2025年8月23日土曜日

29日大相撲牛久場所「大の里」の土俵入りに期待。5千円の立ち見席購入

8月29日、大相撲牛久場所が開催される。入場券は¥10,000~¥19,000と高額で、早々に売れきれたと聞いていたのであきらめていた。ところがドッコイ、今月、ネット検索したところ5千円の立見席が残っているという。早速購入した。
大相撲観戦ではあまりいい思い出がない。発売日に早起きして国技館まででかけたが、溜り席はすでに完売、イス席を購入したのだが、土俵ははるか遠くでリアル感がない。やはり大相撲はテレビ観戦に限る。
しかし、1度は真近で力士の息遣いと立ち合いの激しい音を聞きながら、日本古来の相撲の真髄に触れてみたいと思っていた。
牛久場所が開催される会場は普通の体育館なので、入場者は千~2千名と思われる。(国技館の収容人員は15,000名)立見席でも土俵は真近であり、念願の夢が果たせるのではないかと期待している。
牛久は二所ノ関親方(稀勢の里)の出身地である。親方が開催の旗振り役をやるという。(写真上、親方の隣は沼田牛久市長➡茨城新聞より)当日は午前9時開催、公開稽古からはじまり、取り組みの他、相撲の禁じてを面白おかしく紹介する「初切(しょっきり)」やトークショー、相撲甚句も披露される。勿論、3月、5月場所で連続優勝した愛弟子「大の里」の土俵入りも披露されるだろう。楽しみである。

2025年8月17日日曜日

お墓に530万。「初代、牛久・畠山家」として納得。

 
私のお墓は牛久大仏にある。
お盆には、郷里の秋田に行って祖先の御魂を拝むべきであるが、そうもいかない。
ということで、牛久大仏の私のお墓を通じて、祖先の供養をしようと考えた。
15日、家内と一緒に牛久大仏にでかけた。地上120m、青空に聳える牛久大仏の威容はいつ見ても素晴らしい。ギネスブックにも登録されている。
私の墓地は管理棟の直ぐそばにある。家内が「500万もかけたわね」という。私は我が耳を疑った。200万~300万という記憶しかない。
帰宅してから資料を見ると、墓地の永代使用料を支払ったのは1991年、49才の時、3㎡で86万とある。(牛久大仏が開業したのは1993年なので、その前に契約していた)2014年、72才の時、墓石を作る。外柵工事代250万、墓石代205万とある。全て合わせると531万になる。
お墓にそんなに投資をする価値があったのかとも思ったが、「初代牛久・畠山家」としては良かったのではないかと納得。
16日~17日は私の住む刈谷地区の盆踊りである。
コロナで中止していたが、昨年から復活した。
自治会の役員は前日から櫓を組み、提灯を飾り大わらわである。私も70代のころはそうだった。83才になった今日、シニアクラブのテントの中に座り、ビールをいただきながら踊りを見るという立場になった。刈谷地区は牛久の中で新興の住宅地であるが、「盆踊り」が継続されているのは嬉しい。

2025年8月13日水曜日

オーケストラの数による世界の国の文化度&経済力イメージ

音楽のジャンルにはロック、ジャズ、クラシック等、様々あるが、クラシック音楽は最も普遍性のあるジャンルである。どこの国に行ってもクラシックを演奏するオーケストラがあると言っても良い。やや乱暴な話ではあるが、オーケストラの数によって、その国の文化度&経済力をイメージしても良いのではないだろか。
2020年、みすず書房から出版された「オーケストラ」という本がある。この本に「世界の主要400オーケストラ」が掲載されている。資料に沿って国別の数をランキングしてみた。1位ドイツ➡50、2位アメリカ➡45、3位フランス➡31、4位スペイン➡20、5位イギリス➡19、6位ロシア➡18、7位イタリア➡16、8位オランダ、オーストリア、カナダ、スイス、チェコ、中国、日本➡10、15位ベルギー8、16位オーストラリア、スエーデン、デンマーク、ハンガリー、フィンランド、ポーランド、ルーマニア➡5、・・・。
いかがでしょう。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーが生まれたドイツは別格として、オーケストラの数からその国の文化度&経済力がうかがい知れるのではないだろうか。アジア圏から中国と日本が入っている。(将来人口が世界一になるといわれるインドの場合、プロのオーケストラは一つしかないようだ)因みに日本の10のオーケストラにランキングされたのはNHK交響楽団、東京フィル、東京都響、読売日響、新日本フィル、東京交響楽団、日本フィル、大阪フィル、名古屋フィル、オーケストラ・アンサンブル・金沢である。

2025年8月7日木曜日

白内障手術件数、県内1位,全国4位

 白内障の手術は市内の「さくらい眼科」で行った。(写真)
同医院の白内障の手術件数は月100件を超えるという。その件数は茨城県一、全国でも4位だという。そういう病院が牛久にあるというのは驚きである。
スタッフは40名とのことだが待合室は満員。溢れた患者は車の中で待機するという具合である。多忙だから診断が粗雑かといえば、そんなことはない。懇切丁寧である。手術前に院長から「さくらい眼科、全力で対応しますので、ご安心下さい」といわれ感激した。
ホーム頁を見ると、手術の機材は最新、最高位のものを使用しているという。

