2021年12月31日金曜日

忘年会は続く……。バテました。

 オミクロンというコロナの新株が現れたのに、不謹慎かもしれないが、年末は忘年会が続いた。


21日(火)17時30分~関東地区兄弟忘年会。場所はつくば日航ホテルにある中国料理「桃季」。弟、妹夫婦ともサラリーマンあがりの小生と比較すると羽振りがいい。話題の一つは104才の母の見舞い。1月頃、行かなくてはと思っていたのだが、オミクロンと雪(秋田)を考えると、意見の集約が難しい。幸い妹が20日、送信されてきたというに母と姉の写真をスマホで見せてくれた。痩せたようだが、元気のようだ。


23日(木)12時30分~刈谷ベテランズクラブ(老人会)新旧役員食事会。例年であれば5月頃、開催するのであるがコロナの影響もあり伸びのびになっていた。民生委員をやられていた方々が、新役員になり、女性役員も増えた。いい傾向である。私は今年3月副会長を退任したが、新しい副会長がシッカリと会長を支えている。頼もしいかぎりである。食事会を通じて役員同志の結束が強まった。


25日(土)17時30分~龍ヶ崎ゲヴァントハウス忘年会。隣町にあるクラシック音楽愛好会の忘年会である。龍ヶ崎なのに忘年会の場所は牛久市にある華屋与兵衛。我が家から徒歩20分。10名が参加した。わざわざ東京から2名参加。CD保有2万枚、国内外のコンサート通い、専用オーディオルーム所有者等、音楽、オーディオに精通した兵(つわもの)が今年の業界動向を振り返り、来年を占う。終了したのは8時30分。



2021年12月26日日曜日

雪の秋田、取材旅行④悪戦苦闘の帰路

 せっかく秋田まで行くんだから泊まりは温泉にしよう。吉野さんが”象潟夕日の宿「さんねむ温泉」”を予約してくれた。
部屋に入って、外を見ると、夕日どころではない。真っ暗闇。聞こえるのは日本海の荒波の音、時折、ヒューと風の音がする。こんな時は温泉がありがたい。温泉で温まって夕食。宿自慢の料理を前にして3人で乾杯。無事取材が終了して本当に良かった。
 18日は畠山と吉野さんは象潟から秋田に向かい、10時07分の新幹線に乗り、角館で途中下車。冬の角館を見て帰京する予定でいた。内野さんは秋田にもう一泊するという。
 羽越線は吹雪で夕方まで運休。タクシーで秋田に向う。約60キロ。8時30分、宿を経つ。通常であれば1時間で着くところ、2時間30分もかかった。12時13分の新幹線に乗り、角館はパスしての帰京となった。
 
象潟は奥の細道の最北端。「松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし」と松尾芭蕉が評した。松島が男性的なのに対し、象潟に浮かぶ九十九島は女性的だというのである。宿のパンフレットにそれを想起させる写真が載っていた。田植時期、水田に水満たされると、日本梅に島が浮かんだ、古(いにしえ)が再現される。(写真)               
 19日、内野さんからメールが送られてきた。内野さんは18日の吹雪の夜、秋田舞妓を愛でたのである。
 そうそう、忘れてはいけない。取材に対応するために内野さんは17キロにもなる資料をキャスター付きのバックに詰めて秋田まで持参したのであった。(了)


2021年12月25日土曜日

雪の秋田、取材旅行③世界のカセットTDK

 今回の取材応対者は畠山、内野、吉野の3名。
電子部品メーカーのTDKがカセットテープというコンシューマ商品で、日本のソニー、アメリカの3M(スコッチ)、ドイツのBASFという大メーカーに立ち向かい、世界一になった戦略を語る。

先頭バッターは畠山。畠山は1967年から1986年まで20年間、カセットテープの商品企画等を担当。世界最初の音楽用カセットSD(ノーマルポジション)SA(ハイポジション)MA-R(メタルポジション/写真)の開発に携わる。その畠山、秋田出身の高卒。技術には東京工大、営業企画、海外には早慶出身のエリート社員が顔を揃える。
畠山の上司は、畠山がNHK交響楽団の会員という大のクラシックファンであり、ルボックスという30万もするオープンリールデッキでFM録音をしていることを知り”使える”と思ったらしい。
畠山は語学もできないが、音と音楽は世界共通。これが幸いした。

