さんが商品化した「UD」の音は素晴らしかった。私の目標だった。そして忘れられないのがフジフィルムの「AXIA(アクシア)」。私は上司から「お前は保守的だ。アクシアのようなものを作れ」といわれ「TDKにはTDKのやり方があります」と反論した。今、UDの工野さん、AXIAの高山さんはかけがえのない親友である。

2018年10月16日火曜日

同級生逝く、20年ぶり銀座で記者と会う


9日、東京にでかけた。国会図書館をでてスマホを見ると留守電が入っている。見覚えのない電話番号である。「畠山です。電話をいただいたようですが?」「佐藤稔の家内です。主人が昨夜亡くなりました・・・」。ミノル君、高校の同級生である。そういえば最近は年賀状くらいで会っていなかった。
 
10日、夕方、スマホのベルが鳴った。電話番号の表示に田村とある。あの田村さんかなと思って応答する。「田村です。久しぶりです。なんとか会社もやっていけるメドがついたので、畠山さんにご報告したい。お会いしたい・・・」「13日であれば同級生の葬式があって東京に行きます。どうでしょう」「ああ、こんどの土曜日ですね」「土日もほとんと働いてますから大丈夫です」
 
13日、ミノル君の葬式に参列するため、大泉学園に向かう。その後、田村さんと会う約束をしていたので、奥様に「用事がありますので、お別れの会に参加できません」というと「主人の顔をご覧になりますか」。奥様は棺のミノル君に声をかける。「あなた、畠山さんが会いにきてくれましたよ」。ミノル君、逝くのは10年早かったよ。しかし、優しい奥様と一緒で君は幸せだったね・・・。
午後4時近く、銀座のライオンビヤホールに到着。田村さん(写真中・左端)と会うのは20年ぶりくらいである。彼は電気業界紙の記者だった。当時、電気業界は隆盛を極めていた。業界紙の出版社も10社ほどあって業界の潤滑油になっていた。その中で秋田出身の記者が3人いた。私は「秋田会」を作って情報交換をしていた。田村さんもその一人。彼、法政大学卒、61才。これからである。
 「飲み代は割り勘にしよう」というと「私が払います」と譲らない。名刺を見ると、代表取締役とある。それでは遠慮なくご馳走になります。銀座の夜景を後にして帰途につく。

2018年10月12日金曜日

芸術祭大賞受賞「武満徹・カトレーン」秘話

 
 
隣町にある音楽グループ「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」のお手伝いをしている。
1年に1~2回、現役の頃お世話になったオーディオ、音楽関係の方を講師としてお招きする。来年の講師として、音楽評論家の東条碩夫先生に連絡したところ「お引き受けします」というご返事をいただいた。
 改めて、東条先生が主筆を務められた「伝説のクラシックライヴ」(TOKYO FM出版)を読み直してみた。″《カトレーン》顛末記″を読んで息が詰まった。1975年、東条先生はFM東京の音楽プロデューサーだった。この時、文化庁芸術祭参加作品に応募する決意をする。世界的な名声を博していた武満徹(1930~1996)に新作を依頼する。
 軽井沢の別荘に新作の譜面をとりに深夜タクシーで向かう。「(運転手が)とてつもない悲鳴を上げた。窓の外を見ると、白いシャツを着た武満さんが幽霊のごとく立っているではないか。げっそりと痩せ、ぼうぼうと伸びたざんばらの髪と無精髭に覆われた顔の中に目だけがギョロギョロとひかり・・・」。でき上ったばかりの譜面の前で奥様が語る。「この人、もう、1ヶ月以上座ったきりで全然運動してないでしょう。心臓麻痺でも起こして、(これが)遺作になるかと思ったわよ」
 武満が精魂を込めて書き上げた作品「カトレーン」は小澤征爾指揮・新日本フィルとスーパー室内楽団″タッシ″(Vn,Vc,Cl,Pf)によって初演され、見事に芸術祭大賞を受賞する。
 「カトレーン(Quatrain)」。16分余の作品。日本人である武満でないと書けない神秘的な作品である。
 東条先生が「カトレーン」をテーマに語って下さるかどうかはわからないが、できれば取り上げていただきたい。神秘的なこの曲がゲヴァントハウスの音響装置でどう響くか・・・。聴いてみたい。