白内障は目の中のレンズの役割をしている水晶体が白く濁る病気である。手術で濁った水晶体を超音波で砕いて吸引し、新しいレンズを挿入する。局所麻酔をするので、手術中の痛みはほとんどなく、手術時間は10~20分だという。
5日、4時から手術を行った。麻酔というので、注射を打つのかと思っていたら、手術をする右目に麻酔薬を点滴するのだった。
ベットに寝かせられるのかと思っていたら座っていた椅子が仰向け
に倒れ、手術がはじまった。痛くないと聞いていたが、右目に不快な圧力を感じた。「順調です。半分終りました。もう少し頑張ってください」「ご苦労様でした」ということで手術終了。
保護メガネをかけて自転車で帰宅した。景色が来院する時より明るく、クッキリ見えるような気がした。


2025年8月3日日曜日

白内障手術で、8月は自粛生活となります。

 目には自信があったが、今年に入って、実害がでてきた。
一番驚いたのはコンサート。3月、オペラのコンサートに行ったが字幕が読めない。6月のコンサートでは指揮者が眼鏡をかけているように見えたが、実際はかけていなかった。パソコンを打つ時も、顔を画面にちかづけないと文字が読めないようになった。6月眼科に行ったら右目0.7,左目1.0だった。「ガチャ目です」といわれた。その場で白内障の手術をすることにしたが、予約が一杯で8月になるとのこと。右目8月5日、左目8月19日に決定。手術後の日常生活上の注意点を見ると、ジョギング等の運動は術後1カ月は自重するようにとある。
7月は山陰旅行の計画を組んでいたし、9月から計画が目白押しなので、8月に手術の予約がとれたのは幸いだった。8月は外出禁止、グランドゴルフも中止。自粛生活となる。
白内障の手術は保険摘要の処置と、保険適用外の処置との2つがある。保険摘要だと、遠方か近方のいずれかのレンズを選ぶ。保険適用外だと、3焦点、多焦点レンズを選ぶことができる。ただ、30万~50万の費用がかかる。私は保険摘要の近方レンズを選択した。年齢も83才。これからは外出することも少なくなるだろう。パソコンが打てれば良い。という判断である。
目の次は耳である。
テレビを観ていて、アナウンサーの話は聞き取れるが男優の話は音としては聞き取れるが、何を話しているかわからない。字幕つきの場合は字幕に頼るようになった。音楽を聴いて、仲間とアレコレ批評しあっているが、正確に音楽を聴いているか疑わしい。
目に比較すると耳の方は処置がまだ定まっていないようだ。当面、情報収集に努めたい。


2025年7月25日金曜日

電子部品は車と並ぶ基幹産業だ!「日本勢」世界を席巻/出た!GG生涯ベストスコア63

週刊 東洋経済7月19日号。「電子部品最強烈伝」。TDK・OBの小生必読である。カセットテープで世界的に有名だったTDKは、今、電子部品メーカーとして頑張っている。さっそく購入して読む。
〇黒子から「主役」へ。電子部品「日本勢」が世界を席巻
〇電子部品の王者・村田製作所。独走MLCC(積層セラミックコンデンサ)生む「超垂直統合の真髄」
〇電子部品は車と並ぶ基幹産業だ。日本には海外の10年先を行く「技術」がある。➡村田製作所・中島社長(61才・同志社大卒)
〇カメレオン経営TDK。カセットテープ、磁気ヘッド、小型2次電池。現在、大黒柱の1兆円事業は100億円で買った電池。
〇創業90年でも”ベンチャー精神”は不変。一人ひとりが経営者。➡TDK・齋藤社長(59才・同志社大卒)*村田、TDKの社長が同志社大卒というのは興味深い。
〇売上1兆円クラスの優良企業が凌ぎを削る。村田製作所➡1兆7千億、TDK➡2兆2千億、日東電工➡1兆円、ミネビアミツミ➡1兆5千憶、京セラ➡2兆1千億
TDK・OB岡本明氏(ドクター)の話によると、日本の電子部品が世界を席巻できたのは、不良品の少なさだという。コンデンサの場合、不良率はppbレベル(10憶分の数個)にあり、海外勢の追従を許さない。日本の電子部品の信頼性の高さは日本の自動車の信頼性を支えているという。
🔵7月18日、GG(グランドゴルフ)でとてつもない好スコアがでた。1ラウンド目、最後の30mホールインワンで16、2ラウンド目、なんと出だしの50mがホールインワンで19、3ラウンド目、15mでホールインワンで14、4ラウンド目も15mでホールインワンで14。トータルスコア63。グランドゴルフをはじめて18年。60代のスコアははじめてであり、今後63以上の好スコアがでることは生涯あり得ない。