2番バッター内野さんは、早稲田出身。陰の主役。「畠山の言う音の印象を言葉にする」。コピーライターである。たとえば、大ヒットしたADカセット。畠山がこれはハイ上がりでクラシックには向かない。というと「つき抜ける高音の冴え」というキャッチフレーズをつけて、ジャズ・ポップスファンに訴求する。宣伝のキャラクターにはトランぺッターのマイルス・ディビスを起用。(写真・下)
3番バッターは畠山の後、商品企画を担当した吉野さん。吉野さん米国勤務時代から広告、商品企画を担当。米国勤務時代は宣伝にスティビー・ワンダーを起用。目の見えない彼をサポートした。CDRの登場で、ハイポジション、メタルポジションとうマニア向けの商品の売上が急減。その対応に時間別対応カセットの開発を試みるなど苦労した。
TDKは部品メーカーとして、技術、製造、販売のノウハウはあったが、コンシューマ商品のマーケティング戦略(商品企画、広報、宣伝)の経験がない。その部門で3人は伸びのびと働いた。熱く語った3人の話は来年2月発売の「ステレオ時代」に掲載される。
1988年、カセットテープの絶頂期、TDKのカセットテープの売り上げは700億円/年。世界NO,1になった。「世界のカセットTDK」である。その理由は「音」であるが、走行・耐久性等信頼性でも定評があった。中近東では「TDKカセットはラクダで運んでも大丈夫」といわれた。
 1時から始まった取材は4時に終了。外はもう暗い。しかも雪。澤村さんと、山田さんはレンタカーで、山形に向かい、山形から新幹線で帰るという。われわれ3人はタクシーで象潟に向かう。

2021年12月22日水曜日

雪の秋田、取材旅行②TDK歴史みらい館


 17日、天気は予報通り雨。午後は雪に変わるという。
酒田発7:55発、秋田行の電車に乗る。仁賀保駅着8:45。駅の待合室で休憩の後、雨の中、傘をさして「TDK歴史みらい館」(写真上)に向かう。500mほど、すれ違う人は誰もいない。9:30みらい館着。武内館長と取材についての事前打合せ。

10:10、ステレオ時代澤村編集長とカメラマンの山田さん到着。2人は酒田から車でかけつけたのであった。到着するなり、2人は取りつかれたように館内の取材をはじめる。館内には80年にわたってTDKが支えてきた電気機器のモデルが展示されている。一例をあげると、パソコンに使用されているハードディスク。この50年間で記憶容量が1千万倍になったという。高記録密度化、小型化が進んだわけである。(写真中)その後、取材の対象になっているカセットテープの撮影。(写真下)


もう昼である。武内館長の心づくしで、隣接するレストランへ。外を見ると風雨に逆巻く日本海が白波をタテている。「美味しい!」と山田さん。「稲庭うどんです」と館長。
食事が一段落した時、「やあ、晴れてきました。お先に失礼して、館の外観を撮ってきます」と山田さん。山田さんは外観を撮るために、晴れ間を狙っていたのである。



2021年12月19日日曜日

雪の秋田、取材旅行①牛久→酒田

 昨年秋、「ステレオ時代」誌から秋田にある「TDK歴史みらい館」でカセットテープの取材をしたいという話をいただいた。早速、みらい館に電話したところ、「コロナで県外の方は
お断りしております」との事。                           
それから1年。コロナが収束し、TDK・広報部および「TDK歴史みらい館」から許可が降りた。取材は17日(金)、10時からである。                      

私は16日(木)の1番電車に乗る。(牛久発5:35)。5時20分に駅について、驚いた。暗いホームにもう乗客が並んでいる。電車が到着して理由が分かった。空席がほとんとない。早く並んでないと座れないのである。私はグリーン車に乗った。東京着6:34分。東京駅で中央線に乗り換え新宿駅へ。新宿駅で仙台行きの高速バスに乗る。高速バスは若者でほぼ満席。なにしろ、高速バスは安い。東京→仙台間¥3,000である。私のような老人は高速バスに乗らない。東京から仙台まで6時間かかる。私はケチだから、それでも乗る。                 
仙台から仙山線に乗り。山形、新庄を経由して19:30,酒田に着く。

天気が良ければ、山寺を見学して新庄に泊まり、翌日一番の電車に乗り、酒田経由で「TDK歴史みらい館」のある「にかほ市」に入る予定だった。しかし、生憎の悪天候。電車の運行が心配。ということで、山寺見学を諦め、酒田まで足を運んだ。
朝から、ロクな食事をとっていない。酒田駅前の居酒屋で生ビールにありつく。鍋料理との相性抜群!早寝をして翌日の取材本番に備える。(写真・下)

 それにしても私は幸運である。現役時代カセットテープの仕事に携わった。電子部品メーカーのTDKが、日本のソニー、アメリカの3M、ドイツのBASFを抜いて世界一になった。
部品メーカーがコンシューマビジネスで世界制覇するというのは世界の産業史でも稀である。私はTDKのカセットテープマーケティング戦略のど真ん中にいた。
(写真・上)山寺駅車窓から岸壁にある寺を臨む


