2018年10月16日火曜日

同級生逝く、20年ぶり銀座で記者と会う


9日、東京にでかけた。国会図書館をでてスマホを見ると留守電が入っている。見覚えのない電話番号である。「畠山です。電話をいただいたようですが?」「佐藤稔の家内です。主人が昨夜亡くなりました・・・」。ミノル君、高校の同級生である。そういえば最近は年賀状くらいで会っていなかった。
 
10日、夕方、スマホのベルが鳴った。電話番号の表示に田村とある。あの田村さんかなと思って応答する。「田村です。久しぶりです。なんとか会社もやっていけるメドがついたので、畠山さんにご報告したい。お会いしたい・・・」「13日であれば同級生の葬式があって東京に行きます。どうでしょう」「ああ、こんどの土曜日ですね」「土日もほとんと働いてますから大丈夫です」
 
13日、ミノル君の葬式に参列するため、大泉学園に向かう。その後、田村さんと会う約束をしていたので、奥様に「用事がありますので、お別れの会に参加できません」というと「主人の顔をご覧になりますか」。奥様は棺のミノル君に声をかける。「あなた、畠山さんが会いにきてくれましたよ」。ミノル君、逝くのは10年早かったよ。しかし、優しい奥様と一緒で君は幸せだったね・・・。
午後4時近く、銀座のライオンビヤホールに到着。田村さん(写真中・左端)と会うのは20年ぶりくらいである。彼は電気業界紙の記者だった。当時、電気業界は隆盛を極めていた。業界紙の出版社も10社ほどあって業界の潤滑油になっていた。その中で秋田出身の記者が3人いた。私は「秋田会」を作って情報交換をしていた。田村さんもその一人。彼、法政大学卒、61才。これからである。
 「飲み代は割り勘にしよう」というと「私が払います」と譲らない。名刺を見ると、代表取締役とある。それでは遠慮なくご馳走になります。銀座の夜景を後にして帰途につく。

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