2010年9月26日日曜日

ベートーヴェン演奏の原点




 昨日、レコード会社から宅急便が届いた。


1977年カラヤン・ベルリンフィル来日公演「ベートーヴェン交響曲全集」である。


 聴いてみて、これがベートーヴェン交響曲演奏の原点だと思った。


 揺るぎのない構成力、安定したテンポ、低音部のシッカリした音。


 さすが、カラヤン・ベルリンフィルである。


 


 このコンサートの模様は、当時FM東京の「TDKオリジナルコンサート」という番組で放送された。


 貴重なコンサート記録なので、レコード会社は何回もCD化に関係機関と交渉。小生もTDK退職後、そのお手伝いをした。レコード会社の努力の甲斐があって遂にCD化が実現した。




 当時の収録の模様は「伝説のクラシックライヴ」という本に詳しく紹介されている。


 この本の出版は小生が企画し、あちこちの出版社をかけずりまわり、TOKYO FM出版から出版してもらった。2005年の発売だがまだ売れ続けている。




 昔の仕事が時々蘇って、注目を浴びるのは嬉しい。

2010年9月22日水曜日

92歳の母からもらった千羽鶴


 8月26日、秋田に行った時、92歳(10月で、93歳)になる母から千羽鶴をもらった。子供達の長寿を祈って織ったのだという。

 ちょうどいいタイミングだった。

 製作中の「古希記念文集」に掲載することにした。

 「発刊について」の後半に掲載した。

この古希記念文集、印刷、帳合が終わり、昨日、製本のために印刷屋に納品した。

 7ヶ月にわたる作業(2月中旬から打ち込み)がやっと終了した。

 ホッとした。肩の荷が降りた。

 ところで、本つくりでは校正も怖いが帳合作業がもっと怖いということを感じた。

頁が抜けてたり、向きが逆さまになっていたり、汚れたものが入っていたりしたら本にならない。

 (落丁、乱丁はお取替えします)になってしまう。

と、いうことで、帳合の確認はプロの印刷屋にお願いすることにした。

2010年9月17日金曜日

古希記念文集、224頁の大作

   (150頁の印刷に使用したインク)
 我が家は9月8日からパッタン、パッタンというプリンターの音が絶えない。家内が「印刷屋さんになったみたいね。」という。

 それもそのはず、古希記念文集の打ち終わったデータに頁を入力したところ、224頁となった。よくぞ入力したものだ。しかも、印刷にも挑戦。8日間で150頁に到達。発行部数100部、製本屋から歩留まりをみて105部、印刷してくれという。つまり、今日まで150頁×150部で22,500枚印刷したことになる。それに使用したインクが写真である。残り74頁なので峠は乗り越えた。最後までパソコン、プリンターともトラブラないで頑張って欲しい。

 ところで、パソコンの素晴らしいことは印刷しながら並行して他の作業ができることである。メールのチェックをしたり、データの修正をしたり、インターネットを見たり・・・。その合間にパッタン、パッタンを聞きながら印刷が上がった分から帳合の作業を進める。ここで印刷の具合なども同時にチェックする。

 FM放送からは音楽が流れる。

 やはり、小生にとっては至福の時間である。

 ところで、昨日は凄い豪雨だった。その中でバイトであるスーパーの掃除をした。合羽を着ていたがパンツまでずぶ濡れだった。

 

2010年9月9日木曜日

飛翔70年とパソコントラブル

       (製作中の「飛翔70年」)


 古希記念文集「飛翔70年」の編集が佳境に入った。


原稿も出揃い、あとは打ち込みと編集、印刷。全て自分でやることにしている。


 B5版、200頁、オールカラー。100冊作る予定。


 毎日、パソコンと格闘している。


 トラブル発生。打ち終わったファイルを閉じようとしても閉じることができない。ムリに閉じようとすると、作成中のデータが消えてしまう。サポートセンターに電話して2時間もああだ、こうだ。


 インク代を節約するため、補充インクを使用していたら、目詰まり発生。


 昨日、新しいプリンターを購入しようと、台風豪雨の中、ケーズデンキに走る。


 できるだけインクの安いプリンターにしようと思った。


 プリンター売り場に行って、コピーとディスク印刷もできるものを。といったらキャノンの新製品しかない、という。この新製品、聞いてあきれた。インクも新タイプだという。そのインク、同梱のものだけで


、インク単体の発売時期はハッキリしないという。弾がないのに鉄砲だけ売る商法ってあるの?


