2013年3月30日土曜日

桜の古木と能面

(上野公園、桜の古木。能面を手にする、加藤、廣本先輩)
 
 27日、東京で飲み会があり、午後から出かけた。
会合の場所は八重洲。時間があったので上野公園に寄ってみた。
 朝から雨だったこともあり、人出はそう多くない。地面が濡れているため、場所とり用の敷物も見当たらい。ジックリと桜の木を見ると、古木が多い。枝が道路に向かって水平に伸び、その枝が何層にも重なっている様に気がついてシャッターを押した。
 飲み会は4時からはじまった。
紅一点の加藤(佐藤)宙子さんが30分ほどして現れた。彼女は初参加であり、会場が普通のマンションの一室なので迷ったという。
 加藤さんは秋田の先輩。飲み会ではほとんど発言しなかったが、趣味は「能面を彫る」ことです。といって面を取り出した。加藤さんは盆踊りで有名な西馬音内(にしもない)のご出身。出身地に相応しい趣味だと思った。
 上野の桜の古木、そして能面、重要無形文化財である西馬音内の盆踊り・・・。

2013年3月25日月曜日

サバリッシュ&池辺晋一郎

(1964年来日プログラムに掲載されたサバリッシュ。右下は池辺晋一郎)

 今年の2月22日、ドイツ生まれの指揮者ヴォルフガング・サバリッシュが亡くなった。89才だった。
 サバリッシュは1964年(41才)、東京オリンピックの年に初来日。NHK交響楽団を指揮した。当時、小生(22才)は秋田から東京本社に転勤してきたばかりのピカピカのサラリーマンだった。
 サバリッシュ・N響による演奏は実に明快で、各楽器が明瞭に聴こえた。今まで聴いたカラヤン、ベームといった指揮者の重厚な音作りとは違っていた。サバリッシュの音楽は知的な演奏と評された。サバリッシュとN響との相性は見事に一致。 サバリッシュはやがてN響の桂冠名誉指揮者となり、2004年まで指揮した。

 サバリッシュは自分の人生に満足しており、「私は望みがないほど、幸せだ」と語るのが常だった。しかし、1998年奥さんを亡くしてからは「私は望みがないほど、不幸せだ」と語ったという。
愛妻の死の衝撃がわかる。(「音楽の友」4月号。真鍋圭子さんの回顧談)
 私はサバリッシュの残した「美感遊創」という言葉が大好きである。

 3月20日、作曲家・池辺晋一郎の公演がわが町、牛久で開催された。池辺は映画「影武者」「楢山節考」テレビドラマ「独眼竜正宗」「元禄繚乱」の作曲家として有名だが、実は交響曲も8曲作っており、9番目も作曲中という。いつも明るくダジャレの達人である池辺さんの交響曲とはどういうものか興味津々である。
 ところで、講演の中で池辺さんは「知能指数」に対して「感性指数」という評価軸もあるのではないかと語った。知恵遅れといわれる子供達の素晴らしい詩に遭遇し、創作欲が湧いたという。

 池辺さんの見方を流用するとサバリッシュは「知能指数」と「感性指数」のバランスが見事にとれたた巨匠だったと思う。

2013年3月19日火曜日

記録メディア・ミュージアムの設立を!

(3月17日、天王洲に参集した記録メディア工業会・OB)

 記録メディア事業に携わるメーカーの団体である「日本記録メディア工業会」が今年の3月、60年の幕を閉じることになった。
 60年を振り返ると、欧米の真似をして産声を上げた日本の記録メディア産業が独り立ちし、やがて世界市場を席巻した輝かしい歴史だった。
 記録メディアとは、オーディオメディア(オープン→カセット→CDR)、ビデオメディア(Uマチック→VHS→8mm→DVDR)、データメディア(フロッピーディスク→CDR、DVDR→メモリーカード)を指す。工業会解散の理由は、デジタル化により、情報量の増大と反比例して価格が下がり、産業規模が急速に縮小したからである。