2025年7月20日日曜日

山陰の旅(3/3)国宝・出雲大社御本殿

12日、松江から出雲大社に向かう。出雲大社は日本人であれば、伊勢神宮と並んで一度は参拝したいところである。と、秋田の農家で生まれた昭和世代の私は考える。それだけではない。義弟が笠間市にある常陸国出雲大社の宮司を務めているので、是非、本家である島根の出雲大社を参拝したかった。
出雲大社に到着。まず、天に聳える日章旗に感激。ここは日本だぞ!である。次いで神楽殿の大注連縄。一行はこの注連縄を見て歓声を上げたが、私は常陸国で同じ注連縄を見ている。「よくぞ同じ巨大な注連縄を作ったなあ!」と義弟の偉業に思いを馳せる。これぞ、本家・出雲大社と感じたのは端垣の中に聳える御本殿の威容である。(写真)この御本殿、延享元年(1744)に創建されたものだという。281年前である。その後、60年を目途に大改修が行われ、その威容を保っている。国宝である。画家岡本太郎はこの御本殿をこう称している。「この野蛮な凄み、迫力、おそらく日本建築美の最高表現であろう」。
出雲大社は結びの神である。恋愛や結婚の祈願をする人が後をたたないという。辰巳太一氏はこう付け加える。「私は出雲大社のご神徳は、結びよりむしろ、出会いと和合にあると思っている。和のパワーを活かせば仕事運や出世運に結びつく」それを証明するように島根県は若槻禮次郎、竹下登という総理大臣を輩出している。
私も今回の旅で稲城市出身の町田さん(写真・右)にお目にかかりお世話になった。こんな楽しそうな自分を見たのははじめてである。(出雲大社に参拝して感じたことがある。出雲大社は参拝客に由縁とかご神徳についてもっと語るべきである。そうしないと、若い人には古いだけの化石にしか映らない・・・)


2025年7月18日金曜日

山陰の旅(2/3)足立全康が命をかけた美術館

11日、江戸・明治の建造物が立ち並ぶ街並み「倉吉白壁土蔵群」を観た後、島根県の県庁所在地がある松江へ。グループより離れて、松江城の入り口にある蕎麦屋で昼食。その後、天守閣に登る。午後、松江から安来へ。20キロほど田んぼ道を走って足立美術館に到着。美術館の外観はなんの変哲もないのだが、会館に入った途端「ワア」という歓声が上がる。眼前に見事な日本庭園が広がる。アメリカの専門誌による日本庭園ランキングで22年間連続第一位にランキングされた庭園である。
この庭園を創ったのは安来市出身の実業家、足立全康(ぜんこう)氏(1899~1999)*写真。実家は農家。尋常小学校卒業後、炭を大八車に乗せ商売をはじめる。第2次大戦後、不動産事業で財を築く。1947年(昭和22)名古屋で開催された横山大観展で感銘を受け、それが美術品収集への情熱に広がる。「庭園もまた一幅の絵画である」の見解のもとに1970年(昭和45)、71才の時、財団法人足立美術館(5万坪)を設立。「故郷へ恩返しをしたい」「未来を担う若い人たちに生きた絵を、素晴らしい庭をプレゼントしたい」という思いだった。しかし、開館から10年余りは入館者は伸び悩み、閑散とした館内を一人歩く足立全康の姿があったという。
足立美術館は足立全康が命をかけたロマンの結晶である。それを味わい尽くすには一度の旅ではムリである。それは壮大で果てしない。

2025年7月14日月曜日

山陰の旅(1/3)鳥取砂丘「馬の背」登頂

10日、クラブツーリズム主催「出雲大社・足立美術館・鳥取砂丘 はじめての山陰旅 3日間」初日である。5時起床。朝食(前夜家内が作ってくれたお握りを頬ばる)。5時30分出発。牛久駅まで歩く。早朝とはいえ猛暑の中、カバンを持っての歩きはシンドイ。東京駅で昼食の弁当、ビールを購入して集合場所へ。今回の参加者は44名。ほとんとが夫婦連れ。新幹線「のぞみ」で岡山へ。
岡山から日本海岸にある鳥取を目指す。約3時間の行程である。県境は山々が連なり、山あいに集落が点在する。彼らの生活の糧に思いを馳せる。
鳥取砂丘は山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されている。南北2,4キロ、東西16キロという広さ。1955年(昭和30)国の天然記念物に、2007年には日本の地質百選に選定された。
ガイドさんから「砂丘は真夏は40度から50度になります」と聞いていたので、警戒していたが、バスを降りると海風が吹いていて、暑くはない。
砂丘入口の丘を登ると、眼下に広大な砂丘が広がる、砂丘はすり鉢状になっており、手前でゆるやかに下っているが、その前方は小高い丘になっている。丘は「馬の背」と呼ばれている。「馬の背」の陰に日本海が広がっているのである。大自然が創り出した広大な光景に圧倒された。(写真・上)
砂漠は風によって作られた風紋(ふうもん)によってさざ波のような模様がついていて美しい。私は風紋を踏みながらすり鉢を下り、すり鉢の底から「馬の背」を目指す。高低差は40メートル。砂に足を取られながら、なんとか馬の背に辿り着く。頂上は風が強く帽子が吹き飛ばされそうだ。(写真・下)83才になって「馬の背」を征服できたという充実感に浸る。
鳥取砂丘には58年前、25才の時、弟と一緒に訪れているが、その時よりも強い印象を受けた。年を重ねたことによって自然に対しての畏敬の念が深まったのであろう。





2025年7月3日木曜日

素敵な場所(図書館)、素敵な味(日本酒)

