2009年12月29日火曜日

プロギアの中古ゴルフクラブ、ゲット

     ゲットしたプロギアのゴルフクラブ
     取ってが壊れ、ガムテープで補修した今のゴルフバック

 親戚のNさんが、ゴルフを止めたと聞いた。そこで電話をしてみた。


 「もう、ゴルフ止めたと聞いたけど・・・」


 「そうなんだ」


 「じゃあ、クラブ譲ってくれませんかね」


 「ああ、いいよ」


 昨日、そのクラブが着いた。プロギアのブランド品だが、だいぶ古いモデルだ。バックについているネームプレートをみると、アーノルド・パーマーの傘マークが付いている。ドライバーのヘッドは最近流行のデガヘッドではない。少なくとも20年以上前のモデルのようだ。


 しかし、小生がアメヨコで購入した1本、3千円の寄せ集めクラブセットよりはよっぽど益しである。コンペにでても、今までのように気後れしない。後は非力の小生が使いこなせるかどうかだ・・・。


 いずれにしろ、来年のゴルフが楽しみである。


 ゴルフバックが付いてきたのも嬉しい。なにしろ小生のバックはイタリア製でモダンだが、取ってが壊れて、針金で補修。その上にガムテープを貼ってる状態である。










2009年12月25日金曜日

オペラ三昧

       (CD14枚。オペラの大作「ニーベルングの指輪」)
 この数日、オペラDVDの視聴に追われている。

 オペラというとプッチーニとかヴェルディが一般的だが、昨今みたのは1枚が1737年にフランスの作曲家、ラモーの作曲した「カストールとポリュックス」、もう1枚は1640年にイタリアのモンテヴェルディが作曲した「ウリッセの帰還」である。

 1640年から1737といえば江戸時代初期から中期のである。このころ、イタリアを中心にオペラが勃興していたのである。2枚のDVDともプッチーニ、ヴェルディの作品に劣らない素晴らしいものだった。

 ところで、オペラ作品で最も長いものといえばワグナーが作曲した「ニーベルングの指輪」である。このオペラは1853年~1874にかけて作曲されたもので、上演時間は14時間以上に及ぶ。CDにして14枚の大作である。全体は4部に分かれており、上演も4日間にわたって行なわれるのが普通である。

 このオペラを上演するためにワーグナーはドイツのバイロイトに祝祭劇場を作ったが、2008年この劇場で上演された「ニーベルングの指輪」が12月に発売された。(輸入盤)

 このCDを聴いて、ワーグナーがこのオペラでいいたかったこと、それは「愛と死」それと「永遠」ではないかと感じた。それは全ての芸術家、もっと言えば人間すべてにとってのテーマではないかとも感じた。

2009年12月21日月曜日

絶品の河豚料理




 18日はオーディオ評論家、メーカー有志による親睦会「千代田会」の忘年会があった。


小生は発足当時からのメンバーで、リタイアしてからもこの会のメンバーである。


 ここ数年、忘年会の会場はTDK柳橋倶楽部となっている。


 ここの河豚料理は絶品で、12月の予約が解禁になる10月一週で満席になってしまう。


 予約を頼まれる小生は現役の社員に頼んでなんとか席を確保する。


 写真はコース料理の1部だが、この他に付きだし、煮こぼり、揚げ物、鍋、雑炊、デザートと続いて¥6,000である。写真をみると器も吟味されている。ところで、ふぐ刺しは一人一皿ででてくるので、誰かに大量にサーッと掬い上げられるという心配がない。


 TDKは業績が厳しいが、TDK柳橋倶楽部が健在な間は大丈夫だろうと思っている。


 席上、「オーディオはデータではなく感性だ。」と持論を述べたところ、「畠山さんも評論家になって!」と大御所から声がかかった。

2009年12月20日日曜日

サヨ~ナラ銀座

       銀座並木通り。「たかしみず」「ピアノ」もここにあった。
           「また会う日まで」ママともお別れ

          銀座のバーの伝統を継承する亀島店長


 いつも高校の新年会でお世話になっている銀座のクラブ「たかしみず」に来年もよろしく、とメールを入れたところ、「大変申し訳けないが今年で閉店します」という返事が返ってきた。同クラブのマスターが今年急逝し、それにこの不況。なんとなくそんな予感がしていた。



 6月にはやはり並木通りにある、「ピアノ」が閉店した。ママがピアノを弾き、音大生がヴァイオリンなどを奏でる粋な店だった。



 一週間くらい前、緊急連絡ということで、先輩からメールが入った。19日「たかしみず」のサヨナラパーティを開催するという。同日は忘年会の予定が入っていたが、それをキャンセルして参加することにした。なにしろ、「たかしみず」には30年くらいお世話になっている。現役のころはお客様の接待に、リタイヤしてからは高校の新年会ということで、土曜日なのにお店を開けてもらった。4人目の孫のお宮参りの時は、嫁のご両親も伴って2次会の場所として提供してもらった。



 暮れの緊急の「さよなら会」にもかかわらず、20名ほどの常連客が集った。最後は「また会う日」までを合唱してのお開きになったが、「これで銀座へくることも無くなった」という寂寥感に襲われた。



 その後、銀座に別れがたく、バー「EVITA」に行く。ここではイケメンの亀島店長が頑張っている。彼の作るカクテルは格別。また、彼の洗練された接客態度にも魅了された。これこそ銀座である。



