2018年5月2日水曜日

私のアルバムから⑤武者小路が愛した稲住温泉

 2009年10月、秋田に行った時、栗駒山の麓近くにある稲住温泉に行った。母と姉と一緒だった。山に埋もれるような一軒家だった。

女将の押切陽子さんが、色紙と宿帳を見せて下さった。色紙は武者小路実篤の書いたものだった。こう書かれていた。「昭和二十年春稲住温泉に妻次女初孫と四人で疎開し八月二十日の終戦を迎え九月に歸京す最も印象強き月日をこゝに送りたり思い出多き懐かしき土地なり 昭和四十一年春 武者小路実篤」

宿帳を見て、驚いた。「昭和三十六年七月 遠藤為春 市川左團次 中村卯三郎 高尾泰弘」とある。遠藤は当時新橋演舞場常務、市川、中村は歌舞伎俳優、高尾は私のアルバム④に登場した、TDKの高尾常務である。当時、私は秋田にある平沢工場に勤務していた。高尾常務が市川左團次一行を伴って、工場にいらしたと記憶している。
 武者小路実篤の言葉に「仲良きことは美しき哉」という言葉がある。各界に多くの友人・知人がいた高尾常務は美しく、幸せな方だったと思う。

 ところで、その稲住温泉、現在ネットで検索してもでてこない。女将の押切さんはお元気だろうか?貴重な色紙や宿帳はどうなっているだろうか?現在、稲住温泉があった近くにスパリゾート「秋の宮荘」がある。機会があれば訪ね、稲住温泉を偲びたい。
 

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