図書館は私にとって安・近・短。閲覧は無料だし、近くにあるし、閲覧時間は自由。ホッと時間ができた時でかける。私がでかける図書館といえば、牛久、龍ヶ崎、つくば、土浦の4ヵ所。この中でなんといっても素敵なのは土浦図書館アルカス(写真)。
土浦は牛久から15キロ。アルカスは土浦駅直結である。なにしろサロンといった雰囲気なのである。閲覧室の椅子のデザインもバラエティーに富んでおり、しかもゆったりスペース。隣の人を気にせず、読書を楽しむことができる。喫茶コーナーもあり、コーヒーをいただきながら読書ができる。アルカスには図書館で昼寝をするような輩はいない。キチンとしている。閲覧で人気のあるものといえば、新聞では日本経済新聞、週刊誌では週刊文春。これはアルカスに限らず、どこの図書館も共通している。

「父の日」に息子から秋田の地酒を3本いただいたが、この中で「純米大吟醸・鳥海山」は美味しかった。こんな旨い酒は飲んだことがない。ネットで調べると、この酒、数々の賞を受賞しているのである。「フェミナリース世界ワインコンクール2025金賞」「ワイングラスおいしい日本酒アワード2025金賞」「TOKYO酒チャレンジ2025プラチナ賞」。鳥海山は、私の生まれ故郷、由利本荘市の隣町、矢島町の天寿酒造が作っている。「杜氏と蔵人がその米との対話と伝統の技とで醸し上げた一品。華やかな香りと、優しい口当たりの純米大吟醸」とある。この味を殺さず、引き立てるツマミといえば新鮮な刺身だろうか。

2025年6月24日火曜日

沖澤のどかに感動!クラシック音楽は”生きる源泉”

 
私の地元、刈谷シニアクラブは茨城県から表彰されるほど活発な活動をしている。その理由の一つが月1~2回開催される音楽・芸能イベントである。
しかし、クラシック音楽が趣味の小生にとっては、地元の方々の音楽・芸能イベントは楽しめない。カラオケのように自分が参加する場合はうまい下手は関係なく楽しめるが、受け身で鑑賞する場合はどうしてもそのレベルが気になってしまう。その時間があればプロのクラシック音楽のCDを聴いていた方がマシである。
クラシック音楽の醍醐味は演奏会場に行ってナマのコンサートを聴くことである。
15日(日)川崎市のコンサートホールにでかけた。
現在、世界が注目している指揮者、沖澤のどか指揮(写真・左上)・東京都交響楽団のコンサートがあった。沖澤さんは2023年から京都市交響楽団の常任指揮者を務めている。「京都から日本へ、世界へ」が同響のテーマである。同響は東京公演も行っているがチケットはすぐ売り切れてしまう。今回は都響のコンサートということでたまたまチケットが残っていた。私が理事をつとめている龍ヶ崎ゲヴァントハウスの会員4名、神奈川にいる弟も一緒だった。
後半に演奏されたのはストラヴィンスキーの「春の祭典」。音楽評論家の東条碩夫氏はこう評
した。「沖澤と都響の機能的な腕の冴とが遺憾なく発揮された豪演。この超大編成の作品をオーケストラともども、かくも緻密に統率制御していた沖澤の力量は、やはり並みのものではない」終演後、オーケストラが去っても聴衆の拍手は鳴りやまず、沖澤はステージに登場した。(写真・下右)
83才になると、ボケも進み、目力、耳力も減退する。
でも、まだ沖澤の音楽に感動することができた。クラシック音楽は私の生きる源泉である。

2025年6月19日木曜日

葉梨衆議院議員、令和の米騒動についてコメント

 
10日(火)、佐藤則男さんにお目にかかる。(49年前、米国出張でお世話になる)コロムビア大学卒業。2015年、講談社から「なぜヒラリークリントンを大統領にしないのか」を出版。お元気な間に混乱が続く米国にメスを入れた本を出版して欲しい。奥様は国連勤務。共著であれば興味深いものになると思う。
13日(金)刈谷シニアクラブのバス研修旅行で東京へ。国会で葉梨衆議院議員にお目にかかった。(写真・右)現在「農林水産委員会筆頭理事」の任にあり多忙とのこと。令和の米騒動について、こうコメントした。「5キロ4千円~
5千円ではまりにも高すぎる。小泉大臣が備蓄米を随意契約して、小売店に早く届ける手法をとっている。緊急措置として評価している。銘柄米を5キロ、3千円台でソフトランディングさせたいと考えている。その方針のもとに小泉大臣にはJA、卸業者と調整して欲しいと要請している」
JAのトップは「今の4千円から5千円の価格は高くない」とコメントし、非常識だと感じていたので、葉梨議員のコメントにホッとした。
国会の後、迎賓館を見学した。(写真・左)その豪華さには驚いたが、外国の要人には日本国民の庶民の生活も見て欲しい。
14日(土)15日の「父の日」を前に娘と息子からプレゼントが届いた。娘からは素敵なシャツ。息子からは秋田の地酒セット。(写真・右下)これからも元気で頑張らなければと思った。


2025年6月12日木曜日

東工大(TDK)対 大阪大(ソニー)

