2025年6月19日木曜日

葉梨衆議院議員、令和の米騒動についてコメント

 
10日(火)、佐藤則男さんにお目にかかる。コロムビア大学卒業。2015年、講談社から「なぜヒラリークリントンを大統領にしないのか」を出版。体調が悪そう。お元気な間に混乱が続く米国にメスを入れた本を出版して欲しい。奥様は国連勤務。共著であれば興味深いものになると思う。
13日(金)刈谷シニアクラブのバス研修旅行で東京へ。国会で葉梨衆議院議員にお目にかかった。(写真・右)現在「農林水産委員会筆頭理事」の任にあり多忙とのこと。令和の米騒動について、こうコメントした。「5キロ4千円~
5千円ではまりにも高すぎる。小泉大臣が備蓄米を随意契約して、小売店に早く届ける手法をとっている。緊急措置として評価している。銘柄米を5キロ、3千円台でソフトランディングさせたいと考えている。その方針のもとに小泉大臣にはJA、卸業者と調整して欲しいと要請している」
JAのトップは「今の4千円から5千円の価格は高くない」とコメントし、非常識だと感じていたので、葉梨議員のコメントにホッとした。
国会の後、迎賓館を見学した。(写真・左)その豪華さには驚いたが、外国の要人には日本国民の庶民の生活も見て欲しい。
14日(土)15日の「父の日」を前に娘と息子からプレゼントが届いた。娘からは素敵なシャツ。息子からは秋田の地酒セット。(写真・右下)これからも元気で頑張らなければと思った。


2025年6月12日木曜日

東工大(TDK)対 大阪大(ソニー)

6月5日、発売になった「ステレオ時代」neo9号に「日本生まれのコバルト磁性体、ハイポジション新時代」という特集企画が掲載された。カセットテープは1966年、日本で発売された。この頃、音を記録するための磁性体はガンマ酸化鉄だった。しかし、この磁性体ではいくら改良してもFM放送の高域周波数帯域をカバーすることができなかった。これを克服したのが、アメリカのデュポン社が開発した二酸化クロム磁性材を使用したクロムテープだった。しかし、クロムテープを生産するためには数億円の特許料をデュポン社に払わなくてはならない。しかもク
ロムテープには中低域の出力が足りないという欠点があった。つまりハイ上がりの音だった。日本のメーカーはクロムに対抗するために、クロム磁性材を使用しない新しい磁性材を開発する。これがガンマ酸化鉄で不足していた高域をカバーしたコバルト磁性体だった。1975年TDK、1976年マクセル、1978年ソニーが相次いでコバルト系、ハイポジションテープを発売する。「ステレオ時代」ではTDKとソニーでコバルト系の磁性
体を開発した技術者にインタビューしている。TDKの技術者は梅木信治さん。(写真・右)東工大出身。大学時代から磁性体薄膜をメッキする方法を研究していた。この手法を応用してコバルトを磁性膜に被着させた。ソニーの技術者は北川正隆さん。(写真・左)大阪大学物理学修士課程卒。ソニーに入社し、テープを製造している仙台工場への配属を命じられた時は「騙されたな」と思ったそうだ。
塩化コバルトの投入方法を工夫して商品化にこぎ着けた。
畠山はクロムという黒船の到来に対して国産化で対抗しようと決断したTDKの経営判断の背景とマーケティング戦略について語っている。



2025年6月5日木曜日

長嶋茂雄さん追悼。ブログ(2025/1)再録&ローマでお目にかかる。

  

1月11日、NHKテレビで「長嶋茂雄の世紀」が放送された。

長嶋茂雄、1936年、千葉県佐倉市生まれ。愛称は「ミスタージャイアンツ」。同時代に活躍した王貞治とはともに「ON砲」と称され、2人のバッティングは巨人のⅤ9に貢献した。日本のプロ野球において400本塁打・2000安打の同時達成は大卒では史上初。NPB最多記録となる最多安打を10回獲得。セ・リーグ最多記録となる首位打者を6回獲得した。
ルーキーの1958年、3番サードで先発出場。国鉄のエース金田正一に4打席連続三振を喫した。その全てが渾身のフルスィングだった。1959年天覧覧試合では、4対4で迎えた9回裏、先頭打者の長嶋が阪神の2番手、村山実からサヨナラ本塁打を放つ。1968年、阪神とのダブルヘッター第2試合、4回裏、権藤投手が王選手の後頭部にデットボール。次打席の長嶋は33号の3ランを放つ。さらに8回に2ランを放つ。長嶋の仇討ちといわれる。この3つのできごとは長嶋伝説として語り継がれている。
 その長嶋がどうしてアメリカのメジャーリーグに行かなかったか?1966年、日米野球で来日したドジャースのオマリー会長が「長嶋を譲って欲しい。2年間でいい」。しかし、正力松太郎読売新聞社主は「長嶋がいなくなると、日本の野球は10年遅れる」と断った。元祖・大谷翔平ともいえる長嶋茂雄はメジャーリーグに行くことができなかった。