 銀座よ、「また会う日まで」・・・。



2009年12月14日月曜日

ガンでもピンピンコロリ


 昨日(13日)、牛久市の「介護の日」ということで、元フジテレビキャスターである黒岩祐治さんの講演があった。黒岩さんと介護というのは結びつかないというのが私のイメージだったが、講演を聞いて感銘を受けた。

 まず、黒岩さんのお父さんについての実話である。お父さんは余命2ヶ月といわれていたが、漢方医療で寿命が2年延び、しかも死の直前までビールを飲み、ステーキを食べていたという。まさにピンピンコロリである。

 西洋医学はデータを観て診断するが、漢方医学は人間を見て治療するのだという。データよりも医師が自分の五感で患者をみて処方を決めるのだそうだ。従って、西洋医学ではすぐにガンを切り取ってしまうが、漢方医学の場合は患者の精神状態も含めて、患者に一番負担のかからない処方を考えるのだという。

 これは私の趣味であるオーディオとも共通している。オーディオでもデータで素晴らしい機器が耳で聴いて本当にいいかというと、そうでもない。つまり、データよりも、人間の感性が大事なのだと思う。

 ところで、講演のときの黒岩さんのなんと生き生きしていること。それは彼がフジテレビを退社して、自分の好きな医療福祉分野で活動しはじめているからだろう。

 最近は西洋医学と東洋医学の統合ということが叫ばれ、政府主導の研究委員会ができたが、黒岩さんはその班長に指名されたという。

 黒岩さんはこれからの医療介護の分野で大活躍をするという予感がした。

2009年12月11日金曜日

お宝SPレコードの再生


 3年前、現役のころお世話になった木村恭平さん(日本記録メディア工業会・常務理事、松戸市在住)からSPレコードをいただいた。

 ヴェルディ・アリア集で昭和初期から中期にかけて活躍した日本を代表するオペラ歌手が歌っている。藤原義江、大谷冽子、三宅春恵、川崎静子、柴田睦陸、齋田愛子といった錚々たるメンバーである。オーケストラの指揮はマンフレッド・グルリット。堀内敬三の解説もついている。

 しかし、小生の知り合いにSPレコードを再生する蓄音機をもっている方がいないため、宝の持ち腐れになっていた。

 先週、隣町である竜ヶ崎市の音楽同好会に参加したところ、近々、SPレコードのコンサートをやるので興味のある方は参加して欲しいという呼びかけがあった。渡りに舟とはこのことである。

 このコンサートを企画されたのは流山市の元職員でオーディオ機器蒐集家の豊嶋藤夫さん。コンサートで使用する蓄音機は1930頃アメリカのビクター社が制作したもので、針は鉄ではなくサボテンを使用するという。

 豊嶋さんの第1回SPレコードコンサートは明日、流山市の江戸川台で開催される。明日はムリとしても近々、木村さんからいただいたヴェルディ・アリア集が聴けそうである。

送(贈)られてきた本


 今月、2冊の本が贈られてきた。

一冊は「語りあう仲間たち」、もう一冊は「雑学談抄」である。

 「語りあう仲間たち」は某私大の有志による同人誌とある。送ってこられた方がW大学のご出身なので、某私大とはW大学だろうと思った。

 内容が素晴らしい。戦中時代の勝どき橋周辺の描写、終戦の玉音放送の思い出、定年まで独身で過ごしたエリート社員の独り言、夫を亡くした未亡人の独り言。作者の全てが60歳以上の様子。すべての作品に死の予感が漂っている。編集後記に肉体は滅んでも精神は残る。その思いを文章で残したいという趣旨の文章があった。

 もう一冊は「雑学談抄本」。これは、会社の先輩で現在カナダで住宅会社を経営している上田さんが書いたもの。海外勤務が長かっただけに、物の見方がグローバルである。能書きのジャンルもワイン、音楽、株、旅、動物の生態、食べ物等、無限である。

 70歳近い今でも世界を股にかけて活躍している上田さん、いつ執筆しているのだろうと思う。忙しい人ほど脳が活性化され、無限にアイディアが沸いてくるのだろう。本を読みながら、そう推測した。

2009年12月9日水曜日

ゲルギエフの名演奏

 12月1日の出来事も忘れてはならない。
 新潟の友人がサントリーホールのコンサートに行けなくなったので、行って欲しいとチケットを送ってきた。(この友人、小生のようにチケット代は払ってくれなどという野暮なことはいわない。)
 コンサートは人気絶頂のワレリー・ゲルギエフ指揮のマリンスキー歌劇場管弦楽団。
 マリンスキー劇場はロシアのサンクトペテルブルグにある歌劇場だが、ゲルギエフが音楽監督になってから、ロシアオペラのみならず、イタリア・ドイツ・オペラもレーパートリーに加え、オーケストラとしての実力も世界の20指に数えられるまでに躍進している。
 当日のプログラムはオール・ショスタコーヴィッチ。普通クラシックのコンサートは7時開演で9時前には終了するが、終わったのは9時30分。なにしろ、盛り沢山。前半がオペラ「鼻」の間奏曲にはじまり、交響曲第1番、ピアノ協奏曲第1番(曲目変更)と続く。休憩を挟んで後半は交響曲第10番。
 それにしても大変な名演で会場は一曲終わるごとに大歓声。
 休憩時間には華道の假屋崎省吾、なかにし礼などの著名人、数多くの音楽評論家の顔も見えた。
 ただ、客の入りは7割ほど。
 不況の影響か、もしくはオール・ショスタコーヴッチというプログラムの影響か。
 入場料、S席2万円。
 さすがのゲルギエフも4日間、サントリーホールを満席にすることはできなかった。