2018年10月8日月曜日

100年後の子孫に伝える和風家屋「鮎瀬亭」


5日、義兄の建築士、工藤光春さんと弟・幸三の自宅を訪ねた。

 弟は1948年生まれ。私とは6才違い。小田原の近く山北町に住んでいる。
 秋田の高校を出た後、東京の大学に進学。小田原にある私立高校の教師になる。1972年、山北町の旧家・鈴木家の養子になる。
 弟は2009年、和風に拘った「鮎瀬亭」を新築する。
 この鮎瀬亭をプロの建築士、工藤さんに見てもらおうというのが今回の山北行の趣旨である。
 
私と工藤さんは9:00バスタ新宿で落ち合う。工藤さんの第1声「やあ、驚きましたよ。これが現役の頃、建設の話があったバスターミナルなんですね」。私も新宿バスタを使用するのは初めてである。このバスターミナルから全国に向けてバスが出発する。
 山北は電車で行くと不便なのだが高速バスで行くと1時間30分。東名山北に着く。

 弟の案内で山北町を見学しながら高台へ。太平洋岸方向をみると小田原市街が一望である。フジフィルムの工場群、アサヒビールの工場が遠望できる。
 
 鮎瀬亭に着く。玄関をくぐるなり、工藤さん「ホーッ」と天井を見上げる。秋田杉を使用した梁が美しい。(写真・上)弟は秋田の実家の杉を製材し、山北に運んだのである。工藤さん私に言う。「あなたは建築の素人だからわからないだろうが、秋田杉を使用し、これだけの家を作ろうという発想は、並大抵のものではない。幸三君のその源泉はどこからきたのかな・・・?」弟のこたえ。「鈴木家は170年経った茅葺の古民家でした。壊すのに逡巡しました。その思いを”鮎瀬亭”に託しました。」
 
 幸三は100年以上後の子孫に、和風建築の伝統と秋田の実家への思いを伝える事を意図しているのであろう。因みに「鮎瀬亭」の鮎瀬は我々兄弟が生まれた部落の名前である。

2018年10月2日火曜日

有楽町・プレスクラブで行われた退職記念パーティ

 
 
16年前、有楽町・プレスクラブで行われた私の「定年退職記念パーティ」のビデオが見つかった。
 一般的に定年になった時は職場で花束の贈呈があるぐらいではないだろうか?
 私の場合、開催場所が有楽町にある外人記者クラブ(通称・プレスクラブ)。TDKの社員だけでなく、ソニー、フジフィルム、松下等の業界関係者も参加。計87名。
 パーティを企画(&司会)したのは私の最後の職場となったTDKコアの社長、松本謙明さんだった。松本さんは福島出身。慶応義塾大学卒業の後、TDKに入社。カセットテープ等記録メディアの国内営業責任者として辣腕を振るった。人情味豊かで、社内、業界に広い人脈があり、それが、このパーティの源泉になった。
 乾杯の音頭は、私を秋田から本社に呼んで下さった沖山昭八さん。沖山さんは「世界のカセット」を提唱。その後「世界陸上のゼッケンスポンサー」を発案する。業界を代表して日立マクセルの工野正樹さんが挨拶。TDKデザインを代表して社長・植村徳さんが挨拶。小生の商品企画時代を回想。TDK・広報部長、片山道憲さんが、世界陸上連盟会長ダミン・ディアックさんのメッセージを披露した。小生答礼の挨拶の後、会場には小澤征爾指揮ウィーンフィルのラデッキー行進曲が流れ、私と松本さんはお客様をお送りした。
 TDKコアに異動になったのは定年2年前。松本さんから「定年まで、ゆっくり休んで下さい」といわれた。が、ここで花が咲く。「TDKオリジナルコンサート」のCD化が大ヒット。それが小澤・ウィーンフィルによるニューイヤーコンサートDVDの発売権利の獲得につながる。(後継の岩垂靖樹さんの貢献が大きかった)
 