1987年、世界陸上ローマ大会が開催された。TDKはこの大会のゼッケンスポンサーだった。大会期間中、私は同大会の担当としてローマに滞在した。同大会の模様は日本テレビを通じて日本に生中継された。番組のMⅭを担当されたのは長嶋茂雄さんだった。長嶋さんの謙虚で誠実なお人柄は心に沁みた。(写真上。左から小生、長嶋さん。徳田さん)

2025年6月3日火曜日

「続・ソニー盛田会長との200年の誓い」(2/2)ウソのない社会の為に。

 続編には法廷におけるソニーの証言についての検証結果が記載されている。
ソニーはソニー神社は常陸国出雲大社の高橋宮司に依頼したものではない等の証言をしているが、高橋宮司は全てウソの証言だと語っている。
その一例が、神社の地下に埋められた、盛田会長の「大願意」(写真・左)である。①ここに書かれている盛田昭夫の署名は「本人の筆跡ではないように思われる」と証言している。ソニーともあろう会社が創業者の筆跡を確定せずに証言するというのは不思議である。本人のものでないとしたら、誰がなんのために書いたのか。②と、いいながら、「盛田会長は一人で大願意
を書いた」と証言している。一人で書いたのであれば、本人が書いたものに違いない。③書いた日について「10月19日」と証言しているが、大願意には9月22日と記されている。
このような支離滅裂な証言をソニーはしているのである。この証言について裁判官はなんの質問もせず、その証言を是として裁定を下しているのである。高橋宮司が怒るのは当然だろう。
高橋宮司は裁判に敗れたが、結論ありきと思われる杜撰な裁判の実態を記録を残すべきだという信念のもとにこの本を出版した。高橋宮司は裁判から本の出版まで1千万円を超える私費を投じている。ウソのない当たり前の社会になるのであれば本望だという。それは盛田会長の願いでもあるという。(ソニー神社で創業者の慰霊を敬う盛田会長・写真右)

2025年5月31日土曜日

「続・ソニー盛田会長との200年の誓い」遂に出版(1/2)

 5月27日、「続・ソニー盛田会長との200年の誓い」が遂に発売となった。
この本、初版が発売になったのは2022年12月である。
笠間市にある常陸国出雲大社の高橋宮司は元・ソニー盛田会長から「ソニー神社」の建立を依頼される。ソニー誕生に携わった社員861名の御魂を弔うためである。しかし、この神社は後継経営者によって取り壊される。高橋宮司は神社の再建を求めて提訴。しかし、敗訴する。裁判所はソニーの資金によって建立したものなのでソニーが取り壊しても違法ではないと判断した。この裁判で、ソニーはそもそも神社の建立は高橋宮司に依頼したものではなく島根の出雲大社に依頼したものである。神社の地下に埋もれていた盛田会長の神社建立を願う「大願意」は盛田会長が書いたものではない。などと主張する。
続編で、高橋宮司は常陸国出雲大社の奇跡的な発展を語るとともに、裁判におけるソニーの証言は偽証であると数々の検証をもとに語る。
私は高橋宮司の依頼で初版に続いて続編の監修に当った。本の内容が天下のソニーの告発を含んでいるため、無事出版できるかどうか心配だった。
5月8日、アマゾンを検索した。“「続・ソニー会長との200年の誓い」予約開始”の告知を
発見!この時は本当に嬉しかった。日本は民主主義の国であることを実感した。
高橋宮司は私に語った。「ソニー神社は島根の出雲大社に依頼したもので、あなたは島根の代理人に過ぎない。というソニーのウソの証言は許せない。事実を後世に残すために本を出すのです」と。