2021年12月16日木曜日

オリックス・中嶋監督で同窓会目覚める



 母校(秋田県立鷹巣農林)の同窓会事務局から、12月6日付けの秋田魁新報が送られてきた。石岡同窓会会長の名前で、オリックス・中嶋監督の活躍に対するお礼のメッセージが掲載されている。母校は統合高校となり、閉校になった。同窓会活動も元気がなくなっていたが、中嶋監督の活躍のお陰で目覚めたようだ。

同じ新聞に「TDK、8強ならず」という都市対抗野球の記事が掲載されている。全国紙だと試合結果が4~5行しか載らないのに、地元紙は写真入りである。北畠が右中間にホームランを打った写真をとらえている。魁新報のカメラマンが撮ったのだろうか?
TDKは2006年の都市対抗野球で全国制覇を成し遂げている。決勝で強豪日産自動車と対戦。
1対0で勝利。東北代表のチームとして初めて黒獅子旗を手にした。今年は2回戦で昨年準優勝のNTT東日本(東京)と対戦。1対3で敗れ、優勝した2006年来の準々決勝はならなかった。

2021年12月8日水曜日

妻との旅行(小名浜と日立)

「たまには旅行に行かない」と妻を誘った。
私にとって妻は、兄妹だったり、友達だったり、母だったり‥‥、だからどんな答えが返ってくるか予測がつかない。幸い、同意を得ることができた。
1泊2日のプチ旅行。
行先は小名浜オーシャンホテル&ゴルフクラブ。

コロナ禍でもゴルフ場は盛況である。盛況なところであれば、食事も間違いないと思った。
常磐高速沿いなので牛久から便利である。
5日(日)10時出発、幸い快晴。まず、一般道を通って笠間市の道の駅へ。11時30分着。レストランは大混雑。弁当を買って、広場のベンチで昼食。広場で遊ぶ子供たちに癒される。
水戸インターから高速に乗って日立中央で一般道へ。6号線を北上、小名浜へ向かう。途中、鵜の岬を通る。そういえば昔、ここの国民宿舎にきたことがある。私は昔のことは忘れているが、妻は鮮明に覚えている。子供達も一緒だったようだ。懐かしい。高萩にさしかかる。ここにはパルプ工場があり、同級生がいた。今どうしているだろう。
小名浜のホテルは期待通り、素晴らしかった。波の音を聞きながらの露天風呂も格別。(写真・中)
朝食会場に日経、朝、毎、読、地元各紙があるのには驚いた。
翌日、ホテルの近くにある環境水族館「アクアマリンふくしま」を見学。その規模の大きさに驚く。採算合うのかな……?
帰りは高速を使わずに日立市を通過する。高速を使うとトンネルの連続で、日立市の様子がわからない。さすがに道路が混んで通過するのに40分ほどかかった。日立は日立鉱山から発達した、日立製作所&三菱重工の企業城下町である。人口17万。山から海に注ぐ急斜面に張り付くように街並みが続く。(写真)住民の半分が日立、三菱の従業員と家族だという。
 

日立南太田インターから高速に乗り、友部・道の駅で昼食。2時無事帰宅。妻も満足。良かった。

2021年12月4日土曜日

JRの身勝手な対応。



オーディオ誌(写真)から現役時代の取材をしたいという申し入れがあった。
取材は雪の秋田で行いたいという。
新幹線の切符が送られてきた。出版社も忙しいのに出費も重なり大変だなと思う。
帰りの予定が変更になったので、JRに行き、特急指定券の変更を申し出た。
意外な返事が返ってきた。
「このチケットはカードで購入したものですので、カードがないと変更できません。
払戻もできません」
 えっである。私は出版社からいただいた。でも私のものではないというのだ。カード所有者のものだ。ということである。聞くとセキュリティ等の問題もあるのだという。つまり、拾ったものや盗んだ切符を現金に換えられる可能性があるというのだろう。
 そういう心配があるのであれば、私に本人確認の書類を提示させれば済むはずである。そっちの方が、不審者への対応にもなる。
 変更も払い戻しもできず、出版社の方と連絡もとれず、私が再購入した場合、JRはカード所有者の出版社と私から2重どりする可能性がある。それでもJRは平気なのだろうか。
 結局、私は新規に特急指定券を購入した。出版社から送られてきた指定特急券にJR側は「乗変申出、座席取消済」という赤い判を押し返却。出版社が購入した時のカードと判を押した切符をJRに提示すれば、購入金額を払い戻すという。有効期限は1年。
 購入者側、および私がルール違反をしたようで後味が悪い。
カード会社とJRとの間で購入者の都合を無視した取り決めがあるように感じた。
 