 パーティのビデオがあることをスッカリ忘れていた。先月、101歳の母を囲む兄弟会が秋田で行われた。これをビデオに撮ろうとビデオカメラを捜した。カメラの箱の中にテープが入っていた。

2018年9月27日木曜日

老人会、落鮎の旅を満喫


今年も私が所属する刈谷ベテランズクラブ(老人会で~ス)の日帰りバス研修「鮎研究会」が行われた。実施日の19日は雲一つない秋晴れ。
 キンキンに冷やした缶ビールをカバンにしのばせて集合場所へ。バスに乗ると車内は44名の老々男女で満席。8時定刻、バスは刈谷を出発。つくば牛久インターから高速に乗る。缶ビールのフタを開け、グィッとやる。酒飲みにとっ
て、朝酒は格別。こんな時でないと朝酒は飲めない。(朝酒が飲めるのは元気な証拠だと思う・・・)
 車中では参加者の自己紹介が続く。ほとんどの参加者が現役時代、東京へ通勤した企業戦士と、その妻たち。11時、観光やな「ひのきや」(那珂川沿い)に到着。食事処のいろりには既に炭火を串刺しの鮎が囲む。私が座った席は尊敬する酒井会長の隣。
会長81歳。どうぞ!と冷たいビールを注ぐ。次いで、日本酒をさしつさされつ・・・。この酒、刈谷の市会議員、杉森さんが持ち込んだ「獺祭」。
 ところで、落鮎とは産卵のために川を下ってきた鮎である。鮎に感謝しながら、串焼き、揚げもの、活き造りをいただく。
 帰りのバスは通例だと「カラオケ大会」になるのだが、今回は違った。つくばみらい市出身の森田さんが、つくば周辺の歴史を語る。そして同市にある古民家に立ち寄る。築150年になるという松本家である。茅葺の母屋が素晴らしい。もちろん庭も。松本家、映画やドラマの撮影場所にしばしば利用されるという。
 そういえば、NHKの大河ドラマ「西郷どん」を見たら、協力・つくばみらい市とあった。松本家が使用されたのかもしれない。
 今回の旅、参加料¥3,000。何も生産しない、年寄りがこんないい思いをしていいのかな?と思うことが多いこの頃である。

2018年9月25日火曜日

「メル友からのアメリカ便り」を見て

9月17日のブログ「メル友からのアメリカ便り」を見た内野森一さんからメールをいただいた。内野さんは現役時代の仕事仲間。名コピーライターである。

クリーブランドを読ませていただきました。
クリーブランド管弦楽団のセベランスホール(題材に)で、広告(コピー)を書きました。取材に行った時に監督室でロリン・マゼール(指揮者)と会いました。

ビック5と呼ばれるオーケストラがある町には必ず立派な美術館がありました。
NYにはご存知のメトロポリタン美術館やMOMA(近代美術館)、ボストンには岡倉天心が東洋部長になって集めた、日本にあれば国宝級のコレクションで有名なボストン美術館、シカゴにはオーケストラホールの斜め前にあるシカゴ美術館、フィラデルフィアには奈良の寺を移築した部屋があるフィラデルフィア美術館、そしてクリーブランド美術館です。
すべてが米国の財力を示す第一級の美術館です。

北東部に良いオーケストラが集中しているのは、そこからアメリカ合衆国の歴史が始まったからではないでしょうか。私は米国の歴史を勉強したことはありませんが、独立戦争が始まったのはボストンだったような・・・ボストンの街にはその戦いの跡をたどるコースがあったと思います。米国の北東部はニューイングランドと呼ばれておりますし、独立宣言はフィラデルフィアだったと思います。

内野さんは写真家の木之下晃さん(1936~2015、2006年紺綬褒章受章)とアメリカの音楽文化について取材旅行を行っている。その成果が1987年、新潮社から出版された「アメリカ音楽地図」(写真)である。

2018年9月17日月曜日

メル友からのアメリカ便り(最終回)

 メル友(クリーブランド管・ヴァイオリン奏者、白上冴さんのお母様)からのアメリカ便りも最終回である。

〇クリーブランド滞在もあと一週間で終わります。今回4年ぶりに参りましたが、日本を離れてみて、改めて日本の良さを再確認できました。今夜は娘と二人で、ニューヨークから来た友人を娘のアパートに迎え、手巻き寿司でおもてなしをいたします。(9/10)