2025年5月24日土曜日

グランドゴルフ心技一体、2度目のオール2打賞達成

 私が所属する牛久グランドゴルフクラブでは練習日にワンプレイ(8ホール)で、ホールインワンが3回でると「ダイヤモンド賞」、各ホールを全て2打で回ると「オール2打賞」が出る。16日、「オール2打賞」を達成した。「オール2打賞」はチーム全体で年に10回ほどでる。40名の会員がいるので、会員一人当たり4年に一回は達成できる勘定になる。私が前回「オール2打賞」を達成したのは昨年の1月だった。幸運である。
グランゴルフのコースの長さは15m×2、25m×2、30m×2、50m×2の8ホール。16日の最終プレイ。どのコースも第1打がホールポストの2m以内に着いた。こういう時は心技一体。50%はツキもある。6ホール目まで2打が続くと、最後の2ホールはさすがに意識する。程よい緊張感の中、無我の境地でボールを打つ。
この境地はプロ、アマチュアに関係なく、競技の種類にも関係なく共通したものであると思う。83才になってもこの体験ができるグランドゴルフは素晴らしい競技だと思う。
14日~15日は千葉県白子町で、一泊で大会が開催された。
牛久9時発。11時、旅館着。昼食・休憩後プレー。4時プレー終了。5時から表彰式と宴会(写真)翌日、午前プレー。昼食後白子出発。帰りのバスは白子名産、初たまねぎで一杯だった。14日のプレーは4位、15日のプレーは8位だった。
一泊ゴルフはいつもと違うグランドでプレーする楽しみと、宴会等を通じてメンバーと親睦を深めることもできる。参加費は一泊、プレー代、4回の食事代を含めて16,000円。費用は年々高騰しており、参加者は減少の傾向にある。幹事の方の心労は大きい。


2025年5月17日土曜日

東京の弁護士事務所訪問

12日(月)12時30分、義弟が迎えに来た。
迎えの車は運転手付きレクサスである。行先、昨年は箱根だったが、今回は東京である。「東京の弁護士事務所に行くので同道して欲しい」という。つくば・牛久インターから常磐道に乗る。
係争中の案件が、山場を迎えているので、一般人の立場から助言して欲しいということだった。私も東京の弁護士事務所に行くなどという機会は人生でありえないことなので、同道したしだいである。(同道するのはいいが、このような場合、着るものに困る。60才で退職してから背広は新調していないし、革靴もほとんど履いたことがない)
車は順調に走り、2時には銀座に到着する。約束の時間は3時30分である。「大分時間がありますのでお茶でも飲みましょう」。義弟は帝国ホテルのラウンジに入る。現役の頃同ホテルを使用したことがある。当時は交際費だったので料金は気にしたことがなかった。ラウンジのメニューを見る。ブレンドコーヒー、2,500円。さすが帝国ホテルである。
弁護士事務所は帝国ホテルの近く、有楽町のビルの中にあった。
義弟は開口一番「今回の案件は固くならず、楽しくやりましょう」「そう言っていただけば私も助かります」と弁護士は答える。さすが大物同志である。弁護士先生の聞き上手に驚く。これに乗って義弟は時にはテーブルを叩いて熱弁を奮う。打合せは予定時間を一時間オーバーして6時30分に終了。話合いの大部分は世間話である。と、いっても世間のレベルが違う。経済界、政界の話。「ところで、今回の案件のキーポイントについてどうお考えですか」と私はやっと一言。大物2人はご心配なく。という表情である。
帰りの車の中で「今回の案件はやり易いと先生が言っていたので一安心です」と義弟。因みに先生は東大・法科の出身だそうだ。
(写真は帝国ホテル・玄関)

2025年5月11日日曜日

本屋大賞「カフネ」、売上げ5億円。作者・阿部暁子さん

 書店の店頭に2025年「カフネ」という本が山積みとなっていた。2025年度本屋大賞受賞、売上32万部突破とある。5月の連休に読んでみる気になった。300頁、1日30頁のペースで読み進める。83才の小生にとって、読書は登山と同じである。休みやすみ、フーフーいいながら読み進める。

最愛の夫を失った主人公、薫子が、弟の元恋人せつなの「家事代行サービス」を手伝うというストーリーである。2人とも子供がいない。私から見ると、不幸な女性2人の生様である。せつなが依頼先の要求に合せ、ある時は要求を読み取って、提供する料理のレシピの多様さ、手際の良さに圧倒される。いがみ合っていた2人も「食」を通じて理解を深め寄り添う。読後、知らなかった女の世界を垣間見た気がした。女と男は違う生き物であり、尊敬すべき生き物だということを痛感した。

「本屋大賞」というのは全国の書店の店員さんが選んだ「一番売りたい本」だそうである。32万部売れたということはどういうことだろう。「カフネ」は定価1,870円である。これに32万をかけると、5億円を超える。これは凄い。作者に10%の印税が入るとして、5千万円になる。その他、原稿料が入るのかもしれない。

作者は阿部暁子さんとある。阿部さんとはどんな方だろう。阿部暁子(あべあきこ)1985年、岩手県花巻市出身とある。2003年第18回全国高等學校文芸コンクール小説部門最優秀賞・文部科学大臣奨励賞、2008年に「いつまでも」で第17回ロマン大賞受賞し、コバルト文庫からプロデビューとある。