6月5日、発売になった「ステレオ時代」neo9号に「日本生まれのコバルト磁性体、ハイポジション新時代」という特集企画が掲載された。カセットテープは1966年、日本で発売された。この頃、音を記録するための磁性体はガンマ酸化鉄だった。しかし、この磁性体ではいくら改良してもFM放送の高域周波数帯域をカバーすることができなかった。これを克服したのが、アメリカのデュポン社が開発した二酸化クロム磁性材を使用したクロムテープだった。しかし、クロムテープを生産するためには数億円の特許料をデュポン社に払わなくてはならない。しかもク
ロムテープには中低域の出力が足りないという欠点があった。つまりハイ上がりの音だった。日本のメーカーはクロムに対抗するために、クロム磁性材を使用しない新しい磁性材を開発する。これがガンマ酸化鉄で不足していた高域をカバーしたコバルト磁性体だった。1975年TDK、1976年マクセル、1978年ソニーが相次いでコバルト系、ハイポジションテープを発売する。「ステレオ時代」ではTDKとソニーでコバルト系の磁性
体を開発した技術者にインタビューしている。TDKの技術者は梅木信治さん。(写真・右)東工大出身。大学時代から磁性体薄膜をメッキする方法を研究していた。この手法を応用してコバルトを磁性膜に被着させた。ソニーの技術者は北川正隆さん。(写真・左)大阪大学物理学修士課程卒。ソニーに入社し、テープを製造している仙台工場への配属を命じられた時は「騙されたな」と思ったそうだ。
塩化コバルトの投入方法を工夫して商品化にこぎ着けた。
畠山はクロムという黒船の到来に対して国産化で対抗しようと決断したTDKの経営判断の背景とマーケティング戦略について語っている。



2025年6月5日木曜日

長嶋茂雄さん追悼。ブログ(2025/1)再録&ローマでお目にかかる。

  

1月11日、NHKテレビで「長嶋茂雄の世紀」が放送された。

長嶋茂雄、1936年、千葉県佐倉市生まれ。愛称は「ミスタージャイアンツ」。同時代に活躍した王貞治とはともに「ON砲」と称され、2人のバッティングは巨人のⅤ9に貢献した。日本のプロ野球において400本塁打・2000安打の同時達成は大卒では史上初。NPB最多記録となる最多安打を10回獲得。セ・リーグ最多記録となる首位打者を6回獲得した。
ルーキーの1958年、3番サードで先発出場。国鉄のエース金田正一に4打席連続三振を喫した。その全てが渾身のフルスィングだった。1959年天覧覧試合では、4対4で迎えた9回裏、先頭打者の長嶋が阪神の2番手、村山実からサヨナラ本塁打を放つ。1968年、阪神とのダブルヘッター第2試合、4回裏、権藤投手が王選手の後頭部にデットボール。次打席の長嶋は33号の3ランを放つ。さらに8回に2ランを放つ。長嶋の仇討ちといわれる。この3つのできごとは長嶋伝説として語り継がれている。
 その長嶋がどうしてアメリカのメジャーリーグに行かなかったか?1966年、日米野球で来日したドジャースのオマリー会長が「長嶋を譲って欲しい。2年間でいい」。しかし、正力松太郎読売新聞社主は「長嶋がいなくなると、日本の野球は10年遅れる」と断った。元祖・大谷翔平ともいえる長嶋茂雄はメジャーリーグに行くことができなかった。

1987年、世界陸上ローマ大会が開催された。TDKはこの大会のゼッケンスポンサーだった。大会期間中、私は同大会の担当としてローマに滞在した。同大会の模様は日本テレビを通じて日本に生中継された。番組のMⅭを担当されたのは長嶋茂雄さんだった。長嶋さんの謙虚で誠実なお人柄は心に沁みた。(写真上。左から小生、長嶋さん。徳田さん)

2025年6月3日火曜日

「続・ソニー盛田会長との200年の誓い」(2/2)ウソのない社会の為に。

 続編には法廷におけるソニーの証言についての検証結果が記載されている。
ソニーはソニー神社は常陸国出雲大社の高橋宮司に依頼したものではない等の証言をしているが、高橋宮司は全てウソの証言だと語っている。
その一例が、神社の地下に埋められた、盛田会長の「大願意」(写真・左)である。①ここに書かれている盛田昭夫の署名は「本人の筆跡ではないように思われる」と証言している。ソニーともあろう会社が創業者の筆跡を確定せずに証言するというのは不思議である。本人のものでないとしたら、誰がなんのために書いたのか。②と、いいながら、「盛田会長は一人で大願意
を書いた」と証言している。一人で書いたのであれば、本人が書いたものに違いない。③書いた日について「10月19日」と証言しているが、大願意には9月22日と記されている。
このような支離滅裂な証言をソニーはしているのである。この証言について裁判官はなんの質問もせず、その証言を是として裁定を下しているのである。高橋宮司が怒るのは当然だろう。
高橋宮司は裁判に敗れたが、結論ありきと思われる杜撰な裁判の実態を記録を残すべきだという信念のもとにこの本を出版した。高橋宮司は裁判から本の出版まで1千万円を超える私費を投じている。ウソのない当たり前の社会になるのであれば本望だという。それは盛田会長の願いでもあるという。(ソニー神社で創業者の慰霊を敬う盛田会長・写真右)