2009年12月8日火曜日

町内会(餅つき大会&旅行)

   (鵜の岬海岸)
    (もち米を蒸篭で蒸す)

 (第2展望台から観た逆光の袋田の滝)


 6日は町内会の理事会と子供会会合同の餅つき大会。



役員が9時前から会館の前に集合。今時珍しい鉄製の釜にもち米を入れ、薪で炊く。餅つきには子供達も加る。このようなイベントをやらないと、子供達はきっと餅は電気釜で自動的に作るものだと思うだろう。餅つきの原型を子供達に伝える為にも意義深い。



 子供達に餅を振舞った後は男性理事と老人会の幹部で、餅と豚汁をいただく。当然お酒付き。この間、お母さん、女性の理事は台所で忙しく働く。



 7日は理事会の年末バス旅行。昨年は1泊旅行だったが、一泊だと女性理事が参加しないというので日帰り旅行となった。7時に牛久を発ち、袋田の滝へ向かう。滝についたのは9時30分。水量も多く、なかなかの絶景だった。



 その後、峠を越えて高萩へ抜け、鵜の岬へ。ここの国民宿舎は人気度・全国一である。なるほど、景色は抜群。建物も新しく、清潔だ。



 12時から8階にある展望風呂に入り、12時30分から宴会。



 帰りはお決まりの那珂湊お魚センターで土産を買い、夕方6時には無事牛久のわが家に到着した。

2009年12月6日日曜日

ナマの石川遼君を観る

(16番ホール、右手上、青いスラックスが遼君。ちなみにコースは撮影禁止である)
 4日、横浜方面に行く用事があったので、横浜カントリーで行なわれている男子ゴルフJTカップを観ることにした。

 小田急線、新百合丘駅から無料バスがでていた。ゴルフ場へ着いたのは12時を過ぎていた。その後のスケジュールを考えるとプレーを見る時間は2時間弱である。

 しかし、4000円の入場料を払って入場した。

 4000円は高い気がしたが、18歳で賞金王を目前にした石川遼を一目観ておきたい。

 幸か不幸か石川遼は1日目の成績が悪く、9時にスタートしていた。

 私は16番から最終の18番ホールでプレーする遼君をみることができた。

 この日の遼君はグリーンのスラックスにグリーンの帽子。

 顔だけでなくスタイルも良い。歩き方も颯爽としていた。さすがスターの風貌である。

 ナマの遼君をみて良かったと思う。

 もう一つ収穫だったのは18番ホール。ここは225ヤードでグリーンが急傾斜でゴルファー泣かせの難コースである。このコースをナマでみることができた。

 意気込んでショットした遼君の打球はグリーン脇のラフに入った。ここからのアプローチは無残にもグリーン遥か下まで転げ落ち、そこからのパットも入らず、ボギーとなった。

 名物18番ホールは18歳の少年プレーヤーに過酷だった。

2009年12月3日木曜日

父と観た映画


 子供の頃、父と町に映画を観に行った記憶がる。父と観たのはラブロマンスである。一方、母と見たのは母物である。母物はだいたいが学校の体育館で上映された。三益愛子が母を演じるもので「母紅梅」「母三人」などが記憶に残っている。

 父と観たのは「心の日月」「月よりの使者」だと記憶している。

 この他、子供のころは怪猫映画を観た。映画をみた日は恐ろしくて寝付けなかった。

 ところで、11月、CS放送で「心の日月」が放送された。面白かった。

菅原謙二演じるところの大学生を訪ねて、恋人役の若尾文子が岡山から上京する。二人が会う約束をしたのは飯田橋駅。ところが、2人とも地方出身のため、飯田橋駅に出口が2つあることを知らない。2人は別々の出口にいたため、すれ違いとなる。その後、女性主人公は数々の苦難に出会う。

 ヒロインを演じる若尾文子が素朴で可憐である。当時彼女は21歳。

2009年11月29日日曜日

ファゴットって、600万もするの!


 27日、港区立勤労福祉会館で行われた東京シティフィルの「楽器解剖学」講座をのぞいてみた。

今回の楽器は木管楽器の低音部を支える「ファゴット」。

 講師は同フィルのファゴット奏者である上野健さん(写真)と楽団長の児玉慶三さん。

 木管の低音部を支える楽器だけあって、図体が大きい。全長1m35cm、重量3キロだという。さらに演奏するときは10本の指を使用するので、クラリネットやオーボエ、フルートのように手で持って演奏することはできないという。

 紐で首にかけるという方法もあるが、これだと首が疲れてしまう。吊ズボンのように肩にベルトをかけて、それで支えるのが一般的だという。上野さんは背広を脱いで、肩からかけているベルトを見せてくれた。

 このファゴット、本体はメープルで、よく乾燥させないといけないというので、プロ用は受注生産となり、発注してから出来上がるまで3~4年かかるという。お値段の方も600万円と聞いて驚いた。

