アルバムを整理していたら、勳四等旭日小授賞の写真がでてきた。
記憶喪失が多い昨今、なぜこの写真があるのか思い出せない。賞状を確認すると「日本国天皇は高尾三郎を勳四等に叙し・・・」とある。高尾三郎とは、私のアルバム④⑤に登場した元TDK・常務の高尾さんである。
そんな偉い方の賞状がどうして手元にあったのか?ブログ「人間浴」を遡ってみたらありました。2016,10,21「遺された勲章と日記」。”高尾さんのお孫さんからメールをいただいた。「実は祖父の遺品があります。処分しようと思っているんですが、もしかしたら貴重なものかもしれません」”私は遺品をお預かりし、「TDK歴史みらい館」に委託した。その時、遺品の一部を撮影していたのだった。
TDKの関係者で勲章をいただけるとしたら、社長経験者だけといってよい、なぜ、常務の高尾さんが叙勲したのか?その回答は手元にある日記の一部で確認できた。”正午すぎ、松下の西宮氏来社、大歳君(後の社長)と同席して昼食を共にし幸之助氏礼賛の話を聞いた。1時30分EIAJ(日本電子機械工業会)に赴き西欧委員会に出席。通産省から河野班長を迎えベネルックスの明年度貿易交渉の方針につき説明あり。続いて根岸所長からヨーロッパ情勢について解説があった・・・。”
高尾さんは、電機業界関連の工業会の会長等を歴任していたので、十分叙勲の資格があったのである。
それにしても高尾さんのお孫さんが、定年後14年もたった私のところへ、(しかも現役時代は中間管理職に過ぎなかった)なぜ遺品の相談に来られたのか?これは今もって謎である。”ご縁”としかいいようがない。
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