2021年11月27日土曜日

価格(企業買収)は任せる。責任はオレがとる


 昨日(26日)、17:30~現役の役員Aさんを交えた飲み会がありでかけた。
TDKは今や売上1兆8千憶。従業員は13万名。
中間管理職で定年退職になった小生が現役役員の方と話ができる。光栄である。
会場に着くと、案内のお嬢さんから「マスクして下さいね。手の消毒をお願いします」と声をかけられた。(写真)
私:国際情勢が日々変化、大変でしょう。
A:特に中米関係が厳しいですから、先が読めない。今日も役員会があり、6時間大激論です。
私:国内の政治情勢をどう見てますか。
Á:分配論議が先行してますね。成長なくして分配はありません。勿論生活困窮者の救済は必要です。でもいい意味での競争社会でなくてはなりません。世界競争で日本は立ち遅れてます。
ーお飲みものはなにになさいますか?
私:ビールお願いします。
À:私はワイン。
私:安いワインと高いワインは味でわかりますか。
A:先輩、それは愚問です。音の違いがわかるかどうかと同じです。
私:企業買収、積極的に進めてますね。
A:企業買収は経営戦略にとって大切です。アメリカの企業買収の時、買収価格は君に任せる。責任はオレがとる。細かいことは一切言わない。TDKは大胆に部下に任せる。買収先の責任者がそういうTDKを信頼してくれる。
ーAさんとこんな会話をしたことがある。
私:ハイヤーでの送迎ですか。
A:そうです。会社の決まりなものですから。
私:それは当然です。それだけの仕事をしてくれれば納得です。
それから3年、Aさんはスッカリ逞しくなった。心強い。


TDKの社風はユニークである。それは元・会長の澤部さんが書いた「神田のサンマとニューヨークの青空」をみれば良くわかる。「無名の小さな会社にもぐりこむ」「秋田の研修でふるさとに出会う」「”あほはいらん”といわれた玉川事業部」「岩谷さんの千本ノック」と続く。澤部さんが体験したTDK歴代経営者とのエピソードが描かれている。


2021年11月20日土曜日

老人クラブ研修旅行(五浦海岸)


 11月17日(水)、老人会(刈谷ベテランズクラブ)のバス研修旅行が行われた。
コロナに閉ざされていた門がやっと開いた感じである。
行先は茨城県北部にある五浦(いずら)海岸と那珂湊おさかな市場見学。参加者は24名。
往復、市のバスを利用するので会費は¥2,500と格安である。
8時、牛久の団地出発。
コロナ前はバスの中の飲み食いはお酒も含めて自由だったので、お酒を飲みながらのカラオケで大賑わいだったが、今回は配布されたお茶(ペットボトル)のみ。カラオケはなし。車内はエンジン音だけの静かなものだった。


10時、「茨城県天心記念五浦美術館」着。
五浦は明治39年、日本美術院第一部(絵画)が移転し、岡倉天心など五浦の作家が活躍した歴史的な場所である。美術館には岡倉天心他、横山大観など、五浦の作家の作品が展示されている。今回、牛久出身の画家、小川芋銭の作品に出合えたのは幸いだった。牛久には河童の碑とアトリエである雲魚亭はあるが、カラー作品はない。カラー作品に出合ったのは初めて。畑の上を野菜が歩くユニークな作品だった。(写真・中)
 

五浦観光ホテルで昼食。やっとビール(自腹)にありつけた。料理は見た目はきれいだが、味は今一。誰かが言った。「やっぱりそれなりの金を払わなきゃ」そりゃそうだ。
観光ホテルからは天心が建てた六角堂が見える。この日は小春日和。波はなく、海面は鏡のようだった。


2021年11月15日月曜日

オリ、中嶋監督、奇跡の強攻(新庄監督とは違う人)

 
12日、プロ野球日本シリーズ進出をかけたパ・リーグの第3戦が、京セラドーム大阪で開催された。対戦したのはリーグ1位のオリックスと2位のロッテ。第1戦(1-0)、第2戦(2-0)ともオリックスが勝っており、第3戦で勝つか、引き分けでオリックスの日本シリーズ進出が決まる。
野球といえば、高校野球と大谷選手が出場するメジャーリーグしか興味のない私だが、今回はオリックスの中嶋監督が母校(秋田県立鷹巣農林)の後輩ということで注目している。
第3戦は第1,2戦で得点できなかったロッテが先制、8回3-2でロッテがリード。ロッテが勝てば流れが変わる可能性もある。
9回の表、オリックスの攻撃、これが凄かった。ロッテの投手は押さえの投手としてリーグを代表する益田。先頭バッターのTー岡田が益田の変化球を巧にすくい上げてヒット。ノーアウト1塁であり、犠打で得点圏にランナー送る場面。2番手、安達は初球をバントしたがファル、2球目、バットを振りぬいて左前打。3番手は今季わずか1安打、打率1

