2017年6月28日水曜日

なんと、定年パーティは外国人記者クラブだった!

5月から暇を見ては写真アルバムの整理を始めた。不要な写真は処分、分野別に整理。やっと目途がついた。(写真・下)
「そんな写真アルバム、どうするの、誰がみるの?」サッパリ系の家内はそういう。「俺が見るんだよ」。私の場合、だんだん年をとり、外出ができなくなってくると、多分、昔を回顧する日々が多くなると思う。そのために元気な内に整理しようと思った。
 私はサラリーマン生活を中間管理職で終えた。その割にはえっ!と思うような経験をしたり、有名人にお目にかかったりした。
 今回、えっ!と思ったのは、私の定年祝賀パーティが有楽町の外国記者クラブで行なわれたことである。(2002年)外国記者クラブ(外国特派員協会)はプレスクラブと呼ばれている。1945年、連合国司令官ダグラス・マッカーサーによって設立された。以来、全世界にニュースを発信し続けている。
 パーティの幹事は、TDKで最後の職場となった、TDKコア株式会社の松本謙明社長である。TDKコアの前、私はTDK・広報部に所属し、世界陸上のイベントを担当するかたわら、社団法人・日本記録メディア工業会の広報を担当。TDKコアに移籍してからは、「TDKオリジナルコンサート」のCD化、小澤征爾指揮 ウィーンフィル「ニューイヤーコンサート」のDVD化を行った。松本さんはこういった仕事ぶりをみてプレスクラブを選んだに違いない。さすが松本さんである。パーティにはTDK社内外の方々87名が参加された。私の晴れ舞台だった。


2017年6月21日水曜日

秋田行(下)秋田市在住、高校同級生と飲む

19日(月)、本荘発9時の電車に乗り、鷹巣に向かう。
 私は昭和35年、秋田県立鷹巣農林高校林業科を卒業した。父の思惑は私に林業を学ばせ、山持ちの所へ婿にやることだった。しかし、私は父の期待に反した。営林署はおろか、林業関係の会社にも入ることができなかった。優しい父は私を叱りもせず、地元・平沢(にかほ市)にあるデンカ(今のTDK)にコネで入れてくれた。
 その後、林業は斜陽になった。2011年には鷹巣農林高校そのものが近隣3校と併合され校名も秋田県立北鷹(ほくよう)高校となった。私は今回、秋田に来たついでに青春時代を過ごした鷹巣を訪れ、母校や下宿先を訪れてみる事にした。
 鷹巣は奥羽本線、秋田駅から1時間半北上したところにある。11時、鷹巣駅に降りて驚いた。無残なシャッター通りである。昔は高校に行く途中に町営グランドがあったが、そこには市役所等の役所の建物が立ち、グランドの近くにあった下宿先は跡形もない。学校へ行くと、杉に覆われていた実習林がない。校舎も建替えられていた。嬉しかったのは練習中の野球部の選手が「こんにちは!」と声をかけてくれたことである。
 14:38、鷹巣を後にして秋田に向かう。同級生の近藤實君が私の秋田行に合わせて昭和35年林科卒業の秋田会を開くという。会場は魚民秋田西口店。5時、上杉、長内、近藤、塩寺、高橋良策、平賀、吉田が顔を揃える。幹事役の近藤君が「畠山はな、われわれ水飲み百姓とは違うんだから、村長の孫だからな」とお世辞をいう。この7名、秀才揃いである。測量士補試験、公務員試験に合格した県職員、新秋木林業役員、銀行マン。錚々たるメンバーである。卒業後の話を聞いていて、勇気が湧いてきた。
 これからも頑張ろうぜ!宴席を中座して20時20分秋田駅発の夜行バスに乗る。