2025年5月3日土曜日

最大のライバル、マクセル元社長さんにお目にかかる

 カセットはオランダのフィリップスが考案したものだが、日本のテレコメーカーとテープメーカーに特許を無償公開した。会話の録音しかできなかった品質を音楽用に向上させたのは
TDK、マクセルといった日本のメーカーだった。TDKにとって、マクセルは最大のライバルだった。昨日、カセットビジネスの余韻が残っていた頃、マクセルの社長さんだった赤井紀男さんにお目にかかった。赤井さん、1940年生まれ。私より2年先輩だが、その若々しさに驚いた。(写真、左から畠山、赤井さん、吉野さん)赤井さんは語る「フィリップスからテープメーカーはソニーとTDKの2社で良い。といわれ、驚いて羽田空港までフィリップスの担当者を追いかけて、マクセルの技術力を訴えた。アレがなかったら今のマクセルはありませんでした」隠れたエピソードに感動した。
赤井さんを紹介して下さったのはTDK・OBの増田尚三さん。赤井さんと増田さんは守谷市自治会の役員仲間だという。増田さんは肖像画のプロである。(写真・右、増田さんの作品)増田さんからTDK同期の吉野宏さんに話があり、吉野さんのお誘いで、赤井さんにお目にかかることができたのであった。
「今度ゴルフをやりましょう」ということになったが、120タタキの私は大いに当惑している。

2025年4月29日火曜日

トットちゃんの宝物、TDKカセット

 4月20日、NHK・BSテレビで「トットちゃんの宝物」という番組が放送された。
トットちゃんとは「徹子の部屋」で有名な黒柳徹子さんである。
この番組を見ていて驚いたのは宝物に「TDKカセット」がでてきたことである。
当時、私はTDKカセットテープの商品企画を担当していたのである。
トットちゃんにとっての宝物は、このカセットに録音されていた有名人の声である。その主とは誰だろう。渥美清さんだった。当時、トットちゃんは渥美さんにビスケットケーキの作り方を伝授していたという。渥美さんが留守録音機に、そのお礼のメッセージを残しておいたのである。そのメッセージがTDKカセットに録音されていたあのである。
ところで、このカセット、普通のカセットではなくマイクロカセットである。1969年(昭和44)の発売である。
番組の中でトットちゃんは5つの宝物を紹介した。①坂本九さんからいただいた九さん手づくりのぐい吞み②越路吹雪さん形見分けの使いかけの美容クリーム(越路さんの指跡あり)③渥美清さんの留守電話へのメッセージ④トットちゃんご自身が撮影した王貞治さんの手⑤森光子さんからいただいた着物とFAX。
トットちゃんは最後に、本当の宝物は5つの宝物に因んだ今は亡き方々との「想いでです」と締めくくった。

2025年4月26日土曜日

カード不正使用!警察に届けて下さい!

4月11日、カード会社から4月28日支払い金額の案内がきた。¥24,924とある。明細表を見ると、3月4日付けでエアーウェイズの名前で¥16,180というのがある。エアーウェイズという名前は聞いたことがない。そんな名前の店にも行ったことがない。
不正使用を防止するためカード会社にメールをして①パスワードの変更をしようとしたが、なぜかうまくいかない。②エアーウェイズの支払いについて問い合わせたら「直接お客様の方でお問合せ下さい」とのこと。
エアーウェイズの連絡先をネットで調べて☎したところ、中々通じない。通じたら20秒ごとに10円かかるとのこと。係の人の話で空港会社ということが判明。係の方から、カード会社からの請求画面を送信するようにとの要請。スマホで簡単に送る方法があるらしいが、知らないのでスマホで画面を撮影してパソコンで送信。暫く待っていると「不正使用であることがわかりました。ただし、警察に届けて下さい。警察の要請があれば不正使用者とコンタクトをとります」とのこと。この間、エアーウェイズと3時間ほど要した。
14日、東京にでかける用件があったので、豊洲にあるカード会社を訪れる。(写真は豊洲のビジネス街)面談で説明してくれると思っていたら、驚いたことに携帯電話による説明だった。「警察に届ける必要があるかどうかも含めてショートメールでお答えします」とのことだった。15日、スマホに回答が届いた。「エアーウェイズの支払いは止めました」との内容。ホッとした。同日。本人確認の再申請書をカード会社に速達で送る。16日、カード会社より新カード到着。新パスワードへの切替も無事終了して一段落。
①エアウェイズの支払いは中止となり②新カードへの切替も無事済んだが、来月の電話代は5~6千の上乗せになりそう。83才の私にとってスマホ、パソコンによる対応は大変だった。