 木管楽器だけに湿気には敏感。適度な湿気が必要。ところが、オーケストラには湿気を嫌う太鼓があり、オーケストラの環境問題は複雑。

 オーボエと同様、リードは各奏者の手作り。上野さんはポシュットを取り出し、ナイフや紙やすりなどリードづくりの7つ道具を紹介してくれた。

 オーケストラが創りだす素晴らしい音楽の陰には、各奏者の並々ならぬ努力があることを知った一時だった。


 

2009年11月23日月曜日

お宝録音集


 友人が引越しのために、荷物を整理をしたらNHK録音集「ふるさとのうた」がでてきた。興味があれば送るとのこと。早速送ってもらった。

 この録音集、製造年は1972年(昭和47年)とある。装丁が誠に豪華。分厚い解説書もついている。”ふるさとのうた”とは民謡のことであり、北海道から九州まで全国の代表的な民謡150曲が収録されている。

 再生してみると、各曲ごとに紹介アナウンスがあり、海の波の音や、鳥の鳴き声、舟を漕ぐ艪の音、方言など、関連する音も入っている。

 歌手も当時の名歌手が歌っており、味わい深い。いずれにしろお宝録音集である。

 ただ、問題はカセットテープなので、耐久性が心配ではある。

 この録音集、企画はNHKだが、製造は東京電気化学工業とある。今のTDKである。

 TDK・OBの小生にとっても懐かしい商品である。

 この貴重な録音集、まずは民謡が大好きな92歳の母に聴いてもらいたいと思い、カセットレコーダと一緒に今日宅配便で送った。

2009年11月17日火曜日

樹齢80年、秋田杉の嘆き




 写真の杉の大木は小生の秋田の実家の杉である。


 この度、お寺の改築に使用したいので譲って欲しいという話が持ち上がった。森林組合で見積もりをしてもらったところ、相場は立ち木1本の価格が2千円ほどだという。


 実家の兄は「先祖が手塩にかけた樹齢80年の大木が2千円とは情けない」と嘆く。


 「譲って欲しいという申し出はありがたいが、2千円では売れない」ということになった。


 素人の私が見たって納得できない話である。林は地域の環境保全にとっても重要な役目を負っている。農業について、国のありかたが問題になっているが、林業についても同様、生産者の立場がないがしろにされている。そのわりには農水省のお役人はヌクヌク・・・。ここは水戸黄門様に登場して欲しい。




 もう1枚の写真は組子職人の名匠、小高重光氏が制作した衝立である。


 小高さんは実家のある由利本荘市在住で埋もれ木や秋田杉を素材にした組子作品で度々総理大臣賞を受賞している。。


 同市に作品の展示館を設けているがなかなか売れないという。


 たまたま、神奈川にいる弟が帰郷の折に作品をみて、この衝立が気に入り購入した。


 弟の周辺で、小高さんの作品に対する関心が高まっているという。


 生産地と消費地がジョイントされれば、うまくいくことがありそうだ・・・。


2009年11月12日木曜日

”神の啓示”

      湯本富士屋ホテル、宴会場ロビー
 7日の箱根の結婚式をもって今年の大きなイベントが終了した。それにしても9月から10月のスケジュールは過密だった。市民体育祭、2回の秋田行き、孫の七五三、甥の結婚式、ゴルフコンペ、コンサート・・・。

 8日、久しぶりにノンビリしていると、携帯電話のベルが鳴った。

大手広告代理店の元ロシア支局長のIさんからだった。

 Iさんからは数日前、メールをいただいた。

 「畠山さん、神の啓示ってご存知ですか?私、来年の3月定年を迎えます。会社に暫く残ろうかと思いましたが、地下鉄を降りた時、神の啓示に会い、3月で会社を辞める決心をしました。これから親友としてお付き合い下さい。既にそうだったかもしれませんが・・・」

 改めて”親友”といわれてドギマギした。

 Iさんにお目にかかったのは23年前、世界陸上のイベントの仕事をしていたころである。1974年にはローマとチューリッヒにも同行していただいた。

 仕事でのお付き合いがなくなってからも、Iさんは義理固い方で毎年年賀状を下さった。今年の1月、久しぶりにお会いした。その時、Ⅰさんは「日本サマセットモーム協会」の会員だということを知った。小生など足元にも及ばない教養人だと思った。

 そのIさんからの”親友”のプロポーズ。

 これは小生にとって”神の啓示”のような驚きだった。

 小生は平凡な年金生活者に過ぎないのですから・・・。

 ところでIさんの電話の内容はメールでは言い表せなかった退職の決意に至った”神の啓示”の心境だった。

2009年11月8日日曜日

箱根の結婚式、そして東筑波のコンペ

     式の前、阿弥陀寺を参拝
      結婚式が行なわれたホテル

 7日、箱根の湯本富士屋ホテルで弟の息子の結婚式があった。


私は5人兄弟。全員健在。その兄弟が一同に会した。われわれには14名の子供がいるが、今回の結婚式で全員がめでたく結ばれる。


 今回の新郎は公務員、新婦は教師。似合いのカップルである。


 披露宴冒頭で新郎が立ち上がり、「歓迎の挨拶」を述べた。最後は会場のスクリーンにエンドロールが写しだされる。エンドロールに披露宴参加者全員の氏名が写しだされる。心にくい演出に感心した。両親への花束贈呈では胸につまるものがあった。いつの間にか自分も年をとり、新郎新婦の喜びはもちろん、ご両親の心境も自分のものとして感じられるようになった。


