2010年12月26日日曜日

戦争の重みが伝わる自分史


 先週、思いもかけず、伊勢信子さんから自分史「野菊」をいただいた。

伊勢さんにお目にかかったのは地元の文藝同好会「刈谷いしぶみの会」に2年前入会した時である。しかし、残念なことに伊勢さんはご高齢を理由に今年退会された。

 伊勢さんは今年88歳。13年間にわたって、「いしぶみ」に投稿された原稿を今回編集して「野菊」として出版された。84歳の時にマスターしたパソコンが今回の「野菊」の出版に役立ったいう。


 伊勢さんはご主人とともに、教師人生を歩んだ。戦時中、伊勢さんは教育者として戦争に協力した。「国民の一人として、天皇の赤子を育てる義務をこの上なく名誉なことと思って薙刀道場に通い、戦争童話を作って(子供たち)聞かせたのだ。今にして思えば、誠にくやしい限りである。」「数々の戦争を”聖戦”と信じこませたものに対する大きな憤り、それよりも、そのことを信じて疑わなかった自分の不甲斐なさ、愚かさに対する自己嫌悪に悶々とした日々が続くのだった。」疎開先の生活も肌理細かく描写される。「空いていた炭焼き小屋を改造した建物を家賃10円で借りることが出来た。八畳と六畳に台所がつき、トイレは外からしか入れない所謂外便所で、穴を掘って板を二枚渡しただけのもの」「夫にミシンを組み立ててもらい、娘を赤ちゃんの着物姿から洋服スタイルに変えて見ようと、私の学生時代の制服やオーバーで娘の上着とズボンを作った。」


 小生は昭和17年生まれ。戦争の記憶は全くない。今まで戦争の悲惨さ不条理については本や映画などで見聞きしてきた。しかし、今回の伊勢さんの文ほどグサリと突き刺さるものはなかった。その陰には伊勢さんが当時女性教師だったという経験の重さある。正に生き証人である。

 伊勢さんの自分史を通して、私は自分の母の苦労を垣間見た気もした。私の母は93歳だが、まだ健在。母にも「野菊」を見てもらいたいと思った。


 最近の文学作品というと、ゲームのような筋書きと肌触りの良い文章のものが多い。反面、経験を基にした自分史はゴツゴツしているが商業文学にはない重みがある。

2010年12月22日水曜日

武道館、5千人の第9に参加

指揮の西本智美
東京交響楽団(右側)

大合唱団の一部


 最初、武道館の第9なんかに行くもんかと思った。家内に意向を聞いたら、「”カジュアルシート”というのは面白いんじゃない」という。

 チケットは3種類ある。合唱に参加する「スタンダード」。ソプラノ、アルト、テノール、バスと分かれている。これはオーディションがあり、ドレスコードもある。リハーサルにも参加しなければならない。「カジュアルシート」。これはオーディション、ドレスコードもない、つまり服装も自由。リハーサルもない。合唱は歌える部分だけ歌えばいい。「一般シート」。これは一階席で聴くだけの席である。

 私は「楽譜は読めない」「ドイツ語が分からない」「極端な音痴」ときている。合唱団員としては三重苦である。しかし、家内がいうように「カジュアルシート」であれば他人に迷惑はかけない。なにしろ、「スタンダード」4千人、「カジュアル」千人の大合唱団である。一人くらい、調子はずれでも分からない。

 それでも、いざ参加するとなると、一応予習をしなければ・・・。楽譜のドイツ語にカナをふり、日本語訳を書き、CD、DVDを10回くらい見る。予習をする度に音楽をやるには、楽譜を読めるだけではダメ、言葉が分かるだけでもダメ、その両方が理解できないとダメだということを痛切に感じた。それと、自分自身のスキル。(歌唱力)。そしてこの曲を作曲したベートーヴェンの偉大さを痛感する。

 会場は合唱団席5千名、一般席5千名、計1万名で満席。武道館はコンサート会場でないため、換気音が聴こえ条件はあまり良くない。しかし、さすが第9である。会場は祝祭的な雰囲気に包まれた。

 合唱の冒頭のFreude!(歓喜)から最後のGoterfunken!(神々の火花)までの間、半分くらいは大合唱になんとかついていった。ほとんどが口パク。曲が終わるとバーンと音がして、ステージから客席に金銀のテープがぶ。”神々の火花”のつもりなのであろう。武道館ならではの趣向だと思った。

 このコンサートには「TOKYO FM 開局40周年記念・夢の第九コンサートin日本武道館」と銘打たれていた。

2010年12月21日火曜日

房総カントリー、忘年ゴルフ

     (親睦会の会場「社員倶楽部・楽多館」)
 
