2009年5月31日日曜日

ついに森山直太朗がやってきた。


 昨日(30日)いまや日本を代表するシンガーソングライター森山直太朗が牛久にやってきた。

彼の歌をナマで聴いたのは2007年だった。場所は東京国際フォーラムAホール。家内がどうしても聴きたいというが、すでにチケット完売。ネットで購入してでかけたのだった。このホール、収容人員5,000名の巨大ホール、コンサートがはじまると全員総立ちで、唄を聴くというより、イベントに参加したという印象だった。


 牛久市民ホールは収容人員1、200名。席は前から10列目だった。(発売日、午前4時起きで購入した。)彼の顔も肉眼でハッキリ見えたし、前半は客席も座ったままだったので直太朗の透明感に溢れ、伸びのある歌声を堪能することができた。実に贅沢な時間が経過した。


 彼も今年の3月で33歳になったという。思えば、彼のお母さんである、森山良子が「この広場いっぱい」でデビューしたのが42年前である。時の流れの速さを感じる。


 コンサートは後半は全員総立ちとなり、手拍子でもりあがる。最後はあの「さくら」が感動的に歌われた。会場から「ありがとう」の声が飛んだ。


 6時からはじまったコンサートが終わったのは8時半。休憩なしの熱唱だった。安田祥子・由紀さおりコンサートの時も感じたのだが、今回も音響のよさに驚いた。後半のバックバンドはドスンドスンと体と会場を揺るがす大音響なのだが、刺激的な音はなく、ボーカルが良く聴こえた。

 歌謡力のある歌手は音響コントロールがうまいということを感じた。


 それにしても今日は体の節々が痛い。70に近い年齢に若者のコンサートはキツイ・・・。

2009年5月27日水曜日

超セレブなゴルフ場




 私の体験したゴルフ場でコース、クラブハウス、従業員の接客姿勢等、最高と思うのは茨城県鉾田市にある「ザ・ロイヤルオーシャン」である。


 25日、そのゴルフ場で高校時代の友人とプレイをし、クラブハウスに一泊した。


 


 どのコースもフラットで広々。距離もタップリ。パーファイブ、616ヤード(約560メートル)の超ロングコース(写真・下)もある。クラブハウスは石をフンダンに使用したもので、重厚。宿泊施設はシングルユースがメイン。青木功プロがここで子供達を対象にしたレッスンをしているというが、これだけの設備が揃っていれば、世界の青木も満足だろう。


 かといって、料金はプレー代、宿泊費、昼・夜・朝食付で18,000円と格安。


 まことにありがたいコースである。


 スコアの方は107と相変らずだったが、後半、スタンスを狭くするとヘッドスピードが上がり、飛距離が伸びることを発見。今後のプレーが楽しみである。


2009年5月25日月曜日

「夜明けのスキャット」から40年


昨日(24日)市民ホールで「由紀さおり・安田祥子Song with Your life Concert~ふるさとを遠く離れて~」があった。

由紀60才、安田67才であるが、大変なエンターテナーぶりである。特に由紀の声の声域の広さ、音量は女性歌手としてトップクラス(倍賞千恵子、森山良子以上)だと思った。また、トークの面白さも並ではない。そういえば、彼女は映画俳優としてもアカデミー女優助演賞を受賞している。

「”夜明けのスキャット”から40年。それがどうしたというの」とズッコケる。

「今日一番嬉しいのは”チケット完売”」

都度場内は大爆笑。

前半19曲、後半19曲の熱唱。前半の「なごり雪」、後半、客席の合唱を呼び込んでの「ソレアド」は心に染みた。

ところで、「夜明けのスキャット」といえば、40年前、川崎にある工場のスタジオでお得意先であるトリオ(現在・ケンウッド)のAさんが、「これなかなかいいんだよ」といってシングル版をかけてくれた。あの”ルルルル・・・”が懐かしい。レコード大賞の最短歌詞曲でもあるという。僭越ながら小生も今年結婚40年である。

(写真はクリックすると拡大できます。)