ところで、クリーブランド管弦楽団はアメリカのビック5と呼ばれる名オーケストラである。アメリカには実働オーケストラが1,500以上(カナダを含める)あるが、ビック5(シカゴ、クリーブランド、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィア)は北東部に集中している。(写真・上 "木之下晃「アメリカ音楽地図」転用″)これはこの地域がヨーロッパに近いことが影響しているのであろうか?
ビック5の都市の中でクリーブランドは200万と一番人口が少ない。しかし、同市にはオーケストラの他に著名な美術館があり、雪舟や狩野永徳など日本の美術コレクションも展示されているという。

 これからも時間があればクリーブランドをチェックしてみたい。そのためにも白上冴さんのブログ、クーリープラント便り(https://ukkiella.wordpress.com/)は興味深い。コンサートの話題から食べものの話題まで楽しい。日本でオーケストラ演奏付の映画上映が話題になっているが、先駆けはアメリカのようである。今年の野外コンサートは、映画「スター・ウォーズ」第1作目の「新たな希望」でフィナーレを飾ったという。巨大スクリーンの前でフルオーケストラが映画の音楽をナマ演奏する。迫力満点だったという。会場には多くの観衆がつめかけた。(写真・中)

2018年9月12日水曜日

101才・母を囲む兄弟会(なかなかお迎えが・・・)

 
 9日(日)、ケーナ生演奏付き屋形船の宴会終了後帰宅。大相撲初日を見ながら夕食。(稀勢の里、勝ってホッとする)7時床に着く。眼が覚める。時計を見ると10時30分。ヨーシ、出発しよう。(予定では10日、2時だった)
 
10日(月)、午後5:30~秋田・由利本荘市・安楽温泉で101才の母を囲む「畠山家兄弟会」がある。今回の秋田行に関し、次の3点を実施しようと計画した。
 ①兄弟会をビデオで撮る。(物置を捜したところ、20年前に買ったビデオがでてきた。作動するかどうか事前チェック)
 ②往復高速を使わない。(片道550キロの秋田行を一般道路で行くのは年齢的にも今が限界。挑戦してみよう)
 ③実家にあるLPレコード200枚を引き取る。(実家ではLPレコードを聴く人がいないので、引き取って、東京にいるLPファンの友人に移管する)
 真夜中の国道4号線はさすがに空いていた。出発の
時はTシャツだったが、那須に到着すると寒い。長袖のシャツを重ねる。一般道路でもコンビニが深夜営業しているので、トイレ休憩も不自由なし。福島から13号線で米沢に抜け、山形、新庄と北上。13号線は信号も少なく、高速並みの快適さ。山形、秋田の県境で夜が明ける。山に囲まれた道路を走るのは実に爽快。(写真・下)
 9時30分、実家に着く。玄関の方を見ると、101才の母が庭の掃除をしているではないか!。母には30数名の曾孫がいるが、全員の名前を憶えている。要介護1とのこと。
 兄弟会での母の一言。「なかなかお迎えがこなくて・・・。おじいさん、そろそろお願いします」。(写真・上。今年101才になる曾孫と大正琴を弾く母)

2018年9月9日日曜日

ケーナの生演奏付、屋形船


 水害、地震に会われた方々には申し訳けないが、今日は贅沢な一時だった。
9時、土浦駅集合。そこからボーリング場のバスで、ボーリング場に直行。数十年ぶりにボーリングに興じる。例によってパワー不足の私は女性よりも球に力がない。しかし、ストライクは2回続けて達成。2ゲームやって156。ガーター2回。やってみると中々面白い。
 その後、山本五十六、ツェッペリンのリンドバーク、アン夫妻も訪れた、料亭「霞月楼」を訪れ、同料亭内を見学。
 
タクシーで土浦港に向かう。ここで、なんと、「霞月楼」が仕立てた屋形船に乗る。土浦の隣町ともいえる牛久にいながら、土浦港から屋形船がでてるなど、知らなかった。
 屋形船に乗ると、美しいお嬢さまがお飲み物はなににしまようか?ときた。「生ビール!」間もなくしてケーナ奏者の渡辺大輔さん(写真)、ピアノ奏者の根本マリアさんの演奏がはじまる。素朴なケーナの旋律に耳を傾けながら喉を潤し、霞ゲ浦
の水面を眺める。
 こんな贅沢があろうか?
 