 帰途、兄と甥、姉と上野の鈴本演芸場で落語、漫才を楽しむ。一行は21:15分上野発の寝台列車で帰路についた。




 これを遡る4日、茨城・石岡にある東筑波カントリークラブで高校時代の同級生7人が集ってのコンペ。距離がタップリある難コースで非力な小生はブービーメーカー(ビリ)となった。10月の長野・上田のコンペに続くブービーメーカーである。

2009年11月6日金曜日

孫の七五三、そして”ゲバントハウス管”


        コンサートは山側にある”よこすか芸術劇場”で行なわれた。

 11月1日(日)、孫の七五三が佐倉藩鎮守・麻賀多神社で行なわれ、列席した。


この神社で行なわれたのは息子が9月に佐倉に新居を構えたためである。息子夫婦にとっては二重の喜びである。


 厳しい世相の中、息子夫婦もよく頑張っていると思う。


 これも神のお陰・・・。




 11月3日(火)文化の日、横須賀まででかけた。


ドイツから来日したライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を聴くためである。


このオーケストラ、1743年の創立でドイツ最古のオーケストラであり、メンデルスゾーンも楽長を勤めている。今回の指揮者(楽長)はイタリア・ミラノ生まれのリッカルド・シャイー。シャイーは1996年、ミラノ・スカラ座で「蝶々夫人」を指揮したのを現地で聴いている。


 演奏曲目はメンデルスゾーンの「宗教改革」とブルックナーの「ロマンティック」。「ロマンティック」は宗教的な雰囲気が横溢した名曲であり、聴いていて何度か立ち上がって手を合わせたい衝動にかられた。


 

孫の七五三、そしてゲバントハウス

2009年11月5日木曜日

故郷・秋田新発見④稲住温泉その2


            野趣豊かな露天風呂

 稲住温泉の芳名簿がフロント脇のディスクにあった。


佐藤栄作、水上勉、宇津井健、安岡章太郎、吉永小百合、佐野周二、左幸子など主に昭和時代に活躍された文人、俳優、政治家等の名前が目を引く。昭和30年の「女中っ子」、昭和60年の「ひとひらの雪」等の映画ロケにも使用されている。


 現在、秋田の観光地というと、新幹線が田沢湖を通っていることもあり、周辺の角館、玉川温泉が有名だが、昭和の初期は稲住温泉が秋田の奥座敷として反映したものと思われる。その反映の一旦を院内銀山が背負っていたのかも知れない。


 なお、稲住温泉には昭和55年、芸術院賞を受賞した孤高の建築家、白井晟一がかかわった建築物が多い。その建物の一部が卓球の愛ちゃんのトレーニング場として活用されており、愛ちゃんが受賞した盾や、北京オリンピックの時に愛ちゃんが持って走ったトーチなども陳列されている。
 
 翌、29日は同じ雄勝で中学時代の同級会があり、深夜、秋田を経って、朝茨城の自宅に帰った。家人に酔っ払い運転をしたのではないかと疑われた。嫌疑をかけられても弁解のしようもない強行日程だった。

2009年11月4日水曜日

故郷・秋田新発見③稲住温泉その1




 28日は92歳の母と72歳の母と3人で雄勝にある稲住温泉に行く。


この温泉は実家から40キロほど。昨日通った法体の滝、院内銀山を通って雄勝に入り、宮城県の県境に向かう途中にある秋の宮温泉郷の中にある。


 栗駒山麓に位置している。


 この稲住温泉、行く前に調べたところ、中々の名湯であることが判明した。


 武者小路実篤が逗留したところとしても有名である。


稲住温泉への通路は樹齢100年はあろうかという松林に囲まれていた。温泉の建物は木造。鄙びた名旅館といった感じである。


 支配人が92歳の母を帯同しているというので、特別室に案内してくれた。


 この特別室に驚いた。障子を開けると目前に蓮池が広がり圧倒された。


 

2009年11月2日月曜日

故郷・秋田新発見②法体の滝


        (キャンプが行なわれる滝の前の広場)

 院内銀山「三番葬墓地」で深い感銘を受けた後、雄勝から郡境を超え、由利本荘市に入る。


紅葉が盛りである。


折角なので、いつも素通りしている「法体の滝」にもよることにした。


ハンドルを鳥海山麓方面に走ること約15キロ。視界が開けたところに滝があった。


普段、滝というと、車から降りて、澤づたいを分け入るのが普通であるが、「法体の滝」の手前は原っぱである。


車が200台ほど駐車でき、キャンプ場としても使用されているという。




さて、滝であるが落差57.4メートル、流長100メートルとある。


「法体の滝」の命名の由来だが、空海が滝に拝礼したことから法体と名づけられたという。


円錐に流れ落ちる滝は均整がとれていて拝みたくなるのもムリがない。




今年封切られた映画「つり吉三平」ではクライマックスの釣りのロケがこの滝で行なわれた。

2009年10月31日土曜日

故郷・秋田新発見①院内銀山




 今月、2回目の秋田行きである。


今回は29日開催の中学同期会への参加。これに合わせて92歳の母と72歳の温泉行きである。


26日23:30分牛久発。高速を使用しないでひたすら一般道を走る。408号線を北上。宇都宮の先で4号線に入る。福島で13号線に入り米澤、山形と通過し、天童に入る。午前6時である。足湯に入る。さらに北上し、東根温泉で朝風呂に入る。