2009年5月23日土曜日

三世代運動会




 今日(23日)、市老人クラブ主催の三世代運動会が開かれた。


町内会理事として参加。参加目的は応援だったが、玉入れ競技に参加。


5メートルくらいの高さの籠に子供と一緒に紅白の玉を入れるのだが、これが意外に難しい。40行政区の中で当行政区は最下位の方だった。聞くといつも成績は悪いのだという。


 勝とうと思ったら事前練習が必要だと感じた。


初夏を思わせる陽気でシニアには厳しい運動会だった。




 弁当をご馳走になって退散。家で休憩したあと、2時から隣町のクラシックCDコンサートに参加。


 テーマは「ロシアのピアニストを聴く」。


 ホロビッツ、リヒテル、ギレリス、シュケナージ、キーシン・・・。伝説の巨匠から現代の名手の演奏が流れる。改めて、現代の名手キーシンの素晴らしさを再確認した。


2009年5月22日金曜日

手作り、町内文芸誌


 私の住んでいるところは牛久市刈谷町という。

刈谷町は1,700世帯、人口5千名。牛久市最大の行政区である。

 この町に「刈谷いしぶみの会」という文芸クラブがあり、一年に一回文芸誌を発行している。


 今年、主催者の鈴木さんから「文芸誌に特別寄稿してくれませんか。」との依頼があった。

会員の顔ぶれをみると、大先輩が名を連ねている。

 特別寄稿などとんでもないと思った。

 「会員として投稿します。」と即座に応えた。


 今年の文芸誌が早くも刊行の運びとなった。

 原稿の打ち込みはもちろん、編集、印刷、帳合まですべて会員で行った手作りの文集である。


 会員の中には「橋のない川」の作者である住井すえのお弟子さんや、今東光に作家にならないかといわれたという先輩もいる。平均年齢は80歳くらい。諸先輩の文章はさすがに含蓄が深い。

2009年5月19日火曜日

社友会ゴルフコンペ


 今日、はじめて社友会(会社OBの会)ゴルフコンペに参加した。

社友会のコンペに参加するメンバーは元役員や先輩、あるいはゴルフの腕自慢がいたりと敷居が高かったので参加しなかった。

 今回は尊敬するS先輩が幹事だったので敬意を表して参加することにした。

 朝4時起き、取手でK先輩を載せ、高速に乗る。関越自動車道の鶴ヶ島インターで一般道へ。7時前に会場である入間カントリー倶楽部へ到着。

 私が到着して間もなく、T先輩がエンジ色のエンジベンツに乗って到着。やはり社友会に参加するメンバーはレベルが違うと思った。

 参加したメンバーは多士済々。今年80歳の元会長。最高齢は今年89歳の元役員、北海道から駆けつけたO先輩もいた。

 優勝したのは37、42の79で廻ったS氏。私といえば恥ずかしながら55,56の111で24名参加中、17位だった。それでもゴルフはやっぱり楽しい。

2009年5月17日日曜日

殺人的スケジュール

 今日から5月末まで、分刻みのスケジュールとなる。
(5月と10月は行事、付き合いが重なるが、今月は異常。こんな状況が続いたら、体力もお金も持たない。)
17日(日)新着オペラDVD「ロッシーニ・新聞」視聴(初視なので、資料調査含む)
18日(月)新着オペラDVD「ラモー・遍歴騎士」視聴(    〃           )
19日(火)社友会ゴルフ。4時起き
20日(水)町内会・元気教室サポート
21日(木)シルバーセンターバイト。午後町内会文芸クラブ
22日(金)熟年英語
23日(土)市・親子3世代、運動会サポート
24日(日)シルバーセンターバイト。安田姉妹コンサート
25日(月)高校時代仲間とのゴルフ
26日(火) 〃
27日(水)市・認知症サポートセミナー
28日(木)シルバーセンターバイト
29日(金)町内会・文化祭準備
30日(土)町内会・文化祭り。森山直太朗コンサート
31日(日)会社OBとのゴルフ