秋田行(上)喜寿の祝い!中学同期会

17日(土)22時50分秋田行の夜行バスに乗るため、東京駅鍜治橋駐車場に向かう。ワンカップ大関とつまみをカバンに入れてバスに乗り込む。飲酒は禁じられているようだが、一本だけ勘弁して下さい。座席に着き、カーテンを閉めて一口。冷えた日本酒が五臓六腑に沁みる。明日、午後3時から「喜寿の祝い」を兼ねた中学の同期会がある。
 18日(日)10時、バスは秋田駅到着。秋田から同期会が行われる本荘までは電車で一時間。だいぶ時間がある。駅から徒歩10分、秋田県立美術館に寄る。入った途端、眼前に広がる大壁画にドデン(驚愕)する!あの有名な藤田嗣治の「秋田の行事」である。壁画はタテ3m65㎝、ヨコ20m50。秋田県の伝統行事が生きいきと描かれている。2階のカフェも素晴らしい。千秋公園を借景とした池に心安らぐ。(写真・下)
 同期会の会場は本荘市にある安楽温泉。2時到着。一風呂浴びて、夜行バスの疲れをとる。風呂から上がると同級生が続々集まってくる。「シュン、遠いところ良く来たな!」「やあ、やあ」小学校時代からの幼な友達と握手。参加者は、男性陣15名、女性陣16名の計31名である。3時開会。お祓い、記念撮影、物故者黙祷、幹事代表挨拶と続き、遠方からきたということで、私が乾杯の音頭をとる。私は故郷を守り続けている、長男、長女の方々に感謝。”米寿、88才まで頑張ろう”と、盃をかざす。宴会はカラオ
ケ、踊りと続く。(写真・上)
6時に失礼してタクシーを呼び、実家に向かう。
実家では今年100才を迎える母と兄夫婦が待っていてくれた。母の顔を見ながら、兄と交す盃は格別である。われわれ5人兄弟は全員達者である。そして仲が良い。これも父母のお陰である。18年前、86才で亡くなった父の「感謝、感謝」という声が聞こえてくる。

              

竹森道夫さん(元・NHK音楽プロデューサー)講演会

6月17日(土)朝5時起床。風呂の掃除。家庭の事は全て家内任せだが風呂の掃除だけはやっている。朝食を済ませると、8時~11時まで牛久シャトーの掃除のバイト。なんで、こんな大事な日に掃除が続くんだ・・・。
 今日は午後2時から隣町の音楽鑑賞グループ「龍ケ崎ゲヴァントハウス」で竹森道夫さんの講演会がある。竹森さんは元・NHK音楽プロデューサー&NHK交響楽団演奏企画部長。音楽ファンの私にとっては雲の上の人である。たまたま竹森さんが私の弟と大学時代同期だったことで、この講演会が実現した。
 講演のテーマは”「二つのプロコフィエフ・交響曲第6番」~秘められた戦争の悲惨さと、平和への願い~”。講演会の報道関係資料の作成には苦労した。プロコフィエフの作品を聴いたり、資料を調べたり・・・。竹森さんからご了解をいただいた時はホッとした。
 講演に当たって、一番苦労されたのは講師の竹森さんだろう。ほとんど知られていないプロコフィエフの交響曲第6番をどう理解させるか四苦八苦されたに違いない。もう一人、悩んだのはゲヴァントハウス・音響担当の石井さん。交響曲第6番の魅力を会場で再現するにはどうすれば良いか・・・。
 本番。竹森さんのお話しによると、プロコフィエフの出身地、ロシアは反体制に対する情報規制が厳しく、密告の国柄だという。竹森さんがロシアで現地の人に道を聞いた時、現地の人はたじろいたという。
 芸術も厳格な管理体制下に置かれている。交響曲第6番には、プロコフィエフの戦争の悲惨さと平和への願いが内包されていると竹森さんは語る。第6番の演奏が終わった時、「拷問のような40分、お聴きいただきありがとうございます」と、竹森さんは締めくくった。
 私は、この日、22時50分東京発の夜行バスに乗り、秋田に向かった。車中でもプロコフィエフ、第6番の慟哭のメロディが耳から離れなかった。

2017年6月16日金曜日

蘇る「カセットテープ時代」読みました。(下)

6月1日のブログ "蘇る「カセットテープ時代」"をご覧になった方から、多くのメールをいただきました。(敬称略)

6月10日 貴君は「ミスターカセット」と呼んでもよい程、その商品企画に情熱を注がれました。今後も一世を風靡した語り部としてご活躍下さい。(今野)
6月10日 現役時代の仕事が数十年後までいきいきと語られ、実際多くの人の知識欲を満たしているとは何とも羨ましい限りです。カセットテープは私にとってまだ現役です。(篠原)
6月12日 東京に行きましたので丸善で、”カセット時代”の本を買いました。今時、このような本が出るのが凄いですね。TDK特集も良かったです。畠山さんもさすがですね。(吉野)
6月12日 シッカリ読ませていただきました。さすがですね。マクセルの乗松さんも紹介されていましたね。懐かしく思いました。(宮田)
6月13日 2冊買いました。一冊は武井さんに送り佐久の皆さんにも見てもらうことにしました。黄金時代が思い出されます。あの時代を作った方々の多くは泉下に眠る世代になりました。(坂本)
6月15日 カセット黄金時代を作った男として、畠山さんが大きく紹介されていたので、店頭で引き込まれて立ち読みしてしまいました。当時の苦労がよくわかりました。技術者を本気にさせた畠山さんの誠意と熱意が素晴らしいですね。アナログ時代の物の考え方(0と1の間も重視する)を今の若い人にシッカリ伝承していきたいですね。(西郷)
6月18日 商品企画の一員として、聴感評価に心血を注いでおりました。懐かしいやら恥ずかしいやら複雑な気持ちです。(藤井)