2025年4月22日火曜日

まんず、おもしぇがった!首都圏秋田県人会

 20日(日)12:00から市ヶ谷で「首都圏秋田県人会」開催。会費1万円。参加者120名。
懇親会の冒頭。秋田県民歌唱和には驚きました。なにしろ、秋田をでて63年。あわてて、歌詞を見る。「秀麗無比なる鳥海山よ、狂乱吼えたつ男鹿半島よ、神秘の十和田は田沢とともに・・・」。なかなか素敵な歌詞である。
秋田県東京事務所代表の挨拶にまた驚く。「秋田県は30年で人口が30万名減少しました」人口減少県のトップレベルとは聞いていたが、30年で30万名となるとこの先が心配である。
隣の席の方は近藤さん、山本郡三種(みたね)町のふるさとPR大使とのこと。今年80才。秋田高校から早稲田大学に進み、古河電工に入社されたというから秋田のエリートである。私の名刺を見て「TDK?へえ、秋田に工場があるの?へえ、なんでこんな不便な秋田に工場を建てたの?」「実はTDKを作ったのはにかほ市出身の斎藤憲三さんなんです」「へえ」。秋田の
ご出身の方であれば、誰でもTDKのことは知っていると思ったら、とんでもない。驚きました。古河財閥のトップ企業からみれば、TDKなんて駆け出しの新米企業なのだろう。これから秋田民謡もはじまり、宴たけなわといったところで「へばまた(またあいましょう)」と皆さんに挨拶して退散。
神奈川にある鶴巻温泉病院に向かう。山北に住んでいる弟が3月25日、脳内出血を発症。同病院でリハビリ中なのである。幸い元気で2週間くらいで退院できそう、とのこと。弟は今年古希。退院したら車の免許証は返上するが、酒はほどほどであればいけるという。快気祝で一杯やるのが楽しみである。

2025年4月15日火曜日

「地球はなぜ丸いのか」日本の知性派の総意が生み出した名曲・名演奏

 14日18:30~東京・赤坂サントリーホールで「六本木男性合唱団ZIG-ZAG25周年記念公演」「三枝成彰・最後の手紙・カンタータ天涯」のコンサートがあった。
プログラムを開くと、合唱団OBとして俳優の奥田瑛二・辰巳琢郎、小説家の島田雅彦、アナウンサーの露木茂、政治家の鳩山由紀夫・林芳正が名を連ねている。
「最後の手紙」は戦争の悲惨さを描いた作品だった。「カンタータ天涯」は第1曲「なぜ、地球は丸いか知っている?別れた人同士がまた何処かで出会えるように、神様が地球を丸くしたからだよ」というボーイソプラノの清冽な歌声ではじまる。最終第8曲はベートーベンの第9「苦悩をつきぬけて歓喜へ」を想起させる壮大さだった。作詞・島田雅彦、作曲・三枝成彰、指揮・大友直人、管弦楽・新日本フィル、他
「カンタータ天涯」には(自由人の祈り)という副題がついており、~世界よりも宇宙よりも広い果てしない空間。~故 盛田昭夫氏に捧ぐ。とある。この作品は、ソニー創業者の一人であり名誉会長だった盛田昭夫氏(写真)のご遺族の委嘱で作られたもので、作詞・作曲はご遺族が語った盛田氏の生きざまや足跡をもとにして作られたという。日本の知性派の総意が生み出した名曲であり、名演奏だと感じた。
この日は昼前に家をでて、13時、江東区豊洲にある三井住友カード本社を訪問。カードが不正使用にあったためである。驚いたことに対応は面談ではなく担当者からの電話だった。わざわざ会社に伺ったのに・・・。やがて対応はAIロボットに変わる予感がした。
15:30分、上野公園・スターバックスで生き残った高校時代の知性派と久々の懇談。新聞部長だった伊藤君のお嬢さんも参加された。


2025年4月7日月曜日

桜満開!人生も満開!


今日(7日)は朝8:30分からグランドゴルフ。グランドの桜は満開だった。
昼、帰宅してパソコンに向かう。パソコンのある書斎は書類で足の踏み場もない。(写真・左)2年がかりで監修している「ソニー盛田会長との200年の誓い」続編が校正の段階まで辿りついた。校正の確認作業でアチコチの書類をひっかきまわしている最中なのである。自画自賛になるが、この本多岐にわたる編集内容で読み応え十分。出版されたら話題になるに違いない。5月下旬出版予定である。
週末、11日はTDK本社である。「ステレオ時代」誌の取材がある。テーマはカセットテープ。もう終だろうと毎年思うのだが取材の声がかかる。それだけカセットテープは人生にかかせなかったもののようだ。カセットテープの磁性材を開発された技術の大先輩がメインなのだが、私は当時商品企画を担当しており聴感評価にかかわっていた。現在、私の聴力は加齢によって劣化。テレビを見る時、字幕に頼っているという情けない現状である。
14日はサントリーホールで六本木男性合唱団25周年記念コンサートがある。演奏曲目は三枝成彰作曲「最後の手紙」とカンタータ「天涯」である。カンタータ「天涯」はソニー盛田会長に因んだ作品のようである。盛田さんの戒名は「天涯」なのである。本の監修者として聴くべきだと思った。
20日は「首都圏秋田県人会連合会総会&懇親会」知らない方がほとんどだが、ンダンダとうなずきながら同郷人と飲む酒は格別である。