 17日、房総カントリーで、CSGの忘年ゴルフコンペが開催された。
CSGの意味合いは良く理解していないが多分、頭文字のCはカセットテープ(Cassette Tape)のCだと思う。

 1980年(昭和50年)頃、カセットテープ全盛の頃、テープの営業所は全国の主要都市にあった。当時の営業所長が中心になったゴルフコンペである。当時のリーダー、市販部長・川上岩男さんは78歳。ドライバーショットは衰えず、190ヤードは飛ばす。ゴルフでも全員のリーダー役である。はるばる北海道から藤田孝男さんが参加した。

 私は当時、営業ではなくスタッフだったが、仲間に入れていただいている。

 当日の参加者は19名、スコアを見て驚いた。104、97、103、90、100、110、125、104、92、110、102、113、106、120、105、100、122、109。つまり、100を切ったプレーヤーは3人しかいない。10年前はおそらく半分以上が100を切ていたと思う。古希クラスが大半であることを考えると無理はない。しかも私の知るところ、4名は癌などの大病経験者である。

 夜は御宿にある社員倶楽部「楽多館」に宿泊した。6時から懇親会&成績発表、終了後カラオケルームでカラオケ大会。音痴の私は一曲歌って9時過ぎに退散したが、終演は11時だったという。歌った曲目は60曲。皆さん元気である。

 幹事の髙橋栄三さん、幹事役お疲れ様。山本守雄さん、カラオケでの名司会、いつもながら見事でした。90のベスグロおめでとうございます。

 不況の中、社員倶楽部「楽多館」が維持されているのも嬉しい。

 

2010年12月16日木曜日

カナダから上田先輩来日

      (銀座「山野楽器」から見た4丁目交差点方向)
 
15日(水)10時 日本記録メディア工業会訪問
宮田事務局部長と四方山話。別れ際の会話
「畠山さん、来年、各社のメンバーと会いましょうよ。松本さんによろしく」
「松本さんと今晩会いますよ。TDK柳橋倶楽部で」
「え、実は私も今晩、飯崎さんのお世話で柳橋倶楽部へ行くんですよ!世の名狭いですね」

その後、11時30分から銀座で昔お世話になった取引先の営業マンと会う。 
「中国には白い金と灰色の金と黒い金というのがあるそうですね」
「石川達三の”金環蝕”なんか読むと、日本の昔の政官業の裏話も凄いね」
「贈答品の靴下の底に商品券を入れるとかありましたよ。私の知ってる営業マンは取引先へ渡す商品券をチケットショップで換金して自分のポケットに入れてしまった。後でバレたが、彼が正直に白状したので首にはならなかった」そんな時代でした。

15時、銀座「山野楽器」でCDコーナーを覗く。1920年~70年、米国で活躍したフランチェスカッティのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の海外盤が目にとまる。フランチェスカッティは田舎(秋田)の兄
の愛聴盤である。買い求める。クリスマスプレゼントになれば幸いである。

 18時、TDK柳橋倶楽部。カナダから来日した「上田さんを囲む会」が開催された。当日の参加者は13名。上田さんは慶応大学の出身であり、現在カナダで住宅会社を経営している。その前にTDKに在籍していた。部署は違うが私の先輩である。当日の参加者に慶応出身者が5名いた。私は慶応とは縁も縁もないが、なぜか、上田さんから幹事の役を仰せつかった。私は司会は慶応出身で退社後も業界のカリスマとして人望を集めている松本さんに司会を依頼した。松本さんの名司会で会は大いに盛り上がった。メンバーの中に現役が3名いた。その内の1名、吉野君の挨拶は嬉しかった。彼は定年後、某国立大学の講師を依頼されているという。もう一人の岡部君は当日会場になった倶楽部を傘下に収めるTDKサービスの社長である。山形の40年ものの古酒を差し入れてくれた。日本酒でありながら琥珀色で紹興酒に似た味がした。もう一人は参加者の中で最年少の田村君。彼も慶応出身。イケメンである。「もう51歳です」と本人は照れるが70歳前後のOB族にとっては心強い。

 9時10分頃、会は田村君の締めで閉会。私は宮田さんがいる宴席にうかがう。「やあ、畠山さん!」
宮田さん、飯崎さんの他、富士写真、三井化学、リコー等の幹部が笑顔で迎えてくれた。


柳橋倶楽部を出ると、外は肌を刺す寒さ。私は大先輩の浜崎さんと並んで浅草橋駅に向かう。
「最近は睡眠と、排泄が課題なんです」
私もこんなことを話題にする年になった。
「そうなんだ。朝早く目が覚めるし、トイレに一時間もいるときがある」
浜崎さんも同様のようである。
といいながら、この日の心と体は十分満たされていた。
久しぶりに気の会う会社の先輩後輩、業界の方々とお会いすることができた。

