2024年4月8日月曜日

「橋のない川」住井すゑの生涯

  先月、私の家から2,5キロのところにある「牛久市住井すゑ文学館」を尋ねた。
この文学館は2018年に建てられたのだが、「灯台下暗し」で今まで尋ねたことがなかった。
この文学館はすゑの書斎があった建物を改装したものである。書斎が再現され、ゆかりの品や本が展示されている。
 彼女の代表作「橋のない川」が部落問題研究所の雑誌「部落」に掲載されたのは1958年59才の時、そして最終刊となる第7部を書き終えたのは1992年90才の時だった。そしてこの年、日本武道館で「90歳の人間宣言・いまなぜ人権が問われるか」という講演を行っている。この講演会には8,500名のファンが詰めかけた。
 北条常久さんが書いた「橋のない川 住井すゑの生涯」を再読した。
 すゑは奈良県の出身だが、なぜ、牛久に文学館があるのか。それは彼女の夫、犬田卯が牛久の出身だからだった。すゑと犬田はどうして知り合ったのか。すゑは博文館が出版している「少女世界」「文章世界」に作品を投稿していた。犬田は博文館の編集部員だった。
 「橋のない川」第一部にこんな文章がある。
 進吉は対岸を上流を向いて駆け出す。ふでも上流を向いて走りつづける。「ああどこかに橋があるはずや。」しかし、川幅は広く、対岸は丈余の雪で上流にも下流にも橋はない。ふでは、愛しい夫の進吉にどうしても会えない。手放しでふでは泣いた。ふでは恋しかった。ただただ進吉が恋しかった。
「橋のない川」は600万部売れたといわれ映画にもなった。住井すゑは佐多稲子、林芙美子、円地文子と並ぶ昭和を代表する作家である。


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