2025年3月29日土曜日

心洗われるワーグナーの楽劇/東京・春・音楽祭

東京・上野で「東京・春・音楽祭」というイベントが開催されている。
桜咲く春の上野を舞台に東京の春の訪れを祝う日本最大級のクラシック音楽の祭典である。3月14日~4月20日にかけて上野公園の各施設(東京文化会館、各美術館、博物館等)を拠点に国内外のアーチストによるオペラ、オーケストラ、室内楽などの演奏会が行われている。実行委員長は国や東京都ではなく、鈴木幸一さんというインターネット関連メーカーの会長さん。いわゆる民間主導の音楽祭であり、クラシックファンとしては鈴木さんに感謝感激である。
3月27日、ワーグナーの楽劇「パルジファル」(演奏会形式)の公演に足を運んだ。昨年、満を持してチケットを購入した。A席¥22,500だった。
ワーグナーの楽劇(オペラ)は何しろ長い。開演午後3時、終演は夜の8時である。舞台神聖劇「パルジファル」はワーグナー最後の楽劇。筋書は「官能に負けて傷ついた王を無垢で愚かなパルジファルが聖槍によって治し、新しい王になる」。ワーグナーは欲に負けない無欲の人間の方が天(神)に通じるということを表現したかったのだと思う。
指揮は今年86才のワーグナー指揮界の巨匠ヤノフスキ―。オーケストラはNHK交響楽団。三階正面席で聴くこのコンビのワーグナーサウンドは素晴らしかったです。美しい聖なるサウンドに異次元の世界に浸った5時間でした。歌手陣もすばらしかった。ただ小生83才。字幕が読めず、オペラグラスをはじめて使用しました。

2025年3月24日月曜日

8月大相撲牛久場所。大の里は横綱。高安は大関返り咲!期待。

 大相撲春場所後半戦は牛久在住の小生にとって正に手に汗握る日々だった。
牛久市は横綱・稀勢の里の出身地である。牛久駅東口には稀勢の里の手形を刻んだ石碑がある。隣町・阿見町には稀勢の里が親方を務める二所ノ関部屋の道場がある。(写真・右)この道場の出世頭が大関・大の里である。大の里は石川県の出身だが、私にとっては地元力士なのである。阿見町の隣、土浦市は高安の出身地である。
 
春場所、大の里の活躍は当初から期待していたが、35才になる高安の活躍は想定外だった。10日目まで9勝1敗。これなら悲願の初優勝なるかと思ったが、11日に霧島に敗れ9勝2敗。またダメかと思ったが、13日は鬼の形相で若元春を突き出し(写真・読売新聞)。これならいけると思っていたら14日、美ノ海に負け3敗で大の里と並ぶ。ここでダメだと思ったが、千秋楽、難敵、阿炎を倒し、大の里との優勝決定に持ち込む。決定戦で大の里に負けたが、地力と若さで勝る大の里を相手に善戦した。春場所は高安の相撲人生の白眉だったと思う。
地元力士の活躍もあり、8月には大相撲牛久場所が開催される。稀勢の里が親方として、大の里がナンバーワン実力者として故郷に錦を飾ることになる。8月、大の里が横綱になっている可能性もある。高安が大関に返り咲いているかもしれない。そのためには5月、7月場所で、両力士とも優勝するなどの好成績が必要となる。頑張って欲しい。牛久場所のチケット、¥10,000~¥19,000と高額であるが、ほぼ売り切れらしい。