2017年6月15日木曜日

蘇る「カセットテープ時代」読みました。(上)

6月1日のブログ " 蘇る「カセットテープ時代」"をご覧になった方から、多くのメールをいただきました。(敬称略)

6月2日 ブログ拝見。即ネットで注文。(酒井)
6月3日 早速購入します。丁度先週TDK歴史みらい館を訪問してきました。(藤ノ木)
6月3日 当時のことが懐かしく思い起こされ、良い記念になります。玉川工場、千曲川工場に音質評価のために試聴室を作って音を聴き込んだり、畠山さんとオーディオ評論家のお宅を訪問したり・・・。畠山先輩他皆様と仕事をさせていただいたのは私にとってもカセット(宝石箱)です。(船越)
6月5日 驚きました。カセットを通じてのあなたのTDKへの貢献は表彰ものです。(柏倉)
6月5日 え、先輩があのTDKのカセットをつくっていたんですか!(斉藤)
6月6日 私は明らかにアナログ好きですのでカセット大賛成。家にはカセットラジオが今でも10台以上あり、常時使用しております。邦楽には使用価値ベストです。(乙黒)
6月6日 改めてカセットテープとは、驚きましたね。相変わらず畠山さんのご活躍で、取材ご苦労様でございました。「そして街中に音楽が飛び出した」、あの「プロジェクトⅩ」にぜひカセットテープを、との私の思い、カセットテープが時代を変えた商品と見込んだことによりますが・・・。(岩澤)
6月6日 そりゃ~何といってもカセットといえばTDKさんで、畠山さんだと思いますよ。(高山)
6月7日 アマゾンに「カセットテープ時代part2」注文いたしました。届くのが楽しみです。(熊谷)
6月8日 TDKがカセットテープで一番だったのは俊三兄さんの耳の良さですね!現役時代の努力が認めらた感じで嬉しいですね。にかほ市のミュージアムにも行ってみたくなりました!(高橋)

2017年6月11日日曜日

朝ドラ「ひよっこ」出演!TDKバーアンテナ

朝ドラ「ひよっこ」タイトルバックに写ったバーアンテナ 

 8日(木)12:30分からホテルJALシティホテル田町で社友会「暑気払い」。3千円会費で仲間と飲めるというので、イソイソ。12:00過ぎ到着。ほとんどのテーブルが満席。上座の方に富田哲夫大先輩がいらっしゃるので右隣の席に座る。
「やあ、ハタちゃん、朝ドラにTDKのバーアンテナ出てるの知ってる」「?」「秋田のジンさん(村上甚一先輩)がな、朝ドラみて、”あっ、十六✖〇.八だと”言ったというんだ」当時、工場ではバーアンテナをヨコ✖タテの寸法で呼んでいた。
 そういえば、朝ドラ「ひよっこ」のタイトルロールのバックにラジオの内部写真がでてくる。そこにTDK(多分…競合メーカーも数社あった)のフェライトバーアンテナが登場するのである。
 私は昭和35年TDK・秋田工場(総務)に就職した。工場にはフェライトを焼成する炉が並んでおり、バーアンテナ等を焼成していた。現場は三交替勤務だった。コンデンサ工場ではベルトコンベアーに中卒の女工さんがズラリと並び、検品していた。朝ドラ「ひよっこ」のラジオ組立工場と同じ光景だった。
 