2025年5月31日土曜日

「続・ソニー盛田会長との200年の誓い」遂に出版(1/2)

 5月27日、「続・ソニー盛田会長との200年の誓い」が遂に発売となった。
この本、初版が発売になったのは2022年12月である。
笠間市にある常陸国出雲大社の高橋宮司は元・ソニー盛田会長から「ソニー神社」の建立を依頼される。ソニー誕生に携わった社員861名の御魂を弔うためである。しかし、この神社は後継経営者によって取り壊される。高橋宮司は神社の再建を求めて提訴。しかし、敗訴する。裁判所はソニーの資金によって建立したものなのでソニーが取り壊しても違法ではないと判断した。この裁判で、ソニーはそもそも神社の建立は高橋宮司に依頼したものではなく島根の出雲大社に依頼したものである。神社の地下に埋もれていた盛田会長の神社建立を願う「大願意」は盛田会長が書いたものではない。などと主張する。
続編で、高橋宮司は常陸国出雲大社の奇跡的な発展を語るとともに、裁判におけるソニーの証言は偽証であると数々の検証をもとに語る。
私は高橋宮司の依頼で初版に続いて続編の監修に当った。本の内容が天下のソニーの告発を含んでいるため、無事出版できるかどうか心配だった。
5月8日、アマゾンを検索した。“「続・ソニー会長との200年の誓い」予約開始”の告知を
発見!この時は本当に嬉しかった。日本は民主主義の国であることを実感した。
高橋宮司は私に語った。「ソニー神社は島根の出雲大社に依頼したもので、あなたは島根の代理人に過ぎない。というソニーのウソの証言は許せない。事実を後世に残すために本を出すのです」と。



2025年5月24日土曜日

グランドゴルフ心技一体、2度目のオール2打賞達成

 私が所属する牛久グランドゴルフクラブでは練習日にワンプレイ(8ホール)で、ホールインワンが3回でると「ダイヤモンド賞」、各ホールを全て2打で回ると「オール2打賞」が出る。16日、「オール2打賞」を達成した。「オール2打賞」はチーム全体で年に10回ほどでる。40名の会員がいるので、会員一人当たり4年に一回は達成できる勘定になる。私が前回「オール2打賞」を達成したのは昨年の1月だった。幸運である。
グランゴルフのコースの長さは15m×2、25m×2、30m×2、50m×2の8ホール。16日の最終プレイ。どのコースも第1打がホールポストの2m以内に着いた。こういう時は心技一体。50%はツキもある。6ホール目まで2打が続くと、最後の2ホールはさすがに意識する。程よい緊張感の中、無我の境地でボールを打つ。
この境地はプロ、アマチュアに関係なく、競技の種類にも関係なく共通したものであると思う。83才になってもこの体験ができるグランドゴルフは素晴らしい競技だと思う。
14日~15日は千葉県白子町で、一泊で大会が開催された。
牛久9時発。11時、旅館着。昼食・休憩後プレー。4時プレー終了。5時から表彰式と宴会(写真)翌日、午前プレー。昼食後白子出発。帰りのバスは白子名産、初たまねぎで一杯だった。14日のプレーは4位、15日のプレーは8位だった。
一泊ゴルフはいつもと違うグランドでプレーする楽しみと、宴会等を通じてメンバーと親睦を深めることもできる。参加費は一泊、プレー代、4回の食事代を含めて16,000円。費用は年々高騰しており、参加者は減少の傾向にある。幹事の方の心労は大きい。


2025年5月17日土曜日

東京の弁護士事務所訪問

12日(月)12時30分、義弟が迎えに来た。
迎えの車は運転手付きレクサスである。行先、昨年は箱根だったが、今回は東京である。「東京の弁護士事務所に行くので同道して欲しい」という。つくば・牛久インターから常磐道に乗る。
係争中の案件が、山場を迎えているので、一般人の立場から助言して欲しいということだった。私も東京の弁護士事務所に行くなどという機会は人生でありえないことなので、同道したしだいである。(同道するのはいいが、このような場合、着るものに困る。60才で退職してから背広は新調していないし、革靴もほとんど履いたことがない)
車は順調に走り、2時には銀座に到着する。約束の時間は3時30分である。「大分時間がありますのでお茶でも飲みましょう」。義弟は帝国ホテルのラウンジに入る。現役の頃同ホテルを使用したことがある。当時は交際費だったので料金は気にしたことがなかった。ラウンジのメニューを見る。ブレンドコーヒー、2,500円。さすが帝国ホテルである。
弁護士事務所は帝国ホテルの近く、有楽町のビルの中にあった。
義弟は開口一番「今回の案件は固くならず、楽しくやりましょう」「そう言っていただけば私も助かります」と弁護士は答える。さすが大物同志である。弁護士先生の聞き上手に驚く。これに乗って義弟は時にはテーブルを叩いて熱弁を奮う。打合せは予定時間を一時間オーバーして6時30分に終了。話合いの大部分は世間話である。と、いっても世間のレベルが違う。経済界、政界の話。「ところで、今回の案件のキーポイントについてどうお考えですか」と私はやっと一言。大物2人はご心配なく。という表情である。
帰りの車の中で「今回の案件はやり易いと先生が言っていたので一安心です」と義弟。因みに先生は東大・法科の出身だそうだ。
(写真は帝国ホテル・玄関)