2010年12月12日日曜日

刈谷新自治会館落成

現在の会館
新会館玄関

新会館全景


 私は牛久市の刈谷に住んでいるが、今日、刈谷の新自治会館の落成式があった。
落成した新自治会館は建坪125坪である。現在の会館の約1.5倍の広さになる。屋上には太陽発電のシステムが設置されている。

 一昨日、NHKの番組で「縮む日本」という番組があった。事例として秦野市、習志野市が取り上げられていた。人口の縮少により公的施設の統廃合が進んでいるという番組だった。そんな中での竣工。恵まれていると思った。

 落成式で池辺市長が祝辞を述べた。「私はこれからは”子育て”と”助け会い”が大事であり、その為には自治会活動が大事である。この新自治会館がこれからの自治会活動の拠点になるように・・・」と語った。刈谷地区は自治会ができて30年。1,509世帯が住んでいる。自治会の積立金約4千万、市からの補助金約2千万によってこの新自治会館が完成した。

 私は刈谷地区の役員を1期経験して、今年の4月に退任した。したがって、役員の方々のご苦労はあるていど理解できる。新会館建設に携わった方々のご苦労は大変なものだったと思う。その反面、その苦労を住民の方々がどれだけ理解しているか気になる。

 国も地方も予算が厳しくなっている昨今、住民のボランティア活動に対する期待が高まっている。が、本当に行政はボランティアの方々の苦労を知っているのだろうか・・・というのも気になる。
 
 いずれにしろ、行政サービスはわれわれの税金でまかなわれている。住民は行政に厳しい目を向けるとともに、自分自身、行政に負担をかけないよう、自分を律しなければならないと思う。

2010年12月5日日曜日

朝日新聞掲載・広告の校正ミス?


 ブログ、本づくりをやっている小生にとって”校正ミス”は怖い。しかし、自分の性格上、また加齢現象の関係で”校正ミス”は日常茶飯事。


 今日、新聞(朝日)を開いたら、「同窓会コンサート」という広告が掲載されていた。全面広告であり、しかもわが青春時代の歌手のコンサートということで、見とれた。アレアレ、開催日を見て、アレアレである。2010年2月6日(日)とある。コンサートを聴いたファンのコメントも掲載されているので、今年のコンサートの紹介広告かとも思ったが、チケット販売目的の広告である。

 2011年とするところが2010年になってしまった。校正ミスのようだ。念のため、2010年2月6日は土曜日である。やはり校正ミスだ。この広告の校正は小生のような年金生活者がやっているわけがない。それでも校正ミスがでてしまう。
 校正ミスは見出しなどデッカイところで出てしまう。2010年と記述されていても、校正者は2011年と早合点してしまう。年号など分かりきったところは間違うはずがない、見出しなどのデッカイ活字で間違うことはないという先入観がある。

 それにしても一流紙の広告での全面広告、しかもこんなデッカイ活字の校正ミスは珍しい。意外に読者の方も2010年なのに2011年と読んで気がつかないかもしれない。

2010年12月2日木曜日

わが身にも事業仕分けの影響


 先日、中小企業の社長さんとお会いしたら事業仕分けの影響もあり、1万円前後の仕事から事前に見積もりを出さなければならず大変だという話を聞いた。仕事はやりにくくなっていると思うが、民間会社であれば当たり前のことである。

 他人ごとと思っていたその事業仕分けの影響が私にもふりかかってきた。

 私は現在、市のシルバーセンターの仕事をしているが、そのシルバーセンターから手紙が舞い込んだ。「事業仕分けの影響で補助金を減額するという指示が国からきている。ついては反対の意見書を厚生省に提出するので署名して欲しい」というのである。私は事業仕分けには賛成の立場なので署名するべきかどうか迷った。家内は署名しなと首になるよ!と茶化す。

 結論としては署名はしたが、センターに事業改善をし、国の方針に従うよう、要望した。その先はセンターや役員に一任というポーズである。シルバーセンターの事業内容を私なりにみると改善の余地がありそうだ。だいたい組織というのは放っておくと拡大の方に進む。(補助金を獲得するのに)もっともらしい理屈をつけて活動分野を広げていく。

 予算を減らされるとなると、行政は関係団体に反対運動の署名を求める。結果、借金はますます増え、税金は高くなる。そして、行政改革は進まず、庶民の生活は苦しくなる。

 政府は政策の優先順位を明確にし、我慢するところは我慢するよう国民に説明し、リーダーシップをとって欲しい。時々、中国や北朝鮮が羨ましくなる。