割にも満たない小田。ノーアウト1,2塁、さらに、小田の力を考えると、ここはバントしかない。が、中嶋監督は小田に声をかける。「思い切っていけ」。初球、小田はバントの構えから強攻に転じるバスター。打球は右翼線を破り、代走、山足が二塁から歓喜の生還。ナインは一斉にベンチから飛び出す。球場にはベートーヴェンの歓喜の音楽が流れる。
 
お立ち台に立った中嶋監督。後輩、中嶋監督はこいう顔をしているんだ、こういう話の仕方をするんだと思った。日本ハムの新庄新監督のような派手さはない。黙々とやるべきことをやる、余計なことはいわない。秋田の男である。菅総理と共通している。

 



2021年11月12日金曜日

深窓の令嬢、内田光子さんの思い出

 

11月6日、龍ヶ崎ゲヴァントハウスのCDコンサートで、内田光子さんが弾くモーツアルトのピアノ協奏曲第20番を聴いた。1995年ベルリンフィルハーモニーで収録した放送ライヴである。第1楽章のカデンツィア(オケの伴奏を伴わないピアノ独奏部分)が凄かった。ダイナミックであり、威厳に満ちていた。巨匠の風格でる。
 聴きながら50年前を思いだしていた。私は1970年、内田光子さんにお目にかかっている。しかもご自宅で……。(写真・中。1970年、木村伊兵衛氏撮影)
 当時、私は録音テープの商品企画を担当していた。1969年、SDカセットテープ発売。SDは初の音楽用カセットという高い評価を受けた。SDに使用した磁性紛はオープンリール用に開発したものだが、オープンとしては高域特性が出過ぎて規格はずれだった。これをカセット用に転用したところ、高い評価を受けたのである。
 

私は規格はずれのSDオープンテープを聴いて素晴らしい音だと思った。確かに高域が強調されるが、耳障りではなく透明感がある。ということで1970年3月SDオープンを発売する。この年、第8回ショパンコンクールが開催され、内田光子さんが2位に入賞する。私は内田さんに是非、SDオープンの音を聴いていただきたいと思う。
 内田さんのお宅にお邪魔した。通された部屋は洋風。そこに現れた内田さん。全て、私のような庶民とは異次元の雰囲気である。それもそのはず、お父様は西ドイツ大使などを務めた外交官。内田さんはウィーン音楽院でピアノを学んだ。「深窓の令嬢」とはこういう次元なのだと感じた。

 ピアノを録音したSDオープンを再生すると内田さんの顔が輝いた。「まあ、面白い。音が飛び跳ねるようね」この年、内田さん22才、小生28才。
 2021年、第18回ショパンコンクールで、反田恭平さんが2位に入賞。日本人として内田さんに次いで2人目、51年ぶりの2位入賞である。反田さんが内田さんのような世界的巨匠になる日が楽しみである。



 

2021年11月6日土曜日

贅沢なコンサート(コロナの恩恵)




 贅沢なコンサートから一週間が経つ。
10月30日(土)水戸芸術館で広上淳一さん指揮の水戸室内管弦楽団を聴いた。
水戸芸術館の館長は小澤征爾さんである。広上さんは小澤さんの要請もあり、2000年の開館10周年記念コンサートなど節目のコンサートを指揮している。今回の指揮は6年ぶり、まさに満を持しての登場である。

演奏曲目はシューベルトの交響曲第5番とメンデルスゾーンの交響曲第5番「スコットランド」。「スコットランド」は私の大好きな曲だが、広上さんにとっても勝負曲なのだという。1988年、ズービン・メータの紹介でイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団にデビューした時「スコットランド」で勝負に挑んだという。
水戸芸術館のコンサートホールは室内管弦楽団の専用ホールで入場者は座席数680席。実に贅沢な作りである。今回はコロナ下ということで、入場者を半分に制限。

水戸室内管弦楽団は小澤征爾さんが選んだソリスト級の奏者の団体である。それを日本を代表する広上さんが指揮する。このコンサートを340名で聴く。プライベートコンサートのようである。なんという贅沢であろう。コロナの恩恵である。
広上さんは踊るような指揮で楽員をリード。時には指揮台で飛び跳ねる。特にというか、やはりというか「スコットランド」の躍動感は素晴らしかった。
コンサートには神奈川・山北から弟もかけつけた。
終ってから水戸駅のレストランで乾杯。弟が”神奈川から来ただけのことはあった”と、コンサートの感想を述べた。まずは目出度し……。
帰り、弟は東京行の特急に乗る。私は普通電車に乗る……。ふと気がつくと見覚えのあるホームの景色。慌てて降りる。(写真・下は地上100mの水戸芸術館シンボルタワー)