 朝食は家内が握ってくれたおにぎりとコンビ二で買ったおでん。お握りとおでんの組み合わせはまことに結構。


 秋田県に入り、湯沢の手前で13号線と別れを告げる。雄勝から郡境の山道を超えて、実家のある由利本荘市に向かうのだが、途中、院内銀山跡という看板が目に付く。ここはいつも素通りしているが、今回は時間にゆとりがあったので、澤を渡り、銀山跡に入る。車一台がやっと通れる道である。


 500メートルも進んだところでいきなりショッキングな光景に出会う。


 「院内銀山三番共祭墓地」である。


 院内銀山は最盛期東洋一の大銀山といわれ、15,000名(4千世帯)が入山していたという。日本全国から入山。しかし、銀価格の急落に従い、1954年閉山。廃墟となった。ここで働いた有縁無縁の方たちの墓地が三番共祭墓地である。その数3千柱に達するという。


 紅葉を背景に山の中腹まで散在する苔むした墓石に息を呑んだ。

2009年10月22日木曜日

PR会社・社長との会食


          インターコンチホテル隣接のアークヒルズガーデン

 昨日(21日)、PR会社を経営しているI譲とお会いした。


彼女の会社は六本木のアークヒルズのインターコンチネンタルホテルの近くにあり、ホテルのレストランで食事をすることになった。


 


 用件は共通の知人である、米国在住のS氏の近況についての意見交換である。




 S氏は大学卒業後、新聞社に就職。20代後半に電気メーカーの駐在員として米国に渡り、そのまま米国に住み着いた。奥様は日本人で政府機関で今でも働いている。




 「外国で人脈を作り、そこで仕事を得、外国で一生を終えるのは大変なことなのよ。」


 I譲は若い時、海外の日本大使館で働いていたので、海外で生計を立てる苦労を知っている。




 S氏も60歳。これからの人生、米国で暮らすのか日本で暮らすのか?いずれにしろ、われわれとしては彼のこれからの人生の支援について何もできそうもない、という結論となった。




 ところでI譲のPR会社は20名足らず。


 「私のような会社は大企業のように福利厚生施設があるわけでもない。私にできることといえば、社員が生活できるよう給料を払い、社員が他の会社に移った場合でも仕事ができるように教えること。」


 ただ、「60を過ぎると、社員の教育といっても煩わしい。これからは気の合った同じ年代の方々と好きなことをやっていきたい」




 六本木を後にして、上野へ。定例となった月1回のO氏との音楽談義。


I譲がいったような「気の合った友人との音楽談義」である。といっても、O氏は小生よりも10歳も年上。80歳近い。O氏には長生きして欲しい。

2009年10月13日火曜日

パソコン、トラブル

     (台風一過の日本海。9日、由利本荘市・岩城海岸で撮影)
 10月3日だったと記憶している。

パソコンを開いてワード、エクセルを開こうとしたら「致命的なトラブル発生」というメッセージが表示され、アクセスできない。しかも、ドキュメントも開くことができない。

 丁度、体育祭の準備であり、困ってしまった。

 「買い物リスト」の作成等、ワード、エクセルで作成できないので、メールで文章を作成して急場を凌ぎながら、対応策を考える。

 サポートナビゲーターなどで解決策を探ったが対応策がみつからない。再セットアップするとなると半日はかかりそうだ。いっそのこと出張サービスを頼もうかとも考えた。

 やるだけはやってみようと手元に「Microsoft office personal 2007」「NetHomeセットアップCD」「Pixus MP600セットアップCD-ROM」等をそろえる。

 試しに「Microsoft office personal 2007」をセットアップする。

なんと、ディスプレーに「復旧作業開始」のメッセージ。やった。と思った。無事作業が終わるのを祈るような気持ちでディスプレーの作業ゲージが進むのを見守る。「作業が終了しました」のメッセージ。台風一過、青空を見たような気分。「ワード」「エクセル」「ドキュメント」も見事蘇った。

 ところで、トラブルの原因だが、考えられるのはエクセルを使用して拡大して印刷したのだが、終了するときに拡大の状態で終了したこと。拡大したら、正常のサイズにしてから終了しないとダメのようだ。

2009年10月12日月曜日

台風の中秋田へ向かう。そして体育祭

          母校の正門。今年創立100周年。近々合併でなくなる。
        晴天に恵まれた体育祭

 7日(水)。11日の体育祭の備えて、14時~慰労会等の買出し。ビール2ケース、日本酒2本、お茶・ジュース5ケース等。15時30分から関係者5名を集めて、最終打ち合わせ。終わってからビール等ふるまう。Kさんからいただいた葡萄も持参したところ大好評だった。(小生、体育祭の実行委員長なのだ)23時30分、18号台風来襲の中、秋田へ出発。


 8日(木)8時ころ秋田市通過。さらに北上して北秋田市へ。7年ぶりに旧鷹巣町へ。豪雨の中合羽を着て今年亡くなった恩師の墓参り。その後、「大太鼓の里」「北秋田市図書館」を訪ねる。図書館で小生の自分史「ドリームⅩ」を認める。秋田市に行き「こまちホテル」にチュックイン。


