2022年12月12日月曜日

末期ガンにかかった友人(3)三笠宮妃殿下来工


 Kさん、昭和36年(1961)10月、三笠宮妃殿下が平沢工場に来工されたのは覚えておりますか。
この年、秋田国体が開催され、平沢はサッカー会場になり、三笠宮妃殿下がお見えになった。写真には斎藤仁賀保町長、松野県会議員、山﨑社長、小松工場長が写っている。入社2年目の小生も写っているのである。(右端)初めて背広というものを着たように記憶している。当時、東北大学の西沢潤一教授、衆議院議員の清瀬一郎、南極探検の西堀栄三郎、歌舞伎の市川左團次、野球解説の小西得郎も来工した。
 日本はテレビブームに沸きかえっており、その主要部品を作っていたTDKは注目を浴びていた。

 同年、本社から各事業所別に社内報(TDKタイムズ)の編集員を任命するよう指示があり8名の編集委員が任命された。私(後列・左端)を除いて、全て管理職の方々だった。学歴をみると、東大、一ツ橋、慶応、秋田大学と、仰ぎ見るような方々ばかりだった。私は高校時代、文芸部に所属していたのが幸いしたようだ。私のプロフィールを見ると、「入社2年目、若いに似ず、あらゆる点において・・・」とある。これが縁で、私は翌年、本社に転勤となり、本社で社内報の専属編集担当になった。
 Kさんとは秋田時代、ほとんど接触がなかったが、昭和38年、Kさんは職務分析委員として本社に転勤。東京で2人は急接近するのだった。
     




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