2021年10月30日土曜日

オリックスの中嶋監督は母校の後輩です

 オリックスが25年ぶりにパ・リーグの頂点に立った。
導いたのは中嶋聡監督(52才)。中嶋監督は秋田の鷹巣(たかのす)農林高校出身。小生の同窓生である。(昭和62年、林業科卒)

中嶋監督の名前を知ったのは昨年の8月。「おい、オリックスの監督に鷹農の後輩が就任したぞ!」と同級生から聞いた。二軍の監督だった中嶋さんが一軍の監督に昇格したのだった。驚きのニュースだった。鷹巣農林は大正2年(1913)の開校。卒業生に東北大教授とか東北農業試験場長はいるがそれは戦前の話、戦後、著名人はほとんどでていない。
その中嶋監督率いるオリックスが2年連続最下位を脱して優勝したのである。

秋田生まれの小生にとっては菅総理誕生に続く祝事である。
ただ、報道記事をみて、淋しさもある。ある報道では監督の出身校を北鷹(ほくよう)高校と報じている。実は鷹巣農林は2011年、近隣の3校に併合され、北鷹高校になったのである。
 鷹巣農林が併合されたことに加えて、コロナが発生し、鷹農同窓会の意気が上がらない。
中嶋監督の活躍を期に、鷹農同窓会の再起を期待したい。

 〇昭和34年(1959)鷹巣農林 創基50年記念(入選)小生が作った祝歌である。
 
   1,緑したたる伊勢堂に 雄々しく聳える我が母校
   幾千有余 若人の    夢と学びの場となりて
   星霜ここに50年
 2,燃ゆる大地に若鷹翼 これぞ母校のシンボルと
   幾千有余 若人が    久遠の理想求めつつ
   学びてここに50年
 3,世相移り変われども 永久に変わらぬ学び舎は
   幾千有余 若人の    勉め励みの庭となり
   栄えてここに50年
 


2021年10月28日木曜日

松山、気迫のイーグル!五輪の雪辱果たす


 10月24日(日)ゴルフ世界最高峰の一つ「ZOZOチャンピオンシップ」(習志野カントリー)の最終日がTV中継された。
 松山は単独首位で最終18番ホール(573ヤード、パー5)のティグランドに立つ。2位Ⅽ・トリンゲールとは2打差。昨日のようにこのホールでボギーを打ち、Ⅽ・トリンゲールがバーディをとると同スコア、プレーオフになり、優勝の行方は混沌となる。
 

松山のティーショットは見事フェアウェイをとらえる。残り約270ヤード。松山は5番ウッドを抜く。打った瞬間、グリーン方向をにらみ「ゴォー」と雄たけびを上げる。ボールはピン側に着地。イーグル。大歓声をあげるギャラリー。松山の気迫に圧倒されたⅭ・トリンゲールはボギー。5打差で優勝だつた。

 東京オリンピック最終日、トップに1打差と迫りながらメダルを逃がした雪辱をはらし、優勝賞金2億3百万を獲得した。松山はインタヴューに答える「4月のマスターズを10とすれば今回は2~3のできだった」それでも気迫のイーグルで優勝できたのは「ギャラリーの存在でした」
 

ギャラリーの入場料だが、1dayが¥25,000、スタートスタンド¥35,000というから驚く。
(写真上①1番スタートホールの松山②18番のイーグルパット)


2021年10月17日日曜日

足尾銅山で生まれました。(老人クラブ・誕生会)

 

7日(木)私の住む町の老人会(刈谷ベテランズクラブ)の定例会が開催された。定例会は毎週木曜日に開催される。「誕生会」は最も重要な行事の一つである。
 コロナで8月、9月の定例会が中止になったので、7日は3ヵ月ぶりの誕生会になった。8月、9月、10月生まれの10名が対象になった。対象者一人、一人がスピーチをした。最高齢は94歳の女性会員、皆さんの挨拶に共通しているのは「刈谷に住んで良かった、ベテランズクラブに入会して良かった、刈谷を終の棲家にしたい」だった。
 80歳を迎えた女性会員のスピーチを紹介したい。
 「年はいいたくないのですが、お陰様で80歳になりました。昭和16年10月10日、 足尾銅山の社宅で生を受けました。生まれた2カ月後には第2次世界大戦がありました。子どもの頃は転々としました。昭和39年に結婚して埼玉で生活をはじめました。この年「東京オリンピック」がありました。昭和60年に終の棲家として牛久を選びました。この年は「つくば科学万博」をやっておりました。8月12日、御巣鷹山に日航機が墜落しました。この日は次男の誕生日でもあり忘れられません。ふりかえると色々ありました。80歳になって2回目の「東京オリンピック」を見ることができました。これから何年生きるかわかりませんが、皆さんにお世話になりながら楽しく過ごしたいと思います。これからもよろしくお願いします」
 足尾銅山は今の日光市にあり、坑口付近に社宅があり、近くに小学校や、商店もあったという。昭和29年、閉山した。
 私は昨年、ベテランズクラブの役員をやったが、裏方は大変である。「名簿の確認」「祝い品の手配」「紹介スピーチの準備」「お祝いの音楽選定」「写真撮影」等……。