2025年3月18日火曜日

母三回忌。新幹線「秋田こまち」連結不良に遭遇。


母の三回忌が3月13日(木)秋田の実家で行われた。
当日、牛久発の始発5:36分発に乗車。上野発7:38分発の東北新幹線「はやぶさ」に乗車するので、6時台の電車でも間に合うのだが、大事をとって、早目に上野まで行くことにした。JR不信でもある。
通常であれば上野発7:38「はやぶさ」には秋田新幹線「こまち」が連結されており、上野から秋田まで、乗り換える必要がないのだが、連結不良が確認されたため、盛岡まで「はやぶさ」で行き、盛岡で「こまち」に乗ることになったのである。(14日から連結不良が解除された。もうⅠ日早ければ良かったのに・・・)
母は2023年3月13日、105才で亡くなった。
母は本当に良妻賢母だった。母の実家である板垣家は多くの山林を有する資産家だった。しかし、父は質素倹約に務めた。仕事着を締めるのに帯の代わりに荒縄を使っていたのは村でも有名で、私の記憶にもある。母は同じ村で弁護士を務める猪股家から板垣家に嫁いだ。気品のある方だった。
三回忌の宴席で兄は父親が酒乱だったことを紹介した。普段はおとなしい父が酒を飲むと母や自分を「ンゲダモノ(お前達のような者)」と罵倒したという。母はそれに耐え偲んできたという。高校時代から実家を離れた私はそのような父を知らない。牛久のわが家を訪れる父はいつも優しい笑顔だった。
母が生んだ5人兄弟。姉は母が亡くなった年の9月亡くなった。4人の兄弟も年をとった。母の七回忌に兄弟が集まるのは難しいだろう。
宴席の最期、兄から「俊、〆の挨拶を」といわれた。「来年、兄さんの生前葬をやりましょう」。三回忌の宴席が余りにも楽しかったので、つい、口が滑った。というか、なにかを口実に来年も集まりたいものである。


2025年3月11日火曜日

世界に羽ばたくママさん指揮者、沖澤のどかさん

 クラシック音楽業界で話題の沖澤のどかさんが読売日本交響楽団を指揮したシベリウスの交響曲第2番のCDを聴いた。かつてない感動を覚えた。手垢のついたシベリウスの名曲が、今生まれたばかりのように聴こえたのである。
クラシック音楽といえば、作曲家はモーツアルト、ベートーヴェン、ブラームス等、決まりきっている。それなのに100年も200年も愛聴されているのは、指揮者によって、作品が新たに生まれ変わるからである。カラヤン、バーンスタイン、小澤征爾等の指揮者が、作品に新に生命を吹き込んできたのである。沖澤のどかさんは、その巨匠達の後を引き継ぐ天性の才能を持ち合わせているような予感がする。
沖澤さんは1987年、青森県三沢市の生まれである。東京芸大で学んだ後、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン博士課程オーケストラ指揮専攻終了。2019年第56回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。2020年、ウクライナとの連帯を示すためのコンサートでウィーンフィルと並んで世界最高のオーケストラであるベルリン・フィルを指揮した。
私生活では、2019年リトアニア人男性と結婚。2児の母である。
クラシック音楽を聴かない方でもジャケットの沖澤さんの写真(特に澄んだ目)を見れば天性の才能の方だと見当がつくのではないだろうか。
3月2日、友人の誘いで土浦で開催された「いばらく」を聞かせていただいた。茨城県を落語で盛り上げようと結成された茨城県出身の若手落語家のユニットである。落語も真骨頂は古典落語である。そういった面ではクラシック音楽と共通の再現芸術である。今後の活躍を期待したい。(左から柳亭市寿、立川成幸、立川志のぽん)

2025年3月6日木曜日

81才と18才の違い(老人会)

今日(6日)は老人会(刈谷シニアクラブ)の誕生会があった。
3月生まれの10名が、近況を語った。私も3月生まれである。
当会の会員の平均年齢は81才だという。
私は先輩がメールで送信してくれた「81才と18才の違い」を披露した。
〇恋に溺れるのが18才。風呂に溺れるのが81才 〇道路を暴走するのは18才。道路を迷走するのは81才 〇心がもろいのが18才。骨がもろいのが81才 〇偏差値が気になるのが18才。血圧・血糖値が気になるのが81才 〇まだ何も知らないのが18才。もう何も覚えてないのが81才 〇自分を捜しているのが18才。皆が自分を捜しているのが81才 〇家に帰らないのが18才。家に帰れないのが81才
会場、大笑いで喜んでいただいた。
ところで、私は今月83才になる。学校、会社の同僚の1/3は死亡、1/3は連絡とれず、残り1/3は連絡がとれても会えなくなってきている。
と、言うことで、地元の老人会は大事である。
2月20日の老人会には筑波大学フォルクローレの皆さんが、ボランティアでお出でになり、「コンドルは飛んでいく」などの中南米音楽を披露して下さった。(写真・上)学校で心理学を専攻しているといった秀才な皆さんである。われわれの孫世代である。18才と81才の貴重な触れあいだった。

