2018年10月22日月曜日

西東京郷土史を編集した日立マクセル・OB、工野さん

 昨日、日立マクセル・OBの工野正樹さんから「西東京郷土史研究会研究概要」が送られてきた。
頁をめくってみると、工野さんは維新前後の西東京(現・清瀬市、現・練馬区、現・小平市、現、国分寺市、現、武蔵野市)の治安維持組織等について書いている。
 慶応四年(1868)江戸城明け渡しから一か月後の閏(うるう)四月の中頃、旧幕府方武装集団・彰義隊の初代頭取渋沢誠一郎(明治の実業家・渋沢栄一の従兄)は上野に屯集する副頭取天野八郎らの彰義隊と別れ、堀之内(現・杉並区)の茶屋で同志を集め直す。天野とは義兄弟の杯を交わした仲だったが、渋沢が市中から軍資金を調達したことに天野は怒ったとされ、さらに渋沢が決戦場を江戸の外としたのに対し天野は上野で戦うと主張、隊内は二派に分れた。・・・渋沢は農村支配のため旧幕府が構築した組合村という組織を使い、組合村々へ速やかに伝達、短期間に三千両以上を集めている。
 組合組織とは、三~七ヶ村を集めた小組合を治安維持などのための単位とし、この村役人の中から小惣代(しょうそうだい)を選び小組合の代表とし、さらに小組合の代表から何人かを選んで、大惣代とし、大組合を運営、大組合の中の有力な村を親村とし、囚人を一時預かる寄場を設け、この大組合を寄場組合とも称した・・・。
 この文章は工野さんが「田無市史」等の地方古文書を読み解いて現代訳したものである。工野さんの才能と努力に脱帽である。
 
工野さんは現役時代、カセットテープビジネスのライバルだった。工野さんが商品化した「UD」の音は素晴らしかった。私の目標だった。そして忘れられないのがフジフィルムの「AXIA(アクシア)」。私は上司から「お前は保守的だ。アクシアのようなものを作れ」といわれ「TDKにはTDKのやり方があります」と反論した。今、UDの工野さん、AXIAの高山さんはかけがえのない親友である。

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