2021年10月11日月曜日

渋野日向子、V復活!4人の壮絶なプレーオフ


 10日、静岡の東名カントリーで開催された、女子プロゴルフツアー「スタンレーレディス」で、渋野日向子が優勝した。2019年「大王製紙エルエールレディス」以来、1年11ヵ月ぶりの優勝だった。
 渋野は2019年8月、「AIG全英女子オープン」で優勝し、一躍日本女子プロの女王となった。以来、ファンは渋野の活

躍と渋野スマイルに期待した。しかし、渋野はスランプに陥る。
2020年は国内外での優勝はなく、2021年の東京オリンピック代表の地位も獲得することができなかった。渋野スマイルは消え、渋野は終わったと思ったファンも多いのではないか、私もその一人だった。

10日の渋野はそのような負のイメージを一掃するものだった。
18番ホールでプレーを終えた時、渋野日向子、佐藤心結(マチュア・明秀学園日立高3年)、木村彩子、ペン・ソンウ(韓国)が共に10アンダーで並び、プレーオフになった。
プレーオフは18番ホール(パー5)で行われ、1回では決着がつか

ず、2回繰り返された。渋野は2回とも3打目のアプローチを1ピン以内に寄せ(写真左・下)バーディを奪い優勝した。
その技と精神力は他の3人を圧倒。見事なものだった。
全英オープン優勝の時、渋野はスマイルを浮かべたが、この日の渋野は涙をこらえることができなかった。(写真左・上)
 この大会には今年の賞金ランキング上位3名も参加した。1位で東京オリンピックで銀メダルを獲得した稲見萌寧はー7で8位タイ、2位の小祝さくらはー3で24位タイ、3位で安定したショットが評判の西村優菜はー9で5位タイだった。(写真はいずれもBS11による)

2021年10月5日火曜日

晩酌、大幅コストダウン


 小生にとって、晩酌は毎日のイベントである。
晩酌をするために、毎日過ごしているといっても過言ではない。
オヤジもそうだった。テーブル上座中央に座り、右側に兄、小生、弟、左側に母、姉、妹がすわり、イベントが始まった。家族団欒。楽しかった。「母さん、もう一本」上機嫌のオヤジは空になった銚子を右手で高く上げる。そのうち「ドンと、ドンとドッと、波乗り超えて……」と唄い出す。
 
 小生の夕餉はどうだろう。子どもたちはみな独立し、妻と2人だけの静かな夕餉である。まず、缶ビールをプシュッと明け、グィッと一杯。これがたまらない。これを楽しみに日々過ごしているようなものである。
お気に入りのビールはキリンの「濃い味」だった。ネーミングの通り、”濃く”がある。ただし、これが昨年の酒税改定で高くなった。一箱¥2,964である。以前は3千円だせばツマミも買えたのに、今は買えない。先日、スーパーで格安のビールを発見した。な、なんと一箱¥2,035。バーリアル(BARREAL)イオントップバリュー商品。製造元は麒麟麦酒。試飲してみると、”濃く”はないが、爽やかである。現在はバーリアルを常飲している。因みにスーパードライは¥4,480。高価なビールは外出先で……、これがまた楽しみ。
ビールの後、日本酒をいただく。日本酒は常温、熱燗だと味の違いがでるが、冷やすとどの酒でも美味しくいただける。というわけで、3リットル¥1,243「秋田の雪」を常飲。毎朝、当日分をコップに注いで冷蔵庫に入れるのが日課になっている。
面白いテレビ番組で、夜が長くなる時は、日本酒に次いで、ウィスキーを舐める。お気に入りはバランタイン¥1020なのだが、現在はトップバリューWHISKY¥602を愛飲している。因みにお馴染みのブラックニッカは¥767である。
 そんな安酒飲まなくていいのではないかと、自問自答もするが、コロナ明けの他流試合に備えて、軍資金を貯めておきたいというケチな小生である。