2025年2月28日金曜日

映画「山椒太夫」、今も続く人さらいの人間社会

 
1954年に公開された溝口健二監督作品「山椒太夫」を観て感動した。この映画ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞するなど海外でも高く評価されたという。(原作・森 鴎外)
1954年といえば私が12才の時の映画である。多分、私も中学校時代観ているはずである。「山椒太夫」というより「安寿と厨子王」としての印象が強い。「母と一緒に安寿と厨子王は浜辺で人さらいに会い、母と生別れる」浜辺で「安寿恋しや、ほうやれほ、厨子王恋しや、ほうれやほ」と杖にすがる母親の姿が痛々しい。(写真)溝口監督は平安時代の日本の自然、世情を忠実に再現。人さらいに会った安寿と厨子王は山椒太夫の荘園で過酷な労働を強いられる。逃げようとすると赤く焼けた火箸で肌を焼かれる。
映画を観て、平和な時代に生まれて良かったと痛感する。しかし、この人さらい、今でも続いている。北朝鮮に拉致された日本人。彼らはかの国でどんな生活をしてるのだろう。彼らの親族は日夜、日本海を眺めて嗚咽しているのである。
最近ではミャンマーの詐欺集団がSNSで日本の若者を勧誘し、逃亡しようとすると電気ショック等の拷問をしているという。拉致した若者が住む鉄格子の入ったアパート群を見ると、慄然としてしまうのである。
かと思うと、大国のトップが国際ルールや法を無視した行動を平気でとるようになった。
平穏な生活を続けていくためには、真面目に働き、ウマい話には乗らないよう心がけなくてはならない。
 
 

2025年2月22日土曜日

これからは宇宙ビジネスです(野村セミナーの提示)

昨日、地元・筑波銀行主催の会社説明会と、野村證券による投資環境セミナーが開催された。筑波銀行は「地域のために、未来のために」「小回りと質で地域をとことん支援する」と頭取の生田氏は語った。参加者へのお土産に筑西市にある湖月庵の「館最中」が提供されたが、これも地元支援の一環であろう。美味しかった。
続いて、野村證券投資情報部長の東氏が「2025年の経済・株式市場の見通し」について語った。驚いたのは「トランプ政権の注目テーマ”宇宙”=収益期に入る宇宙ビジネス」についての提示である。
日本では年に数回人口衛星を上げ、成功したとか失敗したというのがニュースになっているが、実は世界全体では1日平均7個超の人口衛星が打上げられているのだという。(成功したとか失敗したというのは世界的にニュースにならない)このビジネスに力をいれているのが、アメリカの影の大統領といわれているイ―ロン・マスク氏なのだそうだ。
人工衛星を使ったビジネスは位置情報では、自動運転や船舶の航行支援、物流の効率化などに。画像、センサー、監視サービスでは、天気予報や農作物の生育予測、魚群探査、地質調査、防災、疾病監視、安全保障などに実用化されている。
日本のマスコミでは技術予測というと「生成AI」が話題の中心だが、「宇宙ビジネス」にも目を向けなければいけない。と感じた。


2025年2月16日日曜日

「旅愁」から岡本太郎の「太陽の塔」へ

8日は音楽仲間「龍ヶ崎ゲヴァントハウス」の例会。講師にオーディオ研究家の新忠篤先生をお迎えしての講演会が行われた。
今年はマイクを使用してレコード録音がはじまって100年だという。その前はラッパ吹き込みの時代で、ラッパの前で演奏し、その音の振動をラッパの先についている針に伝え、レコード盤に刻んでいたという。先生は冒頭、1909(明治42)年、ロンドンでラッパ吹き込
みで録音された「君が代」を聴かせてくれた。(写真・右。先生が手に持っているのが、その貴重なレコード盤)次いで先生は「旅愁」をラッパ吹き込みのもの3種、マイク録音によるもの7種再生。「旅愁」というと、「ふけゆく秋の夜・・・」で馴染み深いが、なんとこの曲を作ったのはアメリカ人だという。講演終了後の質疑でわかったことだが、現在の音楽教科書には「旅愁」は載っていないという。
講演会終了後、先生を囲む懇親会。小沼さんという新会員の方の隣に座った。「ゲヴァントハウスに入会してクラシック音楽は作曲家、演奏者、指揮者三つ巴の戦いということを痛感してます」からはじまって、「ところで、今年開催される大阪万博はなんですかね。1970年の万博では岡本太郎の”太陽の
塔”という強烈なシンボルがあった」「私は米国で10年以上働きましたが、アメリカ人には哲学があるが、日本人にはそれがない」。私は「そんな難しいことを急に言われても・・・」という心境だったが、それはそれで身心とも活性化され、若返った気がした。(写真上・左が小沼さん、その右がわざわざ福島から参加した市川さん、その隣はLPレコードの収集家・海老原さん)