 乾杯の音頭がはじまる前にビールが登場、さすがTDK社友会!
 私の右隣に60代と思われる方が座る。「平田です。ブログいつも拝見してます。”カセットテープ時代”も拝見しました」名刺をいただく。平田良文 マークテック株式会社品質保証室シニアエンジニア とある。非破壊検査の会社で、磁場を活用してキズを検出する非破壊検査をしているとの事。TDKの経験が生きている。
 「TDKを知ったのはカセットテープがきっかけでした。職場はマグネットでした。カセットは今でも使用しております。デッキはNakamichi700です」700とえば、定価138,000である。平田さん、ただ者ではない。
 富田さんと平田さんとお話ししているだけでアッという間に、中締め。100名近い仲間と笑顔を交しながら、会場を後にした。

2017年6月6日火曜日

プロコフィエフ作曲、オペラ「戦争と平和」

      (2000年、パリ・オペラ座で上演されたライヴ・DVD)
 
 今年の2月、元NHK音楽プロデューサー・NHK交響楽団演奏企画部長、竹森道夫さんにお目にかかった。目的は私が理事を務める竜ケ崎ゲヴァントハウスで講演をお願いするためである。心よく、講演を引き受けていただいた。(2月4日ブログ「想像を絶するNHK音楽放送プロデューサーの挑戦」参照)講演のテーマは「2つのプロコフィエフ 交響曲第6番ー戦争の悲惨さと平和への願いー」。
 プロコフィエフ(1891~1951)はロシアが生んだ作曲家である。私はほとんどプロコフィエフの作品を聴いてなかったので、予習も兼ねて、彼の作品をいくつか聴いた。その中で最も感銘を受けたのがオペラ「戦争と平和」である。
 1,500頁におよぶトルストイの原作をプロコフィエフは500頁に圧縮してオペラを書きあげた。私が観たのは2000年パリ・オペラ座で上演されたライヴ収録のDVD。戦争の場面ではパルチザン、兵士の合唱、ダンサー260名が舞台に登場するという大スぺクタル。指揮者ベルティー二はこのオペラの本質は合唱にあるという。「民衆の力を絵画のようにプロコフィエフは描いています。その旋律と和声は全ての人を虜にします」
 演出陣はいう、「トルストイ、プロコフィエフがいいたかったのは歴史は権力者の行為ではなく、ピエールなど、個人の行為の積み重ねなのです」と。
 
 竹森道夫さんは団塊世代。バブルの恩恵にあずかる一方、東側の崩壊をロシアやドイツで目の当たりにしているという。プロコフィエフの音楽を通じて、戦争の悲惨さと平和への願いをどう語られるか・・・。6月17日の講演が楽しみである。
 
 NPO法人 竜ケ崎ゲヴァントハウス http://www.bekkoame.ne.jp/~hippo/gewandhaus/index.html


2017年6月1日木曜日

蘇る「カセットテープ時代」

最近、テレビ等で「カセットテープ」が度々取り上げられる。
私も現役時代、カセットテープの商品企画を担当していたので、元・勤務先(TDK)の依頼でオーディオ誌等の取材に対応することがある。
 驚いた事に昨年「カセットテープ時代」という雑誌が登場した。この本はタイトルの通り、丸ごとカセットテープ関連の記事で編集されている。初版の反響が良かったということで、「カセットテープ時代 part2」が昨日5月31日に発売された。
 嬉しい事にpart2の特集は「TDK」である。取材班がわざわざ秋田の「TDK歴史みらい館」を訪れた。さらに小生のインタビューのために牛久にいらして下さった。(4/24、TDKカセット開発秘話)
 特集は①TDK伝説のはじまりと哲学ー王道ブランドの過去と未来②TDKカセットをつくった男の2本建て。(その男とは小生、畠山)。定年後15年たったのにこんな名誉なことがあるだろうか!あの頃は製・販・技、一体となって仕事に取り組んだ。セブン・イレブンが合言葉だった。つまり朝7時から夜の11時まで仕事をした。私は聴感評価を重視した。「もっと音の良いものを!」という私のわがままに応えるため、技術陣は100種類以上のサンプルを作った。

 紙面を開くと、当時の人気カセットベスト10のカセットが紹介されている。マクセル、SONY,TDKのヒット商品が並ぶ。それを眺めていると、当時の生活を思い出す。  今、昭和30年代を舞台にした朝ドラ「ひよっこ」、当時の青春スター、石坂浩二、浅丘ルリ子等往年の大スターが登場する倉本聡脚本の昼ドラ「やすらぎの郷」が話題になっている。「カセットテープ時代」ブームもそれらと共通するものがあるように感じる。
 
 カセットテープの販売を継続されている日立マクセルさんに感謝したい。マクセルUDのバランスが良く、引き締った音は45年経った今でも忘れない。