世界陸上といえば、TDKが男子ゼッケンスポンサーである。私はこのイベントを担当した。「俊、ビリにだけはなるな!」小学校時代、運動会の時に母に言われた言葉である。とにかく運動が苦手。そんな私が世界陸上のイベント担当になった訳?それは私を秋田から東京へ呼んで下さった沖山昭八さん、澤野洋さんの意向だった。
沖山さんはTDKをカセットのトップメーカーに育て、さらに1983年、第1回世界陸上のゼッケンスポンサーになることを提案。広報担当として外務省「在英日本大使館広報部」に勤務していた岩澤克恵さんを起用。開催地ヘルシンキに乗り込む。この時は男女ともゼッケンはTDK。「TDKの運動会」といわれた。
第2回世界陸上は1987年、ローマで開催された。この時、私はカセットやビデオテープの商品企画を離れて広報部に在籍していた。以下、沖山さんの後、テープ事業部長となった澤野洋さんとTDKヨーロッパ・徳田社長との会話
澤野「ローマ大会の運営は、ヨーロッパでやってくれないか」
徳田「それは困ります。期間中大歳会長が参加してのパーティもありますので、東京の広報からも誰か派遣して下さい」
澤野「畠山君でいいか?畠山君は岩澤さんと違って、イタリア語は勿論、英語もできないよ」
徳田「わかっております。そこらへんは私の方でフォローします」
1997年、第6回・アテネ大会の時、行きの飛行機はTBSの砂原社長、電通の坂田常務と同じ便だった。スチュワーデスが「ファーストクラスが空いてます」と笑みを浮かべた。(通常、ビジネスが45万なのにファーストは120万もする)坂田さんが忖度して下さったのかな?。ファーストは2階席先端にあり、座席は一列、前の席とは3mも離ている。天にも昇る気分だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