2022年12月13日火曜日

ソニー、盛田会長との200年の誓い


  やあ、驚きました。                                 
アマゾンを検索し、「ソニー、盛田会長との200年の誓い」と入力すると、出ました、驚きました。サブタイトルは「1代で関東一といわれる神社を創った私の人生」とある。著者は高橋正宣、監修は畠山俊三。
今年の年初めに、小生が監修した「奇跡の一歩」ー全身ジストニアに翻弄された”私の青春”(幻冬舎)が出版されたが、それに続く監修・第2弾である。
今回の本は当初大手総合出版社が出版について名乗りをあげていた。監修も同出版社が推薦するプロの方が担当する予定だった。
著者である高橋正宣氏は笠間市にある常陸国出雲大社の宮司である。高橋氏の人生は多難を極め、今日に至るまで出雲の神社本庁との確執があり、ソニーとも盛田会長死去後、裁判を起こす事態が発生している。当初出版に手を挙げていた出版社もこの実情を知って尻込み、辞退してしまった。ということで、監修の仕事が小生に廻ってきたのである。出版に当たっては幸い「宗教問題」の小川代表が高橋宮司に共感。出版の陽の目を見たのである。
3月、私は発行責任者の権宮司・高橋正重氏より、宮司の書いた原稿、20年史、膨大な裁判資料を渡された、3月から5月の連休明けまでの2ヶ月、時には早朝4時起きをしてまとめあげた。
作業をしながら、高橋宮司イジメともとれるような神社本庁、盛田会長死去後のソニーの姿勢には疑問を感じた。また「法のもとの平等」を謳う司法にも大いなる疑問を感じた。
そのような逆境の中で、高橋氏は巨大な権力に敢然と対峙している。その高橋氏の先見性と情熱を一瞬にして見抜いたのが盛田昭夫氏だったのである。
 小生は神社界、司法界については全くの素人である。その私に監修を任せて下さった宮司、権宮司、および常陸国のスタッフの方々、宗教問題代表・小川寛大氏に深く感謝したい。

2022年12月12日月曜日

末期ガンにかかった友人(3)三笠宮妃殿下来工


 Kさん、昭和36年(1961)10月、三笠宮妃殿下が平沢工場に来工されたのは覚えておりますか。
この年、秋田国体が開催され、平沢はサッカー会場になり、三笠宮妃殿下がお見えになった。写真には斎藤仁賀保町長、松野県会議員、山﨑社長、小松工場長が写っている。入社2年目の小生も写っているのである。(右端)初めて背広というものを着たように記憶している。当時、東北大学の西沢潤一教授、衆議院議員の清瀬一郎、南極探検の西堀栄三郎、歌舞伎の市川左團次、野球解説の小西得郎も来工した。
 日本はテレビブームに沸きかえっており、その主要部品を作っていたTDKは注目を浴びていた。

 同年、本社から各事業所別に社内報(TDKタイムズ)の編集員を任命するよう指示があり8名の編集委員が任命された。私(後列・左端)を除いて、全て管理職の方々だった。学歴をみると、東大、一ツ橋、慶応、秋田大学と、仰ぎ見るような方々ばかりだった。私は高校時代、文芸部に所属していたのが幸いしたようだ。私のプロフィールを見ると、「入社2年目、若いに似ず、あらゆる点において・・・」とある。これが縁で、私は翌年、本社に転勤となり、本社で社内報の専属編集担当になった。
 Kさんとは秋田時代、ほとんど接触がなかったが、昭和38年、Kさんは職務分析委員として本社に転勤。東京で2人は急接近するのだった。
     




2022年12月9日金曜日

豊穣な招待旅行(山中湖、会員制ホテル)

6日、私と妻は義弟の運転する車で山中湖に向かった。牛久から山中湖までは約3時間かかる。妻と一緒に旅行をするのは1年ぶり。義弟の招待旅行である。山中湖のホテルは会員制のホテルである。義弟はたいしたものだ。ホテルに着くと。欧米でみかける大型のベンツが玄関に横づけになっている。ゲスト送迎用だという。