2025年5月11日日曜日

本屋大賞「カフネ」、売上げ5億円。作者・阿部暁子さん

 書店の店頭に2025年「カフネ」という本が山積みとなっていた。2025年度本屋大賞受賞、売上32万部突破とある。5月の連休に読んでみる気になった。300頁、1日30頁のペースで読み進める。83才の小生にとって、読書は登山と同じである。休みやすみ、フーフーいいながら読み進める。

最愛の夫を失った主人公、薫子が、弟の元恋人せつなの「家事代行サービス」を手伝うというストーリーである。2人とも子供がいない。私から見ると、不幸な女性2人の生様である。せつなが依頼先の要求に合せ、ある時は要求を読み取って、提供する料理のレシピの多様さ、手際の良さに圧倒される。いがみ合っていた2人も「食」を通じて理解を深め寄り添う。読後、知らなかった女の世界を垣間見た気がした。女と男は違う生き物であり、尊敬すべき生き物だということを痛感した。

「本屋大賞」というのは全国の書店の店員さんが選んだ「一番売りたい本」だそうである。32万部売れたということはどういうことだろう。「カフネ」は定価1,870円である。これに32万をかけると、5億円を超える。これは凄い。作者に10%の印税が入るとして、5千万円になる。その他、原稿料が入るのかもしれない。

作者は阿部暁子さんとある。阿部さんとはどんな方だろう。阿部暁子(あべあきこ)1985年、岩手県花巻市出身とある。2003年第18回全国高等學校文芸コンクール小説部門最優秀賞・文部科学大臣奨励賞、2008年に「いつまでも」で第17回ロマン大賞受賞し、コバルト文庫からプロデビューとある。






2025年5月3日土曜日

最大のライバル、マクセル元社長さんにお目にかかる

 カセットはオランダのフィリップスが考案したものだが、日本のテレコメーカーとテープメーカーに特許を無償公開した。会話の録音しかできなかった品質を音楽用に向上させたのは
TDK、マクセルといった日本のメーカーだった。TDKにとって、マクセルは最大のライバルだった。昨日、カセットビジネスの余韻が残っていた頃、マクセルの社長さんだった赤井紀男さんにお目にかかった。赤井さん、1940年生まれ。私より2年先輩だが、その若々しさに驚いた。(写真、左から畠山、赤井さん、吉野さん)赤井さんは語る「フィリップスからテープメーカーはソニーとTDKの2社で良い。といわれ、驚いて羽田空港までフィリップスの担当者を追いかけて、マクセルの技術力を訴えた。アレがなかったら今のマクセルはありませんでした」隠れたエピソードに感動した。
赤井さんを紹介して下さったのはTDK・OBの増田尚三さん。赤井さんと増田さんは守谷市自治会の役員仲間だという。増田さんは肖像画のプロである。(写真・右、増田さんの作品)増田さんからTDK同期の吉野宏さんに話があり、吉野さんのお誘いで、赤井さんにお目にかかることができたのであった。
「今度ゴルフをやりましょう」ということになったが、120タタキの私は大いに当惑している。

2025年4月29日火曜日

トットちゃんの宝物、TDKカセット

 4月20日、NHK・BSテレビで「トットちゃんの宝物」という番組が放送された。
トットちゃんとは「徹子の部屋」で有名な黒柳徹子さんである。
この番組を見ていて驚いたのは宝物に「TDKカセット」がでてきたことである。
当時、私はTDKカセットテープの商品企画を担当していたのである。
トットちゃんにとっての宝物は、このカセットに録音されていた有名人の声である。その主とは誰だろう。渥美清さんだった。当時、トットちゃんは渥美さんにビスケットケーキの作り方を伝授していたという。渥美さんが留守録音機に、そのお礼のメッセージを残しておいたのである。そのメッセージがTDKカセットに録音されていたあのである。
ところで、このカセット、普通のカセットではなくマイクロカセットである。1969年(昭和44)の発売である。
番組の中でトットちゃんは5つの宝物を紹介した。①坂本九さんからいただいた九さん手づくりのぐい吞み②越路吹雪さん形見分けの使いかけの美容クリーム(越路さんの指跡あり)③渥美清さんの留守電話へのメッセージ④トットちゃんご自身が撮影した王貞治さんの手⑤森光子さんからいただいた着物とFAX。
トットちゃんは最後に、本当の宝物は5つの宝物に因んだ今は亡き方々との「想いでです」と締めくくった。

2025年4月26日土曜日

カード不正使用!警察に届けて下さい!