2009年5月16日土曜日

炎のコバケン、読響の新世界


 今日は隣町のつくば市で炎のコバケンこと小林研一郎指揮・読売日本交響楽団の演奏会があった。
ブログに載せようと思って、前半のヴァイオリンコンチェルト終了後、写真を撮ろうとしたら、みごとに係員に静止された。(赤く見えるのはドレス姿の川久保さん。)
 結果はご覧の通りである。
 ところで、シューボックスサイズ(長方形)のホールで写真のようにステージが真近に見下ろせる席のあるホールは珍しい。このホールは磯崎新氏が設計したものでノバホールといい、客席数は1,000席。フルオーケストラを聴くには誠に贅沢なホールである。
 ちなみに、写真をとった座席はC席で¥3000とお買い得。
 演奏内容は一級だった。前半、川久保賜紀さんの独奏でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が演奏されたが、要所要所で川久保さんがコンサートマスターとアイコンタクトをとる様子が手にとるように分かる。あの妖艶な微笑でアイコンタクトを送られたらコンサートマスターもいちころで、川久保さんの罠に嵌まってしまう・・・とゾクゾクしながら協演に見取れ、聴き惚れた。
 後半はドボルザークの新世界。”炎の新世界”になるのでは、と予想していたが、実に手堅い演奏で”コバケン”の年輪を感じさせた。
 この席からは小林研一郎の指揮がリアルに伝わり、私自身、演奏者になったように、”コバケン”の指揮にのせられ、心の中で唸ったり、踊ったり満喫した。
 サイドの席なので、音のバランスは悪かったが、ナマの醍醐味は視覚にもあるということを実感したコンサートだった。客席は久しぶりに満席。

2009年5月13日水曜日

ホールインワン記念ホルダー


 先日、車のキーに付けていたホルダーが壊れてしまった。取り付け金具が破損してしまったのだ。

 新しいホルダーを買おうと思ったが、待てよ、どこかに未使用のものがあるかもしれない。

 だいだいキーホルダーなどというものは、お土産や記念品としてもらうケースが多く、改めて購入するアイテムではない。


 思い出した。そういえば、工野正樹さんからホールインワン記念にいただいたものがあるはずだ。

 捜したら、床の間の棚に掛け軸などと一緒に保管されていた。保管場所からして、私としても貴重なものとして認識していた。


 そういえば、この記念品は工野さん、入魂のものだった。

 確か、彼が米国勤務のときに見つけたといっていた。

皮製のキーホルダーである。これにプレゼント者の名前が刻印されている。”HATAKEYAMA”とある。取り付け金具も実に立派である。

 キーを取り付けてみると、素材が皮だけにジャラジャラしない。ポケットに入れても収まりがいい。

改めて素晴らしい記念品だと思った。


 工野さんは現役時代、カセットテープビジネスのライバル会社のエースだった。

 私はADカセットを企画し、工野さんはUDカセットを企画し、世界で覇を競った。


今でも”戦友”としてお付き合いいただいている。

 

2009年5月11日月曜日

肉食系男子・渡辺淳一

 昨日(10日)のテレビ朝日・サンデープロジェクトに作家の渡辺淳一が出演した。
渡辺淳一は「失楽園」で有名な作家だ。
 渡辺にアナウンサーの小川彩佳が聞く。
 「あのような小説を書いて奥様のことは気にならないのですか?」
 渡辺は怪訝な顔をした後、こう答えた。
 「私にとって重要なことは、表現したいことがどれぐらいあるかだけです。」

 当日のテーマは昨今いわれる草食系男子についてだった。
 渡辺の言葉に肉食系男子の真骨頂を聞く思いがした。

 渡辺は作家である。彼にとって重要なことは表現することであり、そのテーマが湧き出ることである。奥様はその渡辺を認めて結婚した。彼が書くことに不満があったら、出ていけばいい、というような凛としたものを感じた。

 昔は戦争があり、そこに男の存在感があり、男は肉食系だった。
 今は戦争はない。

 戦争はないが、男は常にロマンを持って戦わなければならない。
 渡辺は文学という舞台で戦っている。
 女性に対しても、「男は振られるもの」「まず行動を」と解く。
 無闇に攻撃すれば”セクハラ”になるが、その頃合を学ぶためにもまず、攻撃ありきのようだ。