2021年9月30日木曜日

「河野さんは未熟」田崎史郎氏の一言


 自民党の総裁選挙が終わった。予想に反して岸田さんが大差(岸田さん257票、河野さん170票)で勝利した。河野さんの敗因について、マスコミはいろいろと分析しているが、私が一番印象に残ったのは「河野さんは未熟」(29日BSフジ・プライムニュース)という田崎史郎(政治ジャーナリスト)さんの一言だった。出だし順調だった河野さんは候補者の討論会で唐突な発言があった。田崎さんはこうも語った。「本人の為にも、新政権になってもポストにはつかない方が良い」と。同番組にでていた江田憲司さん(立憲民主党)は岸田さんだったらくみしやすいと語った。岸田さんは辛酸を舐めた方である。多分、江田さんが思うようにはいかないと思う。逞しい総理になって欲しい。

個人的にはこんなことがあった。

24日、高校時代の後輩が訪ねてきた。「先輩と一杯に飲みたい。牛久まで行きます。ホテルとって下さい」ということだった。4時近く「牛久に着きました」との電話。2人でスーパーに行き、酒とつまみを買ってホテルに行く。(緊急事態宣言中でお店では飲めないのである)後輩の話とは高校の同窓会の行く末についてのことだった。彼は東京地区同窓会の役員


をやっている。毎年、秋、銀座で親睦会を開催しているのだが、高齢化で参加者が減少している。しかも10年前、母校は北秋田地区の4校が統合され、閉校になっている。それにコロナが重なり八方塞がり。行く末を相談したいと思っても相談相手がいない。やむを得ず、埼玉から茨城の牛久まででかけてきたのである。このような母校愛に燃えた後輩がいるのは嬉しい……。

毎朝、8時~9時まで散歩をしている。散歩道で栗を拾った。美味しかった。

2021年9月25日土曜日

国立科学博物館(下)巨大!日本最初の電子計算機


 国立科学博物館に収蔵されている作品は470万点、常設展示品は約1万4千点とある。
折角の機会なので、駆け足で常設展示品を覗いた。その中で一番驚いたのは日本最初の電子計算機である。巨大である。タタミ4畳ほどはある。(写真はその一部)
日本で最初に稼働した電子計算機「真空管式計数型電子計算機FUJIC」は富士写真フィルム(株)の岡崎文次氏が作った。同社はカメラ(光機)を作っていた。レンズの設計には6桁の対数表を使用し、レンズの構成を変えながら光路を求める膨大な計算が必要だった。これに対応するため、岡崎は計算の自動化を考えた。開発に7年かかった。完成したのは1952年(昭和31)。これによりレンズの計算速度は人間の2,000倍になったという。使用した真空管は1,700本とある。
FUJICの隣には1960年に日本国用鉄道が開発した日本初のオンラインによる自動発券機が展示されている。当時の駅員さんが行先を書いたステックを差し込む姿が目に浮かんだ。
真空管は管球の中で陰極から陽極に流れる電子流を制御することによって増幅、検波、整流、発振を行うが、1940年代後半、真空管と同じような機能を電子回路で行うトランジスタが実用化される。さらに微細なトランジスタの集合体である集積回路(IC)が登場。真空管はトランジスタに置き換わり、電子計算機は急速に小型化、高性能化が進む。ミリ角のチップに1億個以上のトランジスタが搭載されているケースもあるというから驚く。
今は、計数計算(電卓)だけではなく、メール、音楽、カメラ等、数多くのアプリを搭載したスマホを持ち歩く時代である。
技術の発展を実感する上でも、たまには国立科学博物館に足を運ぼう!


2021年9月19日日曜日

国立科学博物館(上)「未来技術遺産」


17日、非常事態宣言の中上京した。 午後3時~出版社で会議。年初からお手伝いしている女子大生の闘病記がまとまり、カバーデザインについて筆者と出版社の打合せがあり同席する。

その前に上野の国立科学博物館に足を運んだ。同館で令和3年度「未来技術遺産」のパネル展示会が開かれている。今年、遺産に登録された発明品には記録メディアに関するものが多い。現役の頃、記録メディアの仕事をやり、工業会の委員も務めていたので、懐かしく、また嬉しい。
 遺産登録商品を発明した企業は現在、日本を代表する優良企業に発展した。技術こそ日本企業の原動力である。それはこれからも変らない。

第00314号 Soni-Tape シリーズー日本初の磁気録音用テープ(ソニー株式会社)1950年
第00315号 TDK製Co被着酸化鉄磁性材料ー世界で初めて実用化した
Co被着酸化鉄磁気テープ(TDK株式会社)1973年
第00316号 コンピュータ用塗布型磁気テープDLTtapeⅣ-塗布型
高密度のデジタル記録を実現(富士フィルム株式会社)1996年
第00322号 世界初のCD-Rー世界初の書き込み可能な追記型光記録
メディア(太陽誘電株式会社)1989年