4月11日、カード会社から4月28日支払い金額の案内がきた。¥24,924とある。明細表を見ると、3月4日付けでエアーウェイズの名前で¥16,180というのがある。エアーウェイズという名前は聞いたことがない。そんな名前の店にも行ったことがない。
不正使用を防止するためカード会社にメールをして①パスワードの変更をしようとしたが、なぜかうまくいかない。②エアーウェイズの支払いについて問い合わせたら「直接お客様の方でお問合せ下さい」とのこと。
エアーウェイズの連絡先をネットで調べて☎したところ、中々通じない。通じたら20秒ごとに10円かかるとのこと。係の人の話で空港会社ということが判明。係の方から、カード会社からの請求画面を送信するようにとの要請。スマホで簡単に送る方法があるらしいが、知らないのでスマホで画面を撮影してパソコンで送信。暫く待っていると「不正使用であることがわかりました。ただし、警察に届けて下さい。警察の要請があれば不正使用者とコンタクトをとります」とのこと。この間、エアーウェイズと3時間ほど要した。
14日、東京にでかける用件があったので、豊洲にあるカード会社を訪れる。(写真は豊洲のビジネス街)面談で説明してくれると思っていたら、驚いたことに携帯電話による説明だった。「警察に届ける必要があるかどうかも含めてショートメールでお答えします」とのことだった。15日、スマホに回答が届いた。「エアーウェイズの支払いは止めました」との内容。ホッとした。同日。本人確認の再申請書をカード会社に速達で送る。16日、カード会社より新カード到着。新パスワードへの切替も無事終了して一段落。
①エアウェイズの支払いは中止となり②新カードへの切替も無事済んだが、来月の電話代は5~6千の上乗せになりそう。83才の私にとってスマホ、パソコンによる対応は大変だった。


2025年4月22日火曜日

まんず、おもしぇがった!首都圏秋田県人会

 20日(日)12:00から市ヶ谷で「首都圏秋田県人会」開催。会費1万円。参加者120名。
懇親会の冒頭。秋田県民歌唱和には驚きました。なにしろ、秋田をでて63年。あわてて、歌詞を見る。「秀麗無比なる鳥海山よ、狂乱吼えたつ男鹿半島よ、神秘の十和田は田沢とともに・・・」。なかなか素敵な歌詞である。
秋田県東京事務所代表の挨拶にまた驚く。「秋田県は30年で人口が30万名減少しました」人口減少県のトップレベルとは聞いていたが、30年で30万名となるとこの先が心配である。
隣の席の方は近藤さん、山本郡三種(みたね)町のふるさとPR大使とのこと。今年80才。秋田高校から早稲田大学に進み、古河電工に入社されたというから秋田のエリートである。私の名刺を見て「TDK?へえ、秋田に工場があるの?へえ、なんでこんな不便な秋田に工場を建てたの?」「実はTDKを作ったのはにかほ市出身の斎藤憲三さんなんです」「へえ」。秋田の
ご出身の方であれば、誰でもTDKのことは知っていると思ったら、とんでもない。驚きました。古河財閥のトップ企業からみれば、TDKなんて駆け出しの新米企業なのだろう。これから秋田民謡もはじまり、宴たけなわといったところで「へばまた(またあいましょう)」と皆さんに挨拶して退散。
神奈川にある鶴巻温泉病院に向かう。山北に住んでいる弟が3月25日、脳内出血を発症。同病院でリハビリ中なのである。幸い元気で2週間くらいで退院できそう、とのこと。弟は今年古希。退院したら車の免許証は返上するが、酒はほどほどであればいけるという。快気祝で一杯やるのが楽しみである。

2025年4月15日火曜日

「地球はなぜ丸いのか」日本の知性派の総意が生み出した名曲・名演奏

 14日18:30~東京・赤坂サントリーホールで「六本木男性合唱団ZIG-ZAG25周年記念公演」「三枝成彰・最後の手紙・カンタータ天涯」のコンサートがあった。
プログラムを開くと、合唱団OBとして俳優の奥田瑛二・辰巳琢郎、小説家の島田雅彦、アナウンサーの露木茂、政治家の鳩山由紀夫・林芳正が名を連ねている。
「最後の手紙」は戦争の悲惨さを描いた作品だった。「カンタータ天涯」は第1曲「なぜ、地球は丸いか知っている?別れた人同士がまた何処かで出会えるように、神様が地球を丸くしたからだよ」というボーイソプラノの清冽な歌声ではじまる。最終第8曲はベートーベンの第9「苦悩をつきぬけて歓喜へ」を想起させる壮大さだった。作詞・島田雅彦、作曲・三枝成彰、指揮・大友直人、管弦楽・新日本フィル、他
「カンタータ天涯」には(自由人の祈り)という副題がついており、~世界よりも宇宙よりも広い果てしない空間。~故 盛田昭夫氏に捧ぐ。とある。この作品は、ソニー創業者の一人であり名誉会長だった盛田昭夫氏(写真)のご遺族の委嘱で作られたもので、作詞・作曲はご遺族が語った盛田氏の生きざまや足跡をもとにして作られたという。日本の知性派の総意が生み出した名曲であり、名演奏だと感じた。
この日は昼前に家をでて、13時、江東区豊洲にある三井住友カード本社を訪問。カードが不正使用にあったためである。驚いたことに対応は面談ではなく担当者からの電話だった。わざわざ会社に伺ったのに・・・。やがて対応はAIロボットに変わる予感がした。
15:30分、上野公園・スターバックスで生き残った高校時代の知性派と久々の懇談。新聞部長だった伊藤君のお嬢さんも参加された。