7日(木)私の住む町の老人会(刈谷ベテランズクラブ)の定例会が開催された。定例会は毎週木曜日に開催される。「誕生会」は最も重要な行事の一つである。
コロナで8月、9月の定例会が中止になったので、7日は3ヵ月ぶりの誕生会になった。8月、9月、10月生まれの10名が対象になった。対象者一人、一人がスピーチをした。最高齢は94歳の女性会員、皆さんの挨拶に共通しているのは「刈谷に住んで良かった、ベテランズクラブに入会して良かった、刈谷を終の棲家にしたい」だった。
80歳を迎えた女性会員のスピーチを紹介したい。
「年はいいたくないのですが、お陰様で80歳になりました。昭和16年10月10日、 足尾銅山の社宅で生を受けました。生まれた2カ月後には第2次世界大戦がありました。子どもの頃は転々としました。昭和39年に結婚して埼玉で生活をはじめました。この年「東京オリンピック」がありました。昭和60年に終の棲家として牛久を選びました。この年は「つくば科学万博」をやっておりました。8月12日、御巣鷹山に日航機が墜落しました。この日は次男の誕生日でもあり忘れられません。ふりかえると色々ありました。80歳になって2回目の「東京オリンピック」を見ることができました。これから何年生きるかわかりませんが、皆さんにお世話になりながら楽しく過ごしたいと思います。これからもよろしくお願いします」
足尾銅山は今の日光市にあり、坑口付近に社宅があり、近くに小学校や、商店もあったという。昭和29年、閉山した。
私は昨年、ベテランズクラブの役員をやったが、裏方は大変である。「名簿の確認」「祝い品の手配」「紹介スピーチの準備」「お祝いの音楽選定」「写真撮影」等……。
お疲れさまです!拓治
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