 この宴席を企画したのは土浦在住の高山了さん。高山さんは富士写真フィルムOB。同社在社中、カセットテープの商品企画を担当された。小生はTDKでカセットの商品企画をやっていたので、ライバル同士だった。今は信頼できる仲間である。高山さんは卒業後、自転車でシルクロードを横断するなど活躍されている。今日の会には高山さんの仕事、ゴルフ、自転車の仲間16名が集合した。
 小生は明日、秋田に行くということで中座。奥様に土浦駅まで送っていただく。高山ご夫妻のますますのご健勝お祈りします。

2018年9月6日木曜日

人生100年時代の推奨銘柄

私は株式投資はほとんどやっていません。
なんとか食うに困らない生活ができそうだという見通しがあるからです。最近は旅行にも興味がなく、お金も体力もいらないブログ書きで自己満足しております。

ただ、ボケ防止のため、野村証券のセミナーに通っております。
セミナーでは日本(いや世界)のエリートアナリストが情報収集し、分析した世界の経済情勢、これをもとにした今後成長が期待される企業についての情報を知ることができます。

「Nomura21 Global」というリポートが毎月発行されます。このリポートには「人生100年時代の推奨銘柄」が掲載されております。9月号のリポートを見てビックリ!新規銘柄としてTDKが掲載されておりました。私はTDKの株は所有しておりませんが、TDK・OBとしては感無量です。同リポートに掲載されている電子部品メーカーは今まで村田製作所だけでした。TDKはやはりムリかなと思っていただけに感無量なのです。

5日のセミナーでは推奨銘柄の紹介の他に、米中の貿易摩擦がどうなるか?という解説もありました。中国が進める2010→2020の所得倍増計画、2021・共産党結党100周年、その先の一帯一路構想、そして2025年の中国製造計画。これは将来の先端技術で世界No,1になろうというビジョンだそうです。先端技術は軍事技術に転換できるため、経済といいながら、軍事競争でもあるそうで、トランプはなんとかこれを阻止しようとしているのではないか!という解説でした・・・。

2018年9月3日月曜日

銀座で母校タカノウ(鷹農)同窓会


ボクが高校時代、秋田には4つ農業系の高校があったと記憶している。
その中で次の三校が有名だった。タカノウ(鷹農・鷹巣農林)ダイノウ(大農・大曲農業)カナノウ(金農・金足農業)。タカノウはボクの母校。残念ながら2011年、近郊の2校と合併し、北鷹高校となった。
母校の名前は無くなったが同窓会は脈々と続いている。同窓
会の名称は母校の学校林、伊勢堂の杜に由来して「東京伊勢堂会」という。
 今年の東京伊勢堂会は2日の昼、「ライオン銀座クラシックホール」で行われた。木造のホールで銀座のど真ん中。ビルの6階とは思えないクラシックなホールである。(写真)
 秋田から出てきて首都圏で頑張った白髪頭の同窓生53名が参加した。会長は岩崎準志郎君。71才。東京へでてきて人生の辛
酸を舐め続けてきた苦労人である。現在もタクシーの運転手として都会の人間模様を肌で感じている。幹事長は元・入間市消防署長を務めた本橋芳美君。68才。副幹事長は介護士の斉藤拓治君。67才。
 
 東京伊勢堂会は岩崎会長の晴れ舞台。学生服を着た岩崎君がカナノウ野球チームのようにエビ反になって「フレー、フレー、タカノウ」と音頭をとる。校歌斉唱と続く。「翠緑萬古、伊勢堂の杜・・・」大合唱がホールになり響く。
  
 ビルからでると、歩行者天国。中央通りは人の波。外堀通り、ソニービル跡には水族館が設置されていた。マンボウが優雅に泳いでいた。(写真・下)