 9日(金)この日は同期(高校)の連中とゴルフの予定だったが、中止になったので由利本荘市の実家に行く。92歳の母元気。月末の温泉旅行を楽しみにしていた。(28日、秋の宮の稲住温泉に連れて行くことにしている)18時~秋田市ルートイン・ホテルで有志による同期会。天下りの役人3名(農林省、厚生省)も参加。背広姿でパリッとしていた。


 10日(土)4時、ホテル出発。11時牛久着。13時~体育祭の準備。テント2張り設置。


 11日(日)体育祭本番。7時~準備に追われる。当刈谷地区、綱引きでみごと3連覇。小生代表して表彰状いただく。16時~自治会館で慰労会。かなり飲む。その後近所の中華料理店で2次会。フラフラしながらなんとか家に着く。


 

2009年10月6日火曜日

葡萄の芸術品


 昨日、葡萄をいただいた。

山梨市澤登農園からの直送品である。

送り主は神奈川県開成町のKさんである。


Kさんとは9月に初めてお会いした。

私の弟の息子がKさんの娘さんと婚約した。弟の新しい家が完成した。そのお祝いの席でお会いした。

Kさんは息子さんと一緒だった。Kさんは現役の銀行マン。息子さんは大学院生で中央官僚を目指しているという。奥様と娘さんは教師。祖父は元郵政大臣というから、絵に描いたようなエリートファミリーである。


そのKさんが小生の「自分史」を読んで下さるという。なんとも光栄な話である。「やあ、スルスルと読めました。お礼に葡萄を送りました」という電話をいただいた。


その葡萄が昨日着いた。

こんなジューシーな味の葡萄はいただいたことがない。

昨夜の8時ころ、お礼の電話をした。

女性の方の声だった。

「茨城県牛久市の畠山です」

「あら、そうですか、嫁と替わりましょうか」

なんと電話にでられたのはKさんのお母さんだった。若々しい。

「はじめましてよろしくお願いします。ところで、畠山さんの人生は素晴らしいですね。うらやましいです」

なんと奥様まで小生の駄文を読まれたようだ。

「いただいた葡萄、芸術品のようでした」

とお礼をいうのがやっとだった。

2009年10月4日日曜日

信州・別所温泉

         (5階にある露天風呂)


 2日~3日にわたって、春・秋恒例の会社販売部門OBの親睦会に参加した。


場所は長野県の上田市。


 2日、5時に自宅を出発。8時30分にゴルフ場到着。


 例によって1日目はゴルフ。終わってから温泉での宴会+カラオケ。


 雨にたたられたこともあってゴルフは散々ブービーメーカー(最下位)だった。ただ、馬券が当たり、4千円ゲット。


 宿泊は信州の鎌倉という詠い文句の別所温泉へ。雰囲気は群馬県の伊香保温泉ににている。細い坂道を挟んで旅館が軒を並べている。雨に濡れて、山並みが美しい。


 3日、朝の朝食が豪華だった。朝はバイキング形式が多い昨今だが、お膳に地元で取れた山菜や漬物、など15点くらいならぶ。


 8時ホテル出発。昼自宅着。


 午後から9月22日に亡くなったFさん(柏市在住)のご自宅を訪ねる。終わってから柏駅前の居酒屋で同行のHさん、TさんとFさんを偲ぶ。

2009年10月1日木曜日

八重洲口の隠家の親睦会


 昨日(30日)東京駅八重洲口の隠家で会社OB有志5名が集っての親睦会があった。

マンションの一室。佐賀県生まれというママが田舎風の手料理でもてなす。いわゆる一日1グループの客しか受付けないというやり方である。

 鯛の刺身も新鮮だったが、秋刀魚の煮付けが特に美味しく、日本酒と良く調和した。

 小生を除いて、いずれも関連会社の社長を務めたメンバーである。

 同席した元人事部長より、次回から小生に幹事をやるよう命令が下った。

 次回は来年の3月にやれというご注文である。

 場所は、この隠家がいいだろうと思って、ママに3月のスケジュールを聞いたところ、もう半分くらい予約が入っているという。不景気の今どき、こんなお店もあるんだ・・・。

 

2009年9月23日水曜日

1964年NHK・FM「立体音楽堂」

        (クリックすると拡大されます)
 ビゼー作曲、組曲「アルルの女」の決定盤といえばアンドレ・クリュイタンス指揮・パリ音楽院管弦楽団の演奏したものである。フランス物の演奏にかけては他の追随を許さないこのコンビが1964年に1度だけ来日している。

 このコンビが来日公演で演奏したベルリオーズの「幻想交響曲」と「ラベル管弦楽曲集」はNHKに放送音源が残っており、CD化されている。ただ、「幻想交響曲」はステレオなのになぜか「ラベル管弦楽曲集」はモノラルである。

 その理由は「ラベル管弦楽曲集」についてはNHKにモノラルしか保存されていないということだった。

最近、私が親しくしている竜ヶ崎市(牛久市の隣)の音楽愛好会「ゲバントハウス」が「ラベル管弦楽曲集」の一部をステレオで保存していることがわかった。1964年5月10日NHK・FMで放送されたものをエアチェックしたものだった。