 しかし、ここで見落としてならないのは記録メディアが人類の歴史、文化に貢献し続けている現状である。私事で恐縮だが、中学時代、学校にソニーのテープレコーダが導入され、自分の声を聞くことができた。この時の感動は一生忘れることができない。われわれが今、起源前の古代エジプト時代のことを知ることができるのも「パピルス」という記録メディアがあったからである。(パピルスはペーパーの語源でもある)

 17日、記録メディア工業会にかかわった有志により、工業会の閉鎖に伴い、退職になる事務局部長のパーティが開催された。天王洲にあるレストラン「TYハーパー」に工業会にかかわったOB15名が参加した。彼等の所属メーカー名を上げよう。松下電器産業、ソニー、日立マクセル、TDK、富士写真フィルム、日本ビクター、日本コロムビア、大日本インキ、そうそうたる顔ぶれである。
 記録メディア産業は縮小しているかもしれないが、記録メディアと人類のかかわりは今後もますます深くなる。日本がリードした60年の記録メディアの足取りをミュージアムとして残し、次の世代に引き継ぐ・・・。記録メディアとともに人生を過ごし、これからも記録メディアとともに人生を送る私の願いである。

2013年3月17日日曜日

荒れ狂うハンマー交響曲

(ステージには120名の大オーケストラが陣取る)
 
 昨年9月、インバル指揮・東京都交響楽団によるマーラーの交響曲第1番「巨人」の感想をブログに掲載した。これは稀にみる名演だったが、昨日(16日)、東京芸術劇場(池袋)で行なわれたカンブルラン指揮・読売日本交響楽団によるマーラーの交響曲第6番は名演という次元を超えた凄演だった。

 その理由の第1番は同じマーラーの交響曲でも第1番と第6番では作品としての円熟度が違う事だと思うが、パワーの点でも後者の方が圧倒していた。ステージに並んだ楽員は120名ほど。
 ホルン奏者はマーラーの指定は8本なのだが、9本。(読響のホルン奏者は5名しかいないので、4名は補充したことになる。)

 第1楽章の地獄へ進むような行進曲からして、色彩豊かな大音響が超満員の大ホールに鳴り響く。マーラーの音楽は絵画でいえばピカソ?形式(様式)があるようなないような、千変万化である。聴いている聴衆の頭脳も肉体も異次元の世界に浮揚する。
 第6番は80分におよぶ大曲。第4楽章のクライマックスで、最上段中央に打楽器奏者が移動。頭上高くハンマーを振り上げ、振り下ろす、ドーンという鈍い音がホールに鳴り響く。太鼓とかテンパニーといった既存の楽器にない音まで求めたマーラー。これぞマーラーの真骨頂である。第6番には「悲劇的」という副題がついているが、小生はハンマー交響曲と呼びたい。


2013年3月12日火曜日

シンガポール、マレーシア旅行

(6日、英国調の野外レストラン庭園・デンプシー。ジャンボシーフード店で。左より小生、中田さん、中居さん)

 今まで海外旅行(出張)というと欧米中心だった。
町内の友人と初めて東南アジアに旅した。シンガポールとマレーシアである。
6日に出発し、10日帰国した。

成田からシンガポールまで7時間。はじめて乗るシンガポール航空である。欧米の航空会社と比較すると、シンガポール航空のサービスはJAL,ANAに似て、親切である。やはり同じアジア人である。
 シンガポールに着いて、シンガポールが日本の都市と似ていることに気がついた。宿泊したホテルは「マンダリン・オーチャード・シンガポール」であるが、このホテルのあるオーチャード通りは日本の銀座通りと浅草を合わせた様、高島屋、伊勢丹、欧米のブランド店と、インド系の商店が混在し、人通りの多さは日本の銀座通りを上回る。
 ところで、シンガポールはイギリスの植民地(イギリス系のラッフルズホテルがある)であったが、1942年、日本軍がイギリスを討ち、3年間、日本の統治下にあった。(1942年といえば、私の生まれた年である。)日本とは縁が深いのである。と、いった事もやはり現地に行かないと実感できない。 シンガポールといえば、マーライオンやマリーナ・ベイ・サンズホテルが人気があるが、日本人としては過去の大戦に思いをいたすべきだと思った。