 現在30歳~40歳の未婚男性の比率は40%を超えているという。草食系男子の増加は社会問題でもある。

2009年5月9日土曜日

春爛漫、97歳義父逝く


 100歳まで頑張るといっていた義父が逝った。5月3日、97歳で力尽きた。

 3月下旬、入院。余命一ヶ月と宣告されていた。4月上旬退院。自宅療養を行っていた。

 

 5日から7日、家内の実家である横手市(秋田)に行き、義父を見送った。

 「今まで、一言も感謝の言葉をいったことがない父が下の世話が終わると”ありがとう”と言ってくれた。この一言で私も家内も救われた。」と長男。

 「見舞いにいった時、父が好きだった雑魚料理を作り、食べてもらった。”うまい”といってくれた。」と三男。

 「私の車で退院した。家について、体を支えようとしたら”いいから”と振り払った。(家について元気がでた。)」と4男夫婦。

 「アメリカ(米国在住の次男・学者)が見舞いにきたとき”早く帰って研究しろ”とたしなめた。」と長男。

 一人娘の私の家内は別れの時、棺に千羽鶴を入れた。4日、遊びにきていた孫と織ったものだった。


 義兄は父のために納棺師を手配した。その手さばきは手品のように鮮やかだったという。

 葬儀は自宅で行われた。親戚縁者が集い、時間を忘れて義父を偲んだ。お膳には山海の料理が山のように盛られ、手土産も準備された。都会とは違う、濃密な集いだった。都会のように事務的でサラリとしたものではなかった。この集落では老人の孤独死など想像できない。

 集った親類縁者は大半が70歳を過ぎていた。彼らが就学時のときは同級生が10名以上いたという話を聞かされた。今は児童が少なく、学校はすでに廃校になっている。


 義兄は数年前、急峻な山にあった墓地を平地に移し替えた。また、今回は自宅で濃密な葬儀を行った。先祖を敬い、集落を守る農家の長男の苦労は想像を絶するものがある。しかし、農家の長男の生活は次三男と比較して厳しいケースが多い。「名ばかり長男」ではいけない。


 葬儀の日一泊した温泉宿の裏山をみて驚いた。新緑と梅、桜、桃の花が競っている。その美しさに息を呑んだ。義父のために天が作った天然の祭壇のように見えた。

2009年5月3日日曜日

小澤征爾・水戸室内からのプレゼント


 4月28日、私は墨田トリフォニーホールで上岡敏之指揮・新日本フィルのR・シュトラウスの名演に酔っていた。同時刻、水戸では小澤征爾指揮・水戸室内管弦楽団の定期演奏会が行われていた。

 水戸室内管弦楽団というと地方のオーケストラと思われがちだが、地方は地方でもレベルが違う。やはり、小澤征爾が音楽監督をつとめ、世界20指に入る(イギリス・音楽誌選定)サイトウ・キネン・オーケストラの選抜チームといってよい。世界の小澤が世界の名手を集めた室内管弦楽団なのである。


 この水戸室内の演奏が茨城デジタル放送で生中継され、私はこれをハードディスクに記録していた。再生してみると、大変な名演である。

 曲目はメンデルスゾーン生誕200年を記念して、「ピアノ協奏曲第1番」「夏の夜の夢」の2曲。「夏の夜の夢」は1992年小澤はボストン交響楽団を指揮してCD化しており、名盤の誉れ高い。水戸室内による「夏の夜の夢」は、緻密なアンサンブルが素晴らしい。溌剌として、夏の夜、跳ね回る妖精たちが目に見えるようである。

 今回の演奏の目玉は朗読に息子の小澤征悦を起用していることである。彼のやや意気込みすぎてはないかと思われる語りが、活力に溢れた小澤の音楽にマッチしている。

 演奏が終わると、小澤親子がハイタッチして、会場を沸かせた。


 ピアノ協奏曲第1番は世界的に活躍している小管優。メンデルスゾーンのピアノ協奏曲というと、有名なヴァイオリン協奏曲から連想して、ロマンテックなものと予想していたが、むしろ、ベートーベン風の堅固な構成。これを小澤と小管は情熱的に弾ききった。


 コンサートの音源をCD-RにコピーしてマイCDを制作した。