 私はこのステレオ音源をNHKに提供するよう提案した。そんなこんなでステレオの曲目が加わった「ラベル管弦楽曲集」のCDがこの度発売された。

 このCDの解説書をみると、協力として、竜ヶ崎市・音楽愛好会「ゲバントハウス」の名称が記載されている。ただし、小生の名前まで記載されたのは想定外だった。

 いずれにしろ、クリュイタンス・パリ管お得意のラベル管弦楽のステレオがCD化されたのは一音楽ファンとして嬉しい。ステレオによるラベルはパリのエスプリに満ちている。

2009年9月22日火曜日

敬老会のホスト

        (敬老会、オカリナコンサート)
 昨日は穏やかな天気でまさに「敬老会」日和。

わが刈谷自治会も75歳以上100名が自治会館に集い、楽しい一時を過ごした。

 名ばかり役員(実は下働き)の小生は前日から100名分の座席を作ったり、お土産を準備したり大忙し。

 当日は自治会周辺の掃除、スリッパの準備、放送設備の準備等、大忙し。老人達が集ってくるとお盆にお茶を載せて配る。「まあ、ありがとうございます」とおばあさん達はニコニコ。彼女達にとって、67歳の小生は若者らしい?結構評判が良い。

 終わってから民生委員も一緒になっての反省会。24名の大人数。それが終わると、台所で下働きした女性理事と、彼女達のお手伝いをした男性理事数人で反省会の2次会。

 内でも外でも女性に使われる立場になりましたあ・・・。

2009年9月19日土曜日

我々はどこへ行くのか。


        (東京駅からでていたゴーギャン展への無料バス)

 8日、眞鍋圭子さんのパーティに行く前に「ゴーギャン展」へ行ったのだった。


ゴーギャンに関心を持ったのは今年の1月、電通・元モスクワ支局長のIさんに会ってからだ。Iさんは「日本サマセット・モーム協会」の会員だという。モームの作品を読まざるをえなくなった。彼の代表作「月と6ペンス」を読んだ。画家ゴーギャンを主人公にした作品である。面白かった。彼が晩年を過ごしたタヒチ島へ行きたいという誘惑にえ誘われた。


 タイミングよく「ゴーギャン展」が開催されている。


彼の代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」に圧倒された。タテ1.39メートル、ヨコ3.74メートルの大作である。傷や汚れもなく保存状態も良い。米国ボストン美術館の所蔵だという。未開の地、タヒチ島で描かれた大作がどんな経緯でボストンに渡ったのかにも興味が沸いた。

2009年9月17日木曜日

浄化のオペラ「サロメ」

      一途で無垢なサロメを演じたミヒャエル(ソプラノ歌手)
 サロメとえば、まだ少女のような女性が「7つのベールの踊り」を踊った見返りに王に銀の皿に載せた預言者ヨカナーンの首を所望するというなんとも気味の悪い筋書きである。

 2008年、イギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場で上演された「サロメ」のDVDをみた。

「サロメ」のイメージが変わった。これはグロティスクな作品ではなく、「愛の神秘は、死の神秘より深い」という浄化のドラマなのである。けっして表面上の不気味な筋書きのまどわされてはいけない。

 こんな印象を持ったのもサロメを演じたミヒャエルの容貌と演技に起因している。彼女は舞台女優のように一途で無垢なサロメを演じている。

2009年9月10日木曜日

眞鍋圭子さんおめでとう

   (花束を手にした眞鍋さん、右手に川口元外務大臣の顔もみえる)
 8日、ホテルニューオータニで眞鍋圭子さんの出版と受勲を祝うパーティが開催された。

出版は7月に幻冬舎から出版された「素顔のカラヤン」、受勲は「オーストリア共和国功労金賞」である。

 参加者のなんと豪華なこと。川口順子・元外務大臣、作曲家・三枝成彰、作家・なかにしれい、ソニー相談役・大賀典雄、サントリー佐治会長・夫人などなど、司会は音楽評論家・湯川れい子。

 こんな場所に年金暮らしの小生がなぜ、招待されたのか?当日の眞鍋さんによると、「昔お世話になった方」ということだった。

 そういえば、1969年ころ乙黒さん(当時グラモフォンレコード)、中山さん(当時大阪フェステバル協会)、眞鍋さんの4人で夜明けまで音楽談義に花を咲かせたものだ。

 それにしても、眞鍋さんは偉くなった。サントリーホールで「ホールオペラ」という方式を定着させた功績も大きい。カラヤンに家族同様に愛しされていた眞鍋さん。カラヤンも天国で今日のパーティを祝福していると思う。

2009年9月7日月曜日

越後屋の美術館

     (7階の美術館へ通じる1階エレベーターホールの吹き抜け)
            (道教美術展のパンフレット)

「越後屋、お主も悪よのう」「いえいえお代官様ほどでは」で有名な越後屋こと、三井財閥が美術館を作った。「三井記念美術館」である。日本橋・三越の隣にある。


越後屋は1673年江戸本町に呉服屋として誕生した。越後屋は悪徳商人だったわけではなく、商店としてあまりにも有名なので、代名詞的に使用されている。越後屋は江戸、明治、大正、昭和、平成と発展を続け、遂に美術館をもつまで、発展したのである。


 昨日(6日)はじめて、同美術館をのぞいてみた。「道教の美術」の最終日だった。道教ってなに?。「日本に神道があるように、中国における民族宗教が道教である。中国の風土で生まれた様々な神々。不老長寿や福・禄・寿といった現世利益を願う民族宗教」わかったようなわからないような・・・。