日帰りでマレーシアのジョホール・バルにも旅した。この町の方が東南アジアの都市らしく素朴だった。シンガポールは経済特別特区、観光のテーマパークというのが私の印象である。

2013年3月5日火曜日

涙、涙の映画「東京家族」

4日朝、2日の「CDコンサート」のブログを書いてから牛久駅発9:24分の電車で東京へ向う。
(ブログ作成と平行して、町内文芸誌「いしぶみ」の印刷も行う。パソコンは本当に良く働く)

11時、いつもの東銀座の喫茶店でN氏と会う。N氏、ことの他顔の血色がよい。「ところで何才でしたっけ」とうかがったところ、昭和10年生まれで78才とのこと。またN氏は背が高く姿勢が良い。堂々と銀座を闊歩している。N氏まだ現役である。

17時に有楽町でオーディオ評論家のF先生にお目にかかることになっている。
N氏と別れた後、時間があるので近くの「東劇」で映画を観ることにした。
 さすが、「東劇」従業員の応接も丁寧。座席もゆっり。音もいい。「東劇」では映画の他に「歌舞伎」「ニューヨークメトロポリタンオペラ」なども上映している。この設備ならと納得。
 この日、上映されたのは山田洋次監督50周年作品「東京家族」良かった。涙、涙でハンカチが濡れた。出演した俳優さんたちも良かった。橋爪功、西村雅彦、妻夫木聡、蒼井優・・・みんな役にはまっていた。

17時、有楽町のビアレストランでオーディオ評論家の大御所、F先生にお目にかかる。
オーディオ業界の今昔について貴重なお話をうかがう。先生は代々木上原の豪邸にお住まいである。「ところで、先生のお父上はどんなお仕事をされていたのですか」「理化学研究所の研究者だったよ」なるほど、なるほどである。F先生は昭和19年生まれ。評論家としては一番脂が乗りきった時期である。
「先生、勘定・・・」「いいよ、いいよ僕が払うから」「それでは遠慮なくご馳走になります」

2013年3月4日月曜日

CDコンサートに盛大な拍手

 小生の住む牛久市の隣町、竜ヶ崎市に”ゲヴァントハウス”という音楽愛好団体がある。
同愛好会は5万巻(枚)の放送音源のテープを所有している。中には放送局も所有していない貴重な音源もある。
 このライブラリーを活用して毎月第1、第3土曜日CDコンサートを行っている。再生装置は会のメンバー手作りのもので見栄えは悪いがどんな世界の名機もかなわない音を出す。コンサートホールで聴いているような臨場感がある。

 2日、特別企画として世界最大のレコードメーカー、ユニバーサルミュージック録音部OBの常盤清さんをお迎えし「レコード制作の現場40年の変貌」と題しての講演が行われた。(写真)

 常盤さんがレコードメーカーに入社された当時、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルグの指輪」が発売された。この楽劇、上演に16時間を要する。LPレコードで30枚。発売記念として東京のイイノホールで全曲通して(徹夜)のコンサートが行われ、マスコミでも話題になったという。
 常盤さんは定年後、請われて霧島国際音楽祭の録音を行っているという。ボランティア同様で録音スタッフはゼロ。全て常盤さん一人で行なっているという。ところで、この録音が素晴らしかった。
CDコンサートなのだが、ナマの演奏会のように終了後会場から拍手が沸き起こった。

 この日のコンサートの参加者は49名。今どきクラシックのCDコンサートでこれだけの聴衆が集まるのは珍しいと思う。