 弾がいつ入荷するかわからないプリンターを買うわけにいかないので、購入は断念した。


 結果的にこれが良かった。


 昨日から今日にかけて、今のプリンターをクリーニングし、インクを全て純正品に交換したら復旧した。目詰まりの原因は本体ではなく、インクカートリッジのヘッドの目詰まりにあったようだ。




 パソコンも自分でトラブルにブチ当たりながら習得するしかないようだ。

2010年9月4日土曜日

民謡大国の古希祝い


 (写真は本荘追分・日本一、長谷川洋子さん。撮影は同級生の大場恵二君)

 8月27日、私が卒業した石沢中学校(秋田県・由利本荘市)第10期卒業生の古希祝いが行われた。名簿をみると卒業生93名、内死亡者14名、当日の参加者36名である。


(70年前と比較すると、現在の石沢地区の小学生の数は1/10くらいに激減しているようである。これは由々しき問題である)


 古希祝いといっても例年通り、飲んで歌って、踊って終わりだろうと思っていたらとんでもない、神事、記念撮影と厳かに会は進んだのである。そして乾杯の音頭は光栄にも小生。調子に乗って、中学生当時の話をしてしまった。「走ればビリ、勉強は中の上、実は中学生まで寝小便を垂れていた。自慢は皆勤賞くらい。同窓会でも皆勤賞はとりたい」。よくぞ、70歳まで元気にこられたものだ。


 宴会では予想もしないような大イベントが待っていた。民謡大会である。本荘追分、馬子唄など地元本荘で行われる全国大会の優勝者が出場。これに地元由利高校(女子高校)OGによる手踊りが加わった。参加者36名、会費¥11,000の同窓会でこれだけのイベントができるとは、さすが民謡大国秋田の古希祝いだと思った。


 厳粛で豪華、郷土色豊かな古希祝いに元気をもらいました。これからも頑張ろう!

2010年8月30日月曜日

観覧者80万、大曲花火見る

        写真を拡大して会場の壮大さを実感してください。(畠山撮影)
      クライマックスの連発(朝日新聞より転載)

 秋田県仙北市で開催される大曲の花火大会は日本一といわれる。過去70万人以上の観覧者が集まったという。その観覧者の多さに恐れをなして今までは行く気がなかった。


 だが、今回、中学校の同窓会(古希の祝い)が花火大会の前日(27日)開催され、しかも家内が一度大曲の花火大会が見たいというので出かけることにした。


 大曲は秋田の東南中央にあり秋田市、角館、横手、湯沢から50キロ圏内にあるが、これらの市の旅館やホテルは全て満員。奥羽線の湯沢駅から30キロ離れた小安峡温泉に宿をとった。つまり、大曲近郊に車を置くことは不可能なので、湯沢近郊に車を駐車し、湯沢からJR線で大曲まで乗り込むという作戦である。


 この作戦は図に当たり、花火が上がる6時30分には花火会場へ到着した。今まで花火大会というと土浦の花火大会を桟敷席でみて感激したが、そのスケールの大きさは段違いである。桟敷席の長さは1,000メートル。その後方の土手と左右に一般観覧席が置かれている。駅から会場に向かう途中の橋の上、空き地、通路、ありとあらゆるところに観覧者が溢れている。


 花火も3ヶ所から次から次へと打ち上げられる。


 大曲の花火会場は豊かに流れる雄物川をはさんで両側に広大な敷地が広がる。この恵まれた地形に全国の花火師と観客が吸い寄せられ、今日の隆盛に至ったということを実感した。


 帰りの混雑を避けるため、8時に退散。大曲駅発9時20分の臨時列車に乗車。車窓から最後のクライマックスの100連発の花火を垣間見ることができた。

2010年8月24日火曜日

盆踊り・放送係

     (盆踊りの放送席。小生の他に女性アナウンサー2名の陣容)
 今年の3月で自治会の役員は降板したが、盆踊りの放送係は引き続きやって欲しいという要請があった。

 スポット的な依頼についてはお引き受けして地域のお役にも立ちたいと思っていたので引き受けた。

 まず、盆踊りの曲目を順番にCDRに記録するという作業からはじまる。カセットテープが持ち込まれるケースがあるがカセットだと頭だし等、操作が大変なのでCDRにしておく。ただ、CDRは突如として音が出なくなったりするので、予備のCDR、プレーヤが不可欠。

 幸い当日(21、22日)は天候にも恵まれ、機材も故障がなく順調だった。

 アナウンサー嬢、来賓の紹介が大変。元いや、前衆議院議員、市長、県会議員、市議、区長など次々といらっしゃる。肩書き、お名前を間違えないようにするだけでも大変。その他、駐車違反の注意、落し物等々。盆踊り、ビンゴゲーム、抽選会といった正式プログラムの他の曲目に飛び込みの雑多なアナウンスをこなさなくてはならない。

 5時の前奏の音だしから始まって、9時の終了まで放送係はテンテコ舞。

 終わって、自宅に帰りシャワーを浴びてからのビールは格別。

 盆踊りの放送席で遠慮しながら飲むビールも美味しいが自宅のビールは最高!後は寝るだけ。