夕刻には山北に住んでいる弟も到着。夕食は6時からであるが、妹が「兄さん食前酒はどうですか」と気づかう。さすが、酒飲みの畠山家で育っただけのことはある。妹は2次会の酒まで準備していてくれた。義弟は酒はやらないが最後まで付き合ってくれた。懐が深い。
7日は晴天。部屋のベランダから秀麗富士山がクッキリと見える。ジクザク状の登山道も手に取るようである。双眼鏡があれば登山者の姿も見えるのは間違いない。義弟は何度もこのホテルから富士山を見たが、今日のように鮮やかな富士山ははじめてだという。
 裾野に見える茶色い部分は自衛隊の練習場だという。練習の時は60キロ離れた山北にも砲弾の音が聴こえると弟は言う。

帰りは山北の弟の家に寄る。秋田の実家の秋田杉をふんだんに使用した「鮎瀬亭」である。居間にはイギリスのスピーカーの名器タンノイが鎮座し、グランドピアノが目の前にあるように豊に響く。弟が総代を務める種徳寺を訪れた後、蜜柑狩り。蜜柑狩りはわれわれ夫婦も義弟夫婦も初体験。楽しかった。
義弟も弟も豊な老後を送っている。その豊穣に触れた心温まる旅行だった。                                  
                                 
                                  


2022年12月5日月曜日

末期ガンにかかった友人(2)職場は秋田美人


 K君から昨日メールをいただいた。「入社の頃を思い出す記事もあり、感慨深いものがありました」「小生は昭和35年~37年まで快明寮(男子独身寮)に入寮しました。半年ほど矢島の実家から汽車通勤したこともあります」とある。私のブログが役に立ったようである。ということで、入社の頃を引続き振り返ってみた。                     

私は総務課庶務係に配属された。総務課は工場の窓口である。受付、守衛、電話交換、テレタイプ、清掃、車両管理、秘書等を担当する社員のグループである。女性が圧倒的に多い職場だった。私は車両管理、会議室の管理、掃除のおばさんの手配等から仕事をはじめ、工場見学の案内と守備範囲を広めていった。近隣の小・中学生が頻繁に工場見学に訪れたのである。  当時の朝礼の写真が残っていた。(写真・上)朝礼で係長が服装点検をしている場面である。当時はまり感じなかったが、美人ぞろいである。大卒の新入社員が工場実習にきた時、「秋田は美人が多い」というのもうなずける。                            工場の裏は日本海だった。休日は、釣り船を持っている社員が誘ってくれた。(写真・下。右から2番目が小生) 

                               
      





2022年12月3日土曜日

末期ガンにかかった友人(1)高卒、同期入社


 10月初旬、同期入社のKさんからメールをいただき驚いた。
「小生、胃がんにかかってしまいました。一部リンパ節にも転移がある末期ガンです。(ステージ4)人生80年にして始めて患った大病に驚いております。来年の正月が超えられるかどうか、不安がよぎります。不謹慎ながら小生にもし万一のことがあった場合、あなたにそれなりの”メッセージ”をお願いすることを含み置き下さい。息子に伝えておきます」
Kさんに対して、私にできることはないか?試行錯誤した結果、昔の思い出をブログに書いてみようと思った。幸い、Kさんはメールができる。元気であれば読んでいただける。
私とKさんは同期入社である。昭和35年(1960)2人はTDK・平沢工場(秋田)に入社した。秋田には平沢工場と琴浦工場があった。平沢工場ではテレビの偏向ヨーク等に使用されるフェライト(磁性材料)、琴浦工場ではコンデンサを作っていた。
 社内報・秋田版によると、昭和35年、平沢工場に94名(写真)、琴浦工場に238名が入社している。いずれも中・高卒である。(大卒は東京本社で採用していた)琴浦工場はほとんとが中卒。いわゆる女工さんだった。
Kさんは地元の普通高校卒業。配属先は人事課。エリートだった。小生といえば、地元の農林高校卒業。営林署や測量士補の試験に落ち(実は受からないのは分かっていたので受験すらしなかった)縁故で入社させてもらった。(祖父は近隣、石沢村の村長。平沢工場長は石沢村出身。父は衆議院議員TDK創立者・斎藤憲三の支持者)総務課庶務係に配属された。
私は実家から平沢工場に通っていた。母は私の弁当を作るために4時起きしていた。その母は105才。施設に入っているが、元気である。
K君は小生の実家より遠い矢島町の出身。当時実家から通っていたのか、それとも平沢町(現在・にかほ市)にある独身寮に入っていたのか?知りたい。


2022年11月27日日曜日

TDK、バッテリーに並ぶ宝くじ「世界陸上」


11月20日のブログ「スマホの中身は7~8割が日本製。140億で買収した会社の売上が1兆円に!」をご覧になった方から「TDKさんバッテリーやってたんですか?」という感想をいただいた。スマホのバッテリーのシェア40%というのは凄いことなのだが、認知度は低い。その一因はバッテリーがTDKの自社開発ではなく、買収した中国の会社が生産しているというところにある。                              
 しかし、自社開発でなくとも、17年前、揺籃期にあった中国のバッテリー会社を買収したという先見性はもっと高く評価されるべきだと思う。買収した会社から分離した会社は自動車用バッテリー部門で年間10兆円規模の売上を上げている。日本の一流企業がこの会社を目標に熾烈な開発競争を行っている。買収を決断したTDK6代目、澤部社長は「宝くじ」に当たったと謙遜されているが、もっと胸を張るべきである。
 TDKは今年創立87年目となる。フェライト等の自社開発の電子部品も1兆円の大台に乗った。8代にわたる社長が87年かけて達成したのである。それはそれで立派であるが、澤部さんが買収したバッテリーの子会社は17年、3代の社長で1兆円を達成したのである。
 ところで、TDKにはもう一つ「宝くじ」もののエピソードがある。それは「世界陸上」である。「世界陸上」は「ワールドサッカー」「オリンピック」と並ぶ3大スポーツイベントといわれている。TDKは「世界陸上」で冠スポンサー並みの扱いを受けている。男子選手のゼッケンはTDKのロゴ、100メートルスタートの背後には巨大なTDKの看板が掲示される。この背景には1983年の第1回大会から一貫して世界陸上を支援してきたTDKと世界陸連の信頼関係がある。日本の電通の力も大きい。
 電通は現在オリンピックからみで、マスコミに取り上げられているが、私が接した電通マンの皆さんは礼儀正しく優秀だった。「世界陸上」については改めて記してみたい。



2022年11月20日日曜日

スマホの中身は7~8割が日本製。140億で買収した会社の売上が1兆円に!

11月4日の読売新聞に”米アップルのスマートフォン「iphone(アイフォーン)」の人気は揺らいでない”いう記事が掲載された。この記事で”分解してみると日本企業存在感”とある。超小型部品「積層セラミックコンデンサー」も大量に搭載され、村田製作所や太陽誘電、TDKが供給しているという。「多くの部品を日本企業が提供しており、部品点数では首位の7~8割に上る」”とある。                          
 最近、半導体産業と並んで電子部品産業が注目されているのにはこのような背景がある。
 TDK・OBとして嬉しかったのは同記事に掲載された図(写真・上)にバッテリーの供給先として、TDKの名前がでていたことである。TDKは現在、年間売上2兆円であるが、その半分の1兆円をバッテリーが占めている。このバッテリーはTDKが買収した中国の子会社アンプレックステクノロジー(ATL)が作っている。
ATLはTDKの6代目社長である澤部肇さんが買収した。同氏の自伝「神田のサンマとニューヨークの青空」(日本経済新聞)によると、澤部さんはこう語っている。「宝くじに当たったようなものだった。振り変えれば、私に電池の知見を与えた斎藤さんの功績であり、レイモンドの功績である。授業料の50億円を入れても投じたお金は140億円ほど、その会社がスマートフォン用の電池で半分近いシェアを握り、ドローン用でもトップを走る。途中分離独立した自動車用電池のCATLは、今や業界で世界最大の会社になっているから驚きだ」
 TDKがATLを買収したのは2005年、それから17年で、年間売上1兆円の会社に成長する。いくら経営勘に秀でた澤部さんでも予測できなかったであろう。”宝くじに当たった”としかいいようがなかったものと思う。